第9話:父、来たる


「ここがテッサリンド……」


 テッサリンドの王都、オル・ピスマの港に降り立ったエンヨウは足の裏に感じる久方ぶりの大地の感触を感動と共に踏み締めていた。娘が異国テッサリンドに滞在している理由を妻から聞いて取るものも取りあえずテッサリンド行の船に飛び乗ったのだが、家族たちは今頃怒っているだろうか。

 呆れ顔の妻と妹と、それから同僚の冷たい視線を思い浮かべて、帰りは土産をたくさん持って帰ろう、とエンヨウは足を踏み出した。


 港から出た先は故郷のソケイとは違った賑わいで溢れていた。

 物珍しさに視線をうばわれながら歩く。遠く、小高い場所に石造りの荘厳な白が見えた。

 さてどうしたものか、と道端に寄って腕を組んだエンヨウに陽気な声の男が近づいてきた。


「よお、旦那。その旅装、珍しいな、どこから来たんだい?」

「ん? ソケイからだが」


 馴れ馴れしい男が肩を組んできて、殊更明るく笑う。


「そりゃあ随分と遠くから来なさったな。船旅は長かったろう、観光かい? とっておきのいーい場所に案内するぜ」

「いや、ワシ」は娘に会いに……」

「娘さんに会いに! いいねえ、高価たっかいなお土産を買ってってやろうぜ、娘さんも大喜びだ」

「大喜び……」


 蝶よ花よと大切に育ててきたかわいいかわいい娘が大喜びする姿を想像して、エンヨウはそのまま男につれられていった。

 結果、素寒貧すかんぴんになった。

 道端に力なく座り込んだエンヨウは財布を覗き込んで、それからひっくり返して振ってみた。ほこりしかでな。財布はからで、たった一時間足らずで懐は極寒の冬もかくや、といった有様だ。

 男に連れていかれた先は賭場で、渦巻く熱気に当てられ、乗せられるままに賭けて、あれよあれよと大負けしてしまったのだ。不甲斐なし!

 身ぐるみはがされなかっただけマシか、と褌一丁になった苦い過去を思い出し、エンヨウは肩を落とした。

 異国であっても知り合いがいるから金を借りる当てある。娘に借りることも可能だ。しかし、他国で無様を晒すなどエンヨウの矜持が許さなかった。

 金を借りれば当然、故郷に知れる。そうなれば同僚にも知れることになる。普段から「よくよく考えて行動しなさいと言っているでしょう」と言われているのだ。今回の失態も知られたら思い切り馬鹿を見る眼で見られるのは分かりきっていた。国許にはぜったいに知られないようにしよう。

 しかたない、今日のところは日雇いの仕事でも探すか、と膝を叩いて立ち上がる。


「用心棒か、力仕事でもあれば……」

「もし、そこの御仁。失礼だがなにかお困りか?」

「ん? いかにも。仕事を探しているが……」


 振り向いた先にはなんとも凡庸な娘がいて、そのすぐ後ろに無表情の男が控えていた。

 また賭場にでもつれていかれるのか? それとも美人局つつもたせか? とエンヨウはわずか身を固くした。

 女のほうは赤子の手を捻るよりも容易く振りきれるだろうが、男のほうは生半でない。勝てるかどうかまるで分からない。よくて相打ちであろう。


「仕事……? 出稼ぎにいらしたのか? 仕事の紹介ならできるが」

「出稼ぎにというわけでは」


 男のほうを警戒したエンヨウがわずかに下がる。そこで女はああ、と頭を掻いた。


「怪しい者ではない。私はコハクという。薬屋をしていて、こっちは従業員のコクヨウだ」


 コクヨウが会釈し、つられてエンヨウも会釈した。エンヨウはソケイ風の名前の響きにわずか警戒を解いた。

 渡された小さな厚紙──名刺というらしい──には薬屋「カラリ」、店主コハクと書かれていた。店の住所も書かれている。


ワシはエンヨウと申す。娘に会いにこの国を訪れた」

「娘さんに会いに。それで、なぜ仕事を?」

「ああ、実は……」


 かくかくしかじか。エンヨウは港に着いてからのことを話した。コハクが頭を押さえる。


「……それは災難だったな。同じ国の者として謝罪する。申し訳なかった」

「いやあ、勘の悪いワシにも非はあるし。しかし文無しでは宿にも止まれぬからな、娘に醜態を晒したくもなし。日雇いの仕事でも探そうと思っていたのだ。老いてはいるがまだまだ腕力体力には自信があるからな!」

「そうでしょうね……」

「そうか、ワシの強さは初対面のそなたにも分かってしまうか!」

「はは……。ちょうどいい、娘さん探しも手伝おう。娘さんの名前は?」

「娘はヒノ……ンンッ、いや、ハナだ。ハナという」

「ハナね、分かった」


 コハクは少し笑った。


「とりあえず私の店に来てくれ。茶と軽食をご馳走させてほしい。部屋も余ってるし、是非泊まっていってくれ」


 面白がっているように言って、コハクは踵を返す。翻る上衣に手招かれるようにエンヨウはそのあとをついていった。


***


「ただいま~。……あれ、まだ帰ってないのか」


 閉店の看板札がかかった扉を開けコハクは店内を見回すが、誰もいない。手洗いうがいをすませたコクヨウがさっそく茶を淹れエンヨウに出した。


「なにからなにまでかたじけない。さっそくいただこう。……美味い」

「…………」


 寡黙なコクヨウは頷くのみであったがエンヨウは気にするでもなく、出された茶菓子をほくほくとした気分で食べた。


「コクヨウの他にもう一人、従業員もどきがいるんだがまだ帰ってないようだ。じきに帰ってくるだろう」


 コハクがそういったところにドアベルが派手に音を立てて、慌てた様子の男が薬屋に駆け込んできた。


「たいへんです、コクヨウさん! ニッカさんが攫われましたあ!」

「なに?!」

「うわあ誰?!」


 誘拐とはこれ一大事! と構えたのはエンヨウだけで、コハクとコクヨウはなんとも言えない顔をして、それからコハクは長い溜息をついた。


***


 助太刀しますぞ! 賊はどこに! と息巻くエンヨウをコハクが宥めているころ、ニッカはコハクを今か今かと待っていた。攫われた人質らしく、手には縄をかけられている。


「コクヨウ……。はやくわたくしを助けにきて……」


 うっとりと呟くニッカの周りには顔が手酷く変形した破落戸たちが眼に涙を溜めて正座していた。

 彼らに憐れみの視線を向ける者たちもまた破落戸で、だから言ったのに、と呆れている。


「せっかく忠告してやったのになぁ……」

「最近やらかすといえば王都に来たばっかのおのぼりさんだったけど、王都も広いもんなー。王都の外に吹き溜まってる連中が知るわけないよなー」

「なー」

「手ェ出しちゃいけないやつの情報くらい更新しとけよって話だけどさ」

「対峙した相手の力量くらい推し量れよって話だよな~」

「おいおい、それができなくて肋骨折られたの誰だよ」

「オレ~~~!」


 どっと笑いが起きる。ニッカ被害者の会では鉄板のネタだった。明るく笑い飛ばす元被害者ふるかぶたちの会話を横目に聞きながら、現在被害を受けている真っ最中の破落戸たちはかわいらしいからとニッカに声をかけた己の軽率さを心底悔やんでいた。


「あ、あの、本当に誘拐に協力したら解放してもれるんですよね……?」

「ええ、もちろんちゃんと解放します。わたしくはちゃんと約束を守る女だもの」

「そうそう、ニッカさんはちゃんと約束を守ってくださるぜ!」

「安心して狂言誘拐に協力しな!」

「あ、ありがとうございます……?」


 困惑しつつも観劇の涙をこぼさんばかりの破落戸共にニッカの舎弟たちは解放されるのは騎士団の駐屯所の真ん前だけどな、とは言わずにおいた。


「まっ、人生悪いことばっかじゃねえよ」

「生まれ変わったと思ってがんばりな」

「はいっ!」


 感涙にむせぶ破落戸たちの背を叩いてやる。恐喝未遂ならすぐ出てこれるだろう。がんばれ。


「コクヨウはいつ来てくれるのかしら。楽しみだわ……」


 夢を見ているように呟くニッカは『薔薇色乙女』と題された本を抱いている。著者はホレス・ピーボディとあり、初めて恋愛を主題にした短編集が出たから、とつい先日本人から贈られた一冊だった。


「攫われたお姫様を取り戻すために試練をくぐり抜ける騎士……そして再会……抱擁……。素敵よね……」

「たぶん叱られるんじゃないかなあ……」


 なんだかんだニッカを気にかけているコクヨウの無表情を思い浮かべながら発した舎弟の言葉は、恋愛小説を読破した余韻で興奮したままのニッカには届かなった。


***


「ニッカが攫われた、ねえ」

「うむ、かどわかしとあれば一大事! すぐ助けに行かねば!」

「…………」

「そ、そうですよ! 誰だか知らないけどオヤジさんのいうとおり! 今だってコクヨウさんのことを今か今かと待ちわびてますよ!」

「待ちわびて、ねえ。それはそうだろうが」

「…………」


 コクヨウはいつもの無表情で、コハクはいつもの気怠い表情をさらに怠そうにして、ニッカ誘拐の報せを持ってきた若衆を見つめた。

 見つめられた若衆は脂汗を吹き出し、視線をあっちこっちにさ迷わせ、口笛を吹こうとして失敗した。


「どうしたのだお二人とも。助けに行かんのか?」


 場所が分かれば今にも飛び出して行きそうなエンヨウにコハクは大仰にため息をついてみせた。


「……はあ。行くさ。コクヨウ、行くぞ」

「御意に」

「安心するといい、若者よ。コクヨウ殿と馴染みであれば知っておろうが、知り合って間もないワシですらコクヨウ殿の強さが分かる。そのニッカという者も必ずや無事に助け出されるであろう」

「は、はい……!」

「なるほど、巻き上げられて素寒貧になるわけだ」

「…………」

「はあ……。エンヨウ殿は薬屋ここで待っていてくださって構わないぞ。ニッカはいちおう、うちの従業員なわけだしな」


 のちのちのことを考えたコハクの発言だったが、エンヨウは豪快にお気遣い無用、と笑い飛ばした。


「なんのなんの! 義を見てせざるは勇無きなり! この老骨、足手まといにはならぬ。歌理には世話になっているのだ、手伝いくらいはさせて欲しい」


 ニッカは説教決定だな、とコハクは茶番をさっさと終わらせることにした。


「そうか……。感謝する」


 そうして若者の案内で拉致されたニッカが捕まっているという王都郊外へと辿り着いた。

 荒野とも呼べる寂れた場所に、ぽつりぽつりと粗末な小屋が立っている。貧民街からあぶれたならず者や、流れ者が多く居着いているはずの場所だったが、人の気配はまったくない。

 制覇されたのか、かわいそうに、と思ったコハクだった、がいよいよ目と鼻の先にニッカがいるという場所まで進んできたところで、ぜいぜいと荒く肩で息をしていた。

 コクヨウとエンヨウのあとをついてきただけなのだが、たいそう疲れている。


「なんなんだ、あの仕掛けの数々は……」


 ならず者たちのたまり場はなぜか罠が張り巡らされていた。

 坂道から巨岩が転がってきたり、落とし穴があったかと思えばその底には先端を尖らせた竹やりが天を向いて刺さっていたり、魔術札でも埋められていたのか、踏めば水柱や炎、雷が気上がる地帯があったり、数少ない木陰で休もうと近づけば毒虫や毒蛇が降ってきたり、となかなかに物騒な道のりだった。

 コクヨウとエンヨウは涼しい顔で進んでいたが、コハクと若衆はへとへとだ。


「ニッカはコクヨウに任せて薬屋で留守番しとくんだった……」


 姫を探し求める騎士に相応しい試練を用意していると聞いてはいたが、ここまでとは予想外で、あれらの罠を仕掛けたニッカもニッカだが、無傷で突破できるコクヨウもコクヨウだ、と若衆は尊敬を通り越してドン引きしていた。


「うははは! 調子が出てきた、どんどん行くぞ!」

「…………」


 楽し気に先へ先へと進んで行くエンヨウについていく形でコクヨウも進んで行く。その様子をげんなりとしてコハクは眺めた。そうして距離があいたことを確認して若衆に話しかけた。耳の良いコクヨウには聞かれてしまう距離だが、これが狂言だと分かっているから問題ないだろう。破落戸などに拉致されるニッカなど存在しないのだ。


「元気な御仁だな……。で? この間、小説家先生に新刊をもらってたが、そのせいか?」

「ご明察ですぅ……」

「なんだって協力したんだ。……まあ、頼まれたら断れんだろうが」

「はい……。おど……たのまれてしまいまして……」

「あー……。はあ……、お疲れ様。あのお嬢様にはきつ~くお灸をすえておく」


 すえるのは自分ではないが、とコハクは前を行く二人の背中を見た。かたや無表情で淡々と、肩や磊落に笑いながら揚々と進んでいる。対照的な二人だった。


「ありがとうございます! 助かりますっ! オレらじゃ機嫌を損ねらたらと思うと言えないですから……」


 初対面時のトラウマがこうですよ、こうっ! と自信の腹を殴るマネをする若者がでも、と朗らかに笑う。年の離れた弟妹にでも向ける笑みだった。


「あんまりきつくは叱らないであげてくださいね。ニッカさん、あんまりにもコクヨウさんに相手にされないせいで不貞腐れてちゃったみたいで。それでちょうど読み終わったばっかの恋愛小説に影響を受けてしまったらしく。恋愛小説あーゆーのって大概はハッピーエンドですし」

「気持ちは分からんでもないが……。こういうので気持ちが動くやつじゃないからなあ」

「デスヨネー。オレら的にはニッカさんを応援したますけど、コハクさん的にはどうなんです?」

「私はコクヨウが決めたなら好きにすればいいと思ってるぞ。肝心の本人があれだが。まったく色っぽい話を聞かん」

「ですねえ。オレらもぜんぜん聞きませんし、見たこともないです。どんな美人に言い寄られても顔色ひとつ変えないんすもん」


 なんて会話をしている間に涙目の破落戸たちがコクヨウとエンヨウに襲い掛かっては返り討ちにあっていた。

 返り討ちとはいっても、鬼ごっこのように逃げる破落戸たちがコクヨウに軽く触れられると「あーれー」と大根演技で地面に倒れ伏す、というまるでお遊戯のようだった。コクヨウはわずかに眉尻を下げ、気の毒そうな雰囲気を醸し出している。

 エンヨウのほうは喜々として破落戸たちを殴り飛ばしており、こちらはまるきり手加減などというものは存在していなかった。エンヨウに当たってしまった破落戸たちは確実に治療院送りであろう。


「哀れな……」

「うわあ……。くじ引きで当たり引いて良かったぁ……」

「うちの従業員がすまんな。治療費は出す。ニッカが」

「それを聞いたらあいつらも安心して御空へ旅立てますよ」

「殺すな殺すな」


 最後の破落戸をエンヨウがぶっとばし呵々大笑した。


「よし! これで全員だな! 終わったぞ、コハク殿!」

「お疲れ様でした。先に進みましょう」

「……」

「コクヨウさん、もうちょっと! もうちょっとですから! あと少しだけがんばりましょう!」


 若者の必死の励ましにコクヨウは静かに肯いた。上機嫌で鼻歌でも歌い出しそうなエンヨウがそれにしても、とコクヨウに笑いかけた。


「いやはや、従業員殿を攫った輩共はなかなかどうして手練れのようですな。ここに来るまでの罠の数々の周到さといったら! 故郷の訓練場を思い出しますわい」


 遊び場に出かける子どものように楽し気に話すエンヨウに若者が恐る恐る聞いた。


「故郷ではこのような命がけの訓練をしてるんですか……?」

「うははは! この程度で命がけなどとても、とても。せいぜいが朝飯前でござる。

 しかしコクヨウ殿はワシが見込んだ通り素晴らしい身のこなしでしたな。どうです、ソケイにいらっしゃいませぬか、コクヨウ殿に相応しい地位を保証しますぞ?」

「己はコハク様の側を離れません……」

「むう、そうですか。しかし機会があれば是非! 是非訪れていただきたい! 歓迎いたしますぞ!」

「…………」


 コクヨウはむっつりと黙り込んだ。心の内では「お誘い下さってありがとうございます。行きません。コハク様が行くならついて行きますが」と考えていた。しかし音にはしなかった。返答のないコクヨウに気を悪くするでもなくエンヨウは明るくその肩を叩いた。


「うっはっはー! そこまではっきり断らずとも! これは全力でソケイに来ていただけるよう注力せねばなりませんな!」

「…………」


 無言のコクヨウとなぜか会話の続くエンヨウに若者は首をかしげた。


「コクヨウさん、喋ってないですよね? それともオレバカには聞こえない発声方法とかあるんですか?」

「そんなものないぞ。コクヨウの言わんとしていることを肌で感じるやつは時々いるな。武人に多い」

「へえ。あのお方、本職だったのか……。通りで強いわけだ」


 楽しげにコクヨウに話しかけていたエンヨウがコハクを振り返る。


「コハク殿、どうです。一度ソケイに観光にでもいらっしゃいませんか」

「おーっとあそこにいるのは誰だー?」


 面倒な気配を察知したコハクが叫び、広場を指差した。その指のさし示す先にいるのは巨躯にふさわしい巨大な斧を肩に担ぎ、凶悪な顔を晒した破落戸であった。


「なんと巨大な斧か! そして凶悪な面構えか!」

「そうだなー、凶悪だなー。顔が変形するぐらい殴られたってな具合に凶悪だなー」

「……」

「あ、あいつがニッカさんを攫った首謀者でーす! コクヨウさん、やっちゃってくださーい!」

「そうだぞー! 俺様があの絶世の美少女を攫ったぞー!」

「……」

「かわいそうに……」

「ニッカさんをどうこうする目的で声をかけたやつなんで、自業自得なんですけどね」

「後悔先に立たずだな」

「ですねー」

「絶世の美少女を返して欲しくば見事俺様をた、倒してみろー!」


 罠の仕掛けを手伝い、最終戦前に配備された人数を知っている巨漢は目の前にいる小柄なコクヨウが恐ろしくて仕方なかった。しかし、言い渡された役をこなさなくても恐ろしい。

 涙目で小刻みに震える巨漢を見やり、それからコクヨウはコハクを見た。


「……倒しますか」

「うーん……。あんたは痛いめを見たいか?」


 巨漢は背後の荒屋を気にしながらも勢い良く首を横に振る。


「だよなあ。じゃあジャンケンで勝負しとこう。バレなきゃいいだろう」


 コハクの提案に巨漢は斧を放り投げ、土下座して感謝した。背後の人間をよほど恐れているらしい。


「コクヨウがんばれー。そいつを倒せばニッカを助けられるぞー」


 棒読みの大声を出して状況を偽装しつつ、コハクが拍子をとった。巨漢の出す手を持ち前の動体視力で見切り、コクヨウがあっさり勝った。嬉し泣きをしながら巨漢は「やーらーれーたー」と地面に寝転がる。


「よーしニッカを助けにいくぞー」

「御意」

「コハク殿、つかぬ事をお聞きいたすが」

「なんだ、エンヨウ殿」

「誘拐犯が負けて喜んでいるように見えるのだが……」

「ははは、そんなこともあるさ。なにしろ今回は」


 茶番だからな、とコハクが答える前に荒屋から元気いっぱい、美少女が飛び出してきた。


「コクヨウ! 待ってたわ! わたくしを助けに来てくれてありがとう!」

「…………ご無事でなによりです」


 コクヨウはとりあえずニッカの手首にゆるりと巻かれている縄を解いてやった。この程度の拘束などニッカにかかれば訳もないだろうに、とは分かっていたがそれを口に出すことはしなかった。


「会いたかった!」

「…………」


 縄を解けば再び抱き着こうとするニッカをコクヨウは再びかわす。

 なぜ狂言誘拐などを企てたのだとか、みだりに周囲を騒がすような行いは謹んでほしいだとか、コクヨウにだって言いたいことはいろいろあった。

 しかし口下手であるから、それらはてんで言葉にならない。だからコクヨウはニッカの細い肩にそっと手を添えた。


「……ニッカ様」

「コクヨウ……」


 いつになく熱い視線を自分に送ってくるコクヨウにニッカは胸をときめかせた。まさか本当に効果があるなんて! 今度ホルスに茶菓子を差し入れよう、とニッカは決めた。

 肩に添えられた手にわずかだが力がこもった。

 まさか接吻くちづけ?! と顔に朱を昇らせたニッカはひょい、とコクヨウに移動させられた。


「しっかりと叱られてください」

「え?」


 移動させられた先いた面々を見てニッカは青褪める。

 コハクはいい。コクヨウを案内してもらうよう頼んだ若者もいい。だが──、


「……ヒノハナ」

「お、お父様?!」

「お前は何をやっておるのだ、ヒノハナ! 薬屋の従業員が攫われたと聞いて恩に報いるべく助太刀に来てみれば……!」

「お父様、これには理由わけが……!」

「理由もなにもあるか!」


 エンヨウの一喝に空気が震えた。無関係であるのにその迫力に若者が腰を抜かしてへたり込んだ。


「あのような者共に易々と攫われおって! 手紙にあったお前の求婚相手を見定めようと思ったが──まずはお前を鍛え直さねばならぬようだな!」



 怒るのそこなんだ、と立つことをあきらめた若者は思った。


「エンヨウ殿、落ち着いてくれ。今回のは狂言でニッカ──ヒノハナが攫われたわけじゃない。破落戸たちは彼女にこてんぱんにのされたあということを聞かされていただけで、むしろ被害者側──なあ?」

「はいっ!」


 地面にうつぶせていた巨漢はただちに正座して答える。


「なに、そうだったのか……」


 安堵に胸をなで下ろすエンヨウにニッカが言う。


「そうなの、だからお父様は安心してソケイに帰ってくださって大丈夫──いったあっ! なにするの!」


 ニッカの脳天に落とされたゲンコツがあまりにも痛そうで、コハクも巨漢も若者も首をすくめた。コクヨウだけはぬう、と変わらず立っている。ニッカは涙目になって痛む頭を押さえた。


「ますます安心などできるか! お世話になっている方々に迷惑をかけおって! やはりつ国で暮らすなどまだ早かったのだ!」


 帰るぞ! とニッカを捕まえようとするエンヨウに舌を出してニッカをコクヨウの背後へ素早く隠れる。


「イ・ヤ! わたくしはぜーったい帰りません! コクヨウがわたくしの求婚に応えてくれるまでぜったい、ぜーったい! 帰らないなだから!」

「なにぃ?! お前の求婚相手はコクヨウ殿だったのか?!」


 エンヨウの両眼が驚愕に見開かれる。コクヨウは誤解です、己はなにもしてません、と両手をあげて無罪を主張していた。

 戦う前から全面降伏するとは、とコハクはわずかに口の端を上げ、他人ひと事のようにその光景を眺めている。


「コクヨウ殿がヒノハナの婿に……? つまりワシ義息子むすこに……? ……いいな!」


 よくない。なにもよくない。

 コクヨウは戦略的撤退を選択した。コハクを抱えて薬屋へ脱兎の如く駆けだす。


「あ、ちょっと、コクヨウ! わたくしも抱き上げてってよー!」

「お待ちくだされ、コクヨウ殿! 持参金など要りませぬからお話だけでもー!」


 コクヨウを追う父娘おやこの叫びを聞きながらコハクは声を上げて笑ったし、コクヨウは苦虫を潰したかのような表情かおをした。

 残された破落戸たちは途方に暮れていた。


「あの、俺らってもう自由ってことでいいんですかね……」

「うーん、とりあえず恐喝未遂を騎士団に自首しにいこっか! 大丈夫、初犯なら厳重注意で済むかもだし、仕事も斡旋してもらえるから!」

「ハイ……」

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