第7話:女心と赤もみじ

 抜ける様な晴天の下、王都の街中を歩くニッカの起源はいささか悪かった。柔らかくそよぐ風に黄金色の髪がなびき、すれ違う人々が見目麗しい少女ニッカに目を留め、振り向き、或いは感嘆の声を漏らそうとも彼女は気にせず前へと進んで行く。彼女は生まれてこのかた注目されるのには慣れている。

 普段は好奇心旺盛で、朗らかな彼女の機嫌が悪い理由はもちろん、例によってコクヨウだった。

 薬屋カラリの店主コハクに良く従う従業員のコクヨウ──とは仮の姿で、二人の本来の姿はテッサリンド王国の王妹とその近衛だ。コクヨウの本来の業務を考えれば仕方のないことだと分かってはいるが、やはり迷う素振りもなくコハクを選ばれるのは腹が立つのだった。

 買い物に付き合うぐらいしてくれたっていいのに、とニッカは桜色の唇を尖らせた。その時である。

 人混みに埋もれるようにコクヨウの姿が見えた。何かを探しているのか、きょろきょろと周囲を見回している。

 ささくれた気持ちはあっという間に消えて、ニッカは上機嫌に、まるで踊るような足取りでコクヨウに駆け寄っていった。浅黒い腕へ自分の腕を巻き付けて、自分よりわずかに高い位置にあるコクヨウの顔を覗き込んだ。


「コクヨウ! わたくしを追いかけて来てくれたの? 嬉しい!」

「え?!」


 大仰に肩を跳ねさせ、眼を白黒させるコクヨウにおや? とニッカは首を傾げる。コクヨウの表情筋は死滅しているのかというほどに動かない。だから稀に見られる微笑えがおがニッカは見たいと思うのだ。

 けれど、今のコクヨウはまるで違う。表情豊かに、分かりやすく驚いていて、ニッカが巻き付けた腕を外そうともがいている。



「あの、すみません、俺の名前はクーロで、コクヨウという人じゃありません、人違いです」


 言われてニッカはまじまじと、目の前にいるコクヨウにそっくりな青年を観察してみた。なるほど、よくよく見ればわずかに違う。そもそも、とニッカは肩を落とした。


「ごめんなさい、人違いをしちゃったみたい……」


 来ている服が、まるで違った。


***


 故郷から出て来たばかりで右も左も分からない、行く当てもない、と言うクーロ青年を、ニッカはともかく薬屋へと連れ帰った。

 ニッカに連れてこられたクーロを見てコハクもコクヨウも、気分転換に訪れていた小説家ホレスも驚いた。コクヨウの驚きようはじっくりと観察しなければ気づかないものだったが。


「……」

「見れば見るほどそっくりでしょう? 服も揃えてしまえば一目じゃ分からないと思うの」

「生き別れの双子きょうだいかってくらい似てますね。メモメモ。不思議ですけど、まあ、この世には同じ顔が三つあるって言いますしね」


 見比べられて居心地が悪そうにクーロが身動みじろぎをする。コクヨウは微動だにしないので、見破るのは案外簡単なのかもしれなかった。今日もやはり気怠げなコハクが面白がって言う。


「もしかしたら血の繋がりがあったりしてな」

「そ、そうなんですか?」


 思ってもみないことを言われてクーロはコクヨウを見る。一瞬だけ合った視線はすぐそらされた。


「ない、とは言い切れん。なにせコクヨウの出自は私も知らんし、コクヨウ自身も覚えてないからな。なあ、コクヨウ」


 水を向けられたコクヨウは静かに首肯を返すだけで、クーロは再びコクヨウを見る。それに気づいたコクヨウもクーロを見返す。鏡に映っている自分を見ている気分になったが、ところどろが僅かに違う。しかし、やはりよく似ていた。


「あんたはパニャイス領のスハミ村の出身ということだが、どうしてまた王都に? 出稼ぎか?」

「は、はい。俺なんかに務まる仕事があるか、分からないんですけど……」


 自信なさげにクーロは頭を掻いた。村での自分を思い出し、自然と背が丸まる。気弱で、腕力も魔力もそれほど強くないクーロは、子守りや麦の収穫時期くらいしか役に立っていない。コハクは口元に手をやって、何やら思考している。


「そんなに暮らし向きが苦しいのか? 大規模な災害や飢饉があったとは聞かないが」


 いえ、と力なく否定して、クーロはコクヨウが淹れてくれた茶をすすった。温かく、気の休まる良い香りがした。


「去年はひどい水害も日照りもなく、例年通りの実りでした。今年も大きな災害がなければ、いつもなら食うに困らないくらいの実りのはずです」

「……いつもなら?」

「……はい」


 クーロは村を出る前に村長から聞かされた話を思い出す。胸がひどく塞がり、顔を曇らせて続けた。


「その、領主様が堤を改修するために、今年の税をお上げになったらしくて」

「堤を? パニャイス領のターハ川のか? まだ完成したばかりだろう」


 よくご存知ですね、とクーロは博識なコハクに感嘆した。やはり都会で店をやってる人は違うなあ、と感心する。


「より大雨に強くなるように改修するそうです。あの川は農業はもとより畜産にも必要ですし、流通の要でもありますから。大雨が降って堤が切れてしまった、では済みません。……ご英断だと思うのですが、俺のような大した稼ぎの無い貧乏人にはやっぱり、きつくて。俺は村にいてもあまり役にたてないので、納税日まで少しでも稼げたら、と……」


 とはいえ、果たして本当に自分でもできる仕事が見つかるのか、大いに不安だった。幼馴染みの言っていたように、騙されてしまったら、と思うと安易に職を紹介してやると言ってくれた人に着いて行くのも憚られ、まごついているところをニッカに腕を組まれたのだった。


「ご立派ですね!」

「あ、ありがとうございます」


 ホレスに手放しで称賛されて、クーロは少しばかり後退った。勢いの強い人は苦手なのだ。


「仕事は決まってます? 決まっていなければ是非、おれの護衛をしてくれませんか? 謝礼は弾みますので!」

「ご、護衛なんて、とても無理です! 俺はこの通り、背も小さいし、肝っ玉も小さいしで、村ではいつも馬鹿にされてて……」


 慌てりクーロにホレスは鷹揚に首を振る。



「いえいえ、大丈夫ですよ。肝っ玉の小ささならおれだって負けませんし、クーロさんはコクヨウさんにそっくりですからね! 歩いているだけで破落戸ごろつき共の方が道を開けます」

「そ、そうなんですか?」


 自分と背格好の似ているコクヨウがそんなに恐れられているのか、とクーロは信じられない思い出コクヨウを見る。失礼だが、そこまで強そうに見えなかった。コハクが眠たげに頬杖をつきながら、ひとつ頷く。


「コクヨウに喧嘩を売る馬鹿は新参者ばかりだから、そいつらに気をつければ大丈夫だろう。クーロ、逃げ足に自信はあるか?」

「あ、はい。それならなんとか」

「なら大丈夫だ。作家ホレス先生の取材に付き合ってやってくれ。いざとなればザクロのとろこの男衆のところに逃げ込めば良い」

「それは最終手段ということで! じゃあさっそく行きましょう。いや~、貧民街はまだちょっと怖くてひとりじゃ行けないんですよね~」

「あ、はい。それじゃ、行ってきます」


 ザクロとは誰なのだろう。首を捻りつつ、ホレスに連れられてクーロは席を立った。ひらひらと手を振るコハクに頭を下げる。


「気をつけてな」

「念のためにわたくしも付いてくわ。いってきます!」

「いってらっしゃい」


 面白そう、と顔に書いてあるニッカも見送って、コハクはコクヨウを見た。いつもと変わらぬ様子で、そこに佇んでいる。コハクは少しだけ意地悪く口の端を上げた。


「おまえは付いていかなくていいのか?」

「……あなたの側にいるのがおのれの使命、ですので」

「ふうん。それならそれでいいけどな」


 ニマニマ笑う主人コハクから視線をそらすコクヨウはむっつりと押し黙る。その様子をしばし楽しんだコハクはひと息ついて、表情をがらりと変えた。ただの薬屋の店主ではなく、王族の責務を知っている、王妹の顔だった。


「エナスに連絡を頼む。パニャイス領の堤改修の届け出が出ているか調べてくれ、とな」

「御意」


***


 クーロがホレスの護衛として働き始めて三日が経った。今日も貧民街へと赴くホレスに付き従うクーロの横には、上機嫌のニッカの姿もある。


「あの、ニッカさん。歩きにくいですし、は、恥ずかしいので、離れてください……」

「イ・ヤ」


 恥ずかしがるクーロの腕へ絡ませた自分の腕に、さらに力を込めてニッカは可憐な、花もかくや、といった様子で微笑した。


「もう三日目なんだから慣れてちょうだい。わたくしはこうやってコクヨウと腕を組んで歩いている、という実績を積み上げておくの。街のみんなに、コクヨウはわたくしにメロメロだって印象付けるのよ」


 それはそれはきれいに笑うニッカにクーロは感心するしかない。ホレスは面白がって、芝居がかかった動きで両手を広げた。


「わあ、外堀を埋めにかかってる。策士ですね、ニッカさん」

「ふふん、それほどでも」

「コクヨウさんも大変だなあ」

「あら、これくらい普通よ?」

「そうかなあ……?」


 少なくとも自分の知る普通とはずいぶん違うようだ、と首を捻るもニッカにしな垂れかかられて、クーロは背筋を伸ばした。ニッカはやはり上機嫌で、遊ばれているかもしれない、とクーロはぎくしゃくとホレスに付いて行く。


「なぁにやってるだ、クーロ!」

「へ?」


 怒鳴られて、驚きのまま声のしたほうへ意識を向ける。聞き覚えのある声にまさか、と思ったが、そのまさかでクーロは呆気に取られた。

 男の恰好をしているが、出で立ちからしていかにもな田舎娘が肩を怒らせ、クーロを睨みながら大股に近づいてくる。ニッカはそれがどうしてなのか思い至らず、首を傾げている。


「ルペでねぇか、なしてここに……まさかひとりで来たんじゃあるめいな?!」

「ひとりで来て何が悪い! おめぇが都会で騙されちゃいねぇかと急いで追いかけてきてみれば……!」

「ひとりで来るなんぞ、なに考えてんだ! 危ねぇだろ、痛い!」


 ホレスもニッカも、周囲にいた人間たちも、響くビンタの音に首を竦めた。頬を張られたクーロは慣れているのか、意に介した様子はない。


「なにすんだ!」

「出稼ぎに行くなんて殊勝なこと言って出て来たくせに、仕事もしねぇで、女子おなごに鼻の下伸ばしてる奴になんか言われる筋合いなぞねぇ! 心配して損しただ!」

「はあ? 何を言っとるだ」


 大声で喧嘩を始めた二人に、ホレスとニッカは顔を見合わせた。もしかして、とニッカが眉を下げる。


「わたくし、悪いことしちゃったかしら……」

「そうみたいですね」


 それから喧嘩はどんどん一方的になっていき、三発ほど頬を張られたクーロが涙目になったところで、ホレスが間に入ってなんとかその場を収めた。落ちついてからルペと名乗った娘は耳まで真っ赤にして恐縮している。


「ごめんね、ルペさん。誤解させちゃって。わたくしはコクヨウ一筋だから安心して」

「こちらこそ、早とちりしちまって、申し訳ねえだ……」


 貧民街へと歩きながら、クーロが赤く腫れた頬をさすりルペをジトリ、と睨んだ。


「叩いたおらには謝んねぇのか」

「ぅぐ。あ、誤っただ」

「どこがだ」


 睨みあう二人が微笑ましく、ニッカは我慢することなく笑った。


「仲が良いのね、羨ましいわ。ふふ、クーロさんはルペさんが相手だとお国訛りが出るのね」

「は、はい。お恥ずかしながら……」

「別に恥ずかしがることなんかないわよ。素敵だと思うわ」

「ありがとうございます」

「やっぱり鼻の下伸びてるでねぇか!」

いってぇ! すぐ手ぇ出すのを止めねぇか!」


 今度は耳を引っ張られたコークが涙で潤んだ目でルペを睨むが、ルペはそれに堪えた様子もなく、逆にイーッと歯を剥き出して迎撃の構えを取った。

 幼馴染ってこういうものなのね、とニッカは温く二人を見守る。ホレスも幼馴染ってこういうものなんですね! とメモを走らせていた。


「おうおう、ニイチャン。両手に花かい、羨ましいねえ」

「!」


 おれもいますけどー、と思いはしたが主張はせず、ホレスは前に出るクーロの背中にありがたく隠れた。

 薄汚れた服装に、無精している髪も髭も伸びっぱなしで、誰が見ても破落戸だと判ずる男が三人、クーロたちの行手を阻むように立ち塞がった。緊張に息を呑んだクーロの後ろから、ニッカが男たちに問いかけた。


「あなたたち、王都に来たばかりね?」

「へっへっ、ご明察。分かるだろ? だから懐が寂しくてな。どうだい、色男。ちょっとばかり金を貸してくれねえか?」


 返す当てはないがよお、と何がおかしいのか、男がひとり笑い出すと残りもつられて笑い出す。懐に手を突っ込んだままの男が続けた。


「お嬢ちゃんたちが相手してくれても良いんだぜ? 色男も怪我したくないだろ?」


 自分たちの思う通りになると信じてやまない男たちは、周りにたむろしている破落戸たちが自分たちに向けて同情の視線を注いでいることに気づかない。可哀想になあ、全治何ヶ月かなあ、とヒソヒソ話し合っているのにも気づかなかった。


「新参者のあなたたちがまず覚えておかなくちゃならないのは、コクヨウに手を出したら痛い目を見るってことよ」

「へ、あ、そ、そうだぞ!」


 少しでも護衛らしく、コクヨウらしく見せるために、クーロは後ろの三人を庇って胸を張る。しかし、内心は恐怖でいっぱいで、足が当然のように震えていた。それを見た男たちに嘲笑されようとも、クーロはその場に踏み留まる。いるだけで良い、と言われていたって、護衛は護衛だ。万一の時は盾になるつもりでいた。ニッカにホレス、それにルペには指の一本だって触れさせない。

 男たちはクーロを遠慮なく嘲笑う。ホレスは咳払いをしてから控えめに挙手した。


「悪いことは言いません。あなたたちも王都に来て怪我なんてしたくないでしょう? 治療院代も馬鹿になりませんし、引いたほうがあなたたちのためだと思うのですが、どうです、引いてくれませんか?」

「ああん? ふざけたこと言ってンじゃねえぞ。こんなチビに俺らが負けるわけがーー」


 ホレスは手を合わせて、ご愁傷様です、と彼らの行く末を資料にするべく目を見開く。同じように周囲にいた破落戸たちも、各々哀れな男たちのために祈ってやった。

 クーロを小突こうとした男はぐるん、と視界が半転し、地面に背中を強かに打ち付け、強制的に肺から出た空気が呻きとなって喉から飛び出した。


「ぐえっ!」


 地面に叩きつけられた男の仲間は何が起こったのか分からず、地面の上で仰向けになっている男と、そのすぐ側に立っているニッカに視線を忙しく往復させた。


「それからコクヨウを馬鹿にするのならわたくしが黙っていない、ということも覚えておくことね。最初に謝っておくわ、ごめんなさい。わたくしはコクヨウよりも容赦がないの」

「え」


 ニッカの素早い踏み込みに、立っている男たちはどちらも反応ができなかった。目の前から少女が消えたと思っているうちに腹が痛み、その次には顎を打ち上げられ、揺れる空が視界に広がり、気づけば地面に倒れていた。顎の痛みを知覚したところに、残りの仲間が倒れた音をかろうじて耳が拾った。もしかして自分たちは声をかける対象を間違えたのでは、と後悔しても遅かった。


「これはコクヨウをチビ呼ばわりした分! クーロさんを嘲笑わらった分!」


 元気いっぱいに大暴れするニッカの大立ち回りを見学しながら、三人は休憩がてら仲良くお茶を飲んでいた。


「いやあ、いつ見ても鮮やかなお手前だなあ。コクヨウさんは一撃で相手を気絶させるけど、ニッカさんは痛めつけるのが得意なんですよね、はは、えげつない。でも良い資料になってありがたいなあ」

「そ、そうなんですね……」


 勧められた茶をちびちび飲んで、クーロが護衛は俺なんだけどな、とわずか落ち込む。しかし腕っ節に自信はない。この三日、なぜニッカがついてきてくれていたのか気づいて苦笑した。


「俺らが絡まれた時のためについてきてくれてたのか……」

「お強いお人なんだな、ニッカさんは。おら、なんて人になんてこと言っちまっただ……」


 顔を青くするルペにメモを取る手を止めずにホレスが笑いかける。


「大丈夫ですよ、ニッカさんは怒ってません。おおらかな人柄の持ち主ですから。一部の例外を除いて、滅多に暴力は振るいません」


 ホレスの言葉に破落戸たちも深く頷いて同意した。


「コクヨウの兄貴を馬鹿にしたりしなけりゃ、にこにこーとしててかわいい娘さんだよ」

「そうそう。はあ……。コクヨウよりあのお嬢ちゃんのほうが凶暴なんて初見殺しもいいとこだよ」

「だよな。俺なんてニッカちゃんを見ただけで、折られた腕が痛むぜ!」

「重症だな。俺は腹が痛むだけで済んでるから幸運だったな」

「その話、詳しくお願いします」

「いいぞ」

「おう、聞いてってくれ」

「ありがとうございます! お茶とお茶請け、奢りますね!」

「よっ! 太っ腹!」

「きゃ~素敵~!」

「おだいじ~ん!」


 野太い歓声を上げながら、ホレスの周りに強面こわもてが集まりめいめい好きな茶と茶菓子を注文していく。茶店の店主は嬉しい悲鳴をあげて店員ともどもくるくるとよく働く。


おららからしたらホレスさんも十分すごい人だなぁ」

「んだな」


 村では祭りか年始年末くらいにしか縁のない甘味を頬張りながら、嬉々として強面に囲まれメモを一心不乱に取るホレスを見ていたクーロとルペの二人は、自分たちを物陰から見ている怪しい人影には気づかなかった。


***


 良い取材ができたとほくほく顔のホレスと別れて、三人は薬屋へ戻ってきた。


「ただいま戻りました」

「お邪魔するだ」

「ただいま!」

「おかえり、いらっしゃい」


 手洗いうがいするよう言われ、三人は素直に従う。ついでに、と洗浄魔術を施してからコハクは新顔に自己紹介を促した。


「パニャイス領のスハミ村から来ましたルペです。クーロがお世話になったみてえで……」

「うん。私は薬屋の店主でコハクという。一人で来たのか? 度胸があるな、村からここまでけっこう遠かったろうに」

「平気だよ、男装してきただ!」

「それでも、だ。護衛も付けずの一人旅なんて、誰でもできるもんじゃないだろう。なあ、コクヨウ」

「はい」


 三人に茶を出しながらコクヨウが頷く。ルペはまじまじとコクヨウを見て、それからクーロとを見比べた。


「はぁ~。この方がコクヨウさん。本当にクーロに似てるだなあ」

「おい、ルペ。あんまりジロジロ見たら失礼だろ。すみません、コクヨウさん」

「……いえ」

「あはは、無口な御仁だなあ」

「……」

「あれ、気を悪くさせちまったか? すまねえだ」

「……いえ」

「大丈夫、ルペが元気すぎて驚いてるだけだと思うわ」

「そんならいいんだけども」


 コクヨウは特になんの反応も返さずに掃除に戻る。コハクはまったく、と肩を竦めて十分に加糖したコーヒーを飲んだ。


「宿が決まってないなら、ルペもここに泊まるか? 予算に合った宿も紹介できるが、どうする?」


 これにはクーロが答えた。


「お言葉に甘えて、ルペもこちらに泊めてもらっていいでしょうか。ホレスさんからいただいた礼金でお代は払えます。


 コハクは気にするな、と手を振る。


「私も宿代替わりに話を聞かせてもらうからな。そうと決まればコクヨウ。部屋の準備を頼む」

御意はい

「わたくしも手伝うわ」


 手を上げ、立ち上がったニッカにコクヨウは逡巡し、うろうろと視線をさ迷わせた。しかし助けてくれる者はいない。


「……ニッカ様に手伝ってもら、うほどのことでは。どうかお座りになってい、てください」

「気にしないで、わたくしが手伝いたいだけだから」

「……ありがとうございます」


 ニッカは笑顔で押し切り、コクヨウと腕を組もうとしたがそれを躱され、仕方なく後ろをついていく。コクヨウは陸に打ち上げられた魚の眼をした。


「熱烈だべ」

「熱烈だべな」

「ははは、そうだな」


 日中の暇つぶしに焼いた焼き菓子を二人に振る舞い、コハクはゆっくりと両手を組んだ。


「それじゃ、パニャイス領の話を聞かせてもらおうか」


***


 世話をしてもらった礼としてルペは家事を買って出ていた。掃除や炊事をするたび、コハクに助かる、と労われ満更でもない。買い物を頼まれたルペの隣を歩くのはコクヨウだ。荷物持ちならクーロでも良かったのだが、今日もホレスとの約束がある、とニッカと一緒に出かけて行った。それなら一人でも、と出かけようとしたルペに道が分からないだろう、コクヨウを連れていけと勧めたのはコハクだった。ちょっとだけ、クーロと二人きりで王都を歩いてみたかったなあ、という気がしないでもない。


「あの、コクヨウさん」

「はい」

「おらが来るまでのクーロはちゃんとしてましたか?」


 コクヨウは少し考える素振りで首を傾げる。


「ちゃんと、とはどのような意味でしょうか」

「え、ええと」


 今度はルペが考える番だった。


「ちゃんと食べてたか、とかドジ踏んだりしなかったか、とか」

「クーロ様は一日三食食べていらっしゃいました。命に係わるような失敗はしていらっしゃいません」

「そうだか。ふひひ、コクヨウさんと話してるとなんだか自分が偉くなった気になるだなあ」


 コクヨウの応えはなかったが、村にいる気難しいじっさまと似たようなものか、とルペは特に気にしない。

 案内された市場を見て回り、ルペは見慣れた野菜を売っている店の前で足を止めた。


「王都にゃ本当になんでもあるだなあ。この野菜はうちの村でも取れるだ。これなら晩飯はクーロの好物を作ってやれるだよ」

「良かったですね」


 平坦に返されて、ルペの顔が赤くなった。言い訳をしながら品物を選び、代金を払ってもらう。


「べ、別に、あいつもそろそろ村の味が恋しくなると思っただけだよ」

「そうですか」


 どこまでも平坦なコクヨウの声に、なぜだかルペはさらに羞恥を募らせて、荷物を増やし増やし、話題転換を図る。


「コクヨウさんはどこの生まれだ?」

「分かりません。家族がいたかどうかも記憶にありません」

「そ、そうだか。悪いことを聞いちまって……」


 ことり、とコクヨウが首を傾げる。わずかな疑問の色が眼に浮かんでいる。なぜだか後退りしたくなって、ルペは息を呑んだ。


「え、ええと、コクヨウさんが良かったら、おらたちの村に来てみねえだか? もしかしたら、コクヨウさんを知っとる人もおるかもしれん。そうでなくても、クーロにそっくりなんだ、クーロの家に行けば家族に会った気分になれっかも……」


 ルペにとっては軽い気持ちで言った言葉だった。気まずい空気を払拭するための、話題提供のひとつで、深い考えがあったわけではない。天涯孤独ならば家族の温もりを知りたいのではないか、というお節介でもあった。しかし、それはコクヨウにとっては要らぬ世話ものでしかなかった。


「必要ありません」


 静かに、けれどきっぱりとコクヨウは言い切った。


おのれは売られた身です。もしルペ様の村に己の血縁がいたとしても売った人間が戻ってくるのは迷惑でしょう」


 コクヨウは事実、思ったことを告げただけだった。なぜか傷ついたような顔をするルペが分からなくて、小首を傾げた。


「すまなかっただ……」

「ルペ様が謝ることはなにも」

「うん……」

「おそらく謝らねばなら、ないのはこちら、かと」

「うん?」


 ルペはなぜすまなそうにコクヨウが頭を下げるのか分からず、その無表情を見返した。コクヨウは近くの知り合いらしい破落戸たちに声をかけ、両手の荷物を預ける。そうして、ルペを振り返った。


「少し……寄り道を、します。すみません」

「それは別に構わねえけども。どこへ行くだ?」


 尋ねるルペにコクヨウは視線をそらした。


「あ! ニッカさんにお土産を買ってくだな?」

「買いません……」


 ニマニマと楽しそうに笑うルペと違い、コクヨウはどこかしょげて見えた。しかし付き合いの浅いルペには分からなかった。


「ま~たまた~。照れなくたっていいだよ~。なんだかんだ言って、コクヨウさんもニッカさんが好きなんだろ~? ん~?」

「…………」


 返事はなかったが、ルペは小走りでコクヨウの隣に並び、うりうりと肘で突く。石畳の間からまばらに生えた草を踏みながら二人は歩いていく。参拝客のいない寂れた教会の外れは鳥の声くらいしか聞こえなかった。通りすがった騎士団の門扉も見たが、王都はどこもかしこも立派なのだな、と今でも土壁に木材の家が多い村を思う。

 どこまで行くのだろう、なんの寄り道をするのだろう、とクーロと同じ高さのコクヨウの背中をルペは見た。ややあって、くるり、とコクヨウがルペを振り返った。


「ルペ様。おのれは……」

「ふんふん、コクヨウさんは?」


 満月のような金色の眼がルペを見つめている。


「コクヨウさん……?」


 ルペは急にここが人気のない場所だと自覚して、たじろいだ。コクヨウはまだルペを熱心に見つめている。ま、まさか、コクヨウさんはおらのことを……?! ルペはコクヨウとの間に両手を上げ、前に突っ張った。


「す、すまねぇだ、コクヨウさん! おら、情けなくっても、肝っ玉が小さくっても、弱っちくっても、クーロのことが……!」

「おい、貴様ら、パニャイス領の者だな?」

「へ?」


 突然の闖入者にルペはぱちくり目を開閉させた。古びた石畳を叩くような足音が静寂だった辺りに響いて、身なりこそ整っていたが人相の悪い男たちが二人を囲む。男たちは或いは下卑た笑みを浮かべ、或いは刃物をちらつかせるように持っていた。


「パニャイス領の者だな?」

「そうだよ、おらたちに何の用だ?」

「は?」


 ルペはぽかん、と口を開けて隣のコクヨウを見る。なぜコクヨウが訛っているのか。

 ルペの様子にはまったく構わず、男たちが一斉に刃物を抜いた。ルペは小さく悲鳴を上げてコクヨウの背後へ隠れた。


「おまえら、パニャイス領主のモンか」

「だったらどうするってんだ? ここで死ぬお前らには関係ねえよ!」


 刃物を持った男たちがコクヨウへ群がるように襲い掛かる。最悪の予感に叫び声を上げようと息を吸い込んだルペだったが、それが叫びに変わる前に男達は全員が石畳の上に打ち伏せられていた。コクヨウは、といえば息ひとつ乱すことなく、涼しい顔で立っていた。


「は~~~~~~~、びっっっくりしただ……。コクヨウさん、無事だか? 怪我はないだか?」

「はい。ルペ様。………誠に申し訳ございませんでした」

「なんでコクヨウさんが謝るだ……もしかして、おらを囮にしただか?」

「はい。その通りです」


 ははあ、とルペは恐縮している風のコクヨウを見る。


「それでさっきはおらたちの訛りを……。クーロの真似だか?」

「はい……」


 答えながらコクヨウはテキパキと気絶している男達を拘束していく。それをぼんやりと見ながら、そうだよな、コクヨウが自分を好きだなんてな、と恥ずかしい勘違いをしてしまったルペはひとり顔を覆った。


「出掛けにコハクが言ってたがんばれ、はこのことだっただなぁ……。まったく、タダ飯食うのも悪いと思って張り切ってただに、お人好しそうに見えてコハクも人が悪いだ」

「申し訳ありません……」


 ピュウ、とコクヨウが指笛を吹く。しばらくして立派な装いの騎士たちが現れ、拘束された男達を連行してく。


「お疲れ様です。いつもありがとうございます、コクヨウ殿」

「お疲れ様です。団長殿によろしくお伝えください」


 言葉少なに礼だけをして、コクヨウはルペを連れて薬屋にようやく帰ったのだった。



「という訳で、囮役ご苦労様。これは危険手当だ。取っておいてくれ」

「へえへえ、遠慮なくもらっとくだよ。まったく、こういうのは先に言っとくもんだ。寿命が縮まるかと思っただよ」

「悪かった。けど、ルペは演技なんてできんだろう」


 できんけど、と謝罪の気持ちがたっぷりと詰まった重い革袋をルペは大事にしまう。これだけあればクーロが出稼ぎをする必要もない。


「この国で一番強いやつを護衛に付けてやったんだから、それでチャラにしてくれ」

「そりゃあ、コクヨウさんは強かっただども、この国一番だあ? そんなお人を雇っとるあんたは何者なにもんだ、コハクさん」


 ははは、と明朗に、しかし明らかになにかを誤魔化すための笑顔を見せたコハクにルペは諦めの溜め息を吐いた。


「そうそう、ただの薬屋だよ。そういうことにしておいてくれ」


 さて、とコハクは仕切り直した。

「明日は王城から呼び出しがあるぞ。パニャイス領の内情が知りたいそうだ。ここだけの話、ターハ川の堤改修工事の届け出はない。つまり、領主が着服目的で勝手に税を値上げした、ということだな。でなければパニャイス領出身のおまえたちを消そうとはしないだろう。おまえたちはおまえたちの事情を話せばそれでいい。あとは王が良いようにしてくださるだろう」


 とはいえ、出揃っている証拠、証人から領主の代替わりは既に確定している。調べで分かっているだけでも少なくない数のパニャイス領の人間が死んでいた。

 もしかして、とルペが疑念の籠った視線をコハクに向けた。


「コハクってお偉い方だか?」

「ははは、お偉い方が城下町の片隅で薬屋をやってると思うか?」

「それもそうだなあ」


 ばかなことを言った、とルペが笑う。それから緊張しているクーロの背中を叩いた。


「こら、クーロ。な~にを緊張してるだ。呼び出しは明日だよ? 今からそんなに緊張してどうするだ」

「だ、だだだ、だって、王城だよ? 出稼ぎに来ただけなのに、まさかお城に呼ばれるだなんて……」


 頭を抱えんばかりのクーロをニッカが慰める。


「別に悪いことをして呼ばれたわけじゃないのだもの、堂々としてればいいのよ。ね、コクヨウ」

「はい」


 はっと気づいて、クーロはコクヨウを見つめる。


「コクヨウさん、俺の代わりに城へ行ってもらえませんか?!」

「無理です」

「そうですよね……」


 明日はコハクも王妹エレクトラとして陳情を聞く場に呼ばれている。もちろん護衛としてコクヨウも出席するので、クーロの代わりを務めるのは無理だった。


 その後、パニャイス領の増税の御触れは撤回され、クーロとルペは領主の横領を未然に防いだとして褒美を下賜された。ホレスの元で稼いだ分も合わせて、出稼ぎをしなくて良かったクーロはルペと一緒に王都見物を楽しんだのちに、薬屋の面々に感謝しながらスハミ村へ帰って行った。

 人が少なくなるとそれだけで静かになった気がする。数日いただけの二人がいなくなっただけなのに、とニッカは今日も掃除に精を出すコクヨウを観察する。いつだって沈着なコクヨウだが、今日はいつになく打ち沈んだ様子だった。


「二人が帰ってしまってさびしいの?」

「いえ。少々残念だっただけです」

「残念なの? 珍しわね、コクヨウがそんなことを言うの」


 もしかして、ルペに好意を持ってたの? ううん、そんなはずは、とニッカは少しだけ焦る。


「クーロ様にお相手がいたのが残念です」

「? どうして?」


 わざわざ掃除の手を止めたコクヨウがニッカに向き直る。今日もきれいな満月ね、とニッカはコクヨウの瞳に感心していた。


「クーロ様でしたらニッカ様の婿取りに問題がないでしょう。身体面での問題がありましたが」


 淡々と述べるコクヨウにニッカの拳が飛んだ。


「コクヨウの馬鹿ー────!!!」


 同じ顔であれば自分でなくていいだろう、と言われたのも同然だからニッカが怒るのも仕方なかった。ニッカの機嫌取りにコクヨウがかかりきりになる未来が簡単に予測できて、コハクはあちゃあ、と蟀谷こめかみを押さえた。

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