ひまわり31 茄子紺の美しい人

 壽美登くんは、水色のシャツに白い綿のパンツスタイルだった。


「夏らしいね」


 私は、一言だけに気持ちを込めた。

 本当は結構カッコいいと、ときめいている。

 それから、再び那花家の方が送ってくださるとのことで、一緒にガレージに向かった。

 ミニバンのノアの方に乗るらしい。

 窓から覗いて訳も分かる。

 後部座席には、愛壽さんも美愛さんも乗っていたからだ。


「那花くんのお母さん、すみません。運転していただいて」


 私は最後部へ通して貰って、隣には壽美登くんが座った。

 彼は助手席に居なくていいのか。


「香月さん、ご遠慮は要りません。それに、父が運転します」


「お父さんが? お気持ちは大丈夫なのかしら」


 何があったのかは分からないけれども、お父さんは心配の余り理性が飛んだ。


「昨晩、母親の私が愛壽さんと美愛さんから、とことん話を聞いたから大丈夫よ」


「そうなのね。あの惨状から、翌日は壽美登くんが欠席すると思ったわ」


 無遅刻無欠席と彼の真摯な顔に書いているようだ。

 すましてばかりいて、詰まらないと感じることがある。

 私は、冒険をしたいのだろうか。

 そうならば、今回のファン・ゴッホの旅は格好のチャンスだ。


「いもちゃんは、おねえに部屋の入り口まで手招きされたの。困ったことになったから、雑巾を持って来てと頼まれたのだけれども、私も何が起きたのか分からないままお掃除お掃除ってしたの」


 ひきこもりとはいえ、妹の美愛さんとは通じていたのか。


「おねえの部屋の前に、美都叔父さんが立って、変なことを言っていたの」


 変なこととは何だろう。


「そのときに私と下で会ったのね、美愛さん」


「そうじゃん、菊江おねえ」


 愛壽さんは、何を聞いたかまでは私などには教えないだろう。

 桐の箱に入ったひまわりの壺を今も抱えている。

 愛壽さんとひまわりの壺に何の繋がりがあるのだろうか。

 そうこうしている内に、高乃川家に到着した。


「ようこそ、おいでくださいました」


 高乃川家の長い廊下を奥から和装が現れた。

 上品に、茄子紺なすこんと呼ばれる紫を地の色とした和服に、山吹茶やまぶきちゃと呼ばれる黄土色と萌黄色もえぎいろと呼ばれる緑で文様が描かれた帯で引き締め、飛鳥文化を漂わせ、帯留めがしっとりと引き締めている。

 私は、綺麗なものを語る癖がついたようだ。


「大勢で押し掛けてしまい、すみません」


 私が見とれている内に、ご挨拶が遅れた。

 那花くんのお母さんが三つ指をついている最中に、私は軽くお辞儀をしていた。

 お母さんが粗品を渡そうとすること三回、奥様のいえいえが二回だ。

 こうしてやり取りするのが、この地でも大切な遠慮の文化なのだろう。


「壽美登くん、お茶菓子に気が付いたかしら」


「ファン・ゴッホのモチーフです」


 有名なファン・ゴッホの糸杉いとすぎが描かれた小袋にクッキーが入っていた。

 よそ様のお宅へ上がって、お茶菓子を頂くのは躊躇したが、三回も勧めてくださったので、断るのを諦めた。


「おいしゅうございます」


 慣れない言葉が舌を噛む。


「菊江ちゃん、そんなに無理しなくても大丈夫なのよ。この方は、ご親戚でしょう」


 那花くんのお母さんは不思議そうな顔をしていた。


「こちらの家は、祖母の祖母から始まった女系代々の家だと伺っております。高乃川初様にお会いいたしますのは、高校三年生になって初めてです」


「そんなことございませんよ。菊江さんが小学生になったときに、お会いしております。母の母と続いて行く家系に当たりますが、覚えておいでかしら? 一緒に茶の垣根の前で撮影したスナップもございます。今もお花みたいに綺麗ですよ」


 私の鼻たれランドセル姿は、ちょっとトラウマだが。

 当時、花粉症などの病名はなく、アレルギー性鼻炎に罹っていたもので、ティッシュは沢山持っていた。

 壽美登くん、思い出さないで。


「すみません。菊江の心では素敵なおば様を覚えているのですが、細かい所を忘れてしまっています」


 奥様は微笑んでいる。

 お優しい方なのか。

 それとも、私が何か可笑しいのか。

 那花くんのお父さんが、座布団から降りて、愛壽さんが抱えている箱を引っ張ったが、離さないようだ。


「所で、この壺をご所望とのこと。持って参りましたが、如何なさいますか?」


「愛壽さん、箱毎お渡しして」


 那花くんのお母さんが愛壽さんに毅然とひまわりのように背筋も伸ばしていると、愛壽さんが、正座を直して、座布団から降り、箱を壊さないようににじり寄って渡した。

 那花くんのお母さんは、実は魔法使いかも知れない。

 私は、また非科学的なことを考えた。


「愛壽、最初からそうすればいいんだ」


 那花くんのお父さんが不満気だった。

 愛壽さんは、黙って差し出したのだから、突っ込みを入れなくてもいいだろう。

 引きこもりだったのだから、連れ出すのは荒療治だとも思えた。

 刺激が強過ぎではないだろうか。

 大人たちが話し合っている。

 私はこっそりと壽美登くんの水色のシャツを引っ張り、客間の後方へ下がった。


「私、愛壽さんの心のケアが心配だわ」


「僕らにも考えがあります。この場では静かにしていましょう」


 そこまで内緒に話をしていると、大人の話が進んでいた。


「間違いのないように、こちらで確認させていただいてよろしいでしょうか」


 高乃川様が丁寧に紐解いて箱から壺を出していた。


「どうぞ、箱書きもそのままお確かめください」


 那花くんのお母さんは、いつも工房で慌ただしくしているが、こういう場に来て、しっかりとしている。


「確かに、ひまわりの壺です。それでは、預からせていただきます」


「よろしくお願いいたします。高乃川家に守っていただければ、安心です。色々と悪漢も出るもので、困った世の中ですよ」


 那花くんのお母さんに帰りましょうと促された。

 高乃川家から巡り巡って預かったひまわりの壺が戻ってしまった。

 私達の卒業論文はどうにかなる。

 幾つかのヒントを得た。

 那花家では、床の間に飾ってあった程大切にしていたのではないのか。


「那花くんのお父さん、壺を渡しても大丈夫なのかしら」


「元々は、高乃川家のものだから致し方あるまい」


 門まで、高乃川の奥様にお見送りいただいて、皆でノアに乗り込んだ。

 愛壽さんも美愛さんも血色がよく、手まで振っていた。

 お祖母さんもお祖父さんもいらっしゃらないので、親しみを覚えたのかもしれない。

 満面の笑みを湛えたやんわりとした初様が、身内もなくお暮しとは、さぞ寂しかろうと思う。

 那花家の方々も一つの文句もなく箱を渡していた。

 誰もが友好的に接したのは、普段、那花の工房で狭い人間関係を築いているからではないかと思う。

 閉じ籠ったら、良くない方向に思考が行く場合もあるだろう。

 小一時間して、那花家に着く。

 皆、居間でぐでっとだれて、ご両親は自分のマグでコーヒーを飲んでいた。

 お父さんのは、渋い。

 お母さんのは、雄々しい。

 同じ益子焼でも、若干違うのですね。

 私は、いつもの壽美登くんのマグでココアをいただいた。

 疲れたときには甘いものだ。


「愛壽さん、これから大変だと思うけれども、楽しい中学生活を送れることを祈っているわ」


「いもちゃん……。うえ、え……」


「泣かないよ、おねえ」


 すっかり、双子さんが縋り泣いてしまった。


「余計なことでしたら、ごめんなさい」


「うううん、嬉しくって。私にも友達ができるのかなって、それだけが中学デビュー失敗した悩みだったの」


「私もね、高校生になったばかりから、未だにフィアンセだの白衣の女だのと呼ばれているの。でも、もう直ぐ高校卒業なんだ。だから、何とかなるよ」


 もっと泣かせてしまった。

 水色のシャツをくいっと引いて、打合せをした。


「明日、テオの本で、ね?」


「分かりました。壺の謎も明かしましょう」


 この後は、送迎してくれるとのお言葉をお返しして、バスで帰った。

 志一くんが、待っているだろう。

 塾も終わって、太翼も帰宅する。

 ご飯を作らないとね。

 織江ママはご飯を拵えるのが苦手だから。

 パパのお帰りまで、私は腕を磨くよ――。

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