ひまわり30 今昔の温度差

 美都叔父さんは、工房の売店で雑誌を読んでいた。

 こんな騒ぎがあるとも知らないで。

 もの凄い形相の美樹お父さんが、工房の入り口が自動ドアなのに、肩から待てずに押し入って行く。

 そして、真っ直ぐにカウンターへ向かい、一発食らわせようとしたときだった。


「お父さん! 犯罪になりますから」


 壽美登くんが体を張って、狭い通路で揉みくちゃになりながら、お父さんを止めた。


「くう! 止めるな……! 今の俺を止めていいヤツは神でも許さない」


「それでも、暴力を働いたら勝訴できないのですよ」


 壽美登くんは、がしっと捕まえた。

 本来なら、逮捕されるのは美都叔父さんの方なのに。


「那花くんのお父さん、壽美登くんの話を聞いて欲しい。悔しいし腑に落ちないのは、よく分かるわ」


「俺の気分の問題だ」


 暴れようとはしなくなり、鼻息だけがふんっと荒くなった。


「兄さん、どうしたんだい? 窯に行っている時間だろう?」


 美都叔父さんがしらを切っているのが、また小憎らしい。


「お前、独身だったな」


「それが?」


 ふざけている。

 こんな叔父さんだったっけ?


「今から、ここを首にする。もう仕事に来なくていい」


 美樹お父さんが立ち上がった。

 壽美登くんも押さえ付けるのを止めたようだ。


「また、横暴なことを。兄さんは、いつも邪魔ばかりする」


「美都! ただし、裁判には出て貰うからな……!」


 これは、お父さんの捨て台詞ではない。

 狭い通路を美都叔父さんが、すれ違いながら自動ドアから堂々と出て行った。


「那花くんのお父さん。私、愛壽さんのことが可哀想過ぎる」


 私は棒のように立ったまま今頃膝が震えて来た。

 もう泣かないと決めていたのに、一筋の涙を私は指で拭う。


「ああ、愛壽にはお父さんが付いているんだから、大丈夫だ。勿論お母さんもいるし、美愛も壽美登もいる。心配しなくていい。裁判と心の問題は、時間を要するだろう。しかし、泣き寝入りさせると、後で傷が膿むといけない」


「父さん、正しい判断は法廷に持ち込もう。僕らが勝つのは明らかだ」


 ◇◇◇


「壽美登くん、今日は私はお邪魔だから帰るわね。壺は愛壽さんが持っていても大丈夫だと思うし」


「万が一破損したとしても、僕や父さんが気長に金継かなつぎしてもいいです」


 壽美登くんが、またお見送りをしてくれた。

 バスの運転手さんも毎度のことなので、彼が乗らないのを分かって出発する。

 花戸祭までの道をバスはゆっくりと熱風をかき分けて行く。


「もっと、壽美登くんと話したいことがあったわ」


 あの後、私がお掃除とかのお手伝いをしたら、愛壽さん傷付くかも知れない。

 私は身内ではないから。


「それにしても、美樹お父さんと美都叔父さんの剣幕はもの凄かったわ。当たり前よね。何があったかまでは未だ明らかではないにしろ、何かあった位は分かったから。愛壽さんの様子は、引きこもりの原因に繋がるものがありそうだったわね」


 私は、ブツブツと零していたようだ。

 バスの中ではいけない。

 知人が乗っているかも知れないから。

 辺りを見回すと、特に目立った知り合いは居なかったので、ほっと胸を撫で下ろした。


 ◇◇◇


 帰宅して、夕飯を三人で囲んだ。


「太翼、受験勉強は大丈夫? 最近お姉ちゃんは美術史に強くなっているわよ。何でも訊いてちょうだい」


「お姉ちゃん、僕が好きな『アルノルフィニ夫妻の肖像』、誰が描いたと思う? それから、素晴らしい特徴は何だと思う?」


 難しい所を突かれて、誤魔化しに入った。


「えーと」


 私の困っている姿を喜ぶかのようだ。


「ジャジャーン。答えは、ヤンJanファンvanエイクEyckですよ。そして、凸面鏡には絵画の世界がもう一つあるのです」


「あー、あー。夫と二人っきりが描かれていて、一見すると妊婦さんかと思える絵ね。中三で立派に勉強したわね。お姉ちゃんの自慢だよ」


 まだ食べ終わっていないのに、太翼の頭をぐりぐりとした。


「太翼とこうして話すのも久し振りだね。受験生、がんばれ!」


「お姉ちゃんも受験勉強を怠るなよ」


 それもそうだと思った。

 私は、自室に入って、真面目に勉強机に向かう。


「う……。いきなりどの教科をしようかと、それすら悩んでしまったわ」


 教科書を開いては閉じて、出しては仕舞っている。

 旅支度をしているようだ。


「悪いけれども、美術は受験に関係ないし。英語、数学、国語、理科と後は選択して受験できるわ。私立東大学ならね」


 壽美登くんのお家が大騒ぎだけれども、午後十時にもなれば、もうメールしてもいいだろうか。

 ポチポチとメールを打つ私のフィーチャーフォン。


『壽美登くん、こんばんは。そちらは幾分か落ち着きましたか? 香月』


『まあまあですよ。 那花』


『それはよかったわ。ファン・ゴッホとテオはとても繋がりの深い兄弟だったわね。テオがファン・ゴッホに困ることはあっても、ファン・ゴッホはテオを慕っていただろうと思う。 香月』


『僕も同意見です。ファン・ゴッホの頃は医療も恵まれていませんでした。 那花』


『今なら、病院へ通ったり任意入院したりして薬の調整をしたりできるのに、一八八八年の当時は難しかったのね。 香月』


『それでも、ファン・ゴッホには特別な医師との巡り合いがあったようですよ。 那花』


 それは、楽しみだ。

 今度、再びテオの本で旅をしようと提案した。

 彼は快く引き受けてくれた。


「今と昔では、病気に対する認識に温度差があったのだろうな」


 私は、暑さを抜く為に、窓を開放した。

 カーテンが、夜空の月から流れる空気を孕んだ。

 よく見えないが、『星月夜』にならないか。

 その日、疲れてよく眠った。


 ◇◇◇


 ――翌、七月十八日。


 月曜日から、続々と学期末テストが返却されて来た。

 それはそれは、授業毎に騒がしくなるのも分かる。

 進路を決めてしまう紙一枚。

 テストの一問を答えられたかで、自分の立ち位置が変わってしまう。

 このテスト騒乱の中、壽美登くんは自分の点数を気にしたり、他の人と比較したりはしない。

 どの授業でも大人しくしている。

 昨日、お父さんを羽交い絞めにしたのが嘘のようだ。

 私の方から、壽美登くんの机に向かって行く。


「おー。出たぜ、フィアンセ」


 冷やかす余裕があるのか。

 それとも八つ当たりか。

 無視を決め込んだ。

 壽美登くんには、放課後に話がある旨を小声で伝えて昼休みに入った。


 ◇◇◇


 陽は高く中々暮れないのが夏休みが近付いたということだ。

 今日は、校庭にあるまだ満開とならないひまわりの花壇で待ち合わせをする。


「やだ! 待ち合わせだなんて、彼氏みたいだわ」


 一人突っ込みを入れたつもりだったが、勿論、壽美登くんが先に来ていた。

 お待たせと手を振って、丸い花壇へと近付く。

 黄色が映えて素敵だけれど、満開の時期にはもっと燃えるようになるだろう。


「いいわね、ひまわりって、キク科ヒマワリ属でしょう。英語名をサンフラワーSunflowerといい、向日葵ひまわりと書く和名を持ち、別名は日輪草にちりんそうよね」


 何気なく話したら、速攻で返球が来た。


「この元気な姿は、北アメリカを原産としており、学名は、Helianthusヘリアンサス annuusアナス Lリンネ. です。太陽の花でしたね」


 しまった!

 学名はあった方がいい。


「困ったな、学名まで出されたら。流石、壽美登くん。キミ、理系に来ないか! なーんてね」


「僕も困ります」


 学名は、卒論にも載せようと盛り上がったりした。


「高乃川様が、ご用がおありだそうです」


「何かあったのかしら」


 謎の絵画『ひまわり』の持ち主だ。

 泥棒が入ったとかだとしたら、大ごとだろう。


「父に訊いてみないと分かりません」


「先ずは、那花家の方に伺うわね。制服の着替えを持って来たの」


 学校のサブバッグに詰めてある。


「悪い人になった感じがします」


「やはり、真面目だわ。壽美登くんって。私の上を行くわよ」


 バスの中で髪をなびかせるのが心地がいい。

 昨日の那花家から帰るときとは大違いだ。

 それも、隣に壽美登くんが居るからだろう。

 私は、那花のお宅へ上がって、皆のお留守に居間で着替えた。

 今日は、活動的に明るい茶色のキュロットを穿いてみる。

 ブラウスも黄色のリボンタイでさっぱりとした。


「少しひまわりの花で攻めすぎたみたい」


「そんなことないですよ。可愛いです」


 ズキューン。

 今、可愛いって仰いませんでしたか?

 ドキドキが止まらないのですが。

 ブラウスの上から、心の臓よ、その音を聴かせるなと命じてがんばった。

 頬は紅潮していたかも知れないが――。

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