最終章 【未来】卒業

ひまわり37 笑う九十九里

 ――八月七日。


 私達は、千葉ちばけんに遊びに来ていた。

 青い空に入道雲が反った山並みを描いている。

 ファン・ゴッホもアルルがこのように明るく感じられたのだろう。

 今、雲が笑った。


「じゃじゃーん。おデートです! サンサン晴れたる日曜日!」


 那花くんのお父さんの運転で、私だけ香月がノアに混ざる。


「菊江ちゃん、夏休みは曜日を忘れますよね」

 

 香月家は、織江ママ運転で、菊次パパと太翼に志一くん、それに高乃川の奥様をシエンタに乗せた。

 今、急な坂を上って別荘に到着する。

 二階は女子組、一階は男子組が寝泊まりすると、壽美登くんから聞いた。


「よし、昼間は遊ぶぞ! 行くぞなもしもし!」


 私は、十七歳で初めて、毎日が楽しくなった。

 暗い気持ちを吹っ飛ばせたのがよかったと思う。


「今日の為に着て来たのよ」


 私は、初めてのワンピースだ。

 洋服ではない。

 壽美登くんに背を向けて、白いパーカーを脱ぐ。

 ビーチパラソルの受骨うけぼねに細く畳んで掛ける。

 この仕草一つ一つが夏っぽい。

 ポニーテールを振りながら、彼の方に向く。


「てへ。水着がワンピースなのよ」


 モデル風に、右手を腰に甘く垂らし、腰は四十五度に捻り、両足を十一時に開いて立つ。


「パレオは着けましょう」


 壽美登くんは、私を避ける。

 砂浜と波の瀬戸際を意地でも見ようとして。


「それは、私の意思だわ。美脚効果のあるハイレグなの。ママのお下がりだけど、どう? 似合っているかしら」


 ハイレグとやらは、ママの時代に流行ったらしい。


「無地のワカメ色、いいと思いますよ。地味ですから」


 何て素っ気ない。

 たまごではあっても芸術家なのに、そのご感想に残念賞を贈りたい。


「海藻の若布? それとも若い芽の若芽?」


「どちらにしろ、緑です。明度もありますから、若芽でしょう」


 色彩学で攻撃と来た。

 一筋縄では行かない。

 私は一見バストがないようだけれども、メリハリはあるつもりだ。

 無反応ならば、次の作戦へ行こう。

 純な女性の装いよ。


「ではでは。パレオは、これなのよ」


 パラソルの下にバッグがある。

 出し易い所に整理していた。

 私は、しゃらーんと出して、きゅっと腰に巻いて結んだ。

 そして、もう一度モデルポーズでご覧くださいをする。

 模様は控え目の水玉だから、不評はない筈だと思いたい。


「橙色は全て『ひまわり』に思えて仕方がないです。僕の職業病でしょう」


「それは、私も同じだわ。ワンピースも茎みたいな色だし」


 スクール水着の方がましだったか。

 この件は、壽美登くん相手だから、致し方ない。

 気分転換しよう。


「やっほー。日焼け止め塗り終わった?」

 

 今日は、パラソルが他に二つある。

 こちらからご挨拶に伺う。

 砂が熱くて黄色い花柄ビーチサンダルに足を通す。


「それは、ひまわりの花ではありませんね」


「名もない花よ」


 さくり、さくりと、後方へ遊びに向かう。


「おーい。壽美登! 彼女をほったらかしにしてどうするんだ?」

「壽美登さん、失礼のないようにね」

「お兄さん、クラゲの浮き輪は今年小さくなったみたい」

「にいに。棒倒しは今年は負け続けてあげるよ」


 那花家の皆さんだ。

 愛壽さんが、短期間で外の空気を吸えるようになったのは喜ばしい。

 奇跡的とも思えるが、ご家族も本気を出して取り組んでいるようだ。

 周囲の理解があれば、いつか中学校へも顔を出して行けると思いたい。

 私が高校デビュー失敗型だから、応援したい気持ちもある。


「菊江ちゃん。壽美登くんの方に行かないのかな?」

「菊江、パパはおビールがあれば嬉しいな」

「お姉ちゃん、こっちに来てもいいよ。僕、受験勉強の道具持って来ていないし、偶には話そう」


 我が香月家が揃っている。

 ただし、志一は那花家の別荘でお留守番だ。

 ケージも持って来ており、高乃川様が随分と可愛いがってくださる。


「あはは。皆、違うこと考えていて面白いね。もう、壽美登くんのことは知りません。ぷーだ」


「菊江ちゃん、どうして、ぷーするのですか」


 壽美登くんは、相変わらず波打ち際に視線を固定している。

 ほぼ無視される、若芽の水着さんだ。

 ぷーされて当然だ。


「そうすると、王子様が来て、私の眠りを覚ましてくれるらしいわよ」


「王子様とは、どこにですか」


 無量大数のぷーがやって来てもいいのか。

 悔しいから、こうしよう。


「よし、私と棒倒しをしようね。勝負は一回。負けたら私の頬へ目覚めのあれこれをして」


「はい」


 壽美登くんは、勝負ごとは百パーセント負ける人なんだわ。


「やったー!」


 私は、パラソルの中で横になった。

 わくわくが止まらない。

 早く、早く来ないかな。


「――つ、つめた! 冷たいわ」


「パパのビールだよ」


 菊次パパ、何て気不味い。

 濡れた頬をバスタオルで拭う。


「そうだ、高乃川様が別荘でお待ちだけれども、お食事はどうするの?」


「そこのサンライズマンションの最上階はレストランになったらしいよ。行ってみよう」


 私は、飛び付いた。


「いえーい! パパ、大好き!」


 ガッツポーズをしながら、私はパパの肩を濡らしていた。

 パパを大好きって……。

 素直になれたのは、どれ程久し振りだろうか。


 ◇◇◇


「志一、ご飯とおやつにお水を置いて行くから、お留守番していてね。私達、お食事して来ますよ」


 わふん?

 わんわんわん!


「行って来ます」


 二階建ての別荘に鍵を掛ける。

 サンライズマンションへは、涼みながら歩いて行くことになった。

 織江ママが高乃川様の手を引く。

 遠縁とはいえ、血が繋がっている方だ。

 足元が覚束ないならば、そっと優しく手を差し伸べる。

 ママの姿に胸が打たれた。

 エレベーターが、深海トンネルに演出されていて、面白かった。

 最上階は、バーとレストランがある。

 レストランシーでは、和洋折衷の海鮮メニューが揃っていた。


「ええええと」


「菊江ちゃん、僕のと同じメニューにしませんか?」


 壽美登くんは、人の心を見透かし過ぎだ。


「イクラ丼に?」


「美味しいと思います」


 肉系女子、素直に行くか。


「菊次パパ、私もイクラ丼がいいな」


「よしよし、ここは那花さんの別荘だから、今夜のお食事はパパに任せて欲しい」


 那花家が全員で、顔の前で手を振る遠慮のポーズをしたが、パパはそれも嬉しいようだ。


「ああ、家族っていいな……。これが俺の妻、これが娘に息子、こちらは、婿殿候補とそのご一家」


 パパが椅子からガタリと立ち上がった。

 感涙している。

 ちょっと空気の読めないパパが恥ずかしいけれども、それもパパだから仕方がない。


きくっちゃーん、俺に内緒で婿候補にしちゃうのなしだよ。……うおお!」


 何故、男親同士で泣く。


「それはそれは、おめでとうございます」


「わわ! 高乃川様まで」


 私は、恐縮して、早くイクラ丼が来ないかと待っていた。


「私も早く赤ちゃんと会いたいわ。もうお先も短いもので」


「長生きできますよ。高乃川家の繁栄とご長寿を願って、カンパーイ! あっと忘れた、壽美登くんとうちの菊江にもカンパーイ!」


 イクラ丼がラストに運ばれた。


「では、皆様お料理も揃いました所で、諸々、乾杯なのです!」


 分かった。

 昼間のビールだな、パパ。

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