第九章 【現在】夏風のひまわり

ひまわり35 花ららら

 花戸祭高等学校で二人は待ち合わせた。

 校庭の黄色が目に飛び込む。

 ひまわりの花だ!

 今は十一時三十分。

 お互いに三十分前行動もぴったり一緒だ。


「綺麗ね――。ファン・ゴッホもこの位の感動をアルルで味わったのね」


 今日はポニーテールではない。

 真っ白なカチューシャに背中まである髪が夏の太陽に照らされいる。

 織江ママが買ってくれた紺のワンピース、白いベルトでウエストをマークしてみた。

 ママのコーデは白衣だけかと思っていたけれども、今日は気分がいい。


「ひまわりの花壇、満開になったわね」


 逆光の私はスカートを翻して微笑んだ。


「香月さん、この花壇に面白い仕掛けがあるのをご存知ですか?」


「いえ、特に知らないわ」


 丸い段が二つあって、腰掛けるのに丁度いい。

 それ位しか思い当たらない。


「夕方になったら、お伝えします」


「今じゃ駄目なの? ぷー」


 この頃、恥ずかし気もなく、志一くん用の必殺りすちゃん頬膨らませをしてしまう。

 その分、壽美登くんのおでこの旋毛を掻く癖が減った気がする。


「残念ながら、まだ、魔法使いが来ないのです」


「ゾクリ……。魔法使いか。どういうロマンスかしらね」


 壽美登くんも非科学的思考をする病か。

 人はそれをロマンチストと呼ぶ。


「それで、お話があるって何かしら?」


 髪を揺すって耳の後ろへ掛ける。

 お洒落にカチューシャヘアにしたつもりだったけれども、活動的ではないことに気が付いた。


「那花家のことではご心配をお掛けいたしました」


 ああ、愛壽さんのことだ。


「それはするわよ。初めてのお祝い、それにひまわりの壺」


 私は、拳を二つ握って肩に力を入れた。

 それだけ本気だ。

 野次馬根性ではなくて心配だから、質問する。


「あの日、何があったの?」


「叔父が帰るのを母が捕まえ、那花家全員で愛壽さんの真相を掴む会がありました」


 私は、あの日が最悪の場合を考えていた。

 事実はどうなのだろうか。


「僕らが考えていたよりも酷いことではなかったようです」


「でも、美都叔父さんも心当たりがある風だったわよね」


 悪いことをしていなければ、殴るのを正当に避けられる筈だ。


「あの血は、愛壽さんのものだったのよね?」


「愛壽さんも中一になったのです。たまたま初めてのメンスで、お手洗いをどうしようか迷っている内に、タイミング悪く叔父に見付かってしまったらしいです」


 年頃の女の子にとっては、最悪だ。

 できれば、お母さんにお願いしたかったろう。


「壽美登くんは、女の子としての愛壽さんの気持ち、分かるわよね」


「ええ。大切な妹です」


 そもそも、叔父は店を抜け出して何をしていたのだろうか。


「叔父は、ひまわりの壺を奪い取りに行きました。愛壽さんが隠して持っていたものですから。売店に父が来て、壺について詰問されると思ったのかも知れません」


「デリカシーの問題ね」


「そうです」


 そうだ!


「何か変なことを言われたとも聞いたわ」


「大人らしくもない、ハラスメントですよ。僕は口にもしたくはない」


 そんなに人を思い遣ることができないのか。

 困った美都叔父さんだ。


「壽美登くんは、潔癖だからね」


「そんなことありませんよ」


 その後、沢山語り合った。

 ひまわりの花は、太陽が大好きだから、いつも輝く方向を向いて行く。

 誰が、この名を付けたのか。

 まさに、日光を吸い込みつつ生きている。

 回る。

 回る。

 太陽を好んで。

 ファン・ゴッホが日本とうたったアルルの地には、ひまわりがあると信じて。

 夕方の風が生ぬるい。


「やっぱり潔癖だわ」


「どうして、そうなるのでしょう」


 しりとりでもしているかのような語り合いだ。


「やっぱり潔癖だわ」


「どうして、そうなるのでしょう」


 壽美登くんも飽きないと思う。


「……さん、立ち上がってください」


 何の話をしていたのか、忘れてしまった頃だ。

 私の肩へ、先に立ち上がった壽美登くんから手を差し出された。


「どうぞ。香月菊江さん」


 こんなお姫様な経験はない。


「はい」


 二人で、ひまわり畑に向かって立つ。

 長い影が伸びた。

 私が少し短くて、彼が少し長くて。


「それで、これから魔法使いが来るの?」


「ひまわりの水遣りをする通り道が十字にありますから、真ん中へ向かいましょう」


 ざざざざと分け入る。

 太陽は、ひまわりの花には哀し気な程に沈みかけていた。

 それでも、陽の光を吸おうと健気に首を伸ばしている。


「うわあ! ひまわりは背が高いと思っていたわ。けれども、中央が盛り上がっていたのね。丸い花壇がよく見渡せるわ」


「はい、万歳をしてください」


 彼に従う。

 二人の影が伸びて行った。


「ひまわりのこの花壇、まるで時計みたいだわ……!」


 私は、何に感動したのかもう分からない。

 ぽろぽろと涙が滲み、風に任せて、髪に、紺地の胸元にと散って行く。


「壽美登くん……。私、私、白衣の女とか呼ばれていたけれども、ロマンチックなのも好きだわ。そうよ、好きなのよ!」


 時計針先みたいに挙げた手で輪を作った。

 長針が壽美登くん、短針が私だ。


「十二時丁度が、ハーモニーとしてもいいわ」


 私は、たったと駆け寄って、壽美登くんの影の中に入った。


「菊江ちゃんって呼んでもいいですか? 昔みたいに」


「ぷんすか、ぷんぷんだぷー」


 私は意地悪く横を向いて腕組みした。


「菊江ちゃん……。怒りましたか?」


 その淀んだ言葉の裏には、沢山のアルバムがある。

 幼稚園の年少、年中、年長、小一、小二、小三、小四、小五、小六、中一、中二、中三、高一、高二、高三と、いつも同じ教室にいた。

 ずっと一緒のクラスでも飽きない程、話題に尽きない幼友達だった。

 けれども、空気のような存在だと決めつけていたのは、私だけだったのか。

 今、親友以上に心が動かされている。

 友達以上に想っている――。


「壽美登くん、私との想い出を一枚も捨てないって、約束できる?」


「菊江ちゃんと僕の笑顔に誓います」


 私は、ひまわりの花壇で、目を瞑った。

 もしかしたら、彼の夏の夕焼けに似た笑顔が次の瞬間にあると思ったから。

 暫く経って、彼の咳が三つあった。


「菊江ちゃん、僕は将来必ずお迎えに行きます」


 私は、瞼をそっと起こすことになる。


「焦らないでください。僕は何処へも行きません」


 芸術系の大学へ進学したりしないのかな。

 訊いてみたかったけれども、怖かった。


「私、お別れに耐えられない」


「菊江ちゃんは、芯の強い人だと思っています」


 先程の感動の涙とは異なり、今度は哀しみのものになっていた。


「僕達は、高校三年生です。様々な方がおります。でも、僕達には僕達の形があっていいと思います」


「どんな形? 卒論を一緒に書くだけの形?」


 私は態と彼を困らせた。

 彼は、首を横に振った。


「僕は、僕は、今こうしているだけで十分幸せです。それでは物足りませんか?」


 今度は、私が首を横に振った。


「私達、似た者同士ね!」


 ひまわりの種を二つ取って、食べてみた。

 これが、一粒のひまわりの味。

 もう一つを壽美登くんの口元へ持って行く。

 彼は、おでこの旋毛を掻いていた。


「いただいていいですか」


「うん!」


 私達には私達の形があるということが、少し分かった気がする――。

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