第26話 今すぐ逃げてください

『申し訳ありません……。わたくしの力が及ばず……聖女様を説得することができませんでした……』

『いや、謝る必要はないって。とりあえず無事でよかったよ』


 俺は念話を通じて、セレスが神殿に赴いてからの起こった一部始終を聞かされていた。


 どうやら聖女エリエスの説得に失敗し、それどころか、邪神に洗脳されているとの審判を下されてしまったらしい。

 現在は神殿内部に幽閉されているとか。


『そ、そうです! ルーカス様、今すぐ逃げてください……っ! 恐らくもうすぐ貴方様を捕えるため、聖騎士たちが屋敷にやってくるはずです!』


 セレスが悲愴な声で訴えてくる。

 俺は何を言ってるんだ、と嘆息した。


『馬鹿を言うな。セレスを置いて逃げれるわけがないだろ』


 このままでは、彼女は異端者に与した罪で処刑されてしまうかもしれないのだ。


『すぐにそっちに行く』

『なっ……! し、神殿は常時、百名を越える聖騎士たちに守護されているんですよっ? わたくし以外の神具の使い手だっていますし、侵入は不可能です! 下手をすれば、ルーカス様まで捕えられてっ……』

『そうなったらそうなったときだ。お前を犠牲にして生き永らえるくらいだったら、捕まって処刑される方が遥かにマシだ』


 責任を取ると誓った相手を見捨てて逃げるなんて、そんな情けない生き方をするなら死んだ方がいい。

 俺のようなおっさんにだって矜持というものがあるのだ。


 まぁそうは言っても、できれば捕まりたくはないが。


『ルーカス様……』


 いったん念話でのやり取りを区切り、俺はアリアたちへと告げた。


「俺はこれからセレスを助けに神殿に突入する。けど――」

「わたしも行くわ」

「ぼくも!」

「もちろん私もそのつもりだ」


 言い終わる前に口々に宣言されてしまう。

 その瞳を見ただけで、もはや何を言ったところで無駄であることを俺は悟った。


「……仕方ないな」


 もはやこうなったら神殿と全面戦争だ。

 といっても、別に神殿を占拠する気などないし、セレスを救出したらとっとと逃げるつもりだが。


『いっそ聖女を快楽で籠絡し、手駒にするというのはどうじゃ! そうしたら神殿ごとお主のもの! しかも女子ばかりの構成員で一気に巨大ハーレムの完成じゃぞ!』


 ウェヌスの酷い提案は例のごとく無視。


『これ! せめて一考くらいせんか!』


 そのとき屋敷の呼び鈴が鳴り響く。

 すぐに怒鳴るような声とともに、重々しい足音が聞こえてきた。

 使用人の悲鳴が上がる。


 俺たちが廊下に出ると、屋敷の玄関に武装した一団があった。

 全員が女性で、セレスたちと同じ白銀の鎧に身を包んでいる。

 彼女たちもまた神殿に属する聖騎士なのだろう。


 その中の一人が俺たちに気づいて、こちらに近づいてきた。


「あんたがルーカスかい? あたいは聖騎士団第三騎士隊隊長、ジーナ=ジルガレット。これからあんたたちには神殿まで同行してもらうよ」


 彼女の背後では、十人近い聖騎士たちがいつでも行動に移せるよう、すでに臨戦態勢に入っていた。

 力づくでも連れていく腹積もりらしい。


「ああ。いいぞ。ただし自分たちで行くから、あんたたちの案内は不要だ」


 俺たちの言葉に戦意を読み取ったのか、ジーナは鼻を鳴らした。


「はっ、邪神の剣だか知らないけど、あたいの神具はこの槍。狙った獲物は絶対に逃さない、〈必中〉の能力を持っ――」

「じゃあな」

「――っ!?」


 ゼルディアが言い終わる前に、俺たちはクルシェが展開させた足元の影へと潜り込んだ。


「消えた!?」

「一体どこに!?」

「とっとと探すんだよ、あんたたち! まだ近くにいるはずさ!」


 外から驚愕の声が聞こえてくる。


『相変わらず便利な能力だな。……真っ暗でどっちに行けばいいかまったく分からないが』

『こっちだよ』


 俺の手をクルシェが引いてくれる。

 影の中で方向感覚を失わずにいれるのは彼女だけだ。


 しかしお陰であの狭い屋敷の玄関での戦闘を避けることができた。

 このままずっと影の中を進んでいけば、誰にも見つからずに神殿まで辿り着くことが可能なのだが……さすがにそう上手くはいかない。


『こっから先、影が途切れちゃってるみたい』


 移動できるのは影の中だけ。

 すなわち影が続いているところしか、進んでいくことができないのだ。


 一応、影そのものを生み出すことも可能らしいが、消耗が激しく、また短時間しか維持できないらしい。


「うん、大丈夫そう」


 クルシェが影から地上へと顔を出し、外の様子を確認してくれた。

 外に出ると、そこは人気のない路地裏だった。


 そこからは地上を走った。

 何事かと振り返る通行人を置き去りにしながら、俺たちは都市のほぼ中心にある大神殿へと急いだ。


「見て。今日は入り口が閉まっているわ」


 アリアが言う通り、前回来たときは開かれていた神殿への門が、今は硬く閉じられていた。

 門の前には礼拝のために訪れた大勢の人々が屯していて、どうやら急遽、入殿が制限されてしまったらしい。


 ……まぁ俺たちのせいだろう。

 聖騎士団の隊長が、突如として異端の道に進んでしまったのだ。

 神殿内部は大騒ぎで、参拝の対応をする余裕などなく、今日は一般の信徒たちの入場を取りやめたのだろう。


「どうする?」

「飛び越えるぞ。――リューナ、いけるか?」

「問題ない」


 リューナが〝天穹〟を顕現させると、それを横向きに倒す形で構えた。


「捕まってほしい」


 言われた通り、俺たちはそれぞれ三日月型の弓を掴んだ。

 直後、凄まじい上昇気流が発生し、俺たちの身体を空中へと押し上げてくれた。


「すごい! ほんとに飛んでるよ!」


 クルシェが感嘆の声を上げた。

 そう言えば、あのオークの森で空を飛んだのは俺とリューナだけだったっけ。


「な、何だあれは……?」

「鳥か……っ?」

「いや、人間だぞ!?」


 足元から驚嘆する声が聞こえてくる。

 まるで翼を広げた鳥のような弓に支えられて、俺たちは門を一気に飛び越えた。


 そして神殿の敷地内に着地すると、


「あっ、クウを置いてきちゃった」

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