森の青年

 銀髪の青年はエリューカと名乗った。名無しの男は、自分には名がないと告げた。

 夜族狩りダムピールは、生まれた時に名など与えられない。そして、生き延びても人扱いされず、名をつけられることがない。ただ、使う得物や着るものの色などから呼び分けられる。名無しの男は短剣スティレット夜族狩りダムピールと呼ばれたことがあった。

 だが、短剣スティレット自体に意味などないのだ。道具は何であれ、男はただ吸血鬼ヴァンパイヤを殺せればよい。

 何故自分のような者を生んだ、と問い、責められる相手は吸血鬼だけだ。男にとってこの世界で、吸血鬼だけが自由にして良い相手だった。


「この森だけが私に許される世界なんですよ。家族のかたきが根城にする森だというのに、皮肉なことです」


 何故この死月王オルカの森なんかに住んでいるのか、と問われて、銀髪のエリューカは歌うように話す。


 「身寄りがなくなった後、この髪の色が、里では魔物と責められるものですからね。それで、この森へ」


 森には幾らかの実りがあり、小動物を狩ることができる。泉があり、雨露をしのぐ家の材料となる木材もある。そして木陰と静けさがある。貧しく孤独なまま町に暮らして四方から石と罵声を投げつけられた末に野垂のたれ死ぬより、森に陰棲することを選んだこの青年は正しいのかもしれない。

 おれもそうした方がいいのだろうか、と男は、生まれて初めて思う。

 そして、そんなことは有り得ないと苦笑する。……どんなに隠れても、吸血鬼の方からやって来るに決まっている。

 低級の吸血鬼は夜族狩りダムピールを憎む。自分たちは死んで上級の吸血鬼に隷属し続けるのに、夜族狩りダムピールは吸血鬼に似た力を持ちながら人間としてもまだ生きているからだ。

 だから、この森に入ればすぐ吸血鬼に遭うのだろうと思っていたが。


「他の森ならともかく、ここにいて夜族に襲われることはないのか」


「木陰の闇でも昼は昼です。夕暮れまでは大丈夫ですよ。夜は、小屋にでも洞窟にでも、つた一本張り渡して中に入っていればいい。彼らは招かれなければ絶対に中に入れませんから」


 そうだ。だが吸血鬼たちは人の心に滑り込み、自分を招き入れさせる。

 それがこんなに美しい者ならなおのこと。


「それに彼らは、迷っている者や苦しみ悲しんでいる者に寄ってきます。だから日暮れまで、立ち止まらないでついて来てくださいね」


「おれが迷っている?」


「そうかもしれない。苦しんでいるかもしれない」


「そんなことは、」


「何人も案内しましたが、何人も死にましたよ」


 ざ、と森の中を冷たい風が渡る。

 捨て子の亡霊のような背中。迷いなく進む、奇妙に滑らかな足取り。男は一瞬、躊躇ためらいを覚える。


 やはり夜族か?


 しかし、そんなはずはなかった。

 夜族狩りダムピールには、相手が吸血鬼ヴァンパイヤかどうかはすぐ分かる。目の前の青年からはその匂いがしない――自分のものではない血をすすったおぞましい匂いが、まるでない。

 エリューカは吸血鬼ヴァンパイヤではない。



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