第15話 はしたない行為とはなんのことじゃ?
「痛ぇッ……」
思わずそんな声を漏らしてしまってから、ララは慌てて口を塞いだ。
アルミラージのお尻に矢が突き刺さるのを目撃し、つい痛みを錯覚してしまったのだ。
無意識のうちに自分のお尻を撫でてしまう。
彼女は今、あの不埒な男の後を追い駆け、森の中にまで足を踏み入れていた。
昨日の失敗で簡単に断念してしまうような彼女ではない。
ウサ耳を揉まれてしまったあの屈辱を晴らすまで、絶対に諦めないつもりだった。
しかし天敵とも言えるあの狼がいる限り、屋敷に侵入して復讐を決行するのは難しいだろう。
だがそれならば、あの男が外に出てきたときを狙えばいいのだ。
そう考えて、今朝からあの屋敷を監視していたのである。
「にしても、まさかこんなとこまで来るなんて……」
都市を離れて数時間。
次第に辺りが鬱蒼と茂る森になってくると、さすがに不安になってきてしまった。
なぜこんな遠くまで追ってきたのかと、今さらながら後悔する。
ララは背後を振り返った。
もう帰ってしまおうか……。
が、そこでハッとする。
「って、帰り道が分かんねぇ……?」
すでに道順が分からなくなってしまっていたのだ。
それもそのはず。
この樹海は、アルミラージなどの稀少な素材を入手できる魔物が多く生息していながら、その遭難率の高さから地元民からも怖れられ、熟練の冒険者ですら滅多に奥まで足を踏み入れようとしない場所なのだ。
ララはここにきてようやく思い至る。
「やべぇ……もしかしてここ、あの〝迷いの樹海〟じゃねぇか?」
正式にはエスワルズの樹海というが、迷いの樹海と通称されていた。
独りで引き返すにも、下手に進めば迷子になってしまうかもしれない。
もはやとことん彼らの後に付いていくしかなかった。
幸いにも現れる魔物は彼らが倒してくれるため、付いていくだけなら何とかなるはず。
それに逃げ足と気配を消す能力にだけは自信があった。
「……アイツら一体こんなとこに何の用だよ……?」
◇ ◇ ◇
森の中を進んでいると一軒の小屋を発見した。
「こんなところに小屋があるのか」
丸太を組み合わせて作ったログハウスである。
人が住んでいる気配はなく、かなり古いもののようだが、それほど痛んでいる様子はないので、定期的に掃除や修復を行っているのだろう。ご苦労なことだ。
「聖泉への中継所として設けられた小屋です。今日はここで休息し、早朝に出発しましょう」
都市を出発して半日ほど。
まだ日が沈むまで時間があるが、夜にこの樹海を歩くのは確かに危険だろう。
「貴方は小屋の外にテントを張ってください」
「……ん?」
「小屋は狭く、部屋が一つしかありませんから」
つまり、俺だけ外のテントで寝ろってことか……。
まぁアリアたちだけならともかく、セレスティーネたちもいるのだし当然か。
むしろ女性ばかりの中に交じって寝る方がよっぽど嫌だな。
「俺は別にそれで構わないぞ」
「ならば私もルーカス殿と一緒にテントで――」
「ダメです」
リューナが言い終わる前に、セレスティーネがきっぱりと言う。
「この山の山頂は、かつて一柱の神が最初にこの地上へ降り立った場所。当然、その膝元であるこの森も聖域とされています。……で、ですのでっ、ここでそのようなはしたない行為をするなど、絶対に許されません!」
「ほほう? はしたない行為とはなんのことじゃ? くくく、一体ナニを想像しておるのかのう? 実はお主、肉欲を忌避しているように見えて、実は興味津々なのではないのか? まったく、この淫乱性騎士は己に正直にふぎゃ!?」
また余計なことを言うウェヌスを強引に黙らせる。
頬を引き攣らせるセレスティーネは一つ咳払いをしてから、アリアとクルシェにも訴えた。
「もちろん貴方たちもです! 夜中に小屋を抜け出したりしないよう、しっかり見張っておきますから!」
「仕方ないわね」
「はーい…………今日はぼくの番だったのに」
クルシェが不満げにぼそりと呟いている。
一日くらい我慢してくれよ。
「あれ?」
そのときふと何かに気づいたらしく、クルシェが首を傾げた。
「……クウがいない?」
◇ ◇ ◇
「やべぇ……アイツら、どこに行きやがったんだよ……」
ララはふらふらと覚束ない足取りで、森の中を一人歩いていた。
もう一時間近くは歩き回っている。
何度か魔物にも遭遇し、その度に足の速さを生かしてどうにか逃げ切ってはきたが、すでに体力は限界だった。
彼らを見失ってしまったのだ。
どうしても我慢できなくなって、お花を摘みに行っていたせいである。
「……てか、まさかこんな奥まで潜ってくるなんてよ……」
どう考えても日帰りではない。
それを知っていたら絶対に後を追ってこなかったのにと、今さらながら盛大に後悔するララだった。
ぐう、とお腹が空腹を訴えてくる。
しかし食糧すら何も持ってきていないのだ。
このままでは魔物に喰われるが先か、空腹で動けなくなるが先か……
と、そのときだった。
「ばうばう!」
「っ!?」
何の前触れもなく突然目の前に現れたのは、漆黒の毛並みの狼だった。
「いつの間に!?」
直前までまったく気配を感じなかった。
兎人族の優れた聴覚でさえ、接近を察することができなかったことに、ララは動揺を通り越して愕然とする。
しかも相手は苦手な狼の魔物だ。
あの屋敷の庭で遭遇した魔物より体格は一回り以上小さいが、それでも絶対に勝ち目のない相手だと、ララは一瞬で悟った。
こんなところで狼に食い殺されて死ぬのか……と覚悟したそのとき、
「ばうばう!(こっちだよ!)」
「……?」
なぜかその魔物は襲って来ようとはせず、それどころか嬉しそうに尻尾を振って、どこかに誘導しようとしていた。
「ばうばうばう!(皆と逸れちゃったんでしょ? ドジだよね!)」
ララには何を言っているのかまったく分からないが、敵意がないことだけは分かった。
「つ、ついて来いってことか……?」
「ばう!(早く行こうよ!)」
どのみち逃げることはできそうにない。
ララは覚悟を決めると、その狼の後についていくのだった。
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