第22話 今がチャンスじゃ

 ……というわけで撤退しました。


『自信満々に啖呵切ったのにのう?』


 言うな。

 あのときはあれだけ配下を呼び出すなんて思ってなかったんだよ。


 俺たちは安全地帯まで逃げてきていた。


 撤退するのも一筋縄にはいかないと思っていたのだが、意外にもすんなりいった。

 もしかしたらあえて逃がしたのかもしれない。

 どのみちこの穴底から脱出するには、あのボスを倒さなければならないわけだしな。


 ダンジョン内にいるから分からないが、時間的にはすでに夜遅い。

 ボス討伐の作戦を練るのは明日にして、今日はもう休むことにした。


「さすがにこの場所を襲ってくることはないだろう」


 安全地帯には魔物が入ることはできない。

 ボスも例外ではない……はず。


 生憎と荷物の大半を第十二層の安全地帯に置いてきてしまった。

 まさか上の階層に戻ることすらできなくなるとは思っていなかった。


 もちろんテントもないので、そこら辺に寝っころがるしかないだろう。

 お姫様には我慢していただこう。


 幸い食糧の一部は影の中に収納していたので、フィオラ王女にも分けて、一緒にそれを食べることにした。


 もぐもぐ。

 もぐもぐ。


「……」

「……」


 互いに無言で、咀嚼音だけが響く。

 気まずいにもほどがある。


「……飲むか」


 酒を飲もう。

 酔えばこの空気も気にならなくなるだろうしな。


 俺は影の中から酒瓶を取り出し、ぐいっと煽った。

 くぅ~、やっぱ疲れた身体にはこれだぜ。



   ◇ ◇ ◇



 ボス戦から撤退し、安全地帯まで逃げてきたフィオラ。

 一先ず助かったわけだが、いずれにしてもあのボスを倒さない限り、地上に帰還することはできない。

 果たして彼女は無事にこの危機を潜り抜けることができるのだろうか。


 ……という状況でありながら、彼女の心を満たしているのはまったく別の感情だった。


 この人があたくしの運命の殿方かもしれませんわ……っ!


 表面的には御淑やかに努めている。

 しかしその胸はずっと張り裂けそうなほど高鳴っていた。


 いいえ、間違いありませんわ!

 だって命懸けで、崖から落ちるあたくしを助けてくださったんですもの!


 一度そう思ってしまうと、そうとしか思えなくなってくる。

 彼女は思い込みの激しい人間だった。


 さらにその妄想は加速していく。


 確かについ数時間前までは彼のことを嫌悪していましたわ。

 けれどこれはきっとそういうだったんですの!


 最初は反目し合っていた二人。

 それが事件や危機をきっかけにして急速に関係が縮まり、やがて恋仲になっていく……。


 彼女が小さい頃から好んで読んできた物語群の中で、それは王道の一つだった。


『確かにあるあるじゃのう』


 元々の関係が悪ければ悪いほど、くっ付いたときに「ふあああああああっ!」ってなるのですわ!


 頭の中で某剣の相槌が響いたのだが、その手の展開を思い出して身を捩じらせるフィオラには聞こえていないようだった。


 一方そんな彼女の内心など知る由もなく、ルーカスは酒を飲み始めていた。

 現実逃避したいのか、ぐいぐい飲んですでに顔が赤くなっている。


 その様子をちらちらと横目で見ながら、フィオラもまた別の理由で顔を赤く染める。


 ああ、よく見るとこの男、結構かっこいいですの……。

 それにこんな状況でもお酒を嗜むなんて、きっと余裕の現れですわ。


 ワイルドな飲みっぷりに、そんなふうに思ったらしい。

 実際にはただの自棄酒なのだが。


 この落着き様、やはり伊達に年齢を重ねているわけではないですわね。

 考えてみればこの年の差、悪くないですの……。


 年の差モノの物語を思い出して、そんなふうに考えるフィオラである。

 彼女の価値観の基準は常にソコにあるようだ。

 ……王女として大丈夫なのか。


「うひー」


 いつの間にか勝手にどんどん良い方に解釈されているとは露知らず、すっかり酔いが回った当人は、硬い地面の上に大の字になって寝っころがった。

 手から落ちた酒瓶がごろごろと地面を転がる。


『よおし、今がチャンスじゃ! そのまま襲い掛かってしまうのじゃ!』


 某剣がまるで心の中に巣食う悪魔のようにそう囁いてくるが、しかしそこはさすがに王女。

 美学がブレーキをかける。


 ダメですわ!

 こんな場所でなんて、はしたない!


 それにちゃんと段階を踏んで行かないといけませんの!

 最初は初心な戸惑いを見せながら、徐々に近づいていくあのキュンキュンする感じ!

 それが欲しいのですわ!


『……それは別に王女としての美学ではないがの』


 と、そんなフィオラの前に一本の酒瓶が転がってきた。

 先ほどルーカスが飲んでいたものだ。


「………………ごくり」


 それをじぃっと見つめながら、生唾を嚥下するフィオラ。


「……はぁはぁはぁ……」


 さらには呼吸が荒くなり、目が血走っていく。

 ルーカスが目を瞑って寝ているのを確認してから、彼女は酒瓶へと手を伸ばした。


「はぁ、はぁ、はぁ……こ、ここに、ルーカスさまの唾液がぁ……」


 そう。

 彼女は好きな人の物や体液などに強い興奮を覚える変態なのだ。


「んっ……れろれろ……んぁ……」


 まるで男性のアレをアレするようにアレする王女。


『初心な戸惑いとは一体……』


 しかしそれは酒瓶だ。

 当然ながら瓶口の周りには唾液だけでなくアルコールも付着しており、


「あ、あひぇ……なんか、頭がくりゃくりゃしますのぉ……?」


 飲酒経験がなくアルコールへの耐性もない彼女は、それだけで酔ってしまったらしい。


「るーかすさまぁっ……うへへへぇ……」


 ブレーキが効かなくなったのか、今度は本体へと襲いかかった。

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