ひまわり22 愛しい横顔

 私は、定規を用意する。

 マーカーのレーンとその横にサンプルがある。

 端から、ひまわりの壺が一、高乃川家の『ひまわり』の花弁からが二、その壺からが三としてある。

 写真は黒地をバッグにして、白い横棒の画像が観察できる。


「マークシートみたいです」


 私は手元が狂わないように首肯した。

 そして、計測を行う。


「成程です。各々のサンプルがレーンを縦に流れるので、定規は直角に置くのですか」


「そう、横にね」


 間もなく、分かり易い結果を導き出せた。

 本当のことを告げなければならないと、渋い顔をする。


「定規を一応当ててみたけれども、その出番はなかったわ。サンプルはどれとも同一性がないと言えるわね。『ひまわり』の二と三は少々近似が確認できるけれども」


「それは、ショックです。何故でしょうか?」


 単に、実験の失敗なのだろうか。

 どこの組織でも同じ結果なら致し方ない。

 如何せん、採取した部分が適切とも証明し難い。

 しかし、もしも同一であるのなら、同じ蔵に入っていたのならば、同じ菌が採取できる確率が上がる。


「その考察は、道々ね。ここでは話し難いわ」


 私達は、ママに見送られて、TU総研を後にした。

 すっかり遅くなったけれども、まだ夏らしく日が高い黄昏時に肌を晒した。

 ワンピースの水色が茜に染まっている。

 バス停で、六時十分のを待つ。

 生憎、私達だけだった。 


「壽美登くん、ひまわりの壺と高乃川家の『ひまわり』は繋がりがないわね。あれ以上の精査する実験は必要ないとの判断を下すしかなかったのよ」


 私のスカートが生ぬるい風を孕んだ。

 推察であっても、理由を告げるべきだろう。


「その『ひまわり』から採取した花弁と壺の描画部分が少し似ていたのは、同じパレットで混在した絵の具を用いたのが一つの理由、同じ環境下に置かれていたので、似た菌を採取し易い状態だったのがもう一つの理由だと思うわ」


 彼は、黙って頷く。

 それ程ショックではないのか。


「理系的側面からの簡易的判断ではあるけれども、今は皆無としか言えないわ。しかし、過去へ行って本物の『ひまわり』から採取してみないと、それらの紐づけを零にはできないわね」


「僕は、絵画の芸術的側面から迫ってみています。明日、那花家にいらしてください」


 壽美登くんは、益子へ向かうバスに乗り換える。

 いつもは私だが、今、壽美登くんが後ろのドアから屈んで整理券を取る。

 広い背中にさようならをしたくなかった。

 抱きついて一言、謝りたかった。

 自分の心が乱れたこと、実験の失敗についてだ。

 それに、感謝状も用意したい。

 いつも傍に居てくれるから……。


 ――翌、七月十七日。


 竹の中を歩いて行く。

 白い膨らみ袖のニットに茶のプリーツスカート、秋を先取りしたファッションで楽しく出掛けて来た。

 今日はお茶はいいからと最初にお断りした。


「東京へ行ったのが先週の日曜日。一週間なんてあっと言う間ね」


「両親は、また日曜ドラマの時間かと、いつも話しています。お互いに老けたと笑い合っています」


「そうそう、愛壽さんに美愛さんは、見掛けないわね」


 壽美登くんは逡巡していた。


「二階の自室にいると思います」


「妹さん、大人しいのね。それに、朗らかご夫婦で素敵だわ」


 うちも菊次パパがいたら、そんな夫婦になれただろうと一人思う。

 何故、織江ママは未だに許さないのか。

 家だって中学生の太翼がいるのだし、両親が揃わない気持ちも分かる筈だ。

 いつか、訊いてみようとは思っている。

 その勇気がないだけだ。


「香月さん、新しいことがひまわりの壺で発見されました」


 床の間に通される。


「ひまわりの壺に貫入が入ったのはここ最近です」


 私は頷いて聞く。

 壽美登くんは、部屋の明かりを落とし、スタンド蛍光灯にスイッチを入れる。


「まさか、ご自宅で私と手を繋いだりとかしないわよね」


「どうかしましたか」


 肩が脱臼したかと思った。


「壺に光を当てます。よくご覧になっていてください」


「きゃあ! 影が! 女性の横顔?」


 私を落ち着かせようと、壽美登くんが口を何度か開こうとしていた。

 けれども、とうとう困っておでこにある旋毛を掻く。


「思い当たることは、この部分だけ厚みに工夫が凝らしてあり、魔鏡まきょうのようになっていると思います。凹凸のある部分は耐久性が弱いですので、それで、貫入が入ったのではないでしょうか」


「種明かしは分かったけれども、この鼻の高い方は何方かしら」


 ヨーの訳がないし、似ていない。


「このシルエットは、恐らくファン・ゴッホの母ではないでしょうか」


「では、ファン・ゴッホは赤ちゃんの頃から虐げられて来てもアンナの愛を求めていたの……?」


 私は、顔の真ん中を覆い、涙が出そうになる。


「子どもとは、例えどんなにネグレクトされていたとしても、母と言うだけで暗闇を灯に感じるものです」


「そうならば、直ぐに、壽美登くんのお母さんごっこをするわ。よくしたわよね」


「そうですね」


 どうして、こうしたくなったのか、自分でも分からない。


「じっとしていてね……」


 これまで、私は壽美登くんを男の子だと思っていなかった。

 けれども、こんなに一緒にがんばれる人はいたのだろかと喉に込み上げて来るものがあった。

 貴方にほの字だとは、墓に入っても内緒だ。

 私は、照れ屋で一生を過ごす。

 ならば、何故、彼を抱きしめているのだろうか。

 どうして、彼の顔を自分の胸に埋めているのだろうか。


「香月さん、アンナが僕達を見ています」


「あれは、偽物よ。非科学的だわ」


 私の心が、非現実的だ。

 ああ、私の心に巣食う悪魔よ、出て行って欲しい。

 二人とも倒れて、スタンド蛍光灯を倒してしまった。

 魔鏡の映像が揺れる。

 ヒッチコックの『鳥』を思い出さざるを得ない。

 私の脳波が、小刻みに訴え続けているものがある――。

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