第8話 なんてベタなラッキースケベじゃ
「お前ら逃げるのかよ!?」
乗客の一人が、真っ先に逃走しようとする護衛たちに向かって叫んだ。
「当然だ! ワイバーンの危険度はBだぞ! 下手すりゃ一体で町が一つ滅びるレベルの相手になんか、挑むわけがねぇ!」
だがガルダたちは悪びれる様子もなく、そう叫び返して逃げていく。
冒険者として、彼らの判断は間違っていない。
なにせ命あっての物種だ。
たとえ任務に失敗し、ペナルティーを受けたとしても、死にさえしなければ幾らでも取り返しが可能である。
だからこういう場面で、優先すべきなのは自分の命。
二十年の経験から、俺ははっきりとそう断言できる。
結局のところ、ワイバーンと戦えるような優秀な護衛を雇わなかった依頼人が悪いのだ。
……さすがに、危険度Bの魔物を想定した準備をしろなんて言うのは酷だろうが。
さて、どうするか。
俺も冒険者だが、今回はただの乗客だ。
ここで戦う義務はない。
しかし――
「こういうの、見過ごせねぇ性質なんだよな……」
嘆息しつつも俺はワイバーンの方向へと走る。
昔からそうだ。
冒険者として取るべき行動を、頭では理解している。
なのにこういう場面で、俺はどうしても自分の命の方を優先することができない。
そう言えば、片腕がダメになるほどの傷を負ったのも、今回と似たような状況で、赤の他人を助けようとしたせいだったっけ。
「た、助けてくれぇぇぇっ!」
大きな悲鳴が聞こえてきた。
一人の乗客が、引っくり返った馬車の下敷きになっている。
馬鹿っ……そんな大声を出したら……。
案の定、馬を喰い散らかしたワイバーンがその乗客に気づいてしまう。
「グルァァァッ!」
「ひぃっ!」
「くっ、間に合わないか……っ!」
俺は急いで助けに向かおうとするが、生憎とその乗客のところまで距離があった。
このままではワイバーンの餌食になってしまう。
そのとき一つの人影が、剣を手にワイバーンに躍り掛かった。
随分と小柄だ。
フードを被っているため顔はよく見えない。
「ハァァァッ!」
裂帛の気合いとともに、ワイバーンの背中に剣を突き刺す。
だが剣先は僅かにワイバーンの背に突き刺さっただけ。
ドラゴン種特有の硬い鱗に防がれてしまったのだ。
「グアアアアッ!」
ワイバーンはすぐさま振り返って、自らを傷つけた相手に襲いかかった。
フードの人物は飛び下がってワイバーンの咢を躱す。
さらにはワイバーンが振るった鉤爪も横転して回避してみせると、素早く足を斬り付けた。
あの身のこなし。
そして無駄のない斬撃。
かなりの実力者だ。
そのときワイバーンが翼をはためかせた。
激しい風が巻き起こり、頭に被っていたフードが外れる。
炉の中で燃える炎のような、赤々とした頭髪が露わになった。
俺は思わず目を瞠る。
まだ若い少女だったのだ。
「今のうちに救出して!」
「っ、分かった」
少女に指示され、俺はハッと我に返る。
すぐさま先ほどの商人の元に駆け寄ると、身体の上に圧し掛かっていた馬車を力任せに持ち上げた。
身体能力が上がっているお陰か、思ったよりも軽い。
「た、助かった……」
どうやら大した怪我はなく、一人でも動くことができるようだった。
馬車の下から抜け出すと、慌てて逃げていく。
その間、少女は自分より何倍も大きなワイバーンを相手取っていた。
しかし明らかに分が悪い。
彼女の攻撃はほとんどワイバーンには通じず、逆に少女は一撃でも貰えば致命傷だろう。
次第に少女の動きが鈍くなってくる。
疲労のせいだ。
だが彼女のお陰で、ワイバーンはこちらに無防備な背中を晒している。
俺は全力で走り、ワイバーン目がけて跳躍した。
尾部を足場にさらに跳び上がる。
目の前には――弱点である首の付け根。
「おおおおおおっ!」
俺は両手で剣の柄を握り締めると、切っ先を真下へ振り下ろした。
「ギャアアアアアアアアッ!?」
さすがは神剣。
ワイバーンの硬い鱗をあっさりと貫き、その急所へと突き刺さった。
断末魔の悲鳴が轟き渡る。
乗客たちが一斉に歓声を上げた。
「ワイバーンを倒しやがったぞ!?」
「しかもたった二人で!?」
「助かったぜ嬢ちゃんたち!」
絶命したワイバーンの巨体が見る見るうちに崩れ、灰と化していく。
「うおっ……?」
「きゃっ?」
その結果、俺は足場を失い、落下した。
運の悪いことに、少女の真上へと。
「いたた……」
そして絡まるようにして地面を転がった後、気が付けば少女の上に覆い被さるようになってしまう。
すぐ目と鼻の先に彼女の顔があった。
ハッと息を呑む。
年齢は恐らくまだ十代半ばだろう。
驚くほど整った凛々しい目鼻立ちに、きりっとした意志の強そうな眉。
肌はまるで白磁のようで、真っ赤な髪とのコントラストが美しい。
きりっとした形の良い眉の下には紅玉(ルビー)のような瞳があって、そこにおっさんの顔が映り込んでいた。
要するに物凄い美少女だ。
「……ねえ、そろそろどいてくれるとありがたいんだけど?」
「あっ、悪ぃ……」
って、こんなに若い子になに見惚れてんだよ、俺は。
『くくく、このエロオヤジめ!』
お前にだけは言われたくない。
慌てて身体を起こそうとする。
だが焦ったのがいけなかった。
地面に付こうとした俺の右の掌が、何やら柔らかな感触を覚えたのだ。
むにっ、と。
戦慄した。
あろうことか、少女の胸の上に手を付いてしまったのである。
「ちょ、どこ触ってるのよッ!?」
「ぶごっ!?」
俺は少女に思いきり蹴り飛ばされてしまう。
二、三メートルほど吹っ飛んだ。
『なんてベタなラッキースケベじゃ! こんなベタベタなやつ、我は久しぶりに見たぞ?』
ウェヌスの耳障りな声が響く。
てか、ラッキースケベってなんだよ?
『もしかしてお主、狙ってやったのではないか? だとすれば、とんでもないエロオヤジじゃのう。いいぞもっとやれ!』
「うるさい。今のは不可抗力だ」
「……うるさいって何よ?」
「あ、いや、違うんだ。あんたに言ったんじゃなくて……」
って、こんな言い訳、かえって逆効果だろ。
案の定、さらに胡散臭そうな目で睨まれてしまった。
『よし、せっかくだから、もう一回、揉ませてもらうのじゃ』
何でだよ。
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