第13話 必ず責任を取らせてやる

「く、屈辱だ……ッ!」


 頭のウサ耳をぷるぷると震わせながら、彼女は怒りを露わに叫んだ。


 彼女――ララは兎人族と呼ばれる亜人種だった。

 レアスの北方に広く棲息している獣人の一種族であるのだが、訳あって今はこの都市で暮らしている。


「絶対に許さねぇ……あの男! 必ず責任を取らせてやるッ!」


 拳を握り締めて宣言する彼女が思い出すのは、昨晩のこと。

 アルバイト先の酒場での出来事だ。


「このアタシがっ……どこの誰とも知らねぇ野郎に、み、み、耳を……っ! くううううっ!」


 酒場の客にいきなりウサ耳を揉まれてしまったのである。

 相手はどこにでもいそうな中年男だ。


 兎人族にとって、耳はとても繊細で敏感な器官。

 加えて種族の最大の特徴であり、それゆえに兎人族は見ず知らずの他人に耳を触れられることを極端に嫌うのだ。


 ……もっともララ自身、自らが兎人族であることを嫌悪しており、この頭に付いている無駄に可愛らしいウサ耳のことも恥ずかしいと思っているのだが。

 しかしそれはそれとして、やはり勝手に触られると憤りを覚えざるを得ないのである。


「しかも、触れられるまで気づかねぇなんて……っ!」


 警戒心の強い兎人族は、その高い聴覚もあって敵の接近をまず見逃すことはない。

 なのにあのとき、ララは背後を取られたことにすらまったく気づけなかったのだ。


「何者なんだよ、アイツ……」


 ララは稼ぎのために二足の靴を履いていた。


 一つは夜の酒場でのアルバイト。

 そしてもう一つが、バイトのない昼の時間にやっている冒険者だ。

 ゆえにララは、並みの兎人族よりも高い危機察知能力を持っているはずなのである。


「そ、それだけじゃねぇ。あの手つき……」


 モフられたときの感触を思い出して、ララは思わず頬を赤く染めてしまう。


 敏感なウサ耳は強く触ったりすると痛い。

 だがあの男の手つきはとても優しかった。


 まったく痛くなかったのだ。

 それどころか、まるで愛撫されているかのような、気持ちよさ――


「って、ぜぜぜぜ、ぜんっぜん、気持ちよくなんてなかったしッ!?」


 叫びながらウサ耳をぶんぶん振り、そのときの感触を必死に振り払おうとする。


「と、とにかく! アタシの耳に触れたこと、ぜぇぇぇぇってぇ許さねぇッ!」


 しかし生憎と、ララはあの客のことをよく知らない。

 雇い主である酒場のマスターにも聞いてみたが、どうやら店に来たのは昨晩が初めてのことらしい。


 ちなみにそのマスターに、客からセクハラを受けたと訴えたのだが、「はっはっは、わしなんか客にち○こ揉まれたこともあったよ」などと言ってまったく取り合ってもらえなかった。

 死ねばいいのに。


 憎き男の居場所を突き止めるため、ララがまず考えた行動は訊き込み調査だ。

 容姿に関してはそれほど特徴のない男ではあったが、幸いにも三人の美少女と可愛らしい幼女を引き連れていた。

 あれならどう考えても目立つし、目撃情報を得やすいはず。


 さらにララは、彼が自分と同じ冒険者か、それに類するものではないかと予測した。

 それならああも簡単に背後を取られたことにも、多少は納得がいく。

 なぜ幼女がいるのかは分からないが、彼らは冒険者のパーティなのかもしれない。


 という訳で、ララが最初に向かったのは冒険者ギルドである。

 彼女にとってはホームにも等しく、知り合いも多いので訊き込みには持ってこいだ。


 とても不本意なことだが、ララはその容姿もあって、冒険者たちの間ではマスコット的に扱われている。

 そのため話を聞けば親切に応えてくれた。


 そして偶然にも、比較的すぐに有力な情報を得ることができたのだった。






「……っ、ここがアイツのいる場所……」


 それはかなり大きな屋敷だった。

 ララが一室を借りているアパートそのものが兎小屋に見えるほどだ。


 それもそのはず。

 ここは聖騎士団第一騎士隊隊長、セレスティーネ=トライアの屋敷なのだ。


 南神殿と呼ばれているレアス神殿の支殿の一つ。

 その敷地内に立つ屋敷だ。


「偉そうにこんな大きな屋敷に住みやがって……っ! ……ひ、一部屋くらい、アタシに貸してくれよぉぉぉっ!」


 酷い格差に嘆くあまり、一瞬当初の目的を忘れてしまう。

 なにせ昼間は冒険者、夜は酒場で懸命に働いているというのに、三人用のテント程度の広さの部屋で暮らすのが精いっぱいの稼ぎしかないのだ。

 あれでは本当に兎小屋である。


 移民ということもあって、彼女は神殿の信徒ではない。

 聖騎士団の隊長と言われても、せいぜい「神殿の偉い奴」というくらいの認識でしかないのだが、あの男はどうやらその客人なのだとか。


 美人を何人も侍らせていたことといい、きっといい暮らしをしているのだろう。

 そう考えると、さらに強い敵意がふつふつと湧き上がってくる。


「……ふ、ふふふ……テメェが悪いんだぜ……? 乙女の純潔を穢したテメェがなァ……?」


 物騒な笑いを零しつつ、ララは隠し持っていたナイフを確認する。

 ……敵意というより、ほとんど殺意である。


 高い聴覚を誇るウサ耳は、近くに誰もいないことを教えてくれていた。

 屋敷の周囲を取り囲む侵入防止用の柵を、ララはあっさりと飛び越えてしまう。


「これくらいの高さ、アタシの跳躍力なら楽勝――ひゃう!?」


 少し着地を失敗して盛大に転んでしまったが……。


「……さ、さて、ここからが本番だぜ」


 今のは無かったことにしつつ、ララは屋敷の広い庭を忍び足で進んでいく。

 彼女のウサ耳索敵によれば、大きな屋敷の割に住民が少ないようだ。


「っ……」


 ふと、こちらに近づいてくる足音に気づく。

 ララはすぐに逆方向へと足を向けた。幸いそちらには人気が無い。

 だがその足音はかなりの速度でこっちに向かって来ていた。どんどん互いの距離が詰まってくる。


 まさか侵入がバレた……?


「って、この足音、何かおかしくねぇか? 二足歩行じゃねぇような……」

「ワンワン!(わーい、兎さんだー。遊んで遊んでーっ!)」

「っ!?」


 ララは戦慄する。

 彼女の前に現れたのは巨大な狼だったのだ。


「何で庭で狼なんて飼ってんだよぉぉぉっ!?」

「ワンワンワン!(追いかけっこだ、わーいわーい!)」


 天敵とも言える狼に追われ、ララはまさしく脱兎のごとく逃げ出したのだった。

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