第20話
鈴木正恵の事故死
倉科は鈴木正恵の事故状況について尋ねた。
「事故が起きたのは二か月程前の四月二十日、場所は愛知県と岐阜県の県境付近。山間にある二車線の県道。事故発生時刻は深夜。ガード・レールに接触して、反対側のコンクリート防御壁に激突したらしい。ブレーキ痕は接触したガード・レールの所にしかなかった。車種は軽四輪車。フロントガラスに頭から突っ込んで、頭蓋骨骨折と脳挫傷でほぼ即死状態。シート・ベルトを着装していなかった。助手席の四十代の男性は軽い打撲傷と頸椎捻挫、つまり、むちうち症。後遺症として視神経に異常が出て、視力が極端に落ちたそうだ。それと現在は、幻覚にも悩まされている、と言う話しだ。彼はシート・ベルトをしていた」
竹橋は弁護士らしく事実を端的に整理して話した。
「スピードの出し過ぎか? それとも自分のドライブ・テクニックを過信した? 運転者がシート・ベルトをしていなかった?」
倉科は自らの感想と伝えられた事実を呟いた。
「現場は緩やかな右カーブの下り坂だが見通しは良いので、突然、対向車が飛び出して来たか、よほどスピードを出してハンドル操作を誤らない限り、ガード・レールに接触するとは思えないけどね。俺も一度、走ってみたけど」
ハンドルを握ったような動作をしながら、竹橋は付け加えた。
「急ブレーキの理由について助手席の同乗者は何て?」
倉科の問いに、竹橋は首を振りながら、
「眠っていて何も覚えていないらしい」
「ドライブレコーダーは搭載してなかったのかい?」
「そうなら、こんなことにはならねえよ」
竹橋は渋面で吐き捨てた。
黒タキシードのボーイが、女達の飲み物を運んできた。赤とオレンジ色の液体が満たされたトール・グラスがテーブルに置かれた。
倉科はボーイをじっと観察していた。跪いて給仕するボーイからは慇懃無礼な香りが溢れ出ている。この助平オヤジが、と心の中で毒づいているに違いない。何を考えているのか、客に察知されるようではプロとは言えない。
中断していた二人の会話が再開した。
「ところで、死亡者と同乗者の関係は?」
「以前所属していた音楽プロダクションの関係者だそうだ。これがまた、たちが悪いと言うか、このところ視神経の異常で、視力の減退に加えて幻覚が見えるとか、幻聴までが出てきて、演奏活動に支障をきたしていると訴え出したらしい。俺は事故補償に関して依頼を受けてないので詳しくは知らないがね」
「演奏活動に支障ねぇ…。有名なの? そいつは演奏者として?」
竹橋は憮然として、
「知らねぇよ。どうせたいしたことないだろうけど」
倉科は頷きながら、
「視力の減退はありうるだろうけど、幻覚と幻聴ねぇ…。こればっかりは、本人の主張だけだからなぁ。専門医でも確認が難しい部門だねぇ。悪質な被害者が補償金を吊り上げるときによく使う手段じゃないの?」
「まあ、そういう輩はごまんといるけどね」
竹橋は軽蔑したような表情で淡々と述べた。自分の訴訟でも嫌な思いをしたのだろう。
(確か、夢とか花とかの文字が入った音楽事務所だったなぁ…)
倉科は当時、綾乃から何度も事務所名を聞いたが、関心が無かったので覚えることができず、彼女に呆れられたことを思い出した。綾乃の話によると、経営者は、元ハープ奏者で、クラシック業界では一応有名な女性で、業務全般は専務と称する弟が取り仕切っていたとのこと、等を倉科は思い出した。
「弁護士のお前に何か調べて欲しいって依頼があったの?」
倉科は窺うように質問した。
「いや、ただ聞いて欲しかっただけだろうよ。警察が事故と断定した案件を覆すのは至難の業なんでね。それに事故じゃなかったら、何になるの?」
「事故を偽装した殺人事件? 探偵小説的には面白いけど、あり得ないね、同乗者も怪我しているし。肉を切らせて骨を断つ、なんてのは特殊な訓練をした人間にしかできないからなぁ……」
二人は顔を見合わせて頷き合った。思いは同じだ。考え過ぎだろうよと。
しかし、倉科は殺された三村里香の言葉を思い出していた。わずか数か月の間に綾乃の親しかった友人が次々と死ぬとは……。原因は事故と自殺、偶然だろうが…。
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