第2話 わたしの婚約者よ

 赤い髪の美少女が駆け寄ってくる。


「アリアお姉様っ!」


 そうして馬車から降りたアリアに勢いよく抱きついた。


「久しぶりね、アイリス。元気にしてた?」

「はい」


 どうやらアリアの妹らしい。


 十三歳の弟との間には二つ年下の妹がいると聞いてはいたが、かなり似ている。

 アリアをそのまま幼くしたかのようだ。

 まだ伸びきっていないからか並ぶと身長が十センチほど低いことと、髪の毛が幾らか長いことを除けば、パッと見、どちらがどちらか分からなくなりそうなほどである。


「それよりお姉様こそ……。私、ずっと心配していたんです」

「何度か手紙を送ったでしょ? 今は騎士学院で元気にやってるわ」

「手紙の文面だけでは分かりません。だってお姉様のことですし、もし何かあったとしても家族に心配をさせまいと隠されるでしょう?」

「……何も言い返せないわね」


 それにしても随分と姉想いの妹のようだ。


「本当に大丈夫なのですか? 一家の再興のためだからって、どこかの小汚い男に身体を売ったりしていませんか?」

「してないわよ」


 あながち間違ってはいないんだが……。


 実は今回、俺がここに来ることは先方に一切伝えていなかった。

 別にサプライズというわけではない。


 これでも一応、辺境伯ということになっている身だ。

 それを迎えるとなると、相手も相応の準備が必要と考えるだろう。

 しかし今は領地を取り戻し、十三歳の新領主が就任したばかり。

 そんな状況であまり負担をかけたくないと思ったのである。


「……しかし、どんな反応をされるのか、不安しかないな……」


 現在は辺境伯とはいえ、元平民の三十八歳のおっさんだ。

 訊けばアリアの母親はまだ三十六歳だという。

 そう。俺よりも年下なのだ。


「ルーカス?」


 俺がなかなか馬車から出ていかないので、アリアが中を覗き込んできた。


「心配は要らないわ。きっとみんなあなたのことを認めてくれるはずよ」

「……そ、そうだな」


 俺が言い出し、そしてここまできたのだ。

 今さら及び腰になっていては格好がつかない。

 むしろアリアのためにも堂々としているべきだろう。


「お姉様? どなたかいらっしゃるのですか?」


 俺は覚悟を決めて馬車を降りた。


「は、はじめまして」

「……お姉様? この方は?」


 いきなり現れたおっさんを前に、アイリスは訝しげに眉根を寄せた。


「俺はルーカスだ。えっと……」


 俺が継ぎ句を口にするより先に、アリアが先ほどの衛兵のときと同様、自慢げに告げた。


「わたしの婚約者よ」

「えっ?」






 外から見ただけで分かってはいたが、屋敷の中も非常に豪奢なものだった。


「「「お帰りなさいませ、アリアお嬢様」」」


 俺の屋敷とは比べ物にならない数のメイドたちが働いており、廊下ですれ違うたびに深々と頭を下げてくる。

 その立ち居振る舞いは、うちのメイドよりずっと洗練されているように見えた。

 これが侯爵家の屋敷というものか……。


「……」


 それにしてもさっきからアイリスの視線が痛い。


 まるで不審者でも見るかのような目で俺を見てくるのだ。

 慕っていた姉がいきなり自分の母親よりも年上の男を婚約者だと言って連れてきたんだ、そういう反応も致し方ないだろう。


 まだ俺の詳しい素性を話していないというのもある。

 これから領主である二人の弟や母親に伝えるわけだし、まとめて話をした方がいいだろうとの考えからだ。

 それに領主を差し置いて先に彼女に話すわけにもいかない。


 やがて通されたのは、ちょっとした訓練場ほどの広さを誇るリビングだった。


「アリア、お帰りなさい」


 そこで待っていたのは美しい女性だった。

 艶やかな亜麻色の髪を長く伸ばしていて、柔和な笑みを浮かべている。


 髪の色は違うが、どことなくアリアやアイリスと似ていた。

 確か姉はいなかったはずだが……。


「ミリアお母様」


 って、アリアの母親だと!?

 どこからどう見ても二十代にしか見えない。


「急に帰るっていう手紙がきたから驚いたわ」

「忙しいときにごめんね? まだお母様たちもこっちに戻ってきたばかりでしょ?」

「ええ。突然あの人の潔白が証明されたって王宮から連絡があったときは驚いたわ……」


 と、そこで彼女は俺の存在に気づいたようで、視線がこちらを捉える。


「あら? そちらの方は?」

「わたしの婚約者よ」

「……はい?」






 一体これから何が行われるんだ……?


 いつの間にはリビングには大勢の人間が集まっていた。

 その多くはいかにも武人といった風体の男たちだ。


 どうやらリンスレット家に代々仕える家臣たちらしい。

 彼らは一様に鋭い眼光で俺を見ている。


 完全なアウェーだ。


 先ほどアリアの母親に挨拶したら、なぜかこうなったのだ。

 その母親はというと、これまた厳しい顔をしている。


 ピリピリと張り詰めた部屋の空気に、胃に穴が開きそうなほどの緊張感を覚える。

 そんな中、遅れて入ってきた人物が俺の目の前まで歩いてくる。


「はじめまして。僕はアルト=リンスレットです」

「弟……?」


 つい聞き返してしまった。


 アリアの弟には見えなかったからだ。

 それは見た目が全然違うから、というわけではない。

 むしろよく似ている。

 というか、似すぎている。


 美少女なのだ。

 男子が着るような服を着ているのだが、まったく男に見えないのである。


 実は三姉妹で、クルシェと同じように女装しているのか?

 と思ったほどだが、その考えはアリアが否定した。


「こう見えてアルトはれっきとした男よ」


 わざわざ姉から証言されて、アルトは苦笑する。


「……すいません。昔からよく間違えられるんです。父上のようにもっと男らしく生まれてくればよかったんですが……」


 それから彼は背筋を正すと、急に真剣な口調になって、


「若輩者ではありますが、現在この領地を任されています。つまりこれから口にすることは、領主としての言葉だと考えてください」


 確かに見た目は可愛らしいが、十三歳とは思えないほどしっかりしているようだ。

 彼は二回りも年上の俺に対して、まったく臆することなく告げたのだった。


「単刀直入に言います。あなたと姉上の婚約を認めるわけにはいきません」

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