第8話:守り神のいる村

 子どもは震えがら、ほかほかと湯気を立たせるできたての饅頭と共にその時を待っていた。待ち望んでいるわけではないが、それでも待っていた。

 小さな両手をぎゅっと握りしめて夜の闇の中、満月が照らす静かなやしろの前で、今すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑えて、村のため、みんなのため、と唱えていた。

 大丈夫。守り神さまはおやさしいからきっとひと呑みにしてくださる――


 翌日、社の前には冷たくなった饅頭だけが残されていた。


***


「どうしたものかな……」


 コハクはいつもの定位置で眠気に襲われている猫のように伸びながら、人名と出身の書かれた紙と睨めっこをしていた。ちっとも面白くないので、すぐさま紙を机に伏せる。

 その紙を今度はザクロが見る。顎髭あごひげをなでて見聞したあと、同じように紙を伏せた。


「現地に行って調べたほうがいいだろうな」

「そうだろうなぁ」


 二人が見ていた紙はつい先日、口入れ屋から引き取った子どもの一覧表で、十人にも満たない子どものうち三人が同じ村の出身だった。

 テッサリンド王国は法治国家であるが、国に住まう民のすべてが守られているわけではない。残念ながら法が行き届かぬ場所もあったし、法の網をすり抜ける者もいた。だから人間の売買がおおやけに禁止されていても、奴隷商は名を変えて存在しているし、それを利用する者も存在している。人間の売買が褒められたものではないとコハクはもちろん理解している。ただ、金に困っている者たちにとって有用であることもまた理解しているし、そもそも国がきちんと国民を守って救い上げていれば必要とされないはずだとも分かっていたので、コハクは奴隷商を見つけてもむやみに潰したりはせず、良心的な商いをしている者は目溢しをしている。

 買われる側からすれば人買いに良心もなにもあったものじゃないだろうが、清潔な衣食住が保障されているだけ、家畜同然に扱われていたかつての頃よりはまだマシだろう。

 コハクは売られてきた子どもを私費で買い取っては、なぜ売られたかなどの事情を聞き取り地方の問題改善に活かすようにしている。聞き取りが終われば適切な教育が受けながら働ける場所を与えているのだが、しかし今回買い取った同じ村の出身の子どもたちは少々事情が違っていた。

 売られる子どもはたいがい災害などが原因の貧困によって売られる。時々は盗賊が村を襲い、攫われて売られることもある。三人の子どもはどちらでもなかった。



「守り神様の生贄ねぇ……」


 物憂げにコハクが呟いたときだった。薬屋の扉が勢いよく開く。ドアベルも景気良く鳴って、散歩に出ていたニッカの帰りを知らせた。


「誘拐犯を捕まえたわ!」


 そうして後光を背負うが如く快活に笑ったニッカは、片で襟首を持って捕まえていた青年を「また厄介事か」と呆れるコハクの、「また捕まえたのか」と朗らかに笑うザクロの、「危険なことはお控えください……」と表情少なく嘆くコクヨウの前に突き出したのだった。

 獲物を捕獲し、飼い主へ見せにきた猛獣ねこのようにニッカは誇らしげに笑う。


「ぜんぜん危険なんかじゃなかったわ! この人、すごく弱かったもの!」


 溌剌はつらつと言い切られた青年は、泣いた。

 呆れと同情の溜め息をひとつ、コハクは咳払いをして青年を席に着かせた。


「泣くな泣くな。あいつは修羅の国出身だから、あんたが勝てんのも無理はない。ほら、茶でも飲め」

「ありがとうございます……」


 コクヨウが茶を出し、青年はそれを泣きながら飲んだ。青年の着物はアリュリィ領でよく見られる模様が染められている。それを見たザクロが眼を細めた。


「あんた、アリュリィ領の出身かい?」

「は、はい。よく分かりましたね……?」

「服の模様でな」


 ザクロが自分の服の肩口をトントンと叩いて、青年も自分の肩を見て破顔した。


「なるほど、よくご存じですね」

「アリュリィ領のパディカ村を知っているか? 王都ここからけっこう近いところにあるんだが」


 コハクは顔色の変わった青年に茶菓子を勧める。


「話を聞かせてもらおうか」



***


 王都と隣り合ったアリュリィ領の外れの、王都からほど近い、けれども山に囲まれたパディカ村は深い悲しみに包まれていた。

 村には守り神がいる。かつては十年に一度人間を要求していた荒神だったが、村をたまたま訪れた僧侶の説得に応じ、年に一度鎮めの儀式と、生贄代わりの饅頭で村を守護するようになった。しかし、益神となったはずの守り神は三か月前からまた人間を寄越せとかつてのように人家に白羽の矢を立てるようになった。

 初め白羽の矢が立った家では、お腹を空かせているのだろうか、といつものように饅頭を作って鎮めの儀式と共に捧げたのだが、それでは我慢ならんとばかりに村の田畑が荒らされた。

 僧侶の子孫であり、守り神の鎮めを担っている僧侶がまさかと言いながら、村人たちもまさかと思いながら、今度は饅頭と共に子どもを社に置いて一晩を過ごしてみた。果たして、明朝に子どもの両親が社を駆け付ければ、そこには手のつけられていない饅頭だけがあり、子どもの姿はきれいさっぱり消えていた。

 それから、白羽の矢が立った家の者がどれだけ饅頭を捧げようとも、僧侶が熱心に祈ろうとも、子どもを捧げなければ田畑が荒らされた。収穫ができなければ村が飢える。村人たちは泣く泣く子どもを捧げていた。

 領主に訴え出てはどうか、言った者には苦い顔で僧侶が苦い顔で首を振った。曰く、神秘の薄くなった昨今では領主はもちろん、王都のような都会にいる国王だとて解決はできないだろう。自分も代々鎮魂を任されてきた血筋であり、修業も積んできた身だが、言い伝えのようにはうまくいかない、守り神に声が届いているのかすらわからない、と涙ながら村人たちに頭を下げた。

 今まで村によくしてくれた僧侶を責める声はなかった。けれど嘆きは上がる。ではどうすれば、と口々に言いあう村人たちに僧侶は苦悶の表情を浮かべた。


「解決策が見つかるまで、辛いですが生贄を捧げるしかないでしょう」

「そんな……」


 村人たちは絶望した。代々守り神を鎮めてきた家系の僧侶が言うのだ、そうするしかないのだろう。


「……もう、守り神様を……退治するしかねえのか」


 村人の誰かがぽつりと言った。


「そうかもしれません。……ですが長年この村を守護してくださったかたです。それは最後の、どうしようもなくなったときに考えましょう」


 村人たちはみな一様に項垂れ、力なく頷いた。

 それから時が経ち、今日の満月の夜にはまた生贄を捧げなくてはならなかった。もう四人目だった。

 白羽の矢が立った家では老爺が一縷の望みにかけて饅頭を作っていた。どうか子どもより饅頭を気に入ってください、と念じながら。生贄に選ばれた孫のサロモネが肉餡を包みながら寂しそうに言った。


「兄ちゃん、帰ってくるかなあ」

「どうだろうねえ」


 サロモネの兄のベニートはこのままでは村に子どもがいなくなっちまうと思い詰め、他所よそで子どもを調達してくると村を飛び出していった。

 そんな人でなしなことはやめろ、と止める言葉をかけることもできなかった。村のために子どもを犠牲にしているのに、どうして言えようか。

 子どもの調達などきっとうまくいかないだろう。だって人を買う金などないのだ。人攫いだとてうまくいかないだろう。王都にいる騎士の強さは田舎のこの村にだって届いている。

 ああでも、と蒸し器のなかに餡を包み終えた饅頭を入れながら老爺は夢想する。

 人攫いが失敗したとして、その理由が露見すれば国は動いてくれるだろうか――

 国が動けば強いと噂の騎士が派遣されてくるだろう。守り神様は殺されてしまうかもしれない。

 守り神には大恩がある。けれど子どもたちを失うのは辛い。どうしようもない気持ちで老爺は饅頭を作り続けていた。

 そこへ立て付けの悪い家の戸がうるさい音を立てて開いた。


「た、ただいま……!」

「ベニート!?」

「兄ちゃん!」

「身代わりが見つかった……!」


 走って来たのか、疲労困憊のベニートが水瓶みずがめから水を飲んで背後を指さす。戸が開いたままの玄関口にいたのは凡庸な容姿の女だった。


「コハクだ。王都で薬屋をやっている。こっちは従業員のコクヨウ」


 コハクのすぐ後ろにいた男が会釈した。


「はあ、どうも……。

 ちょっとベニート、おまえね、必死だったのは分かるけど、あの人たちはどう見ても二十を過ぎてるじゃないか! ……すみませんね、コハクさんに、コクヨウさん。悪いけど、その、年が……」

「守り神とやらは稚児趣味なのか?」


 方眉を上げて、コハクが首をかしげる。いいえ、と老爺は慌てて首を振った。


「守り神様はどうにも子どもが好ましいようで。今まで白羽の矢が立ったのはどれも十二、三、四の子どもがいる家ばかりでしたし……」


 老爺は孫を見た。サロモネも今年で十四になる。


「そうか。まあ身代わりは私じゃないんだが」


 コハクはそう言って自分の背後を指す。つられてその方向を見れば、コクヨウの背後から美少女がひょっこりと顔を出した。


「初めまして、ニッカです」

「ああ! そちらのお嬢さんでしたか! お嬢さんならきっと守り神様も気に入ってくださるでしょうが……いいのですか? 生贄の身代わりなんて……」


 気遣わし気な視線を老爺に向けられたニッカは明るく首を振った。


「わたくしは化粧担当なの」


 にっこり、と太陽の輝きもかくやという風に笑って、ニッカは隣のコクヨウと腕を組んだ。にやりと口の端を上げたコハクもコクヨウの肩を叩く。


「身代わりはこいつだ」


 老爺もサロモネも驚きすぎて、わずか息を止めた。


「説得に応じてくれない荒神は退治するしかないだろう?」


 老爺は静かに目を伏せた。ああ、終に。この時が来てしまったのだ。自分が嬉しいのか悲しいのか、老爺には分からなかった。

 コクヨウはひたすらじっとしていた。衣装替えも化粧も任務ではたまにあることなので、慣れている。ただ、興奮した様子のニッカがいささか怖かった。

 日が沈み、夜空に月が昇ったころ生贄の身代わりとなったコクヨウはすっかり身支度を終えていた。

 生贄用の白い色をした儀式服を着付けられ、白粉おしろいをはたかれ、紅をさされ、「必要ないのでは?」という質問を黙殺され、髪には香油をつけられ丁寧に丁寧に梳かされた。

 今やコクヨウは身を縮めて顔を伏せてしまえば衣装の紗が降り、遠目からでは身綺麗な子どもにしか見えなくなっていた。そうしてちょこん、と輿に乗っている。

 頬を紅潮させたニッカがうっとりしながら褒める。


「すごく似合ってるわ、コクヨウ」

「……そうですか」


 肩を震わせているコハクを視界の隅に収めながら、コクヨウの頭の中はほとんどはやく、任務、終われ、で占められていた。

 そんな微笑ましい光景にも気が紛れないのか、老爺はおろおろとしている。


「村のみんなには本当に知らせなくていいんでしょうか。せめて僧侶様だけにでも」

「敵を騙すにはまず味方からだと言うだろう。大丈夫、コクヨウは必ず仕留めるさ」

「は、はあ……」

「そうだぜ、じいちゃん! コクヨウさんなら守り神様だってイチコロだ! めちゃくちゃ強いんだぜ!」

「そうなのかい……」


 喜々と語るベニートの様子を見ても不安は消えない。むしろ胸のつかえは酷くなったようだった。けれども老爺は生贄を連れに来た村の男衆おとこしにコクヨウと饅頭を託して見送るしかなかった。輿が見えなくなって、老爺はしおしおと背を丸めた。


「行ってしまった……。あの、ところでコハクさん。いきなり現れたそのおかたは誰です……?」

「兄です」

「どうも、兄です」

「はあ、お兄さん……」


 コハクがしれっと答えたので、老爺はそれ以上何も言えなかった。世間は広い、まったく目鼻立ちの似ていない兄妹きょうだいもまあ、いるのだろう。本人たちがそうだと言っているのだから、と老爺はともかくも気を紛らわせるために再び饅頭を作り始めるのだった。



「ベニートのやつ、とうとう観念したのはいいけど、おとなしすぎじゃないか」

「しかたねえよ、兄弟仲がいいからさ……」

「サロモネのやつ見た目の割にめちゃめちゃ重かったな……」

「爺さんが気合入れて饅頭をたくさん持たせたからだろ」


 池の畔に建つ守り神の社の前に饅頭と生贄を乗せた輿を置いた担ぎ手たちは足早に去って行った。万が一にも生贄が呑まれる瞬間を目撃したくないからだ。断末魔も届かないような遠くへと、男達は駆け足になっていった。

 コクヨウは夜風に吹かれながら輿の上でじっと座っていた。しばらくして複数人の足音が耳に届いた。伏せていた眼を開けたコクヨウの瞳孔が細まった。


「まったく、守り神様様だぜ」

「タダで簡単に子どもが手に入るのは楽でいいな」

「売値はまあまあだが、しかたねえ。月イチなんてケチくせえことしてねえでもっとしょっちゅう仕入れができりゃあな」

「そんなことしたらこんなしけた村なぞ、すぐ売りモンが無くなっちまうだろ」

「まあ待ってろ、その内あいつが村の連中を言い包めて他所よそから商品を攫わせるさ」

「ことが大きくなりゃこんな村とはおさらば、か。それまでは精々稼がせてもらおうぜ」

「そうだな」


 下卑た笑いを隠さずに男達は輿に座っていたコクヨウを囲み、声をかけた。満月の光に男たちの得物がキラリと光る。


「声を出すなよ、おとなしくついて来な」

「守り神のところに案内してやるからよぉ」


 コクヨウは促されるままに立ち上がり、それから儀式服の上衣うわぎを勢いよく脱ぎ捨て、男たちの視界を塞いだ。

 上衣が短い空中遊泳を終えて地面に辿りつくころには、男たちも仲良く地面に崩れ落ちていた。

 コクヨウはそれを確認して、次に社に眼を向けた。正確にはその後ろにある池に。社の屋根に飛び乗り、ゆらゆらと満月のゆれる池を見下ろすコクヨウは胸いっぱいに空気を吸いこんだ。


 遠吠えが聞こえたような気がして、僧侶は顔を上げた。


「? 野犬か?」


 しばらく耳を澄ませていたが、その後に続くものはなにもない。野犬だろう、と僧侶は金勘定に戻った。ひとつ、ふたつ、と銀貨を積み重ねては笑みを深くする。

 本当は銀貨ではなく金貨が欲しかったが、こんな田舎の子どもを売っても値段など知れていた。それでも売らないよりはずっと実入りが良い。

 幸い、パディカ村は王都に近い村だ、村人たちを口車に乗せて誘拐組織を作れば、王都の洗練されているだろう子どもを商品にできる。そうすれば金貨などすぐ手に入る。

 僧侶は歯を剝き出して笑っていた。得が高いと僧侶を疑いもしない村人たちは、よく言えば素直で純朴で、悪く言えば愚鈍だ。だからこそ僧侶の言うことをよく聞く。もう何百年も饅頭を食べさせてきた、いるかもわからない守り神に生贄を、と提案してもすぐに従った。

 もっと金が手に入るぞ、と僧侶は銀貨を見て恍惚としていた。


「邪魔をするぞ」

「?! 誰だ!」


 どこから見ても凡庸な女がひとり、立っていた。僧侶のいる部屋に土足で踏み入って来る。


「神聖なる寺院になんたる無礼な振る舞いを!」


 激昂げきこうした僧侶が叫んだが、女は動じなかった。


「あんたが礼を尽くすに値する相手だったならちゃんと礼を尽くしてるさ」

「なにを……!」

「私はコハク。王都から来た薬屋だ。ここに来た理由は」


 どしゃどしゃと寺の土間に男たちが投げ込まれた。縄で縛られた男たちは呻き声を上げただけで、眼を覚ます様子はない。

 男たちには見覚えがあった。僧侶に守り神を使った人身売買の方法を持ち掛けてきたのも、子どもを売り捌いたのも、この男たちだった。

 男たちをまたいで見知らぬ子どもが入ってきた。いや、よく見れば子どもではない。儀式服を着て白粉と紅で稚児化粧をしていたが、成人した男だった。男は無表情に僧侶を見ている。


「人買いに売られた子どもたちがな、泣いて訴えるんだ。守り神様の生贄になることを覚悟していたのに売られてしまったとな。村は無事だろうか、と泣いていた。だからこの村を調べに来た。

 守り神に生贄を捧げると見せかけて村の子どもたちを人買いに売っただろう。しかもこいつらに聞いた話じゃ、この村丸ごと誘拐組織にするつもりだったそうだな?」


 コハクがのびている男たちを指さした。

 そこまで喋ったのか、と僧侶は役立たずに成り下がった男たちを睨む。


「稼いでやろうという気概は悪くないが、方法が悪かったな」

「……黙れ」

「ここでおとなしく縛につく気はないか?」

「…………」


 僧侶は今の今まで数えていた金をわし掴む。懐に入れられるだけ入れて、先祖から代々伝わる折伏用の杖を引っ掴みコハクたちに向けた。こぼれた金が床板に散らばったがそれを惜しく思っても、構う暇など残されていない。


「誰が捕まるものか! ワシは金持ちになるのだ! こんなしけた村で一生を終えてたまるか!」


 杖をめちゃくちゃに振り回し、僧侶はコハクたちに向かっていく。コクヨウはコハクを庇い壁際まで下がった。

 それを逃さず気絶した男たちを踏み越え、僧侶はぽっかり空いた扉への道筋を辿ってその勢いのまま寺の外へと走り抜けていった。


「僧侶様?!」

「どけえ!」


 外にいた村人たちにも構わず、僧侶は杖を振り回しながら村の外へとあらんかぎりの力を振り絞って駆けていった。


「お怪我は」

「ない。……あーあ、まったく。おとなしく捕まってくれりゃいいものを」


 ここに転がっている奴らの証言があればいいか、とコハクは頭を掻いた。


 行く先々で村人たちに追い立てられ、僧侶はひたすらに走っていた。喉が焼けるように熱い。胸がひどく痛む。うまく呼吸ができない。

 もはや懐でちゃりちゃりと音を立てる金だけが頼みの綱だった。

 これだけあれば、やり直せるはず。遠くへ行けばなんとかなるはず。

 喘ぎながら走って、走って、走って、木の根に躓き転んだ。懐の金が地面に散らばり、僧侶は必死になってそれらをかき集める。

 かき集めていると耳が不快な音を拾った。ずるり、と重たいものを地面に引きずる音だ。遠く、背後から村人の声がした。


「守り神様!」


 守り神? そんなものいるわけ――

 ない、と思おうとして、今いる場所が守り神のいるとされる池、社のすぐ近くだと気づいた。僧侶は恐る恐る顔を上げる。

 そこに大蛇がいた。

 悲鳴を上げようとして、僧侶は赤い、大きな大蛇の口の中に吸い込まれるように消えていった。


***


「こんな骨っぽいの、食べるわけなかろ」


 美味しそうに饅頭を頬張りながら守り神――大蛇はそう言った。その拍子に口の端から咀嚼中だった饅頭が零れ落ちる。大蛇の口に含まれ、吐き捨てられた僧侶は涎塗れのまま魘されている。

 自身を拝む村人たちを見下ろしながら大蛇はちろりと舌を出した。


「いやあ、守護すると誓ったというのに、お主らには悪いことをした。水回りのことならすぐ気づくんじゃが、こういう、人間の謀にゃあてんで疎くての」


 言って、鎌首を下げる大蛇に、村人たちのほうが慌てた。


「いえいえ! 私たちのほうこそ、よく確かめもしませんで失礼をいたしました!」

「うん。しかしこの饅頭美味だの。いかにもわしわし好み。どこの家のじゃ?」

「はい! うちのです!」


 ベニートが老爺とサロモネの腕を持ち上げた。その表情には誇らしさしかない。


「ああ! この匂い、オリエッタの家か! オリエッタの饅頭は昔から美味での~。これが年一で食べられるならと言われるまま捧げものを変えたが、正解じゃったわ~。もっとある?」

「どうぞ!」

「おお、ありがとうなあ。ところでオリエッタは元気かの?」

「死んでますね。オリエッタは私の祖母の祖母の名前だったかと……」

「なんと、そうか……。人間はすぐ代替わりするの……」


 しょげつつも老爺が一晩中作っていた山盛りの饅頭を丸呑みしていく大蛇に呆れながら、コハクもおこぼれに与った。たしかに美味しい。


「うちのだって美味しいですよ!」


 桃饅頭を差し出す家があった。


「守り神様、うちのも是非!」


 餡饅頭を差し出す家もあった。


「うちだって負けていませんとも!」


 塩饅頭を差し出す家もある。

 多種多様な饅頭をこれもこれもと差し出されて、大蛇はでれでれとだらしなく笑って涎を垂らした。神様らしい威厳は皆無である。


「待て待て、みな食ろうてやるでの。でへへへ」


 食い意地が張っている大蛇が真ん丸ころりとした肥満体形にならないように気をつけてやれよ、とコハクは村長に忠告してやった。


「それから、守り神に確認したいことがあったら饅頭を用意して大声で呼んでやるといい。普段はほぼ寝てるらしいぞ」

「わかりました。

 守り神様! うちのも美味しいですよ! 食べてください」


 自慢のジャム饅頭を持って村長を走り出す。


「……こりゃあ、肥満になった守り神をすぐ見られそうだ」

「そうね。今のうちに減量に適した食事とか考えておいてあげれば?」


 桃饅頭を食みながら言うニッカにばか言え、とコハクは手を振った。


「食べた分だけ動けばいいんだよ、動けば」

「それができれば誰も苦労しないと思うわ」


 コクヨウはいつまでこの恰好をしていればいいのだろう、と思いながら饅頭を食べていた。

 人身売買をしていた男たちと僧侶は、夜が明けて王都から派遣されてきた騎士団に連行されていき、生贄だった子どもたちは無事に家に帰された。


 この後、村では守り神も認める饅頭! と饅頭を特産品にし、年に一度の鎮めの儀式では一心不乱に儀式舞を舞手と一緒になって踊りカロリー消費をしようとするぽっちゃり大蛇が見られるようになった。

 舞が終わったあとには美味しい饅頭決定戦が開かれ、その審査員をやっている大蛇の体重はなかなか減らなかったという。

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