第16話 もっとやれると思ってたんだ

 森の中に小屋を発見し、ララはホッと安堵の息を吐いた。


 すでに周囲は暗闇に包まれていて、夜の森特有の不気味な空気で満ちていた。

 もしこの中を一人彷徨うことになっていたらと思うと、ぞっとしてしまう。


「助かったぜ。……って?」


 いつの間にか、あの狼がどこかに消えてしまっていた。

 現れたときと同じように、気配すらも感じられない。


「……一体、何だったんだ……?」


 小屋の傍にはテントが一張り設置されていた。

 中からは寝息が一つだけ聞こえてくる。


 なぜ小屋があるのにテントで寝ているのだろうかと疑問に思ったが、


「とりあえず、マジで腹が減った……喉も乾いた……」


 ともかく今は空腹を満たしたいという一心だった。


 ララは気配を殺してテントの中へと忍び込む。

 やはりここで寝ているのは一人のようだ。

 外よりもさらに暗いため顔はよく窺えないが、完全に眠っている様子だった。


「っ?」


 ふと背後から視線を感じてララは目を向ける。

 だがそこにあったのは、鞘に収まった一本の剣。


 何だ気のせいか……と息を吐くと、ララは近くに置かれていたバックパックに手を突っ込んで中を漁った。


「悪ぃが、ちょっと戴くぜ」


 そうして食べ物と飲み物を入手する。


 どこで食べるべきか迷ったものの、まったく目を覚ます気配がないため、ララはこの場で食べてしまうことにした。

 燻製肉やチーズ、ドライフルーツなどを口の中へと放り込む。


 さらに瓶入りの水を飲んで、


「ん? なんだこのジュース? 変わった味だな……」


 まぁ別に何でもいいかと、喉が渇いていたララはそのまま一気に飲み干した。


 やがて空腹が十分に満たされた頃。


 あっ、こいつ!


 暗闇に目が慣れてきたお陰で、テントで寝ていたのが、あの憎き中年男であることに気づく。


 自分がこんな目に遭っているのも、すべてがこいつのせいだ。

 ふつふつと殺意が沸き起こってきた。


 相手はすやすやと気持ちよさそうに眠っていて、完全な無防備。


 ――今なら殺れる。


 ララは腰からナイフを抜くと、男の傍へと近付いた。

 が、不意に強い眩暈がしてよろめく。


「……っ? な、なんだ……?」


 上手く歩くことができない。

 頭がくらくらして、全身がやけに火照っていた。


 実は先ほど彼女が飲んだのは、中年男――ルーカスが秘かにテント内に持ち込んできた果実酒だったのである。

 酒場でアルバイトをしているというのに、ララはアルコールに弱く、酔ってしまったのだ。


「うおっ……?」


 毛躓いてしまったララは、その勢いで眠っているルーカスの上に倒れ込みそうになった。

 危ういところで地面に手をつくが、


「……っ!」


 すぐ目の前に顔があった。

 唇と唇が触れ合いそうなほどの距離。

 もう少し身体を支えるのが遅かったら、そのままキスをしてしまっていたかもしれない。


 ララは慌てて飛び退いた。

 はぁ、はぁ、とそれだけで息が上がってしまっていた。


 ドキドキドキドキ――


 ななな、何でこんなおっさんにドキドキしてんだよ、アタシ!?


 き、きっとお酒のせいに違いない! と自分に言い聞かせるララ。

 そこで手にナイフがないことに気づいて、慌てて探した。

 だが暗くてなかなか見つからない。


 ふとそのとき、胸に強烈な虚しさが去来する。


「……てか、こんなところで何やってんだよ、アタシ……」


 こんなはずじゃなかったのに……と、ネガティブな感情が零れ出す。

 いったん堰を切ると、普段は気丈に押え込んでいたそれがアルコールのせいもあって次々と溢れ出してきた。


「もっとやれると思ってたんだ、アタシは……」


 ララは兎人族と呼ばれる獣人の一種だった。

 レアスのさらに北方地域には多くの獣人たちが棲息しているのだが、兎人族はその中でも最下層の種族として位置づけられていた。


 獣人の国――バザは〝獣王〟を頂点とした厳しい格差社会である。

 それも各種族が有する軍事力によって格付けされていた。


 そのため、戦いを好まない平和的な種族である兎人族は、ずっと他の種族から搾取される立場に置かれている。


 だが兎人族に生まれたララは、一族の中では珍しく勝気で好戦的な性格だった。

 そんな彼女にとって、一族が必死になって狩った動物や育てた作物の大半を、他の種族に当たり前のように捧げている状況は我慢がならなかった。


 美人の女性が半ば強制的に連れ去られ、他の獣人の妾にさせられるというような理不尽も度々起こっていて、しかしそれに対しても一族の皆は抵抗しようとすらしないのだ。


 兎人族も訓練をし、戦えるようになるべきだ。

 力は弱いが、鋭い聴覚と敏捷力を持っている。

 これを活かせば、他の種族にも負けない戦力を得ることができるはず。


 ララはそう皆に訴えた。


 しかしほとんど耳を貸す者はいなかった。

 武器を手にして戦うなど、温厚な性格の兎人族たちには想像することすらできなかったのだ。

 最下層でいることに慣れ切ってしまった彼らには、他の種族に逆らって返り討ちに遭うのが怖かったというのもある。


 そんな同族に嫌気がさして、ララは故郷を出ることにした。

 異国の地で新たな人生を送ろうと考えたのだ。


 もちろん周りからは反対された。

 人間の国はここよりもっと大変だと。

 ……誰も実際には行ったことがなく、単に想像でしかなかったのだが。


 ララの決意は揺らがなかった。


 自分は他の兎人族たちとは違う。

 自分なら新天地で上手くやれる。


 そう思っていたからだ。

 それにもし自分が人間の国で成功すれば、故郷のみんなの意識を変えることができるかもしれない。


 けれど現実は甘くなかった。

 レアスで冒険者を始めたララは、すぐに限界にぶち当たった。


 兎人族というだけで、誰もパーティを組んでくれなかったのだ。

 単身ではゴブリンなどの弱い魔物しか倒すことができず、当然ながら乏しい稼ぎしか得られない。

 すぐに冒険者業だけでは食べていくことができなくなって、酒場でアルバイトをする羽目になってしまった。


 それでも最初の頃は希望があった。

 冒険者を続けていればいずれランクも上がって、強い魔物を倒せるようになり、もっと収入を得ることができるようになると考えていたのだ。


 ……しかし、気が付けば、すでに二年。

 冒険者ランクは未だに最低のEのまま。

 ようやくコボルトをどうにか倒せるようになってきたという程度だった。


 結局のところ、兎人族の身体能力の低さを侮っていたのだろう。


「なんでアタシは兎人族なんだよぉ……。逃げることしか取り柄がねぇなんて……ふざけんじゃねぇよぉ……」


 気が付けばボロボロと涙を零しながら、ララは泣きじゃくっていた。

 どうやら彼女は泣き上戸だったらしい。


「ちくしょう……アタシにもよぉ……っく……こんな森くれぇ……ひっく……平然と探索できるくれぇの力があればよぉ……っく…………ちくしょぅ……………………」


 散々一人で愚痴を言い続けた後、泣き疲れてしまったのか、やがて彼女は眠ってしまった。





 ……しばらくして。


 そんな彼女のすぐ傍に小柄な人影が立った。

 その人影は彼女の身体を強引に押し、ずりずりと移動させる。

 ララはぐっすり眠っているため起きない。


 やがて最初から寝ていたルーカスと、完全に密着するような形になってしまった。


「くくく、これでよし、と」


 ニヤニヤと満足げな笑みを浮かべて、その人影は姿を消した。

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