ひまわり24 不遇の夜明け

 壽美登くんともアルルまで瞬間移動しないで旅をした。

 ファン・ゴッホを追尾するのは楽しかったが、実は、壽美登くんの話を聞くのも目的の一つだ。


「香月さん、アルルは、ゴッホがゴッホになった地と後に呼ばれるようになったのです」


「それ程、ここの光景が気に入ったというのね」


 車窓が流れる。

 白い雪。

 黙り行き。

 壽美登くんは黙って頷いた。

 そのまま、話をしなくなってしまった。

 ファン・ゴッホの所へ向かうときは、私達は夏から来た。

 薄着がいけないのかも知れない。


「二月だけれども、雪原があるわ。壽美登くんに膝掛を渡したくてもこの時代へは手ぶらになってしまうのよね」


「僕は、パンツスタイルですから、大丈夫ですよ」


 はっとして、プリーツスカートを直す。

 少し足を開いていたかも知れない。

 私も寒くないと瘦せ我慢をしていたが、肩が小刻みに震える。

 彼が魔法の透明なストールを取り出すと、首まであたたかく掛けてくれた。


「風邪を引かないでください」


 彼の一癖、おでこにある旋毛を掻き始めた。

 何かを口にしたいのかも知れない。

 私は、静かに待つことを覚えた。


「先程のファン・ゴッホを看過できなくなりました」


「我を通しているから?」


 確かに、苛々するけれども、私達はそのファン・ゴッホの根源を知る旅をしている。

 壽美登くんには伝えないけれども。


「いえ。あれは、半分お加減が悪いのだと思います」


「病気か病的なのかしら」


 その二つはまるで違うと思っている。


「所で、僕の妹達を見掛けましたか? 那花工房で」


「タイミングが悪いのか、偶々なのか、お会いしてないわね」


 暫く沈黙が続く。

 列車の音が、遠く近くに鳴り響く。

 ガタンと揺れたときだった。


「愛壽さんはひきこもりになりました」


 私は心臓を射抜かれた。

 御使みつかいいの矢が私を墨に染めて行く。


「愛壽さんが? 明るい小学生だったことしか覚えていないわ」


「今は中一です。双子の美愛さんも具合を悪くしました。愛壽さんが薬を飲むようになってから、乱暴な行為が目立ち始めたのです」


 二人ともとは、双子は呼応すると聞くけれども、本当だ。


「何てことかしら……!」


「二人とも中学校へも通えていません」


 私は言葉を失った。

 目元の指に伝ったもので、初めて潤んでいると気が付いた。

 車窓を開ければ、私の涙はかくれんぼするだろう。

 しかし、寒さが皆に迷惑だ。

 私は、那花家の秘密を知らずにいた。

 それは罪だったのだろうか。


 そして、アルルに到着する。

 ファン・ゴッホは宿を取った。

 こうした行動力はあるものだと感心する。


 ――同年三月。


 雪解け、芽吹き、春の風が起こす様々な寝顔が、アルルの眩しさを殊の外際立たせた。

 ファン・ゴッホは、胸一杯に明るさを吸った。


「ああ、神よ。初めて僕に美しさというものを与えてくださった。今までの僕の絵、バルビゾン派を手本としたものは暗かったのかも知れない」


 ファン・ゴッホは、閃いたかのように、ラングロワ橋を描いた。

 画題、『アルルの跳ね橋』で有名だ。

 テオの本に手を翳すと、他の画像が空に描かれた。

 気に入ったらしく、五枚も制作されている。

 橋周りが、黄色味の強いもの赤味の強いものとがあるようだ。

 馬車やご婦人が橋を渡っていたり、働く人も描かれていたりする。

 流石、画家だ。

 私は間抜けな感想を抱いてしまった。

 そして、ファン・ゴッホは画材を持って機嫌よく歩く。


「このアルルの地は、どうしたというのだ。空は太陽の恵みを受け、光は物を照らすと眩しくなるばかりで、空気は澄み、濁りのない光景が続いている」


 帰宅すると、筆をペンに持ち替えて手紙を綴っていた。


「まるで日本の景色のようだと、他の画家にも教えよう。喜ぶだろうな」


 壽美登くんは、これまでのファン・ゴッホを辿っていて、暗い顔をしていた。

 いつもの蘊蓄でも出て来ないかと、気不味さを感じる。

 ギターの音色が聴こえそうだ。

 二人の間を音楽が取り持ってくれないかと想像したのかも知れない。


「ファン・ゴッホは、あることを考えています。モネやルノワールらに加えてゴーギャンらを集めた画家とテオらの画商とで、組合のようなものを作りたいと連絡を入れたのです」


「あら、お互いに助け合うとは、ファン・ゴッホにとっては都合がいいでしょうけれども、他の画家にとってはどうなのかしら」


 壽美登くんの話に合わせるのが今は一番いいと思った。


「とにかく、ここでゴッホがゴッホになった。不遇の夜明けが見えるようだと思いませんか」


「まるで、アルルに射し込む太陽が、ファン・ゴッホの心をも晴れやかにしているようね」


「それだけだといいのですが」


 彼が知らぬ間に背を屈ませてしまった。


 ファン・ゴッホは、三十五歳になっていた。


「おお! 綺麗なアンズか。キミも僕の絵に来るといい」


 その他、咲き誇って行く、リンゴにナシなど、果樹にも興味を示した。

 近くの画家、クリスチャンChristianムーリエ=ペーターセンMourier-Petersenらとも親しくなっており、健康状態は悪くなかったと思える。


「壽美登くん、うちにお菓子の缶があって、綺麗な花だったわよ。中身はさくさく食べて、入れ物は小物入れにしてあるの。ファン・ゴッホは才能があると思うわ」


「素敵な缶ですね。僕も拝見したいです」


「ええ! 下手っぴビーズ細工入れだから、缶だけよ」


 ――同年五月。


「金がないんじゃ出て行っておくれ」


 ファン・ゴッホは、宿の主につまみ出される。

 暫く住まいを当たった所、黄色で塗りたくられた二階建ての家の半分を借りることにした。


「いいな、黄色い家だ。小部屋もあるしな。僕は画家なんだから、先ずはアトリエとして使おう。ベッドもないから、近くで泊る所を考えればいい」


 先ずは画材と言う所が、ファン・ゴッホの価値観のようで、妙に納得が行く。

 いつも、画材、煙草、食べ物、洋服の順にお金を投げる。

 近くのカフェ・ドゥ・ラ・ガールは、この年九月に題材とした『夜のカフェ』として有名だ。

 真っ黄色い『夜のカフェテラス』とは異なる一枚となる。


「フランスの他の地にいるゴーギャンが経済的に苦しいらしい。そうだ! 二人でこの家で暮らすのはどうだ? 僕は閃いてしまったよ」


 ファン・ゴッホは、紙、紙、ペンと話しながら探し物をしている。


「壽美登くん、これってシェアハウスかしら。新しい考えよね」


「仰る通りです。その気持ちの訴えとやり取りをテオとゴーギャンに書いているのです。決して頭が悪いとかはありません。寧ろ筆まめです」


 その後、ファン・ゴッホは、地中海の海岸まで旅行をする。

 本当にファン・ゴッホは足繁く通うのも巧みだ。

 顔色を変える海を我が母と思ったのか、砂浜に打ち上がる漁船を我が父と思ったのか、描いて一つの収穫を得たようだ。


 ――同年六月。


 アルルに戻ると、次の画題を見付けた。

 酷い暑さだった。

 蚊にも刺されるし、嫌な風も吹く。

 それらにも構わず、取り憑かれたかのように出掛けては、『麦秋のクローの野』、別名、『収穫』を描いたりした。

 それから、近くの丘や広場を素描したが、流石に雨の日ともなれば、フランスの精鋭陸軍をモデルにした。


「あら、これは模写ではないけれども、似ているわね」


 私は、テオの本を開いて上空にヒントをお願いと強請る。

 すると、『日没の種まく人』の背後に、一八五〇年のミレー作『種まく人』が投影される。

 このミレーの力強く腰を振る構図からヒントを得て描いたと一見して分かる。


 その頃、仲の良かったクリスチャン・ムーリエ=ペーターセンが帰国してしまった。


「ああ、僕は寂しい。何て寂しいんだ」


 ファン・ゴッホは、ペンを睨む。


「親愛なるゴーギャンへ。元気に過ごしておりますか?」


「おお、旧知のベルナールへも書こう。親愛なるベルナールへ」


 横たわるミルキーウェイを友達にして幾日も手紙を一所懸命に書いていた。


「アルルはいい所だよ。僕は一人で暮らしているのが勿体ない位だ。一緒に絵を描きながら生活も一つ屋根の下はどうだろう。僕には素晴らしくてもう想像を絶している。一緒に意見を交わし合い、食事も仲良くいただきたい」


 ファン・ゴッホは創作が上手い。

 特に、何かを手本としたものに自分の個性を絡めるのが素晴らしい。

 先程のミレーの『種まく人』についてもすっかりオリジナリティを含ませている。


「分かったわ。ファン・ゴッホは一人よりもテオのように親しんでくれる優しい仲間が欲しいのよ」


 壽美登くんが口数が減ってしまったのを心配して、ファン・ゴッホの話題を振る。


「誰でもそうとは限りません。しかし、孤独を恐れているのでしょう。作り上げた砂場のお山に泥団子を乗せようとしている。これが、崩壊に繋がらなければいいのですが。それでも、僕達は歴史の探訪者であり傍観者です」


 私の影に釘を刺されたようだった。

 ファン・ゴッホを案じて余計なことをしてはならないと。

 確かに、人は生きて行く上で、難しさを親知らずで噛み殺すときが来る。

 それまでは、若さで乗り切る必要があると思う。

 一生の友を得られたら、それに越したことはないのだが――。

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