第11話:続お父様といっしょ

「コクヨウ! 今日こそはわたくしと出かけましょう!」


 薬屋の扉を開けたとたん、勢いよく飛び込んできたニッカをコクヨウは仕方なくその胸で受け止めた。いつものように避ければ石畳で顔を擦りおろす結末が見えていたためである。

 背中に腕を回される前に、素早く距離を取ればニッカは不満げに頬を膨らませてコクヨウを睨んだ。


「……申し訳ありませんが」

「あきらめよ。コクヨウ殿はワシと出かけるのだ」


 こちらは膨れ面の娘と打って変わって得意げに胸を張るエンヨウにニッカが食ってかかる。


「お父様はさっきまで一緒に出掛けていたじゃない!」

「うははは、これからの外出は昨日から約束していたのだ!」

「昨日?! わたくしだって昨日約束しようとして断られたのに?!」


 衝撃の事実に思わず涙ぐんだニッカに、コクヨウが無表情ながらも気まずそうに眼をそらし、親子口喧嘩が勃発した。

 常よりもよろよろとした動作で茶を淹れ始めるコクヨウを、コハクはニマニマとしながら眺めている。やはりこういった騒ぎは火の粉のかからない対岸で楽しむに限るのだ。


「モテるのも大変だな、コクヨウ」

「……」


 コクヨウが茶を淹れ終わると親子の舌戦は一時中断、二人ともおとなしく席に着いた。

 その二人に茶を出したコクヨウは珍しく自分の分も淹れていて、二人から間をあけて席に着いて飲み出した。よほど心労が溜まっているらしい。

 リラックス効果のある茶葉を増やしておいてやるか、とコハクも茶を飲む。ここでニッカとエンヨウ親子を止める選択肢は取らないのがコハクであった。

 今もわざわざ離れて座ったコクヨウを挟んで座る父娘を止めずに観察する体勢に入った。

 コクヨウはといえば、両脇を陣取る父娘に困惑を隠せず、せっかく淹れた茶を一息に飲み干して席から立とうとした。


「コクヨウ殿は茶を淹れるのも美味いのだな!」

「……ありがとうございます」


 しかしエンヨウに話しかけられ、席を立つのは阻止された。肩を掴まれ、ニカっと笑いかけられ、コクヨウは数瞬の間迷って、けっきょく浮かせかけた腰を席の上に戻した。

 わたくしのときはさっさといっちゃうのに! と悔しがり、腕を組んでくるニッカをけして視界に入れないようにしているコクヨウが可笑し……微笑ましくて、コハクは酒を用意すればよかった、とティーカップを置いた。今からでも出してしまおうか。


ワシなどはいつも淹れてもらうばかりでな。たまに淹れてみれば、やれ味が濃すぎるだの、薄すぎるだの、文句ばかり出る。それでも妻は苦笑しながら飲んでくれるのだが……」


 愚痴に見せかけた惚気である。


「お父様ってば、相変わらずおとう様が好きなんだから……」


 ぼやくニッカの横で、仲がよろしいことだ、と日向ぼっこをする猫のように眼を細めるコクヨウであった。

 しかし和やかな時間は素早く過ぎるもので、エンヨウが茶を飲み終わるとすくとたちあがる。


「それではコハク殿、コクヨウ殿をお借りする。昼食は食べてくるからいりませぬ」

「行って参ります」

「ちょっと、コクヨウ! お父様?!」

「うはははははは!」


 コクヨウは逃げるように、エンヨウは意気揚々と出掛けて行った。

 満面の笑みで行ってしまったエンヨウはともかく、コクヨウは残されるニッカを気にしている風だったが、自分よりも父親を重んじられたと落ち込んでいるニッカは気づかなかったようだ。


「……コハクぅ」

「んー?」

「コクヨウって男の人のほうが好きなの……?」


 お父様にも、ザクロにも、ホレス先生にも、わたくしよりやさしい気がする……! と今までを思い出して顔を覆うニッカにコハクは呆れ半分、憐憫半分で返事をしてやる。


「付き合い易さでいえばそうだろうが。コクヨウに恋愛感情があるかは知らんぞ」

「そんなあ……」


 放っておけば地の底まで沈みかねないニッカを浮上させるべく、コハクは茶請けの菓子を用意してやる。

 今日のお菓子はニッカの故郷、ソケイから取り寄せた穀物を挽いた粉で作った団子で、たれもソケイから取り寄せたものを使ったあまじょっぱいものだ。みたらし団子といってソケイでは広く食べられているらしい。

 いつもなら眼を輝かせてぱくつくおやつも今日は魅力が半減しているらしい。もそ……もそ……、と団子を食べる様子は飼い主に留守番を言い渡され、置いて行かれた子犬のようだった。

 コクヨウに恋愛感情があるかどうかコハクにはわからないが、ニッカのことを特別扱いしているのは知っている。

 その内実がどんなものかはコクヨウしか与り知らぬことではあるが、コクヨウは一生、胸の内をニッカに明かすことはないだろう。

 そして、コクヨウの寿命はおそらく短い。

 王都では八十才を越す長寿の者も珍しくなく、稀に百を越す者もいるほどだ。しかしコクヨウはその半分──五十年ほどがせいぜいだろう。

 腕の悪い魔術師崩れに身体を弄られたせいだ。今はコハクが毎日身体をメンテナンスしているが、寿命を伸ばせているかどうか自信はない。現状維持ができているか、否か。

 コクヨウの年齢は正確には分からないが、おそらく二十代前半。多く見積もったとしても寿命は二十余年しか残されていない。実際はもっと短い可能性だとてある。

 このこともコハクはニッカに教えるつもりはない。コクヨウも今の所はないだろう。

 身分差ももちろんあるが、少なからず特別視──親愛の情を抱いている少女を軽い気持ちで寡婦にするなどコクヨウはしない。自分はすぐ死ぬから、死んだあとはさっさと忘れて新しい相手を見つけて幸せになってくれ、と言えばニッカを劣化の如く怒らせることが分かりきっているだけに。

 そのうえ、自身をコハクの持ち物だと思っているコクヨウである。コハクのそばを離れるという選択肢すら持たない。いっそ、ニッカがコクヨウの子種だけを欲していればまだ話は簡単だったろう。


「……情が深過ぎるニッカも悪い気もしてきたな」

「コハク~、おかわり~」

「はいはい」 


※※※


 薬屋を出発したコクヨウとエンヨウの二人は王都郊外の森を訪れていた。

 未開発の土地が多い故に自然の多いソケイ国とは違い、テッサリンドの森は人里近くならばほとんど人が管理している。今ふたりが訪れている森も定期的に間伐が行われ、適度に陽光が差し込んでいる。


「ふむ、ソケイでは見かけぬ植物だな。もっとも、ワシはそれほど植物に詳しくはないのだが」

「……」


 知識の無さを恥入るエンヨウにコクヨウは静かに頷く。


「うむ。ヒノハナ……ニッカの母の一人、俺の妹が薬草に詳しくてな。妹は昔は体が弱く、それ故なのだが」

「……」


 なるほど、と頷きコクヨウは先を促す。


「妹がこの世で一番薬草に詳しいと思っていたが、いやはやこれは兄馬鹿であってな。妹の輿入れ先にはもっとずっと薬草に詳しい薬師がいたのだ」

「……」


 それがニッカから話をよく聞く薬学の師匠なのだろう、とコクヨウは藪を踏み分ける。獣道を利用しているため、それほど難しくない。


「そうなのだ、師匠師匠、と実の父親であるワシよりもよほど慕われていて。武術の師は俺なのに、師匠と呼んでもらえぬのだ。勉学を教えている同僚でさえ師匠と呼ばれているというのに……!」

「……」


 武術もよく体に馴染んでいるのはエンヨウの功績であろう。コクヨウはここ数日のエンヨウに対するニッカの態度を思い出す。


「うはは、コクヨウ殿に褒められるとは、ニッカが嫌がっても泣いても武術を叩き込んだ甲斐があったというもの。……師匠と呼ばれぬのはそのせいであるかもしれんが……」

「……」


 コクヨウはわずかに首を横に振る。口にしないだけでニッカもエンヨウに感謝しているだろう。でなければあんなに嬉々として拳を振るうことはあるまい。

 コクヨウの慰めにエンヨウは力無く笑った。


「そうだといいのだが」


 コクヨウの鋭敏な聴覚が獣の足音を拾った。エンヨウも気付いたようで、腰をためて構える。

 苛立った威嚇と共に木々の間から現れたのは魔物であった。爪で地面を掻き、鼻息も荒くひどく興奮している。


「む、魔猪であるな。どうやらここいらはやつの縄張りであるようだ」

「そう、ですね」


 ここで狩るかどうか、コクヨウは考えるが答えは出ない。なにせ考え、答えを出すのはいつもコハクに任せているからだ。

 客人であるエンヨウに攻撃するようであればもちろん倒すが、しかし、森に入り魔物の縄張りに入ったのはこちらであり、魔物に田端を荒らされたという報せはまだない。村がこの森を狩場にしている場合、勝手に狩っては問題になる可能性がある。

 けっきょく、どうすべきか分からず、コクヨウは隣のエンヨウを見た。


「森を出、ますか?」

「ふうむ。いや、ここで狩ってしまおう。面倒ではあるが、死骸を持って森を近くの村に要るかどうか聞きに行くのがよろしかろう。それでどうだろうか」

「はい」


 エンヨウの言葉が終わって、瞬時にコクヨウは動いた。魔猪の首を指で貫き、頸動脈を体外に引き出し、血抜きをする。暴れる魔猪の四つ足を所持していた縄でまとめると、落ちていた適当な木に括りつけた。


「ではまいりましょう」

「うむ」


 電光石火とはこのことよな、とエンヨウは髭を撫でた。是非とも我が国に欲しい、とも。


 森の管理を任されている村へ魔物を持って行ったところ、たいへんに喜ばれた。

 魔素の多く含まれている肉は食べられないが、骨や内臓も含めて魔術の触媒や薬の材料になるため、重宝されているのだという。毛皮も売れるので、狩ったはいいが処理しきれない、もらってくれると助かる、とまるまる魔猪を譲ったエンヨウたちはおおいに歓待され、昼食をご馳走になった。


「コクヨウ殿のおかげで美味いものにありつけた」

「……」


 くちくなった腹をさすり帰り道を歩くエンヨウの起源は良い。

 そんなエンヨウにコクヨウはかすかに首をかしげた。そうだろうか、と言わんばかりのコクヨウにそうだとも、とエンヨウは笑う。


ワシだけであれば狩って、魔素を抜いて、焼いて食べ、食べきれねば森に打ち捨てるだけだったろう。毛皮はもしかして売ったかもしれぬが、剥ぐのは面倒だからなあ。

 コクヨウ殿が村の者へ配慮したおかげで、毛皮も肉も無駄にならず、村の者たちは臨時収入を得ることができた。一挙両得の素晴らしい結果だと思うぞ」

「……」


 コクヨウ殿のお陰だ、と破顔するエンヨウにコクヨウは己の考えではなく、今までコハクがしてきたことを経験則として提示したまでで、決して自分の功績ではない、と否定的である。

 そんなコクヨウに今度はエンヨウが首をかしげる番だった。


「すごいと思うのだがなあ。ワシが思うに、コクヨウ殿はもっと自信を持つべきだ。貴殿は強いし、思慮深いように見受けられる。コハク殿への忠誠心も高く、我が国であればすぐ大将軍になれるだろう」

「……」


 コクヨウ自身はそう思わない。自分は言われたことしかできず、知らないことにまで考えを巡らせない木偶の坊だと思っている。

 エンヨウは眉間に皺を寄せた。なぜエンヨウが気分を害したのか、コクヨウには分からない。


「そうご自分を卑下しないでいただきたい。ソケイ国は大将軍の位をいただくワシが貴殿を認めているのだ。俺のことをわずかでも気に入ってくれているのなら、俺の言をもう少し真にうけてくれ」

「……」


 そういうものなのか。コクヨウにはよく分からない。分からないまま、エンヨウを見る。

 コハクがコクヨウを見るような、柔らかな視線だった。

 初めて会ったときからエンヨウが鍛えられた武人だと気配で分かった。続いて匂いでニッカの肉親だとも。ニッカの身内ならば失礼はできないと礼節を尽くしたつもりだ。

 すごい人にすごいと言われたら自身がすごいということになるのだろうか。エンヨウには分からない。


「コクヨウ殿は謙虚だな」


 困ったように、呆れたように、それでも親愛の情が溢れる眼でエンヨウは続ける。


ワシは専門家ではないから詳しいことなどとんと分からぬが、貴殿がなにがしかの事情を抱えている、というのは分かる。

 ……誓って見ようとして見たわけではないのだが、その……同室であるので、着替えのとき、貴殿の背中の焼印を見てしまったのだ……」

「……」


 迂闊だった、とコクヨウは眉根を寄せて不快感を顕にした。自分自身への苛立ちであり、エンヨウに対してではないが、それでもエンヨウは慌てて謝罪し弁明した。


「すまぬ! 本当に、決して! 見ようと思ったわけではなく!

 ……あの焼印の数字は、どこぞの賭け闘技場で入れられたのだろう? 我が国にもそこから流れて来た者がいるので分かったのだ」

「……」

「貴殿がニッカの想いに応えられないのはそれだけが理由ではあるまい。だが、我が国では強さがあれば、まあ、なんとでもなる国柄だ。出生だの血筋だのは気にすることはない。俺も本来なら村長の小倅で終わっていた男だ」


 だから何もかもを気にせず話してみろ、とコクヨウを気遣うエンヨウに、コクヨウは重たい口をわずかに開くことにした。


「…………おのれは」

「うむ」

「ニッカ様と同じ気持ちが返せない」

「そうか」

おのれが使えるのはコハク様だ。己はコハク様の持ち物だ」

「ふむふむ」

「ニッカ様より早く死ぬ」

「ふむ? 貴殿はニッカよりも年嵩としかさだろうから、それは自然の摂理であろう」

「詳しくはコハク様に聞け。

 おのれ身体からだを把握しているのはコハク様だ。己の寿命は五十才まで生きないだろう、あと三十年もないと聞いている」

「……なるほど」


 だが、とエンヨウはコクヨウの背を叩く。力任せに見えてその実、加減のされている手のひらがコクヨウの背中に軽い衝撃を残していく。


「ソケイ国も我が妻が統一し、大王おおきみとして立ってからようやく平和になり、国々が相争った戦乱もずいぶん遠くなった。

 だが、かつては戦場にあればいつ死ぬかなど誰にも分からぬものだった。今日が最期かもしれぬと、みな毎日を必死に生きていたものだ。戦士ではなくとも、急な病や事故で果敢なくなる者もいた。近しい者をある日急に亡くしてああしていれば、こうしていれば、と後悔したこともあった。

 残りの時間の長さなど気にするな。それが分かっていれば、コクヨウ殿との時間をより大切にできよう。まだ未熟ではあるが、あれもソケイの女、聞けば覚悟もできよう。 

 大事なのは貴殿の心だけだ。それだけでいいのだ」

「……」


 で、あれば。やはり自分には無理だろう。

 恋愛感情など分からないし、コハクの傍を離れることもないからだ。

 この話はこれで終わり、と言わんばかりに歩みを早めたコクヨウにエンヨウは顎をさすった。


「ううむ、コハク殿を我が国に呼んだほうが婿入りの近道かもしれぬ……」

「コハク様が行く、のであればおのれは着いていくだけ、ですが」

「うはは、ニッカに忠告しておくか」

「おやめください……」

「うはは、素の口調はもう終わりなのか?」

「はい……」


 笑って肩を組んでくるエンヨウを面倒だな、とは思いつつ、その腕を払わないコクヨウであった。


※※※


「コクヨウとお父様が仲良くなってる……」

「はいはい、そうだな」


 ニッカのジト目の先には陽気に絡むエンヨウと、今までよりも顕著に反応を返すようになったコクヨウの姿がある。放っておいたらハンカチを噛み出しそうだな、とコハクはやはり他人事だ。


「コクヨウ! 明日! 明日こそはわたくしと出かけましょう!」

「……明日は」

「残念だったな!」


 ニッカに迫られ尻込みしながらもコクヨウが答えようとしたが、それよりも早くエンヨウが勝ち誇った笑みを浮かべて宣言する。


「コクヨウ殿は明日もワシの観光案内をしてくれるのだ! うはは!」

「お父様~~~! 娘の恋じを邪魔しないで!」


 叫ぶニッカに拳を振り上げて追いかけられても、エンヨウは悪びれず笑い声をあげている。娘にかまってもらえて嬉しいのかもしれない。

 そういうところがニッカの塩対応に繋がっているのでは? と茶を飲みながらコハクはちらと考えたが、矛先を向けられてはたまらない、と黙ったままでいた。


「おもしろいですね、父娘で一人の男性を取り合う三角関係!」

「完成したら読ませてくれ、小説家せんせい

「もちろん! 楽しみにしていてください!」

「分かってると思うが、そのままは使うなよ? 万が一にも外交問題に発展しても困る」

「それはもう、お任せください! 肝に銘じておりますとも!」

「おやめくささい……」


 死んだ魚のような眼でコクヨウは茶を淹れた。コハクとホレスの追加分と、自分用だ。


「読む人が読めば分かる文章を書くのは得意なので!」

「そりゃいい、がんばってくれ」

「おやめください……」


 今日も王都は平和である。

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