第12話:ザクロともいっしょ

 王都近くの村で野菜を作っているアレットは朝も明けきらぬうちに収穫した野菜を積んだ荷車を引いてゲレオン・ハンゼン邸を訪れいていた。

 貴族街の外れに邸を構えたばかりの商人の屋敷で、聞いた話によれば金で男爵になったのだという。つまりは成金だ。

 自室で金貨を毎晩数えているというのだから、羨ましい話だ。金貨などアレットは見たこともない。村長だって見たことはないだろう。

 しかしそんな大金持ちで、今は男爵だとしても元は平民だから雇う使用人も平民ばかりで、話がしやすい。ときどきは貧乏貴族の次子以降がいるが、彼らも気さくな人柄ばかりだった。食材の受け渡しをするうち、顔見知りもできて、わずかな時間でも談笑しながら野菜を運ぶのは楽しかった。遊びの約束をするほどの仲になってからは余計だった。


「おはようございまーす。アレットです、お野菜をお届けにあがりました」


 おはようございます、と出迎えてくれたのは初めて見る使用人だった。荷車の野菜を見て美味しそう、と声をあげる。一緒に出てきた料理人ははしゃぐなよ、と野菜を見定めせっせと木箱へ詰めていく。幸い、今日の野菜は全部買ってもらえるようだ。


「じゃあ運んでおいてくれ」

 朝の仕込みに忙しいのだろう料理人は野菜を詰め終わるとすぐに厨房へ戻っていった。気合いを入れて二つの木箱をいっぺんに持とうとする使用人にアレットは待ったをかける。


「手伝います。……あの、マレインはどうかしたんですか?」


 野菜の詰まった木箱を持った使用人が首をかしげた。


「マレイン……さんですか?」

「昨日まで野菜の受け渡し担当だったやつです。休むとは聞いてないので、体調でも崩したのかと」

「すみません、分からないです。私は今日から厨房に行くよう言われただけなので……。グレースさん、マレインさんて方、知ってますか?」

「マレインなら昨日辞めたって聞いたけど」


 だそうです、と使用人がアレットを見る。思いもよらない返答にアレットは危うく大声をあげてしまうところだった。


「辞めたって、辞めて、それで……どこへ行くとか聞いてないですか?」

「さあねえ。ここは給金がいいからすぐ金が貯まるみたいで、よく人が辞めて入れ替わるんだ。辞めた理由もどこへ行くかもいちいち把握してないね」

「そう、なんですか」


 グレースは忙しく受領証にサインを走らせる。渡された皮袋の中身はいつもと同じ量の銅貨が入っていた。


「儲かってるならもう少しイロをつけてくれてもいいのになあ」

「あっはっはっ、違いない。あんたもここの使用人になるかい?」

「考えとくよ」


 空になって行きより軽い荷台を弾きながら、アレットはマレインがどこへ行ったのか思いを巡らせた。まさか借金取りにでも追いかけられているのではあるまいな。浮かんだ悪い予想を振り払う。次の休みに会ったときはぜったい黙って辞めた理由を問い詰めてやる、と帰路を急いだ。


「でも来なかったんだよよ、マレインのやつ~! あたし、三時間も待ったのに~! なんも言わないでやめるし! 薄情もん~!」

「飲み過ぎだぞ、アレット」


 居酒屋で管を巻くアレットに飲み友達のペトルは水を勧めるが、いやいやと首を振って飲もうとしない。さらに飲もうと酒杯に伸びる手からペトルは慌てて杯を遠ざけた。


「俺がその友達……マレインだっけ? 探してやるからそんなに落ち込むなよ。お頭にも相談するからさ。きっと急に辞めなくちゃいけなくなって、挨拶する暇がなかっただけだって」

「おかしら……? いわしってにがいよな……」

「鰯のお頭付きじゃねえよ。俺の上役。ザクロさんだよ。覚えて……いや、聞こえてるか?」

「うぅ……マレインのばか……ばかやろう……どこいったんだよ……」

「聞こえてねえな……。ほれ、水飲め、水」


 顔にある穴という穴から水分を垂れ流す飲み友に嘆息しながら、朝一に相談しに行こう、とペトルは水を飲ませてやった。


***


「邪魔するぜ」

「いらっしゃい」


 客の到来にコハクはいつものようにやる気なく声を掛けた。眠たげに細められた眼を入ってきたばかりの客──ザクロに向ける。


「今日はどんな厄介事を持って来たんだ?」

「人聞きが悪いな、コハクさん。今日は飲み会の誘いだって」

「いいな、行こう」


 瞳を輝かせて立ち上がるコハクだったが、ザクロは申し訳なさそうに眉根を下げて愛想笑いをする。


「悪いが、男だけで飲もうと思っててな。コクヨウを誘いに来たんだ。というわけでコクヨウを借りていく」

「……決定事項か」

「おう、悪いな。コクヨウ、飲みに行こうぜ!」


 見つめ合おうことしばし、ザクロが自分を連れて行く気はない、と判断したコハクはしおしおと萎れて席に戻り、そのまま溶けるように机に突っ伏した。

 呼ばれたコクヨウは前掛けを外していそいそとザクロの側に寄る。雇用主の私よりも懐いてないか、とコハクが呟いた。それは聞いたコクヨウはそんなまさか、心外な、という殊勝な顔つきはしてるが、コハクにはそれが驚いた黒猫にしか見えなかった。


「よし、じゃあ──」

「男子会というやつだな、ワシも行こう! この国の酒は美味いから楽しみだ!」


 コクヨウと共に掃除をしていたエンヨウも前掛けを外して、意気揚々とザクロの隣に立った。

 ザクロは困ったようにコハクを見たが、ふて寝を決め込むコハクは連れてってやれ、と手を振るだけだ。瞬きの間、迷う様に視線をコハクとエンヨウに巡らせたザクロが景気づけに手を叩く。


「じゃあ、男三人で行くか!」

「うはは、楽しみだな! ではコハク殿、ニッカによろしく言っておいてくだされ!」

「土産をよろしく頼む」

「任されよ!」


 そうして店を出て行った三人を、地下にある薬の保管庫整理を任されていたニッカは知らなかった。今はまだエンヨウよりはやく整理を終わらせ、真っ先にコクヨウを買い物に誘おうと整理整頓に精を出しているのだった。


***


「こんにちはー」


 小説家のホレス・ピーボディは行きつけの薬屋の扉を開いた。

 薬屋カラリ通いはホレスが常備薬がかかせぬほど病弱であるというわけではなく、出されるお茶とお菓子、それから作家業に不可欠なネタ集めのためである。薬屋なのに茶が出るというのもおかしな話かもしれないが、凝り性の店主が下手な店より美味いものを出すのでついつい通ってしまうのだ。ホレスを含む常連のほとんどが出される茶を目当てに通っている。

 茶を出す以外は一見普通の薬屋で、店主も従業員も一般人である──というには少々察しが良すぎたり、身体能力が高すぎるのだが、表向きはそうなっている。通う客たちも単なる薬屋の店員たちが王族とその関係者とは夢にも思うまい。


「いらっしゃい」

「…………」

「おや、元気がないですね、ニッカさん」


 いつも通り気だるげなコハクに対してして、ふだんはカラリに足りない愛想を一人で二人分は補っているニッカからの返事がない。俯きがちに机に向かっていて、やけ酒ならぬヤケ甘味を食らっている最中のようで、食べかけのケーキの後方には空になった皿が積み重なっている。


「どうぞ、お茶です」

「ありがとうございます」


 お茶を出してくれた従業員エナスの顔を見て、ホレスはなるほど、と納得した。

 エナスはコクヨウがコハクの側を離れる時の代わりの護衛だ。エナスがいる、ということはコクヨウがいない、ということだ。つまりニッカがいない、ということである。

 ホレスはありがたく受け取った茶をすすりつつ、こっそりとコハクに尋ねる。


「コクヨウさんはどこへ行かれたのです?」

「ザクロの誘いで、飲み会にな。エンヨウ殿も一緒だ。男子会だとさ」

「へえ、昼間からですか。珍しいですね」


 相槌を打ったホレスに、こちらも珍しくふてくされたような気配がこぼれるコハクがニッカには聞こえないようぼやいた。


「建前はな」

「と、言いますと?」


 つられて小声のホレスが聞き返すと、やはりつまらなそうにコハクから答えが返る。


「どうせ貴族がらみの事件調査じゃないか。私の同行を却下して男だけ、と言うなら女子供には言えない場所へ行ったんだろ」

「なるほどぉ」


 今日はコハクも置いていかれたらしい。

 ものぐさなコハクは基本、薬屋から出たがらない。ホレスが知る限り、隙あればぐうたらしているのがコハクだ。だが、ものぐさ故に、放っておいて更なる面倒事に育つ可能性があればその前に解決するため、重たい腰をよいせ、と上げるのがコハクだ。嫌なものは早く片付けてしまいたいタイプなのだろう。

 今回ザクロが追っているらしい事件も、コハクは協力する心づもりでいたに違いない。それを断られてしまい、肩透かしを食らった気分なのだろう。あとは、いい年して子ども扱いされたのに拗ねているか、仲間外れが気に食わないのか。それともザクロに置いていかれたからか。


「これは言わぬが花だな……っと」

「さっそく新作の構想か? この前書き上げたばかりなのに、忙しないな」

「ええ、書けるときに書いておかないと」

「それもそうか。がんばれよ、編集泣かせ」


 身近な会話で切り替えたらしいコハクは、紅茶を飲み干し立ち上がる。


「奥にいるから何かあれば声をかけてくれ」

「分かりました」

「ニッカ、店番を頼むぞ」

「はぁい……」


 少しは浮上してきたのか、それともなけなしの店員精神か、返事をした日課を置いてコハクは店の奥へと引っこんで行った。


「はあ……。さっきは挨拶もしないで、ごめんねホレスさん」

「いえいえ。ここ最近はエンヨウさんにコクヨウさんと出かける機会をとられてばかりですもんね、落ち込んでしまう気持ちも分かりますよ」

「そう! そうなの! お父様ったら、ずっとコクヨウにべったりで! コクヨウはコクヨウでお父さまに甘いし! わたくしにはそっけないのに! 今日はやっとわたくしがコクヨウと出かけられそうだったのに、ザクロがつれてちゃったの! わたくしが掃除をしてる間に!」

「なるほどなるほど」


 愚痴るニッカの聞き役に徹し、メモを取るホレスの筆は止まらない。果たして帰って来たコクヨウはどうやってニッカの機嫌を取るのか、考えるだけで今から胸が躍るというものだ。それが見られるなら次の原稿は編集者が泣く前に書き上げられるかもしれない、とホレスはほくそ笑んだ。


***


「ん? 今のは──犬か?」


 テッサリンドの使用人の多くが着ているお仕着せに身を包んだエンヨウが辺りを見回したが、犬の姿はない。今はきちんとお仕着せを身につけているザクロがからからと笑った。


「いんや、今のはコクヨウのくしゃみだ。なァ、コクヨウ」

「……」


 コクヨウが頷き、おまけに控えめな挙手をしてザクロの発言を肯定した。コクヨウももちろんお仕着姿だ。ただし、女物の。

 今日のコクヨウは女装である。長いかつらを装着し、ご丁寧に化粧まで施されて、ゆったりとした女性用のお仕着せがよく似合っていた。

 ザクロが拠点のひとつにしている長屋に連れていかれたコクヨウは、ドレスを着せられ、化粧を施され、かつらを装着された。表情は完全なる無である。

 エンヨウへは着付けや化粧をしている間に潜入捜査であること、その内容を説明した。最初は眼を白黒させていたエンヨウも荒事は任せろ! と乗り気で協力を申し出てくれた。

 ちなみに、どこから見ても立派な女性に仕立て上げられたコクヨウを見た近隣住民がザクロに好い人が出来た! と悲喜交々ひきこもごもの噂が立ったのはまた別の話である。

 それからハンゼン邸に赴き、使用人として無事雇われた三人は新人として仕事に励み、今は休憩時間に集まっているところだった。

 ハンゼン邸からある日急に姿を消した使用人の話を聞いたザクロは雇用主のゲレオン・ハンゼンを調べた。するとおかしなことがわかった。

 ゲレオン・ハンゼンは一代で財を成したやり手の商人で、その財で男爵位を手に入れた。一代限りのそれは珍しいことではなく、貴族位を手に入れて売り上げを伸ばす商家も珍しくもない。しかし、商売の相手に下位の貴族が少し増えただけ、売り上げが少し伸びただけにしては羽振りが良すぎた。花街で派手に遊ぶし、宝飾品も美術品も買い漁る。とても男爵位を買ったばかりの成金が賄い切れる額とは思えなかった。

 ハンゼンは破格とも言える賃金で使用人を雇っているし、辞めたという記録もあるが、辞めていった人間の行方を誰も知らないのだ。金を貯めたから辞めていったのなら、それなりに金を使うはずだが、どこの店にもそのような記録がない。辞めていったのは若者が多いのも気にかかる。

 これはおかしい、とさらに調べていくと金の流れに異常があった。しかし、脱税や収賄をしている可能性は高いが、それででは人が消える理由にはならない。外から調べるのはそれが限界で、人が消えている以上、人命がかかっている可能性が高いので急遽潜入することにしたのだ。


「外つ国の方に手伝ってもらうのは申し訳ないが、頼りにしてるぜ、エンヨウの旦那」

「なんのなんの。大船に乗ったつもりでいてくだされ。未来を担う若者の危機とあらば子を持つ父として放っておけぬからな。

 しかし、潜入ならば飲み会ではなく小旅行にでもしたほうが良かったのでは? 一日で証拠を掴むのはちと無理がありそうだが」


 ザクロはそうなんだよなあ、と頭をかこうとして、普段は遊ばせっぱなしの蓬髪ほうはつを今は使用人らしく整えていたことを思い出し、手をとどめた。


「うちの手下は荒事に長けちゃいるんだが、潜入なんかはさっぱりでなあ。もともと、騎士団の手が回らない力仕事を片付けてもらうために作ったもんだからよ」

「ふうむ、それならこれを期に裏方を増やしても良いかもしれんな」


 エンヨウが壁に張り付き息を潜める。後ろに続く二人も気配を消した。曲がり角の先に誰もいないことを確認し、エンヨウが素早く移動し扉の前に立つ。扉の向こうになんの気配もしないことを確認して頷いた。


「ではワシはザクロ殿といっしょに脱税などの証拠探し」

「コクヨウは使用人の行方を追ってくれ」


 コクヨウは頷き、わずかに視線を落とした。


「……地下室か。こりゃあほぼクロだろうな。じゃ、頼んだぜ」


 ザクロが言うが早いかコクヨウは動き出していた。音もなくエンヨウが開けた扉の中に消えていく。

 こちらも音を立てずに扉を閉じたエンヨウが羨ましいそうに扉を見つめてため息をついた。


「ザクロ殿、ワシもコクヨウ殿といっしょに行きたいのだが」

「エンヨウ殿は字が読めるからこっち」

「承知した……」


 肩を落とすエンヨウを殿しんがりにザクロは怪しまれないくらいの速度で歩き出した。二人が目指すのは外出している当主の部屋だ。バケツ、雑巾、箒にちりとり、はたきを持って携えて。


***


 アレットはくわを支えにぼんやりと空を見ていた。青い空に浮かぶ雲がのんびりと風に流されていく。

 良い取引先だと思っていたハンゼン邸は当主が罪を犯していたとかで騎士団に捕まり、もぬけの殻になってしまった。明日からはまた別の取引先を探さなくてはならない。

 とはいえ、アテはいくつかあるし、野菜を売る先はハンゼン邸だけだったわけでもないから、生活の心配はない。心配なのは急に姿を消したマレインのことだ。

 まさか当主の犯罪に巻き込まれたんじゃ、と騎士団にマレインのことを尋ねたが、捜査中で詳しい事はまだ話せない、とマレインのことはなにひとつわからなかった。どこか遠くの異国へ売られてしまった者もいると噂では聞いた。もしもそれがマレインだったとしたら、アレットにはどうしようもない。


「草取り手伝ってくれるっていったじゃんか……」


 夏場は取っても取っても畑に草が生えるのだ、と話したアレットに王都育ちでだだっ広い畑など見た事のないマレインがそれならわたしが手伝う、と言ったのだ。ばかめ、農家の草取りを知らないな? と笑って、遊びに来る約束をした。


「草取りが終わったら冷えたスイカをご馳走してやるから、はやく来いよな。あたしが全部食べちまうぞ」

「アレットー、お客さーん」


 遠くから母の呼び声が聞こえて、アレットは目元を乱暴に拭う。

 母は興奮したようすではしゃいでいた。なにをそんなにはしゃいでいるのだろう、と畑を横断する。


「すごいわよ、アレット。あれ、お嬢様ってやつでしょ、すごい高そうな服着ててさあ! あんた、いつのまにあんなお嬢様と知り合ったのよ?」

「なにそれ、お嬢様に知り合いなんて……」

「アレット!」

「……マレイン」

「草取りしに来たよ!」


 麦わら帽子をかぶって笑っていたのはマレインだった。

 ワンピースにサンダルを履いて、まったく農作業には向いていなさそうな出で立ちでアレットに手を振っている。

 どうしてとか、どうやってとか、よく無事でとか、言いたことはたくさん浮かんできたが、舌がもつれたようにうまく動かない。滲む景色に腹が立つほどで、アレットはとにかく走り出した。 


「おっせーんだよ、ばか!」


***



師梟しきょう騎士団が大捕物をしたそうだな」

「レイモンド様からはそう聞いてるな」


 潜入捜査の後日、閉店後の薬屋カラリでこはくとザクロはカウンターに隣り合って酒を飲んでいた。もちろん、酒を用意したのはザクロだ。


「ゲレオン・ハンゼンに雇われた者のうち、若かったり見目が良かったりした者にわざと物品を壊させて借金を無理やり負わせ、ハンゼンが斡旋した店で身売りをさせられていたとか。ほぼ人身売買だな」

「そのうえ売られた者たちの給料の行き先はハンゼンで、丸々懐に入ってたらしい」

「なるほど、道理で羽振りが良い訳だ。男爵位を買った理由は販路拡大か?」

「恐ろしいことに国外へ人身売買をしようと、取引相手を探していた最中だったようだな」

「けしからんやつだな」


 コハクは葡萄酒を飲んだ。じっかで飲む酒よりもちろん値段は安いが、コハクはザクロの持ってくる酒のほうが好きだった。コハクの好みに合っている。

「しかし、一日で犯罪の証拠を探そうなんて無茶をする。今度から私の影を貸すから言ってくれ」

「いや、それはさすがに。殿下の護りが薄くなってしまうでしょう」

「問題ない。数日くらい週休二日になったって文句を言うやつらでもないさ。むしろ新人達に経験を積ませたいと言っていたからちょうどいいんじゃないか?」


 空いた杯に酒を注がれそうになって慌てるザクロを制し、コハクはそのまま杯を満たしてしまう。恐縮するふうなザクロにさあ飲め、と悪戯に笑った。


「まったく、おまえがコクヨウを連れてったからニッカが拗ねて大変なんだぞ、主にコクヨウが」

「あー……。謝っておいてくれ、二人に」

「コクヨウはおまえに甘いから謝罪は不要だと言うだろうが、ニッカはどうだろうな。しばらくニッカのいるところでコクヨウは誘えんと思え」

「肝に銘じとくぜ……」


 拗ねに拗ねたニッカはコクヨウが薬屋に帰り着くなり抱きついたかと思えば、その後はすっぽんもかくやという粘り強さでもってコクヨウに張り付き続け、今はコクヨウに寝かしつけられている。

 さすがに寝室に二人きりは、と断ろうとしたコクヨウだったが、良い笑顔のエンヨウに肩を掴まれ、


「大丈夫だ、ワシも同行するゆえ!」


 と言い切られ、父娘おやこに挟まれ引きずられていった。

 まるで屠殺場へと連れていかれる子牛のようだった。面倒ごとはなるべく避けたいコハクも、ニッカの不機嫌の大元になってしまったザクロも助け舟は出せなかった。


「しかしコハクさんは格好だけでもコクヨウを助けようとした方が良かったんじゃねえか? コクヨウが落ち込んじまったらどうすんだい?」

「馬鹿言え、これくらいでコクヨウが落ち込む訳ないだろう。それに今のニッカからコクヨウを取り上げてみろ、今度は私がニッカに睨まれるだろうが。コクヨウもこれでニッカの期限が上向くんだ、感謝してほしいくらいだ」


 言って、コハクはまた干した酒杯に酒を注ごうとしたので、ザクロはやんわりと酒瓶を取り上げ、コハクの杯へ注いだあと手酌で自分の杯にも注ぐ。

 どうやらコハクも機嫌が斜めらしく、いつもより杯を開けるペースが早い。止めるべきか迷っていると、今まで空気のごとく控えていたエナスが良い笑顔でコハクに水を出す。


「この人も拗ねてるんですよ。あなたに飲みに誘われたと思ったら捜査だし、コクヨウさんだけだしで」

 にまにま笑うエナスを見つめること数秒、ザクロは隣のコハクに視線を移した。

 コハクは口を尖らせてザクロを睨め付けていた。なるほど、これは拗ねている。


「今度は飲みに連れてけよ。おまえがいつもコクヨウと飲んでる屋台でいいから」

「……善処します」

「その返事はぜったいに連れてく気なんてないだろ」


 ザクロは子猫のようなか弱い拳を肩に受けたが、まったくダメージはなかった。

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