第21話 抱き締めてあげると喜びます
「……ここは?」
セレスティーネは首を傾げた。
いつの間にか見たこともない場所に立っていたからだ。
ふわふわとした不思議な感触の足場。
そして見渡す限り、白い。
「雲の上……?」
そこはどういうわけか、雲の上のようだった。
なぜこんなところにいるのかと、考えてみても分からない。
記憶を探ってみる。
昨日は聖泉に赴き、そこで神剣だという武具が本物かどうかを確かめたのだ。
だが剣を泉に浸した瞬間、水が真っ赤に染まった。
聖女エリエスからは、今回の任務を拝命する際にこう命じられていた。
『泉の色が赤く染まるならば、それは邪悪な剣であるという証拠。そのときは即座に剣を破壊しなさい』
聖女様の御言は絶対だ。
セレスティーネはすぐさま剣を壊そうと試みた。
しかし返り討ちに遭ってしまったのである。
相手は何人もの少女を手籠めにしている変態。
たとえこの身を穢されようとも、心だけは屈しまい……と覚悟したのだが、どういうわけか予想していたようなことはされなかった。
その日は先日と同様、小屋で泊まることに。
もしかして夜に……っ? と仲間たちと一緒に一時は戦々恐々としたのだが、その予想も外れた。
三人の少女に自分たちのことを任せると、あの男は一人で外のテントに行ってしまったのである。
意外とまともな人間なのですか……?
そんな風に思いながら、微睡の中に落ちていき――
「では、これは夢……?」
と、呟いたときだった。
「っ!?」
その眩しさに思わず目を瞑ってしまう。
彼女の目の前へ突如として空から光の柱が降りてきたのである。
恐る恐る瞼を開いたセレスティーナは、はっと息を呑む。
あまりにも美しい女性がそこにいたのだ。
神々しい輝きを放つ銀の髪。
同色の瞳に、僅かの瑕疵すらない顔立ち。
長身で、黄金比のプロポーション。
世界中の美を凝縮したかのようだと、その姿に見惚れながらセレスティーネは思う。
「……女神、様?」
思わずそんな言葉が漏れた。
そう。
彼女は女神様だ。
間違いない。
それ以外にはあり得ない。
敬虔なセレスティーナは直感的にそう悟り、その場に傅いた。
「その通りです」
と、耳朶を撫でるだけで全身が感動に打ち震えそうになるほど心地よい声で、女神(?)は頷いて、
「我……じゃない、私はヴィーネ。愛と勝利を司る女神じゃ……です」
「ヴィーネ様……」
女神ヴィーネ。
それは三大神の一柱にして、最も多くの人々に信仰され、崇拝されている神である。
当然ながらセレスティーナも深く敬愛し、毎日のように祈りを捧げていた。
そんな存在が自分の目の前に姿を現したのだ。
感動のあまり、セレスティーナは身体を震わせ、涙すら零してしまう。
夢などではない。
これはきっと、女神様が自分に直接、啓示を与えてくださろうとしているのだ。
これまで捧げてきた信仰を認められたのだと、セレスティーネの胸を歓喜の感情が満たしていく。
だが次に女神が口にした言葉に、彼女は戦慄するのだった。
「こうして私があなたの前に姿を現したのは他でもありません。私が作ったあの神剣、ウェヌス=ウィクトのことです」
「な……」
まさか、あの剣は本物だったというのですか……!?
愕然として息を呑むセレスティーネ。
もしそうなら、それを破壊しようとする行為は、女神への冒涜以外の何物でもない。
「も、申し訳ございませんっ! わ、わ、わたくしはっ……」
セレスティーネは慌てて謝罪し、その場で深々と頭を下げる。
その胸の中では、なんということをしてしまったのかと、強烈な罪悪感が噴き上がっていた。
そんな彼女へ、女神は優しい口調で諭すように告げた。
「いいえ。分かればよいのです。私は何も、あなたを裁くために姿を見せたわけではありませんから」
ホッと安堵の息を吐くセレスティーネ。
しかしすぐに気を引き締めると、覚悟を決めて進言した。
「ですが、ヴィーネ様っ。ただ許されるだけでは、聖騎士として失格ですっ。どうか、わたくしに然るべき神罰を!」
「……なるほど。それは殊勝な心がけですね。分かりました。では、あなたに一つ、女神として命じましょう」
女神は魅惑的な微笑みを浮かべながら言った。
「神剣の使い手、ルーカスにあなたの処女を捧げ、眷姫となるのです」
「はっ! わたくしの信仰に誓って、必ず…………え?」
セレスティーネは反射的に誓いかけて、ハッと我に返った。
「あ、あの……そ、それは……えっと……」
「良いですか? それこそが、あなたの受けるべき罰です」
「は、はいっ。……で、ですが、わたくしは聖職者で……そ、そうしたことはしてはならないと……」
「そんなことはありません」
女神はきっぱりと断言した。
「性的な行為は決して卑しいものではありません。互いの愛を深め、確かめ合うための貴い行為なのです」
「と、貴い、行為……?」
「そうです。だからこそ子供が生まれて来るのです。性的な行為が罪深いものだとするのなら、あなたは子供が罪を背負って生まれてくるとでも言うのでしょうか?」
「そ、それは……! め、女神様のおっしゃる通りかと……」
女神のもっともな指摘に、セレスティーネは反論の言葉を思いつかなかった。
むしろ目が覚めるような思いで、今までの価値観が崩れる音が聞こえた気がした。
「先ほど罰と申し上げましたが、本当は祝福なのです。怖れてはなりません。あなたは勇気を持って、その一歩を踏み出すのです」
「わ、わ、分かりましたっ…………し、しかし、あの男は多数の女性と……」
「そんなことは何の問題でもありません」
再びはっきりと断言する女神。
「真の愛というのは、愛する対象の数が増えることなど些細なことです。考えてみてください。親は子供が増えれば増えるほど、一人一人の子への愛情が薄くなると思いますか?」
「っ……」
「いいえ、なりません。どれだけ子が多くなろうと、親はどの子も深い愛情を持って育てていくものなのです」
「た、確かにその通りです……っ!」
セレスティーネは力強く頷き、心から同意を示す。
「では頑張ってください。……っと、そうです」
満足そうな笑みを浮かべて立ち去ろうとする女神だったが、不意に何かを思い出したようで、
「あの剣は私の最高傑作……愛しい子供のようなものです。ぜひ丁重に扱っていただけると嬉しいです」
「は、はいっ!」
「人の形を取ることができますし、食事も取ることができます。美味しい食べ物をたくさん食べさせてあげてください」
「畏まりました……っ!」
「それと抱き締めてあげると喜びます。特にその大きくて柔らかそうな胸に顔を埋めたいです……ぐへへ」
「分かりました!」
威勢よく返事してから、「……あれ?」と一瞬違和感を覚えたセレスティーネだったが、次の瞬間にはもう女神の姿は消え、視界がゆっくりと暗転を始めていた。
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