第14話 兎の狩りは得意だ

「ぶつぶつ……酔っ払って帰ってきた上に……あんなことを……ぶつぶつ……」

「ワンワン! ワンワン!」

「一体、どうなっているのですか、この男は……ぶつぶつ……今後はきっちりと監視しなければ……ぶつぶつ……」

「ワンワン! ワンワン!」


 今朝のことがよほどの衝撃だったのか、セレスティーネは夕方になってもまだぶつぶつと恨めしそうに呟いていた。


「そんなことより外が騒がしいようだぞ?」


 彼女が飼っている番犬(?)がさっきからずっと咆えている。


「そんなこととは何ですか! ……チル?」


 ようやく気づいたのか、セレスティーネは眉を潜めた。

 ちょうどそこへ、彼女の配下である聖騎士の一人が報告にきた。


「ソフィ、何かあったのでしょうか?」


 ソフィというのはその聖騎士の名前だ。

 年齢はセレスティーネとそう変わらない二十歳くらいで、短髪のためボーイッシュな印象を受ける女性である。


「はい。どうやら何者かが屋敷内に侵入してきていたようです。チルに見つかってすぐに逃げ出したようですが」


 強盗の類いだろうか?

 まだ日が沈み始めた時分だとは言え、広さの割に住民が少なく、神殿の陰に隠れるような奥まった場所にあるので、それなりに侵入し易そうではあるが。


「いえ、この街に住む者であれば、ここにどのような人間が住んでいるかくらいは知っているでしょう」


 それはそうか。

 住民の全員がレアス神殿の信徒ではないにしても、聖騎士の住む屋敷に忍び込むなど、畏れ多くてなかなかできることではないはずだ。


「わたくしの命を狙う暗殺者という可能性はありますね」

「意外と物騒なんだな……」

「残念ながら、我々に敵対している危険な異端者たちがいるのです。わたくしは聖騎士として、過去にはそうした者たちの拠点を幾つも武力で潰してきましたし、色々と恨みを買っていますから」

「その歳で大変だな……」

「これも天命ですから」


 何でもないことのように、セレスティーネは言う。

 それから不意にじろりと俺の方を睨んできて、


「……ところでルーカスさん、一体どこに行くつもりですか?」

「ちょ、ちょっとお手洗いに」

「そうですか。では、スエラ、案内してあげてください」

「畏まりました」


 スエラと呼ばれた彼女もまた、聖騎士の一人。

 二十代半ばほどの女性で、背が高く、俺とそう変わらないほどの身長だった。


「トイレの場所くらい知ってるぞ?」

「万一、間違われてはいけませんから」

「つ、ついでに外を散歩してこようかなと……」

「なるほど、散歩ですか。では、わたくしも同行いたしましょう。スエラとソフィもお願いします」

「「はっ!」」

「いや、それはちょっと……」

「なぜですか? ただの散歩ですよね? 昨晩、酒場に飲みに行って足元が覚束ないくらいになって帰ってきたというのに、これからまた飲みに行かれるという訳ではないんですよね?」


 ……完全に見抜かれていた。

 そしてどうやら今朝のことだけでなく、昨日、酔っ払って帰ってきたことにもかなり怒っている様子である。


 今日は一日中、必ず誰かが俺の傍にいて、何をするにしてもずっと監視され続けていた。

 お陰でまるで心が休まる時が無い。


「一杯だけ、一杯だけだから。飲むのは俺一人だし、飲み過ぎたりはしないって」

「ダメです。一度の飲酒は適量にすべきなのはもちろん、しっかり間隔を開けなければなりません。それに明日には聖泉へと出発するわけですし、今日は屋敷で大人しくしていてください」


 ぴしゃりと命じられ、俺は肩を落とす。

 仕方がない。

 今日はクルシェの影の中に常備してある安酒で我慢するか。


『……結局、飲むんじゃのう』


 それにしても、昨日、とても気持ちのいいものを揉んだような感触が手に残ってるんだが……なんだったっけな?


 胸やお尻の感触ではない。

 もっとふわふわしていた気がするんだが……うーん、思い出せない。






「いってらっしゃいませ、ご主人様、奥方様! お気をつけて!」


 翌日、俺たちは予定通りに屋敷を出発した。

 イレイラはお留守番だ。

 わざわざ外まで出てきて見送ってくれた。


 聖泉までの道中は険しく、しかも魔物も出現するため、メイドの彼女には厳しいだろうとの判断だった。

 一方、アリア、クルシェ、リューナの三人の眷姫たちは同行する。


 そしてセレスティーネ陣営は、彼女自身と、その部下である聖騎士たち――ソフィ、スエラ、サリー、シアナの四人だった。

 途中までは馬車での移動である。


「聖泉はあそこに見える山の麓にあります」


 セレスティーネが指差す方角には、標高はせいぜい千メートルほどだろうが、切り立つ崖のような峻厳な山があった。

 その裾野には広大な森が広がっているようだ。


 やがて周囲が木々に覆われ始める。

 これ以上は馬車で進むのは困難だろうといった辺りで停車し、そこからは徒歩での移動となった。


 それにしても……似たような樹ばかりだな。

 かなり迷いそうだ。

 せめて山が見えれば大よその方角が分かるのだろうが、背の高い木々のせいで空すらもほとんど隠れてしまっている。


「ここは〝迷いの樹海〟とも呼ばれています。よく似た光景が延々と続き、方向感覚を狂わされるため、樹海内を進むにはこうした特別な魔導具が必要となります」


 そう言ってセレスティーネが見せてくれたのは、内部に針のようなものが浮かぶ半透明の球体だった。


 確か【コンパス】とかいう、どこにいてもあの針が一定の方角を指示してくれる道具だったっけ。

 滅多に入手できないが、冒険者垂涎のアイテムである。


「もちろん魔物も出ます。気をつけてください」


 と、セレスティーネが注意したそのとき。


「あっ、アルミラージがいるよ。かわいいっ」


 クルシェが無邪気な声を上げる。

 その視線を追うと、頭部に螺旋状の長い角を生やした黄色の体毛の兎がいた。


 危険度はE。

 ゴブリンと大差ない強さだ。


 ドロップアイテムである毛皮が高く売れるため、冒険者からはかなり人気がある。

 ただし臆病な上に逃げ足が速いので、なかなか仕留めるのは難しい。


 今も俺たちを見るや否や、即座に踵を返して逃げ出した。


「兎の狩りは得意だ」

「ッ!?」


 リューナが放った矢が、ブスリとアルミラージのお尻に突き刺さる。

 それで死んでしまったようで、灰になってドロップアイテムの【一角兎の毛皮】が残った。


「兎さん……」


 クルシェが眉をハの字にしていた。


「幾ら可愛くても魔物だし、仕方ないって」


 にしても、兎か……兎……。

 何かが頭の奥で引っ掛かっている。

 なんだったっけ? 思い出せない……。


「どうしたの、ルーカス?」

「いや、何でもない」

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