第29話 私に不可能はない
深夜。
賑やかな王都の喧騒もすっかり収まり、住民たちの多くが眠りについた頃。
闇に紛れて、とある貴族の屋敷に幾つもの影が集っていた。
その数は百を下らない。
しかも彼らは、これから戦にでも出ようかというほどにしっかりとした武装をしていた。
立派な広い庭は周囲を塀に囲まれており、外からでは中を窺うことができない。
ましてや貴族の屋敷だ。
秘密裏に集結した彼らの存在を知ることは容易ではないだろう。
「時間だ」
一人の男が屋敷の中から姿を現した。
彼の言葉に、武装した者たちが緊張した様子で息を呑む。
それもそのはず。
これより彼らが成そうとしていることは、この国を揺るがすような計画なのだ。
王宮に攻め込み、王と王女を捕えて制圧。
そして玉座を簒奪する。
すなわちクーデターだ。
万一失敗しようものなら、この場にいる全員が逆賊として歴史に汚名を残すことになるだろう。
それでも彼らは一人の男に自らの命運を託したのだった。
「諸君。ついにこの私が王位に就くときがきた」
夜風にそよぐ長い髪。
それが月夜に照らされ煌めく様は、まるで絵画の中から飛び出してきた男神のようだ。
女性的な整った顔立ちながら、その体躯は堂々たるものがある。
まさに美丈夫という言葉が相応しい。
だがそうした見た目とは裏腹に、性格は苛烈で好戦的。
目的を果たすためには手段を選ばない、いわば覇道の人間だが、同時に周囲を引き付けるカリスマ性を持つ。
フーゼル=レア=セントグラ。
彼こそがこの国の第一王子にして、このクーデターの首謀者だった。
ここに集うのは、彼の薫陶を受けた直属の精鋭騎士たちと、最後まで戦うことを誓った王子派貴族の騎士団である。
「怖れる必要はない。幾多の戦場に赴き、常勝の二文字を残してきたこの私に不可能はない。あの愚鈍なる王に天誅を下し、必ずやこの国を我が手中に収めてみせよう」
絶対の意志を感じさせる声が、静寂の中によく通った。
それだけで不安に捕らわれていた騎士たちの迷いを断ち切らせる。
この男ならやってくれるだろうと、誰もが自然とそんな気になっていく。
「フーゼル王子殿下」
「王子殿下」
「殿下」
もし許されているならば、大声でその名を叫んでいたことだろう。
「出陣だ」
彼らは屋敷を発つと、王子を先頭に王都の夜道を一糸乱れぬ動きで進んでいく。
途中で他の屋敷から出発した集団が合流し、その数を増していった。
と、そのとき。
「あら、お兄さま。そんな仰々しい集団を連れてどこに向かうおつもりですの?」
夜闇に響いた美麗な声に、フーゼルは足を止めた。
「……なに?」
さしもの彼も、予想さえしていなかった状況に当惑する。
彼らが前進する大通り。
そのど真ん中に一人の少女の姿があった。
南国の海を連想させるエメラルドグリーンの髪。
宝石めいた同色の瞳。
この夜の闇の中にあってなお、それらは美しく際立っている。
たった一人で姿を現したのは、彼の腹違いの妹、フィオラ=レア=セントグラだった。
「なぜ、お前がここに?」
警戒を滲ませながら、フーゼルは問う。
「それはあたくしの台詞ですわ? 随分と予定よりも早く帰っていらっしゃったんですわね、お兄さま?」
「……」
まさか情報が漏れてしまっていたのかと、フーゼルは内心で苛立つ。
これでは奇襲は失敗だ。
とはいえ、ここまできたらやることは変わらない。
このまま王宮内に攻め入り、勝利を収めるだけ。
少し難度が上がったかもしれないが、この軍勢なら王宮騎士など軽く蹴散らせるだろうとの確信があった。
当然、王宮の守護を任されているだけあって、王宮騎士たちの個々の才能は超一流だ。
だが対人間戦の経験に乏しい王宮騎士たちに対し、王子側は敵国を相手に幾多の戦場を潜り抜けてきたのだ。
その練度は比べ物にならない。
しかしそれでも解せないのは、目の前の妹だ。
「なんて、もちろん知っていますわ。お兄さまがこの国を暴力的な手段で自分の物にしようとしていることくらい」
「……ならばなぜ、お前はここにいる? 見たところ従者もいないではないか」
今回の作戦において、彼女の存在は国王以上に重要である。
それがこうしてのこのこ姿を現すなど、相手がこちらの情報を掴んでいるのだとすれば、なおさらあり得ないことだった。
「ふふふ、あたくし、とても怒っていますの」
「……何の話だ?」
「もちろんお母さまのことですわ? 正直、見目が良いことを除けば凡庸で、政治よりドレスや宝石にばかり関心を示す王妃失格と言っていい人でしたけれど……殺されていい人ではありませんでしたの」
王国では伝統的に王子王女は乳母に育てられるため、それほど情的には近くなかった。
それでもお腹を痛めて産んでくれ、血の繋がった相手である。
その母親が突然、殺されたのだ。
目の前の兄の手によって。
しかもお腹の中の弟と一緒に。
フィオラは凄惨な笑みを浮かべて告げた。
「だからお兄さまには、ぜひあたくしの手で
その直後。
フーゼルはその場に跪き、フィオラに向かって首を垂れていた。
「「「お、王子殿下っ?」」」
それは臣下として主君に従うことを意味する動作で。
妹に対してそのような臣下の礼を取るなど、フーゼルにとってこれ以上の屈辱はないだろう。
しかも彼の信奉者たちの目の前で。
「……なん、だと……?」
一瞬我に返ったフーゼルは、己の信じがたい行為に愕然とした。
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