第9話

探偵倉科源一郎と大林憲吾


 東京都目黒区中目黒。近年、中目黒駅には東横線、みなとみらい線、副都心線が乗り入れ都心や横浜、さらには埼玉方面へのアクセスは抜群となった。

 駅の正面を通る山手通りを越えた、目黒川両岸には、洒落たオープンカフェーやモダンな出で立ちのフレンチ、イタリアン、エスニック料理が粋を競うように点在しており、流行に敏感な若い男女のプレイスポットとして雑誌にも紹介されている。

 山手通りの内側、賑やかな区画とは打って変わった昔ながらの商店街。

 大林憲吾が中年の恰幅の良い男性と喫茶店でテーブルを挟んで語り合っている。

 「今日は、大林ちゃんに、マーケッターとしての意見を聞かせて欲しいと思ってね」

 倉科源一郎が、いつになく畏まって尋ねた。

 大林は高級ブランド、ランバンのスーツをラフに着こなして、気取った身振りでタバコを燻らしている。自信満々の風情だ。いかにも嫌味に感じるのは倉科だけではないだろう。

 「ボクもいろいろ忙しいんですよ。倉さんだからのボランティアですよぉ」

恩着せがましく、迷惑そうな態度に倉科はカチンときたが、今日は質問者なのだと、自戒した。

 大林は若手だが、市場分析の明快な理論とフィールドワークの綿密さに定評があり、日本で屈指のマーケッターと言われている。

 倉科は、大林の明晰な頭脳と論理展開の精密さに感服して、長年にわたり飲み友達としての関係を維持してきた。多少、横柄で利己的な面もあるが、若くして偉くなるには、この程度の短所は致し方ないかなぁ…。これが無ければもっと大成功できるだろうにと、倉科は会うたびに感じている。

 「ボクは、倉さんの所属している探偵業界について殆ど知識が無いからねぇ…」

 大林の答えが終わらないうちに、

 「個人情報保護法、不正競争防止法が強化されて、必要な情報が入ってこなくなったんだ。探偵業法による当局の取り締まりも厳しいし…。依頼件数が減少傾向にあるので抜本的な市場対策が必要だとおもってね」

 「市場規模がどの程度なのか知らなきゃ分析の仕様が無いですよ」

 「離婚の大半は不貞が原因だと考えられるのだけど…。過去二十年のデータだと平均二十五万件。三分の一だとしても八万件程度が、市場だと思うんだ」

 「家庭裁判所に提起された離婚訴訟は平均して年間一万件程度だと言うデータは見たことがありますよ」

 大林の答えに、

 「確実に一万件の需要はあることになる。提訴するまでもなく示談で終了するのもあるから、数倍の市場規模が考えられるってことか。私の手掛けた案件でも大半は訴訟にまで至らないからねぇ…」

 倉科が感慨深げに呟いた。

 「そうだとすると、市場規模はある程度考えられますね。依頼件数が増えないのは、探偵業界の広報不足じゃないですか?」

 倉科は大林の指摘に答えて、

 「各業者のホームページ等で広告は十分だと思うのだけど…」

 「僕の言っているのは、探偵が何をしてくれるのか、探偵に依頼するとどのようなメリットがあるのか等の消費者に対する説明が不足しているのではないかってことですよ」

 倉科が笑いながら、

 「探偵が掴んだ証拠さえあれば、どんな無能弁護士に依頼しても大丈夫です、なんてね」

 「倉さんらしい極端な指摘だけど、外れてはいませんね」

 大林は苦笑した。

 探偵業界におけるシェアの問題、業界団体等について大林と倉科の質疑が続き、二人が店を出たのは夕方だった。ムッとする湿気が二人を包んだ。商店街は地元民の買い物客であふれている。

 「ところで、あっちのほうは、まだまだ健闘中かね?」

 倉科がニャとしながら尋ねた。

 「仕事が忙しくて、女どころじゃないですよ」

 倉科は、へー? そうかなとの表情を浮かべて、

 「この間飲みに行った『鳳仙花』に通ってるんじゃないの? やけに里香となごんでいたじゃない?」

 「倉さんと行ったきりですよ」と大林が毅然として答えた。

 二人は山手通りを渡り目黒川の見える辺りまで歩いた。休日前なので、人出が多い。

 「一昔前には考えられなかった光景だね」

 倉科は若い男女の群れを見渡しながら、感慨深げだ。

 「倉さんの良く知っていた昔の寂れた中目(なかめ)はもうありませんよ」

 倉科の感慨を笑いながら、続けて、

 「それじゃあ、ここで」

 「今日は有難う。またお知恵を拝借させてください」

倉科の言葉を背に、大林は川沿いの高層タワーマンションに入っていった。

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