第7話 どうかこの哀れな娘をお救いください

 チルに少しペースを落としてもらい、途中で何度か休憩も挟みつつ、俺たちは城塞都市へと向かっていた。


 街道を走っているとはいえ、もちろん魔物にも遭遇する。

 だが大半は接近を許す前にリューナが矢で仕留めた。

 万一近づかれてもクルシェの影で動きを止めたり、遠距離攻撃を仕掛けてきてもセレスの結界で防いだりしたので、何の妨げにもならなかった。


「ガウ!」

「……? チル? どうしました?」


 急にチルが何かに警戒するように咆えたかと思うと、速度を落とした。


「前方から何かが近づいてきているようだ」


 目の良いリューナが言う通り、街道のずっと先へと目を凝らしてみると、まだ豆粒くらいの大きさだが、こちらへと近付いてくるものが見えた。


「隊商か何かかしら?」

「いえ……どうやら馬のようです。人が乗っているようですが……」


 アリアの推測に、セレスが首を振る。

 彼女は御者台から立ち上がって、


「随分と急いでいるような気が……? ……っ! 集団に追われている……?」




    ◇ ◇ ◇




 彼女は名をレーアと言った。

 せいぜい五百人ほどの小さな町ではあるが、町を治める領主の娘として生まれて、つい先日、十五歳の誕生日を祝ったばかりだ。


 優しい両親に、決して贅沢ではないが何不自由ない生活。

 彼女自身も情愛に溢れた性格だったこともあり、使用人や町人たちから好かれ、大切に育てられてきた。


 そればかりか容姿にも優れていたため、彼女へ求婚してくる男性は後を絶たなかった。

 お陰で婿を選ぶのに苦労すると語りながらも、随分と嬉しそうな両親の顔を見ては、彼女は幸せを感じていた。


 そんな日々が唐突に終わりを告げたのは、街中に響き渡る警鐘だった。

 獣人の集団に町が襲われたのだ。


 ここより北方に位置する城塞都市メレルの、さらに北に棲息している彼ら獣人は、人間を遥かに凌駕する高い身体能力を有していた。

 町を取り囲む防壁をあっさりと乗り越えると、彼らは武器を手に応戦しようとした町の兵士たちを次々と打ち倒していった。


 レーアは、両親とともに屋敷に立て籠っていた。

 だが入り口のバリケードを破壊され、獣人たちの侵入を許してしまう。


 彼女の姿を見るなり、リーダー格と思われる獣人が下卑た笑みを浮かべながら言った。


「へえ。なかなかの上玉がいるじゃねぇか」


 レーアはこの後の自分の運命を悟ったのだった。


 しかしそんな彼女だけは何としてでも護ろうと、両親、そして使用人たちが必死の応戦を繰り広げられた。

 その隙に秘密の通路を使い、彼女は一人で屋敷から脱出。


「エルメス!」


 そこは馬小屋に繋がっていて、父親が最も可愛がっている馬――エルメスに跨ると、後ろ髪を引かれながらも両親の想いを無駄にはできないと、そのまま町の外へと逃げ出したのだった。


 そんな彼女を三、四人の獣人たちが追ってきていた。


「くそっ! 待ちやがれ!」


 身体能力の高い獣人と言えど、さすがに四足で走る馬には敵わないようだ。

 徐々に距離が開いていく。

 しかもエルメスは足が速く、持久力にも優れた馬だった。


「ヒヒィンッ!」

「っ!?」


 突然、そのエルメスが嘶きを上げた。

 急に暴れ出してしまったのだ。

 レーアは必死に手綱を掴んで振り落されまいとする。


「エルメス!? ど、どうどう!」


 どうにか落ち着かせたが、よく見ると右の前脚の動きがおかしい。

 石か何かを踏み付けてしまい、蹄を傷つけてしまったのかもしれなかった。


 それでもエルメスは飼い主の状況を理解しているのか、懸命に走り続けてくれた。


 だが……背後を振り返り、レーアは唇を噛む。

 気づけば獣人たちがすぐ近くにまで迫ってきていた。


「ひゃははは! 無駄だぜぇ、嬢ちゃぁぁぁん!」

「大人しく俺たちと楽しいことしようぜぇっ?」


 背後から聞こえてくる彼らの声には余裕すら感じられた。

 恐らくこちらの馬が足を痛めたことを理解しているのだろう。


 このままでは追い付かれてしまうのも時間の問題だった。


 それを理解したレーアは、エルメスの手綱を引いた。

 これ以上、無理に走らせて足の怪我を悪化させてはならないと思ったのだ。


 エルメスから降りると、「ありがとう」と言って、逃がしてやる。

 何度か後ろ髪を引かれるように振り返ったが、エルメスはレーアの意思を汲んで去っていった。


 すぐに獣人たちが追い付いてくる。


「へへっ、どうやら諦めたようだな」

「ひゅう。こいつは確かにかなりの上玉だぜ」


 もはや抵抗しても無駄だと、レーアは覚悟を決める。


 それでも、自分のことを命懸けで逃がしてくれた両親の想いに応えられない不甲斐なさと、これからあのような連中の慰み者にされるという悔しさが胸から込み上げてきて、


「……ヴィーネ様……どうかこの哀れな娘をお救いください……」


 縋るような祈りを信仰する女神へと捧げた、まさにそのときだった。


「さぁて、それじゃあ早速いただくとする――っ!?」


 舌なめずりしながらレーアに近づいてきた獣人の一人が、突然、その動きを止めたのだ。

 まるで金縛りにあったかのように。


「か、身体がっ……?」


 別の獣人もまた、まるで時間が止まったかのように硬直している。


 次の瞬間だった。

 動けなくなった彼ら目がけて、次々と矢が飛んできたのは。


「「「ぎゃあああああっ!?」」」

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