第18話

探偵学校の講義


 探偵学校の講義が、名古屋駅近くにあるビルディングの一室で始まった。受講生は十名程度。女性は三割程度。顔ぶれは多彩だ。大学生、フリーター、主婦、脱サラを考えている中年男性等。倉科は愛用の黒いアタッシュケースから資料を教卓に置き講義を始めた。受講生達は神妙に聞いている。

 「いいですか皆さん。あなた達の持っている探偵のイメージを捨ててください。探偵の調査行為は特殊なことをするのではありません。ビルの壁をよじ登たり、疾走する車の間を駆け抜けるたりなんてことは全くありません。ここはそんなスタントマン的技術や変装とか鍵開けまたは盗聴方法を伝授する場ではありません。皆さんが持っている身体能力を調査行為に適合させる方法を教えることが目的です」

 受講生達は、複雑な表情をしている。彼等は、特殊な技術、特別なテクニックを教えてもらえると期待していたので、少し落胆した雰囲気が漂う。

 「そうかと言って、探偵の基本三行為である『尾行』『張り込み』『聞き込み』は誰にでもすぐにできるといった訳ではないのです。それじゃあプロの探偵なんて不要ですからね」

 倉科が先を続ける。

 「探偵業の基本は情報収集です。先ほど述べた基本三行為を駆使して、依頼者の望む情報を掴む。これに尽きます。ただし、相手にばれないようにして情報収集をしなければなりません。調査活動が相手の関心を惹かない、例えば、風景に溶け込むとでも申しましょうか、そうするのがプロフェッショナルです」

 受講生達は講師の意味するところが少し分かってきたのか、頷きが多くなってきた。

 探偵の神髄は、依頼者の目となり耳となって、秘密裏に対象者に関する情報収集をすることに尽きる。倉科はこのことの理解が重要である旨を受講生に説きながら、『尾行』の講義へと移っていく。


尾行実習


「探偵は『尾行に始まり尾行に終わる』と言われており、尾行は基本中の基本です。ここでは、失尾と発覚に注意してください。失尾とは尾行の対象者を見失うことで、発覚は対象者にバレることです。尾行は失尾せず発覚せず、なのです。この両者を同時に行うことが非常に難しいのです」

 倉科は受講生の表情を窺いながら、

 「失尾を恐れて、近付き過ぎると相手に気付かれてしまい、発覚しないように相手との距離を置くと、失尾してしまいます。トレードオフと言うか反比例の関係ですね」

 この辺りまで講義が進んでくると、受講生達の表情が段々と真剣味を増してくる。

 「従って、プロの探偵は失尾せず発覚しない尾行技術を習得する必要があり、本日の講義における第一の目的は、そこです」

 若い受講生が手を上げて、

「先生、尾行するときに変装はしないのですか?」

倉科は冷笑ぎみに、

 「どこかのエセ探偵が書いた本に『探偵の変装術』なんてのがありましたね。対象者は探偵の顔を知らないのにどうして変装する必要があるのでしょうね。私には理解不能です」

 受講生達が大きく頷き、倉科は完全に講義の主導権を握ったようだ。

 尾行における種々の注意事項とプロのテクニックを教えた後、尾行実習の段階となる。

 倉科と学校関係者が各々尾行の対象者となり、一人の対象者を受講生二三人が一グループとなって尾行する形式だ。

 名古屋市内の中心的繁華街、栄地域で、怪しい動きをする男女のグループが散見されたはずである。物陰に隠れてチラチラと辺りを窺う者、所構わずビデオカメラを振り回す者、雑踏の中で立ち止まり、一心不乱にメモを取る者など、少しでも周囲に注意を払う人ならその異常さに気が付いただろう。

 尾行の極意は周囲に溶け込み、風景となること、であるにも拘らず、水と油のように全く溶け合おうとしない。受講生達は教えたことと全く逆の対応をしている。倉科はショウウインドウに映る彼らの滑稽な行動をニヤニヤしながら眺めていた。

 ビデオカメラの使用方法、電車の乗降、交差点の渡り方、エレベータ、エスカレータの乗り降り等、教室で教えたことが実習現場では全く実践されていない。受講生達の身体が尾行行為に反応していないのだ。

 倉科は、名古屋の繁華街である栄交差点、大津交差点から錦通りを渡り、ひっそりとした昼間の飲み屋街を歩いた。尾行者達はバタバタと静寂を破る足音を響かせたり、対象者である倉科を何度も追い越したりする。まるで私が尾行者ですと自己アピールしているようだ。

 地下街やデパートに入ると失尾の連続。交差点を渡ると誰も尾行者がいなくなることもあり、笑い話のようなことが続出した。

 倉科は苦笑しながら、

 (初心者はこんなものだろうなぁ……)

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