第13話:海の向こうへ その一
テッサリンド王国の都オル=ピスマの港には今日も数多くの船が出入りしていた。
テッサリンドのはるか南に位置する国から来た船もあれば、寒風吹き荒ぶ北国からの船もあった。テッサリンドとは異なる意匠の旅装に身を包んだ四人組が降りてきたのは、東の島国であるソケイ国の定期船であった。
「ああ、やっぱりソケイとは潮風の匂いが違いますね。
……戻ってきたんだ、オル・ピスマに」
感嘆とも独白ともつかぬ呟きをもらしたとたん、少年の腹が鳴る。ぐう、と潮風に負けずに大きく鳴ったそれに少年は顔を赤らめ、慌てて腹を押さえた。
「あはは、腹が減るってのは良いことだ、生きてるってことだもの。物を食べられるならなお良し。なあ、テン」
「そうとも、ガイ。美味そうな匂いをぷんぷん垂れ流す屋台があんなに並んでいるんだもの、腹が減るのも仕方なし、ですよ、ありしあさん」
それでも恥ずかしそうにしているアリシアと呼ばれた少年を微笑ましい気持ちで見つめ、テンもガイも懐から財布を取り出す。
「ちょいと屋台で小腹を満たしてからご馳走を食べに行きましょうかね、タラヨウ殿」
「ええ、そうしましょう」
四人組の中で一番背の高い男が旅笠を傾けて肯いた。そうしてアリシアに向き直る。
「アリシアさんもそれでよろしいですか?」
「は、はい」
「では行きましょう。テン、ガイ」
「はい」
「お手をどうぞ、ありしあさん」
「失礼します」
眼の不自由なアリシアの邪魔にならぬよう、杖を持っている手とは逆の手をテンが取る。それを確認してからタラヨウが先頭に立って歩き出した。
ぼんやりとしか分からないその背中にアリシアは密かに息を吐く。
タラヨウの涼やかな声を聞くといつだって背筋の伸びる思いと共に、体がこわばるような緊張もまた、してしまうのだ。
わざわざ遠く離れた海の向こうのソケイ国からテッサリンド国まで自分の供をしてくれた人に対して失礼極まりない、とアリシアはやはり静かに反省したのだった。
***
コハクは二日酔いでわずかに痛むこめかみを押さえながら、珍しく正装を
テッサリンド王都、オル=ピスマの片隅に薬屋を構え、一般市民の体でコハクを名乗っていようと、
飲酒前に二日酔い防止、飲酒後に二日酔い対策の薬を飲んでいたからこそ、この程度ですんでいるのだ。自分の薬師の腕を褒めてやりたい。とはいえ、飲み過ぎたのはコクヨウの心配する視線で明らかなのだが。
――薬学を修めるきっかけになったあの人も二日酔いになっているだろうか。
しかし、二日酔いになるまで飲み過ぎたのにも訳があるのだ。けして酒が美味すぎたから飲み過ぎた訳ではない。決して。違う。美味すぎたから飲み過ぎたのだ、と言い訳したくはあるが。
美味であった昨夜の酒をコハクは思い出した。
「どうしたものやら、頭が痛いな」
「だなあ……」
閉店後の薬屋カラリにて、書類片手、酒杯片手の店主コハクと、酒杯を持ちながら書類を睨む常連客のザクロが渋面を貼り付けていた。
それというのも、つい先日詐欺やら人身売買やら恐喝やらで検挙された成金の一件で、騙されて売り飛ばされ花街で働いていた人々はほとんど全員が強制労働から解放された。だが、ひとりだけ行方が分からない者が出たのだ。
二人が見ていたのは成金が雇ったあと難癖をつけて強制労働をさせていた者達のリストだ。無事が確認できたり、保護された人間は斜線が引かれていったが、ひとりだけ斜線の引かれていない名前があった。
アリシア・イェンソン。
成金が眼をつけていたのは周囲から文句が出にくい天涯孤独の者がほとんどで、その例にも漏れずアリシアも天涯孤独だった。
天涯孤独とはいえ、テッサリンドの国民であることには間違いなく、探さぬ、という選択肢はない。しかし、まったく手掛かりがなかった。
成金は異国風の商人に売った、と供述しているが、それだけだ。その後アリシアの目撃情報はない。
「人海戦術しかないが、あまり騒ぎを大きくするわけにはもいかないしな……」
「テッサリンドは奴隷売買を禁止してるからなァ。
無論、
陸路の目撃情報がないころから、海路を進まれた可能性が高いのが、美味い酒を不味くさせていた。
「本当ならアホ成金逮捕目出たい酒盛りだったはずなんだ……。どうしてこうなった……」
「ははは……本当にな……」
「……」
コクヨウが神妙な顔をして二人の杯を黙って満たす。置いていかれた腹癒せも兼ねて奮発した酒は文句なく美味いというのに、気分は重い。
一気に杯を干したコハクは明日の私がんばれ! とエールを送り、ザクロとコクヨウに止められるまで飲んだ。
そうして、翌日、今この時、見事に二日酔いとなったのだった。自業自得である。
「通りすがりの商人に売るなとお兄様もキレてたんだぞ、私がキレない訳ないだろう。そも、当時の入出国者を全員洗うのにどれだけ時間がかかると……。やはり港と正門だけでも映像記録魔道具を置いておくべき……だがコストがかかりすぎる……」
少しでも頭痛を忘れるべく、ぶつぶつと思案しながらコハクは待ち合わせ先の部屋へと着いた。コクヨウが開けてくれる扉に合わせて頭を下げ、礼の形をとる。
「エレクトラが参りました、国王陛下。本日はどのようなご用でしょうか」
「今日は友達が報告ついでに来てくれただけだから、楽にしていいぞ」
「なんだ、それじゃ――」
「お久しぶりです、エレクトラさん」
目の覚めるような美人とは彼のことを言うのだろう。実際、コハクは一時頭痛を忘れた。
タラヨウはそこにいるだけだというのに、腕の良い彫刻家が心血を注いで造り上げた至高の芸術品である、と言えば誰もがそれを信じてしまうだろうほどに美しかった。
最後に会ったのは彼の乳兄弟であるソヨゴが島国を統一し、ソケイ国皇になったことを報告しに来て以来だろうか。ソケイ国がまだセンカと呼ばれていたころのことで、もう十数年も前のことだというのに、彼の美貌は衰えるどころか、増しているようにさえ感じられた。
「お久しぶりです、タラヨウさん。お元気そうで何よりです」
「エレクトラさんこそ。コハクさんと呼んだ方が?」
「いえ、エレクトラでお願いします」
楚々と失礼のないよう挨拶し、コハクは席へと着いた。
「一国の宰相ともなればお忙しいでしょうに、どうされたのですか?」
「いえいえ、それほどでも」
こほん、と空咳をひとつ、
「うむ、それなのだが……わざわざ我が国の民を送って来てくださったと言うか、なんと言うか」
「……あの成金の言っていた異国風の商人というのはツヅミ殿でしたか」
「ご明察です、エレクトラさん」
コハクは大きくため息を吐こうとし、だが客人のタラヨウの前であったのでやめた。なんならテーブルに突っ伏したかったが、それもやめておいた。
ツヅミというのはソケイ国出身の商人でソケイ国皇とも面識のあるやり手の商人だ。
海を越え、山を越え、谷を越え、どこにでも足を伸ばすのが商人です、と本人は言っていたが、神出鬼没がすぎるのでソケイ皇であるソヨゴには首輪をかけて管理してほしい。
「ツヅミに首輪をかけるとか無理だろう」
と良い笑顔で断るソヨゴの顔しか浮かばなかったが。
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