ひまわり36 ひまわりの氾濫

 ――翌、八月二日。

 私は、夏休みなどは曜日も気にしない。

 本当は、白衣のDNAのあだ名が似合わないずぼら仮面を被っている。


「那花くんのお父さんとお母さん、こんにちは。卒論の打合せにご自宅をお借りいたします」


 私は、那花工房へお邪魔しに行った。

 ぺこりとお辞儀をする。


「おう。がんばれよ」


「まあ、仲のいいこと」


 土の付いた手を振ってくれた。


「普通に友達だわ」

「普通に友達です」


 斉唱してしまった。

 私は、ぷうっと頬を膨らませる。

 壽美登くんが、おでこの旋毛を掻いている。

 これは、パグ犬がほの字になっているのではないか。

 だが、志一くんと一緒に扱ってはいけない。

 工房からご自宅の方へ竹の中を行く。

 所々に欠けたお茶碗が地面に埋もれていた。

 いつ来ても面白いと思う。


「はい。今日は、僕は玉子の黄身ではなく、アイスレモンティーとダジャレで出してみました」


「ありがとうね。いただきます」


 国産レモンのスライスが素敵だ。

 これからの真夏に向けて、クエン酸も要るだろう。

 何がダジャレか分からないが。

 さて、ゆっくりもしていられない。


「九月末には、花戸祭高等学校に卒業論文の下書き、十一月には清書を提出しなければならないわね」


「主に四点、課題設定力や調査研究力に表現発表力、共著の場合は団結力を試されています」


 流石に飲み込みが早い。

 けれども、審査の先生ですかとの突っ込みを入れたい。

 最初から片付けて行くか。


「課題は、『ひまわりの壺にみるファン・ゴッホの軌跡』と設定していいわね。調査研究は、彼の芸術と人を追って旅して来たものをありありと書けそうだわ」


「発表のスライド等、纏めつつ一緒に用意して行きましょう」


 お互いに意見を出し合って、分かった所をどんどん樹形図にしたり、付箋を使ってポイントを纏めたりして行った。

 例えば、少々混乱気味だった、ファン・ゴッホが実際に移動した住まいなどと地図を用意する。


「ああ、やっと分かったわ。慣れない地名ばかりで困っていたの」


「皆様もお困りになられると思いますから、必要なデータです」


 九時に着いてからお昼まで根詰めた。

 いい感じに進んで来ている。


「所で、気になっていたのだけれども、いいの? 高乃川様にひまわりの壺を渡してしまって」


「大丈夫です。桐箱の中身は、僕が復元したひまわりの壺ですから」


 大きな声を出したくなったが、そこは密やかにことを運ばなければならない。


「いつの間にって感じだわ……。お父さんもご存知なのかしら」


 本気で冷や汗を掻いた。

 パグ犬ハンカチで口元を押さえる。

 バレたらどうするのだろう。


「壺を復元していて、よく分かることがありました。あれは、釉薬が上下に分けられております。それは、ファン・ゴッホの二面性を表しているのではないかと思いました。テオもファン・ゴッホの内面にある自分と自分が奮闘しているのを指摘しています」


 私もそれは感じる。


「その点も強調して、卒論に盛り込もうね。本物はどうしたのかしら」


「僕がひまわりを描いているときには、隠してあった本物を用いました。愛壽が抱えていたのは、僕の複製したひまわりの壺です。本物は、居間にあります」


 大人しいと思っていたけれども、度胸は随分とあると感心した。


「それから察するに、ファン・ゴッホの時代へ転移した先から帰るとき、居間に落ちてしまうのでしょう」


「成程ね!」


 私はそこが解決して、さっぱりとした。


「最初の貫入があると触れた壺は、本物です。転移から帰った所は床の間でした。ひまわりの花が挿してあったので、恐れられてはいけないと思い、僕が居間へ香月さんを運ばせていただきました」


 恥ずかしい。

 もしかしたら、壽美登くんも私に触れたと話し難かったのかも知れない。


「菌を取ったものは、本物です」


 そこは誤魔化されては困る。


「では、集団催眠だと思う?」


「僕は、ファン・ゴッホの辛い生き様もありましたが、夢を辿れて幸福です。もし、二人とも睡眠中夢が同じだったとしても、僕は嬉しく思います」


 テオの本をポップコーンだと思って、ファン・ゴッホロードムービーが終わった。

 緋色の映画館に躍り出ると、ざわつく観客がいる。

 耳切り事件、自殺か他殺か、はたまた事故か、未だに分からない最期。


「いい、映画だったわね」


「映画は一緒に行く人の方が大切です」


 ごもっともです。


「私は壽美登くんと一緒だったわね。ありがとう!」


 テーブルにあったミニチョコを口へと運ぶ。

 頭を使ったら、チョコは丁度いい糖分補給と一休みだ。

 美味しくいただいてから映画評論家になる。


「ゆりかごから墓場まで、ファン・ゴッホを見つめるムービー、哀しみも喜びも煌めきも感じるわ。その経験とこれから行う資料の纏めで掘り下げられると思うの。例えば、絵画詳録をこれからの課題に入れてもいいわよね」


 再び、テーブル一杯に画集や資料集等を広げて、自分達の見分していない所も補って伝記風にメモをして行った。

 何せ激動だったから、物語のようだ。


「卒業論文は、この線で仕上がりそうね。締め切りまでに打ち合わせを重ねてがんばろう」


 一息入れていた。


「所で、そのレモンティーなのですが」


「はい。うまうま。美味しいですよぷー」


 壽美登くんが、視線を落として呟く。


「黄身でアイスだから、キミを愛す……。ダジャレにしたつもりです」


 私は、短距離走が得意だ。

 居間から玄関を抜けて、竹林へと逃げてしまった。


「本気ですから」


「本気だから――! 困るのよ!」


 私の周りにひまわりの花が一輪、二輪と増えて行く。

 そして、満開のひまわりの海に飛び込む。

 海は黄色く深い茶も湛えている。


「ああ、目眩がする」


「大丈夫ですか?」


 私のおでこに男の子の手を当てるなんて、もう、許してつかわそう。


「壽美登くんのせいよ、もう! ぷーだ」


「志一くんは、ぷーって鳴くのでしょうか?」


 私は暫く笑った。

 志一は、パグ犬だから、ワンかキャンだ。


「私は、幼馴染でしかなかった那花壽美登くんのこと、友達から恋仲にと思っているわ」


 私の心音が聞こえる程に、ばくばくしている。

 壽美登くんにも分かってしまう。


「菊江ちゃん、居間に行こう」


 さり気なく、菊江ちゃんになっている。

 実はやり手だったのか。


「はい、座って」


 いい所だから、ここで倒れないように、レモンティーをつっと啜って落ち着かせる。

 ピンポーン!

 そのとき、チャイムが鳴って驚いた。

 

「両親も仕事休みに入るようです。皆さんでお昼を食べましょう」


「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ。我が家にいらっしゃるのもお久し振りですね」


 玄関から、那花くんのお母さんが客人を迎えているようだ。

 とても気不味い。


「菊江ちゃん、がんばっている?」


 織江ママが那花家に入って来た。

 意外だった。

 朝にでも予定を教えて欲しい。

 ママの後ろから、影が動いていた。


「誰?」


「俺だよ」


 パパは偽物かと思った。

 けれども、大股の千鳥足が決定打だ。

 本物だろう。

 髭は伸ばしっぱなしで乙女としては困るが。


「パパ! どうしたの? 今まで、どうしていたの?」


 私は、駆け寄って細くなったオヤジ腹に腕を回した。


「言葉がぽろぽろだわ――。手で掬おうにも零れてしまって、何から話したらいいのか分からないの」


「パパは働いていた。ひたすらに清掃作業でも何でも働いていた。ママみたいにいいお給料は貰えない。けれども、ママと折半で隣の家も買い戻せる日が来そうだよ」


 パパは家が売られていないか様子を見に来ることがあったそうだ。

 あの日のパパは、本物に違いない。


「私もね、それでTU総研を辞められなくなって、菊江ちゃんにはお家のことなどやって貰ってごめんなさいね」


 私の頭を志一にするみたいによしよしとしてくれた。

 あたたかい。


「ママ! ママはいるだけでいいから」


 私は、何で泣きたいのか、混乱して来た。


「それから、面白いことが起きたわ」


 何だろう。


「菊江ちゃんが旅行に出ている間の話よ。高乃川初様が、花戸祭にいらして、不思議な壺をくださったわ。大層高価なものらしいので、お家を買う足しにして欲しいと仰っていたの」


「何で? あのお祖母さんは一体どういった方なの?」


「菊江ちゃんの写真が一枚しかないから、もう少しアルバムを見せて欲しいって。既に寡婦となり、幼かった菊江ちゃんを養子にしたいとの話まであったのだけれども、ママが大切な娘だから――」


「う……。うぐ。ママー! ママー!」


「パパは要らないのかい?」


 居間に入っていない小さな影が分かった。


「太翼! いらっしゃい。あなたも勿論家族よ。平和な家族が一番いいわよね」


 私は、今まで我慢していた分、泣いた。

 私の早とちりで、あのオトコのヒトとも関係はなかったそうだ。

 道理で、ママも私も好みでもない訳だ。


 ◇◇◇


 十一月、栃木県立花戸祭高等学校卒業論文・『ひまわりの壺にみるファン・ゴッホの軌跡』を香月菊江と那花壽美登の共著で提出できた。

 壽美登くんがいなければ、私一人ではなし得なかっただろう。

 彼に感謝しつつ、不思議な体験を交えて追うことになったファン・ゴッホの芸術と人を振り返った。


 ――私達の旅を不遇に狂い咲く『ひまわり』に熱情を注いだ画家ファン・ゴッホに捧ぐ。

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