第四章 【過去】旺盛な筆運び 

ひまわり14 浮世絵からジャポニズムが

 私は、モンブランアパート二〇一号室前で鍵を出す。

 外開きの玄関ドアが階段の踊り場で邪魔になるので、身を反らした。


「ただいま!」


 志一くんがじゃれて来る。

 私の志一くんバッグには、わんこのおやつジャーキーが入っているから、おねだりなのかも知れない。

 家には売る程の浮世絵がある。

 懐かしい。

 あの頃を思い出す。

 壽美登くんは、年長さんから小五まで、葛飾かつしか北斎ほくさいにはまっていた。

 小六のときに彼は陶芸クラブにいたけれども、放課後になると、理科クラブの私に会いに来ていた。


「菊江ちゃん、クラブ終わりましたか」


 幼かった壽美登くんの笑顔まで忘れられない。

 お隣同士、いつも一緒に帰る。

 今週のお絵描きを全て私に預けるものだから、織江ママの作ったトートバッグがぱんぱんだった。


「素敵だわ。写楽しゃらく喜多川きたがわ歌麿うたまろにも興味を持ち出したの? 絵の模写が上手ね。鉛筆一本で元の絵が分かる位よ」


西花戸祭にしはなとまつり小学校しょうがっこうの先生は、那花工房の跡取りですから当然としか口にしません」


「本当の価値は、壽美登くんの居ない所で認められていると思うわ」


 そうして、私達は花戸祭はなとまつり中学校ちゅうがっこうで、黒地に白いスカーフのセーラー服と学ランに身を包んだ。


「壽美登くん、凄い! 始めはクレヨンだったわよね。木版画が好きになったの? とにかく、何枚も彫って感心するわ」


 その度に、菊江ちゃんへのプレゼントと称しては、浮世絵で包んだ自作の食器を渡してくれていた。

 私には、浮世絵は失敗作だと話して、中の食器がプレゼントだと、まるで読み終えた新聞紙並みの扱いだった。

 その頃、私は両親に可愛い犬を強請っていたのを覚えている。

 直江なおえ伯母さんと暮らしているパグ犬に仔が産まれたと、一等元気に尻尾を振ってくれた男の子を譲ってくれた。


「私って愚かだから、志一くんとお散歩するとき、お手洗いの始末にその浮世絵使っていたわ。後悔先に立たずよ。よ、よ、よ」


 わん!


「志一くんもいい感じに受け入れていたわね? 笑わないわよ。壽美登くんには内緒なのよ」


 ペットボトルにお水を入れる等の準備をして、志一くんのママはお散歩へ出掛ける。

 志一くんのことを考えても一旦家に帰って来てよかった。

 すっかり暮れた頃、帰宅するとエプロンが待っていた。

 ジャガイモの皮むきの仕事へさっと移る。


「お帰りなさい、菊江ちゃん。丁度カレーライスの材料がありますわ」


「この頃は、肉じゃがシリーズだわね。織江ママ」


 エプロンの後ろにあるボタンを留めながら、さり気なくお手伝いを始める。


「うふふ。根菜は日持ちもして楽でしょう」


「サラダも食べたいわ。コブサラダはママの献立で一番好きなのよ」


 ママは菜食主義なので、お肉の入らないメニューを挙げる。

 カレーライスに、家はチキンもポークもビーフもない。

 その分、お野菜は沢山入れてくれる。


「今日は、福神漬けが付きますよ」


「それは、生サラダとちょっと違うわね」


 ママの微妙なラインでの攻めへどう接するか、私には難しい。


「高校を卒業したら、一人暮らしをするといいわ。きっと遣り繰りが上手になるでしょうね。それに多分びっしりと書いた菊江ちゃん家計簿ができそうですわ」


「あはは……。確かに電卓大好きっ子だわ」


 三人と一匹で、楽しく食事をした。

 いい機会だから、明日のことも報告する。


「那花工房へ行って来るわね」


「ふうん、熱心ね」


 那花の家に行くとは、自身の口から紡げなかった。

 どうしてか、恥ずかしい気がする。


 ――翌七月十四日。


「東京へ行ったのが十日の日曜日なのだから、早いものね」


 学校でも壽美登くんと話していた。

 よく一緒に居るので、フィアンセ説が出た位だ。

 私は、婚約者だなんて全くあり得ないとまで言ってしまった日がある。

 その場に居なかったけれども、壽美登くんを消してしまった気がする。

 私は残酷で、愚か者だ。

 家に帰ってから志一くんを話し相手に泣いてしまった。

 泣くのは、それきりにした。


「もう木曜日です」


「ひまわりの壺を解析する為に、放課後にお邪魔いたしますわね」


 昼休みに約束を取り付けた。


「僕は、昇降口で待っていましょうか?」


 ええ!

 また、フィアンセ説濃厚になってしまう。


「うーん、宇都宮駅のバス停で待ち合わせしたいわ」


「分かりました」


 何故かとは訊かないのが、彼らしい。


 太陽が木立の影を伸ばす頃、放課後は駆け足で来た。

 今日は夕方冷え込む気がする。

 しかし、制服は夏服のままで、バスの冷房も厳しい。

 灰色のジレに淡いピンクの半袖シャツ、箱ひだのスカートが私をどんどん冷やして行く。

 氷のキクエ・コウゲツができてしまうだろう。

 でも、到着まで二十分位だから我慢することにした。


「僕は上着になるようなものを用意していなくて、すみません。風邪を引いたりしないでください」


 ハンカチを膝に掛けるようにと渡されて、また親切王子に困ってしまった。

 彼はおでこの旋毛を掻いている。

 困った対困ったで、どっちの困ったが勝ちだろうか?


「いいわよ。大丈夫だからね」


 丁寧にお返ししている内に、バスは益子に到着した。

 竹藪も今日は暑さを凌ぐよりも、私から陽のあたたかさを奪った気がする。

 那花の工房に挨拶をしてから、玄関へ上がらせていただいた。


「ホットココアは如何ですか?」


「髭が……。髭爺さんになるから、恥ずかしい」


 私は飲むのが下手で、口元に髭を生やしてしまっては、織江ママに拭いて貰っていた。


「口元などお気になさらず、召し上がってください」


 寒気もなくなり、心もほかほかになった所で、居間から床の間へとお招きしていただいた。


「壽美登くん、テオの本をお願いしますね」


「こちらです」


 昨日と同じ場所から取り、手渡してくれた。


「もしかしたら、志一くんバッグみたいに、床の間へ忘れて行かないかしら。つまりは、転移の対象となるのかしらね」


「これは、過去のものですから、いつか、再び墓前に置く運命にあると思います」


 うーん、成程。

 壽美登くん、理系の頭だと思った。

 釉薬ゆうやく焼成しょうせいは、勘だけではできない。

 何でもできるとは、お手上げだ。

 私のフィアンセ説は、お似合いではないので、白紙撤回となる。


「壽美登くん。では、行きますか!」


「行きましょう」


 私が腕を伸ばし、彼も合わせる。

 二冊の本を交差させて十字を作る。


「テオの本よ、私達をファン・ゴッホを追う者に!」


「過去へ誘ってください――!」


 ミルククラウンが私達の間に落ちる。

 ツンとした空気が二人を包んだ。

 ドオンと、円筒が下からせり上がり、その黄色い壁にいつものデジタル年月日が猛スピードで回って行く。

 次は、何年に行くのだろうか?

 ファン・ゴッホの失恋までは、旅をした。

 これからは、できれば画業に専念するファン・ゴッホに会いたい。


 ――一八八七年十一月。


「あいたたた……。また、腰を打っちゃったわ」


 私達は絵を描いているファン・ゴッホの後ろに落ちた。


「香月さん、『日本趣味にほんしゅみ花魁おいらん』と『日本趣味:うめ開花かいか』に『日本趣味:あめ大橋おおはし』それに、『タンギーじいさんの肖像しょうぞう』の有名なファン・ゴッホによるジャポニズムの絵画が空に浮いています」


 絵が浮く?

 よく観察してみると、ファン・ゴッホの頭上に投影機のようなもので映し出されていた。

 過去な筈なのに、デジタルの年月日とかハイテクノロジーを感じる。

 そうか、タイムスリップのような転移は、科学的なものなのか。

 そうならば、納得の行く展開もある。

 壽美登くんは私の肩を叩き、空にあるファン・ゴッホの絵を掌で示している。


「ご覧ください。『梅の開花』は、歌川うたがわ広重ひろしげの 『名所めいしょ江戸えど百景ひゃっけい亀戸かめいど梅屋敷うめやしき』、『雨の大橋』は、同じく広重の『名所江戸百景おおはしあたけの夕立ゆうだち』の浮世絵を模しています」


「ほう、元の絵を油絵にしたのね。音楽なら、カバー曲みたいなものかしら」


 彼は、一つ頷いて続けた。


「タンギー爺さんは、画材を安く売ってくれた知人をモデルにしたものです。その絵は、彼の背景に浮世絵をあしらっているのが特徴的です」


「そうね。浮世絵も色彩豊かに明るく描かれているわ。何を題材にしたのか思いを巡らすわね」


 壽美登くんは揚々としている。

 クリスマスとお誕生日のプレゼントを一緒に貰ったみたいだ。


歌川うたがわ国貞くにさだの『三世さんせい岩井いわい粂三郎くめざぶろう三浦屋みうらや高尾たかお』がこちら。二代目歌川広重とは異なると分かった無名の作家の『東都とうと名所めいしょ三十六花選さんじゅうろっかせん入谷いりや朝顔あさがお』があちら。歌川広重の『富嶽ふがく三十六景さんじゅうろっけい相模川さがみがわ』と『東海道とうかいどう五十三次ごじゅうさんつぎ名所図会めいしょずえ石楽師いしやくし』があそこにあります。そして、渓斉けいさい英泉えいせんの『雲龍うんりゅう打掛うちかけ花魁おいらん』がそこに描かれているとされています」


 窒息しないで、流暢なのに感心した。


「どれか、お気に召しましたか?」


「ええ! それは内密にしないと、壽美登くんが描いたり彫ったり摺ったりしそうだわ」


 二人で声を殺して笑っていた。

 このジャポニズムはファン・ゴッホと縁が深い筈だ。

 この絵等を描く前を少々調べに旅をしたい――。

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