第10話:お父様といっしょ

 コハクは薬やカラリの店主をしている。

 店員のコクヨウと居候のニッカと一緒に客のいる時はそれなりに働いて、いない時はぐうたらしている昼行燈──というのが姿勢での姿だ。

 本来のコハクはテッサリンド王の妹エレクトラ=テッサリンドであり、仕事を求められた時だけ城に戻り、片付けてから城下町に下りている。それでどうしてか巷では深窓の令嬢だ、麗しの君だ、と噂が立つのだから、分からないものである。コハク本人は至って平凡な容姿をした凡人であると自認していた。

 今は客人を兄であるテッサリンド王との秘密の謁見に案内した帰りだ。

 客人の名はエンヨウ。海の向こうの島国ソケイから娘を心配してわざわざやってきた。

 本来ならソケイ国の重鎮であるエンヨウは賓客として迎えられ、盛大な歓待を受けるべきなのだが、王同士が気安い友人関係である影響もあって、公式な場以外ではたいへん軽いやりとりで済まされる。

 今回のエンヨウは娘かわいさに家族の制止も聞かずに出てきたので気まずいらしい。「どうかこのことはご内密に」と王に頼んでいた。

 鷹揚に笑っていた兄だがしかし、秘密にするとは明言していないので、賭博で有り金をまるっとスったことも含め、ソケイ王に詳しい手紙を送るのだろう。我が兄ながら、いい性格をしている。


「見事な馬ですな。肉付きも良く、よく訓練されている。

 して、コク──ではなく、ええと」


 コクヨウの本名を言えずに口ごもるエンヨウに厩番うまやばんは大丈夫ですよ、と笑みをこぼした。


「わたくしども厩番は、コハク様のこともコクヨウ様のことも存じておりますので。外つ国の方にこちらの名前は言いにくいでしょう。マティシャニタス様のお名前はわたくしどもも、ときおりは舌をかむほどの言いにくさですので。

 新人が舌を思い切りかんだおりに、涙ぐんでなぜこんな言いづらい名前にしたのですか、とコハク様にお尋ねしましたら、無事長命のおまじないだと」

「なるほど」


 ソケイにも赤子が無事に育つよう、長生きした偉人や強い妖魔などにあやかった幼名をつける風習がある。ニッカ──ヒノハナも丈夫に育つよう幼名は悩みに悩んで龍種の名をつけたのだが──今では龍種を凌ぐほどの元気良さである。十分なご利益があった。

 コクヨウに名を与えたのであれば、コハクはコクヨウにとって親のような存在なのだろう、とエンヨウは髭を撫でた。そして厩舎から距離を取る二人を振り返った。


「して、コクヨウ殿とコハク殿は何故あんなに遠くにいるのだ?」


 厩番は嬉しそうな悔しそうな複雑な表情をして頭をかく。


「ここの馬達はお二人に大変懐いておりまして……。一頭を構うと、全頭を構ってやらねばならなくなってしまうのです。一通りで済めば良いのですが、二巡三巡してしまうことも多く……。エンヨウ様をお待たせする訳にはいきませんから。これからご予定があるのでしょう?」

「ああ、そうであった。今日は近くの牧場に連れて行ってもらうのであった。見学をさせていただき感謝する。しからば御免」

「はい、有意義なお時間となりますように。どうぞ、この国をお楽しみください」


 丁寧に頭を下げる厩番に見送られ、エンヨウ達は厩舎を後にした。

 

※※※


「おかえりなさいコクヨウ! お父様はほっといて、わたくしとお出かけしましょう!」

「ぐえっ」


 薬屋カラリの扉を開けるなり飛び出してきたニッカをもろに腹にくらったコハクはよろめいた。コクヨウの代わりについて来たエナスが支えてくれたおかげで倒れ込まずに済み、数度咳き込んだあと、腹痛の元凶を睨んだ。


「ニッカ……」

「おかえりなさいコハク! コクヨウは?」


 コハクに抱き付きながら辺りを見回しコクヨウを探すニッカに、コハクは呆れの息を、エナスは苦笑をこぼした。同じく姿の見えないエンヨウには言及してやらないらしい。


「た、だ、い、ま」

「ほはへひひゃはい、ひひゃひは、ほはふ」


 黙っていれば傾国の美少女と言われても納得する美貌のニッカだが、くるくるとよく変わる表情と豪傑もかくやという行動力のせいで、普段の彼女からそれらは霞んでいる。腹いせにもちぷる肌の頬を引っ張ってもやはり霞んだ。


「コクヨウならエンヨウ殿の護衛で一緒に牧場見学に言ってるぞ」

「え、お父様と一緒?! わたくしも行きたい!」

「ダメだ。エンヨウ殿はソケイ国の一助になれば、と見学に行ったのだから邪魔してやるな」

「えー! わたくし邪魔なんかしないわ!」


 むくれるニッカを適当に宥めつつ、コハクはエナスとともに外出から帰って来た際のルーチンを済ませた。


「コクヨウと二人きりで出かけるなんて、お父様ばかりずるい!」


 ずるいもなにも仕事の一貫だろう、とコハクは定位置にいつものようにだらけて座る。エナスが茶を淹れてくれた。


「まあまあ、ニッカ様。ニッカ様のお父上であるエンヨウ様に気に入られれば気に入られるほど外堀を埋めることができる、ということで」

「それもそうね!」


 エナスの言葉におおいに納得して、ニッカも茶を飲み始めた。


「それにしてもコクヨウってば、ザクロとか、エナスとか、ホレスとか、……お父様とか。男の人ばかりと仲が良いけど、もしかして男の人のほうが好みなの……?」

「どうだろうなあ」


 独り言のように落とされたニッカの呟きにコハクは肩をすくめた。


「そもそもあいつに恋愛する気があるかも知らん」


 コハクの返答にニッカは頭を抱え、気配を消したエナスは粛々と茶菓子を出した。


※※※


 エンヨウはコクヨウの案内で王都郊外の牧場を訪れていた。

 木でできた柵の向こう側にのんびりとした様子の牛達が草を食んでいる。故郷の牛達よりも体つきがだいぶんたくましい。きっと良い餌をもらっているのだろう。


「あそこに見えている牛の種類は乳を多く出す種類だそうです」


 コクヨウの説明にエンヨウは肯く。子牛一頭でもいいから故郷に連れて帰りたくなった。育て上げれば体躯に相応しい量の乳を出すに違いない。

 それから乳牛の簡単な飼育方法を聞き、乳牛の他、食用の牛や豚も飼育していると説明されて驚いた。

 ソケイ国で飼われている馬や牛は専ら移動や農耕のためで、食肉目的で飼われている家畜はほとんどいない。肉といえば野山の獣や河川、海などにいる魚介が主だった。

 牧場主に作り置きしているという牛肉の干物をわけてもらい、その味の素晴らしさにエンヨウは帰国したら食肉用の家畜を飼おうと決めた。


「まずは少数で……猪あたりをとっ捕まえてみるか……」

「コハク様は畜産で相談があればいつでも頼ってほしい、とのことです」

「かたじけない、気遣い傷みいる。コハク殿はなんでもお見通しだなあ」


 エンヨウの言葉にコクヨウがわずかに双眸を細めた。それにつられてエンヨウも眼を細める。


「コハク殿といえば薬屋の品揃えも見事なものであった。ニッカの母──ワシの妹も薬草に詳しくてな。昔は体が弱かったゆえ、自分で薬を調合できるよう薬師に学んでいたからなのだが」

「……」

「そうだ。師匠せんせい師匠せんせいと、実の父親のワシよりもよく慕っていてな。武術の師はワシなのに、一度も師匠とは呼んでくれぬ……」

「……」

「ははは、コクヨウ殿にそう褒めていただけるとは、泣かれても逃げられても武術を叩き込んだ甲斐があったというものですな」

「……」


 エンヨウが照れたように髭をなでながら笑う。父親の顔だった。


「そうだといいのですが」



 和やかな雰囲気のコクヨウとエンヨウの二人を見ていた牧場主と従業員達は互いに顔を見合わせ、首を捻っていた。


「あの仏頂面の……コクヨウさん? 喋ってるの聞こえるか……?」

「いやあ、ぜんぜん……。もしかして、あれか。高名な魔導士様が使えるとかいう、言葉を直接頭に届けるってぇやつ……念話ってのじゃねえか?」

「そうかもしれねぇな……。魔導士様ってのはひょろひょろしてるもんだとばかり思ってたが」

「だなあ。あんなに筋肉ムキムキの魔導士様がいるたあなあ……」

「一生に一度のことかもしれねぇ、拝んどこ」

「おれも拝んどこ……」


 もちろんコクヨウは魔導士ではないので、念話など使えない。

 エンヨウがコクヨウの言いたいことが分かったのは、武を極めた達人ならば相手の動きが読める、というそれである。

 加えてコクヨウも考えをわかりやすく考えを発露しているためであるが、表情は全く変わらないので、はたから見れば一言も喋らないコクヨウと朗らかに会話をするエンヨウ、といった図が出来上がっているのだった。

 しかし、牧場関係者達には分からぬことであったので、コクヨウとエンヨウの談笑が終わるまで熱心に拝んでいた。


「先ほどはなぜ拝まれていたのか……。土産もたくさんもらってしまったのう……」

「……」


 コクヨウも分からなかったので、静かに首を横に振った。

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