ひまわり20 もう一つの『ひまわり』

「敷居が高いわね」


「でも、依頼されたのですから、普通に背筋を正していいと思います」


 奥から七十代位の女性が現れ、三つ指をついて何度も背中を丸めるようにお辞儀をしてくださった。


高乃川たかのがわはつと申します」


「初めまして。那花壽美登さんと私が香月菊江です」


 私達も深々と頭を下げた。


「よく遠い所からいらっしゃいました。何もございませんが」


「素敵なお住まいですわ」


 壽美登くんも私もお辞儀を何度もして、それからやっと上がる。

 地方では、このような光景はよくあるそうだ。

 留学生のカンさんから、祖国でもそうだと伺った。


「高乃川様、お邪魔いたします」


 今度は、客間に通されたようだ。

 和室に洋画がある。

 壁ばかりが奇怪に浮いた存在に感じられる。


「こんな所に、『ひまわり』があるなんて――!」


「しー」


 しまった。

 その為に来たのだった。


「お茶までいただいてしまって、申し訳ございません」


 高乃川様は、眼鏡の向こうで目を細めていた。


「私達、早目に用事を済ませます。さ、壽美登くん」


「そうさせてください」


 私達は、この本物かどうかも分からない『ひまわり』と対峙していた。


「高乃川様、どこを採取してもよろしいでしょうか」


「ええ、構いませんよ」


 一見、優し気だ。

 だが、私の背に視線がざくざく刺さって来る。


「では、ひまわりの花の黄色と花瓶の黄色い部分を二箇所採取いたします」


 壽美登くんが私にアイコンタクトを送った。

 背中にナイフの状態で、二人分の視線が痛い痛い。

 私が花の部分から、彼が花瓶の部分から、ピンセットでシャーレに切片せっぺんを入れた。


「大切な絵が傷になっておりましたら、ごめんなさい」


 私は、恐る恐る謝った。


「大丈夫ですよ。若い方が来てくださるのなんて、本当に久し振りだこと」


 数分、お茶飲み話をした。

 私は、人見知りではない筈だけれども、そわそわしてしまう。

 壽美登くんが対応してくれた。

 それから、車を待たせてありますからと、引き留めてくださるのを後にノアに乗った。


「菊江ちゃん、このまま花戸祭まで送って行くよ。私のノアで二時間も掛からないから」


 那花くんのお母さんから、買って来てくれた缶コーヒーとお家で握っていただいたおにぎりをいただいた。


「ひや! よく冷えているわ。おにぎりは、後でいただきます。こんなにしていただいて、ありがとうございます」


 喉を伝う香りがいい。

 缶は美味しくないとも聞くが、そうだろうか。

 例えコーヒー音痴でも、いただいたものをありがたいと思う。


「TU総研には行ったことがあるから安心して」


「そんな、運転は大変ですわ」


 私は、甘えるのが苦手だ。

 織江ママは、消しゴムの使い方から厳しかった。

 左手の親指と人差し指を開いて紙を押さえ、その中でしっかり消しなさいと、できるまで言われ続けた。

 那花くんのお母さんは、陶芸の時間に教えたりは殆どなかったのに。


「香月さん、母に任せてください」


「甘えてしまいますが、よろしくお願いいたします」


 運転席に首を垂れた後、助手席に声を掛ける。

 三人で一緒に向かうと分かり、閃いた。


「壽美登くんも一緒に実験しない?」


「これらをどうするのですか」


 方法を伝えてなかった。


「電気泳動にかけるつもりだわ。基準となるバンドと比べて、同じ列にバンドが揃うようだと、同一のものだと考えられるというものよ」


「へえ、難しいことをするのね、菊江ちゃん。お母さんに似たのかしらね」


 織江ママ程色々できるタイプではない。

 全力で首を横に振った。

 そうしている内に、研究所へ到着した。

 那花くんのお母さんに、深くお辞儀をして、沢山手を振る。

 カーエアコンから出ると、外はむっとする空気なのだと実感した。


「那花くんは、約束の人ではないから、少々お待ちくださいね」


 TU総研の受付で取り次いで貰う。

 壽美登くんの学生証を見せた。

 福原副手を呼び出して、壽美登くんの見学が許可される。


「ありがとう、ママ。壽美登くん、ほっとしたわよ」


 ママの暗証カードをエレベータ―にタッチして、三人で研究室を目指す。


「菊江ちゃん、それに壽美登くん。サンプルをどうするかのフローチャートはこれね」


「はい、福原副手」

「はい」


「先ずは、ゲノムDNAの精製なのですね」


「菊江ちゃん、オーガニックOrganic抽出法を用いたらいいわ」


 ざっと言うと、サンプルをオーガニックベースの溶液中で溶解した後、アルコール沈殿でDNAをペレット化させて回収する方法だ。

 核酸の分離や精製にフェノールやクロロホルムを使用せず、グアニジン塩にみられる界面活性剤からなる試薬で組織や細胞などを均質化、つまりはホモジナイズする。

 タンパク質分解酵素を用いずに試薬中での物理的な破砕でサンプルを均質化するような方法だ。

 それには、サンプルのタイプに合わせてDNAを採取できる特徴がある。


「早速やってみるわね」


「どうぞ」


 極小さな蓋つき試験管のマイクロチューブにおいて、DNAzol溶液中でサンプルを溶解。

 その後、小さなピペットのピペットマンでエタノールを加える。

 遠心し、DNAをペレット化する。

 遠心し、七十五パーセントエタノールでペレットを洗浄する。

 私は、黙々と実験を続けた。

 サンプルは三つ、ひまわりの壺が一、高野川家の『ひまわり』の花弁からが二、その壺からが三としてある。


「遠心してDNAを沈殿し溶解させたら、サンプルからDNAを採取に成功したわ。ほんの少しだけれど、確実によ」


「香月さん、スタートから大成功です」


 壽美登くんが褒めてくれた。

 いや、励ましたのか。


「よかったわ。結構ほっとしているのよ」


「はい、菊江ちゃんのママが登場です。次に、試験するには少ないので、PCR法では特定の遺伝子を精製して増やしますね。これをクローニングと呼びますよ」


 織江ママ、元気そうだ。

 それに、頼りになる。


「よく聞く診断に用いるものですか。例えば特定のウイルスがPCR後に検出されればその病気の陽性、増幅されなければ陰性と判断するものでしょうか」


「壽美登くん、ご名答。では、用意するものですね。私の実験ノートを開いてください」


 増やす為のDNAを相補的に作る酵素として、熱にも耐えうる、好熱菌ポリメラーゼを用意する。

 増やしたい生物の鋳型DNAもなければ、元になるものがないので増やせない。

 プライマーは、導火線とよく表現されるが、ファスナーのように、ポリメラーゼがDNAを合成し始める所を示す大切な指示役だ。

 それは、更に増やしたい遺伝子と相補的なDNA配列を持っていなければならない。


 材料として、DNAつまりはデオキシヌクレオシド三リン酸が必要だ。

 詳細には、dATPつまりはデオキシアデノシン三リン酸、dTTPつまりはデオキシチミジン三リン酸、dCTPつまりはデオキシシチジン三リン酸、dGTPつまりはデオキシグアノシン三リン酸が必要だ。

 これらの資料を揃えたら、PCR機で操作しなければならない。


「細かいPCR法の原理や種類は知らなくていいから、これだけ頭に入った?」


「まあ、ぼちぼち入りました。福原副手」


 覚えてしまえば、後は手を借りたが何とかできた。

 しかし、問題も残っている。


「福原副手、PCRプライマーはどうしたらいいのかしら」


「その設計は、私と一緒にしましょう。機械で行いますよ。それから、PCR機で増幅もしましょう」


 一旦終わり、私が実験台を消毒している所へ、壽美登くんが目で笑みを作って近付いて来た。


「助かりましたね」


「うん、苦労した所を補って貰えたから。勝手に使って機械を壊してはいけないしね。ママが一緒に実験してくれたから、成功したと思う」


 本当だ。

 ママは、優しく教えてくれた。

 あのママのオトコのヒトは今日姿を見せないから、気分も悪くない。


「さて、菊江ちゃん。電気泳動に入ります。ゲル作りから始めましょう」


「はい」


 私が楽しそうに見えたのだろうか。

 笑顔パートツーが壽美登くんから届いた。


「これからが、本番なのですね」


「暗室で、ポラロイド写真も撮れるから、直ぐに結果が出るわよ」


 私からは、笑顔パートスリーか。

 楽しい理由が何か分かっている。

 何をするかではない。

 誰と共に居るかが大切だと身に沁みているからだ。

 大好きなママに仲のいい壽美登くんが傍にいる。

 ほっとあたたかい息を吐いた。

 そのとき、エレベーターからブースに入って来た影があった。

 あの若山竜乃祐だ。

 チクンとした胸の痛みを堪えて私は次のステップに入る――。

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