第6話:だまされた少年

 荘厳なたたずまいの城の一角、他と比べれば少々小ぢんまりとした部屋に、コハク──エレクトラはいた。

 普段は城下町でのんびりと薬屋の店主をしている彼女だったが、城では王妹として振る舞わなくてはならない。

 できるだけ肩のこる場面は御免被る、と王族としての露出は最低限にさせてもらっているが、王主催の夜会が開かれるとなれば、各地の貴族子息が王に挨拶する場だ。欠席します、という訳にもいかない。

 挨拶くらいしなさい、という兄の命であったので、エレクトラは渋々新しいドレスの制作に協力しているのだった。

 コクヨウ──マティシャニタスはコハクの護衛として気配を完全に遮断し、部屋の隅に立っている。立像と見紛うほど動かない。呼吸をしているのかすら疑問に思うほどだ。

 エレクトラは女性であるので、もちろんドレスの仕立て作業をする部屋は男性の立ち入り禁止なのだが、マティシャニタスはエレクトラの裸体を見ても何も思わない。その逆もまた然りであるが、世の中には体裁というものが存在する。

 仕方ないので、否、面白いのでマティシャニタスは女物の衣装を着てもらっている。きれいな顔をしているし、背もそれほど高くないので、喉仏と隆々とした筋肉さえ隠してしまえば、まあ、女性に見えないこともない。

 公的な場では顔布かおぎぬをしているし、自分の代わりにマティシャニタスを行事に出せたらなあ、とエレクトラはため息をついた。


「殿下、動かないでくださいませ」

「はい……」


***


「憂鬱だわ……」


 王都に向かう道程を順調に進む馬車の中にも辟易とした表情を隠さず、頬杖をつく人物がいた。

 オーレリア・マクラグレン。オーレリアはマクラグレン家の長女で、近々開かれる王主催の夜会が社交界デビューの十四才だ。

 背中に流れる髪は絹糸のように細く輝き、小麦色に焼けた肌は生命力にあふれている。その少女はかれこれ五日も馬車に揺られていた。

 本を読む気分でもなし、さりとて話し相手の侍女は連日の移動の疲れでぐっすり寝入っている。起こすのも忍びなく、オーレリアは黙って窓の外を眺めていた。不幸中の幸いは目的地が目と鼻の先であることか。

 王都に着いたらまずなにをしようかしら、とオーレリアは流れていく風景を目に映していた。

 夕陽に照らされた木々が代わる代わる現れるだけでまったくつまらない。夜になる前には王都に着くと聞かされているが、まだかかるのだろうか。侍女にならって寝てしまおうか、とオーレリアは目を閉じた。

 その時である。激しい馬のいななきと共に馬車が急停止した。椅子から転げ落ちたオーレリアは、同じく転げ落ち、寝ぼけ眼で当たりを見回す侍女に落ち着くように言った。


「お、お嬢様、いったいなにが、ああっ、すみません、私ったら、すっかり寝ていて……!」

「いいから、落ち着いて」


 外からは男達の怒声と思しき大声が聞こえている。耳を澄ませばどうやらオーレリアの身柄を要求している様だった。オーレリアは窓からこっそりと外を伺った。

 馬車の行く手を数人の男達が塞いでいる。手には当然の如く剣が握られていた。全員が覆面をしているため、人相はわからない。

 護衛達が馬から降りて素早く剣を構えた。


「命が惜しければ、さっさとオーレリア・マクラグレンを出せ。でなければ殺す」

「賊め、無礼な!」

「お嬢様を守れ!」


 賊に先制攻撃を仕掛けようとした護衛達の一人が叫んで剣を取り落とす。賊に伏兵がいたようで、林の奥から魔術で護衛を狙ったのだ。剣を取り落とした護衛は腕を押さえながら、呻くのを必死に我慢している。


「もう一度言う。命が惜しければオーレリア・マクラグレンを渡せ。断ったとしてもお前らを皆殺しにして連れて行くだけだがな」

「……くっ!」


 下手に動けない護衛隊長は歯を食いしばった。林にいる賊が何人いるか分からない以上、圧倒的に不利だったが護衛対象を易々と渡す理由などない。どちらにしろ死ぬのであれば、戦って死ぬのが騎士の誉れである。

 隊長は号令をかけて攻勢にでようとした。万が一の場合に備えて、一番年若い者に護衛対象を騎馬で王都に連れ行くよう命令してある。時間を稼ぐための戦いを始めようとしたその矢先、守っていた馬車の扉が開いた。


「お、お嬢様! おやめになってください! お戻りを!」

「あなたはここにいるのよ、いい?」

「お嬢様!」


 ゆったりと馬車を下りたオーレリアは誘拐犯の頭目をねめつけた。


「わたくしがオーレリア・マクラグレンです。わたくしの護衛ものを傷付けるのは許しません。我が身を欲するならば、どこへなりとも連れて行きなさい」


 ヒュウ、と賊が口笛を吹く。その様子にオーレリアは眉をしかめた。


「はっ。命拾いしたな、雑魚共。おやさしいお姫様にせいぜい感謝するんだな」

「この者たちに危害を加えないと約束なさい」

「ああ、いいとも。さあ、お嬢様こちらの馬へ。逃げようとしたらこいつらを殺す。いいな」

「逃げません。

 ここまでの護衛に感謝します。王都でゆっくりと休みなさい」


 そう護衛達に労いをかけたオーレリアは賊の馬に乗せられて、あっという間に姿を消してしまった。

 あとに残された者達は、オーレリアにかけられた言葉を理解したが故に、皆一様に王都を目指した。王都に行って騎士団に助けを求めよ、とオーレリアは言ったのだ。守るべき相手に守られてしまった惨めさを抱えながら、護衛達は馬を走らせた。


***


 ようやく夜会まであと三日、となったその日。根気よく付き合っていたドレスの採寸だの仮縫いだのから解放されたコハクは、薬屋カラリの定位置で陽光に照らされ寝入る猫よろしく、ぐったりと伸びていた。

 常連客に二日酔いか、と笑われても反論する気さえ起きない。普段に輪をかけてぐうたらしている理由を知っているニッカは体力ないんだから、と呆れと憐れみを滲ませてた。


「一昼夜、山道を駆けずり回ってもピンピンしてる、野生馬みたいなのがいっぱいいる国出身のやつに言われてもなあ……」

「失礼しちゃう。ピンピンはしてないわよ。さすがに携帯丸薬を食べて体力回復させないと無理だもの」

「その話、くわしく」

「はいはい」


 今日も平和だ、とコクヨウはいつも通り掃除に精を出す。ほこりは積もる暇もない。

 からん、と扉のベルが来客を知らせた。


「いらっしゃいませ、ザクロ様」

「邪魔するぜ」


 やってきたのは風来坊のザクロで、コクヨウはいそいそと茶の準備を始めた。その様子にむくれたニッカの頬をつついて、コハクは話の続きを促した。


「作家様は来てないぞ。おそらく今頃は締め切りに苦しんでるだろうなぁ」

「そうなのかい、そりゃ残念。と言いたいところだが、今日はコクヨウに用があってな」

「そりゃ珍しい」


 ちょうどいい温度の茶を口に運びつつ、ザクロが答える。

 面倒事の気配を察知したため、机に伸びていたコハクは少しばかり起き上がった。いつもならふて寝を決め込むコハクだが、連日王城に詰めては散々窮屈な思いをしたあとの今なら話は別だ。ちょっと体を動かそうかな、なんて思っているのである。


「実はマクラグレン家の御息女が誘拐されて、捜索依頼が出てるんだが」

「オーレリア・マクラグレンか。今度の夜会に参加予定だな」

「ああ。師梟しきょう師鷹しおう両騎士団に依頼が出てる」


 コクヨウが出した甘味をちまちまと食べながらコハクは語眉を上げた。


「両方に来るのは珍しいな。ケンカになってないか?」

「はは。なんとか。

 王都のすぐ近くで攫われたのと、王主催の夜会に出席するために王都こちらに向かってたんだから、当然といえば当然だが」

「王の信用問題に係わる、か。マクラグレンも大きな領だしな」


 口元に手をやって、コハクは脳内に考えを積み上げていく。砂糖が追加されたコーヒーを飲み干し、お代わりを所望する。コーヒーがくるまでトントン、と机を指で叩き、コクヨウがたっぷりと加糖したコーヒーをともすると、それも飲み干した。

 コハクが指で出していた音の指示の内容を、コクヨウは風魔術で同僚のエナス達に伝える。


「コクヨウの鼻があればすぐ見つかると思うが」

「おう、それを期待してこっちに来たんだわ」


 がはは、と髭面に似合う豪快さでザクロが笑う。その笑みがすぐに消え、すう、と目を細めた。


「……ですから、危険なことはなさらないでくださいね?」

「しないしない。疲れることなんて、頼まれてもしない」

「危ねぇことはすんなって言ってんのに、どうしてこうも言うこと聞かねぇのかね、この人は」

「しないと言ってるだろう」

「どうだかなぁ」


 今までの『危険なこと』を指折り数え始めたザクロの声を、聞こえないふりでコハクはわざとらしくコクヨウに声をかけた。


「いやー、今日はいい天気だなあ、ちょっと散歩にでも出てくるかなっ、コクヨウ」

「はい」

「わたくしが行くっ! コハクは店主なんだからお店でじっとしてて! ほら、お客さんの相手をする! ちゃんとザクロを捕まえておいてね!

 さっ、行きましょ、コクヨウ!」

「………」


 ず~るず~るとニッカに引きずられていくコクヨウは、まるで肉市場に連行される子牛のように哀れだった。


「ザクロ。おまえ、ニッカに恋敵と思われてないか?」

「なんでだよ……」


 ザクロは遣る瀬無く両手で頭を抱えるしかできなかった。


***


 人の多い王都の市場は今日もにぎやかに人でごった返していた。土産物や小物を売っている店もあれば、軽食や甘味を売っている店もある。芸を見せている芸人も人垣から拍手喝采と小銭をもらっていた。


「すっご~い! 話には聞いてたけど、王都って本当に面白いところね!」


 小間物屋で買ったばかりの髪飾りを髪に挿し、片手には土産物の風車、片手には串飴、と市場を目一杯楽しんでいる様子の少女が興奮を隠しもせずはしゃいでいた。

 その少女の後ろには、少女が次々と買った土産物の数々と、小物の数々を背負い、両手に下げた少年が付き従っていた。苦虫を潰したような表情であっちの店へ、こっちの店へ、とふらふらと先に行ってしまう少女を見失わぬよう少年は必死だ。


「おい、オー、お嬢……様! かってに行くな!」

「昼間なんだからいいじゃない」

「よくない!」


 くすくすと笑い返してくる少女はそれはもう可愛らしかったが、少年はだまされた、と口をへの字に曲げた。

 少年の名前はヤンネ。

 親の顔を知らず、気づいた時にはならず者たちの中にいた。周囲に言われるまま流されて、悪事に手を染めてきた。

 そんな彼は、大人達が攫ってきた少女の世話を任されたのだが、震えながら涙をこらえる少女に同情し、親身になって話を聞いてやっている内に、ますます少女に同情してしまった。

 大人達の話を盗み聞いて、少女を殺す算段を付けているのを知ってから、彼の行動は早かった。

 台所を任されていてため、酒に薬を入れて大人達を眠らせたあと、少女を連れて逃げ出したのだ。これといって当てがあったわけではないが、平民相手でも親身になってくれると評判の師梟騎士団に少女を預ければ、彼女は無事に家に戻れるだろう、と王都郊外にあった隠れ家からロバを飛ばして王都にやって来たのだ。

 しかし、夜中駆けて王都に着き、廃屋でしばし休んで、騎士団に行こう、というヤンネの言葉を、しかし少女はにこやかに却下した。


「せっかく王都に来たんですもの、すぐ家に戻るなんてつまらないわ! どうせなら観光しましょ!」


 快活な少女の様子に、あれ? と思ったが、起き抜けの回らない頭が覚醒しきる前に、少女に引っ張られてヤンネは市場での荷物持ちになってしまったのである。

 月夜に震えながら涙をこぼしていたか弱い、儚い、繊細な印象のお嬢様はどこにいってしまったのか。


「ヤンネ~! これ買って~!」

「はいはい……」


 あなたお財布係ね! と持たされた、重量のある財布を取り出しながら、ヤンネは小走りに少女に駆け寄る。財布を知り合ったばかりのならず者に預けるなんて、とヤンネは少女の無防備さに呆れるしかない。

 少女の名前はオーレリア・マクラグレン。誘拐されて捜索願の出ている、渦中の人物である。

 木彫りのくるみ割り人形なんて要るか……? と大いに疑問に思ったが、ヤンネは黙って代金を支払った。


「なあ、もういいだろ。騎士団へ行こうぜ。保護してもらったあとに好きなだけ買い物しろよ」


 今まで経験のない、長い買い物に辟易しながら、ヤンネは呻いた。最初は今まで使った事のない敬語を使っていたが、オーレリアの被っていた猫がどこかへ行ってしまったため、ヤンネの敬語も行方不明だ。


「いやよ。まだ行きたいところはたくさんあるんだから。わたしを連れ出したんだから、最後までちゃーんと責任取ってよね」

「だから、責任を取るために騎士団に行こうって言ってるだろ……」


 楽し気なオーレリアに揚げ菓子を放り込まれ、ヤンネは黙らざるを得なかった。菓子は美味いが、さっきからこの調子だ。


「あの果実水おいしそう! 搾りたてですって!」


 きゃいきゃいとはしゃぐオーレリアに眉を下げてヤンネは歩み寄り、そうして素早くオーレリアを抱き上げると、店の影へと隠れた。オーレリアの口を手でふさぎ、人混みを鋭く見つめる。人相の悪い男達が道端に集まり、二言、三言、交わしたかと思えばすぐに散っていった。

 服装こそふつうの町人の姿なりだったが、足運びは盗人そのもの、ヤンネが裏切ったかつての仲間達だった。


「オーレリア、やっぱり騎士団へ行こう。オレ一人じゃ、あんたを守れない」


 ふさいでいた手を外し、ヤンネはオーレリアを見る。口をふさがれて息苦しかったのだろう、オーレリアの顔は真っ赤だった。


「オーレリア?」


 うつむいてしまったオーレリアに、もしや攫われた実感が今頃わいてきて、怖くなったのか? ようやく恐怖と危機感を思い出してくれたのか? と場違いな感動にヤンネは体を震わせた。


「ねえ、君達。そんなところにうずくまってどうしたの? 体調が悪いのかしら。だったらすぐそこにわたくし達の薬屋があるから寄って行って」


 にこり、と人の好さそうな笑みを浮かべた美人の後ろには、どこか疲れ果てた様子の男が死んだ目で突っ立っていた。

 気配がなかったような、とヤンネの考えが巡る前にオーレリアが元気よく返事をした。


「はい! 行きます!」

「うん、いい返事だね。行こっか」


 また騎士団へ行けなかった、とヤンネは肩を落とした。


***


「さすがコクヨウだな。散歩に出ただけで件のお嬢さんを保護してくるとは」

「いえ……、己は、なにも……。ニッカ様が……」

「あら、この子達が追われてると気付いたのはコクヨウでしょう?」

「すごい荷物だな。マジックポーチは持ってないのか? じゃあこれをやろう」


 出された軽食とお茶をありがたくいただきながら、ヤンネは困惑していた。

 オーレリアの正体が最初からバレている。そのわりに通報される様子もない。自己紹介しあって、事情を説明してから数分しか立っていないのだが、オーレリアは生き生きとニッカと話し合っている。

 脱走の仕方とか、これ以上変な知識をオーレリアは増やさないでほしい。


「お前さんも大変だったなあ。オーレリア・マクラグレン嬢といえば地元じゃかなりのお転婆で有名なんだぞ。私たちもマクラグレン領で会ったときは、なんて元気な農家の娘さんだと思ったもんだ」

「ああ、そう、だったんですか………」


 オーレリアはコハクたちと知り合いだったらしい。どうりでホイホイついていく訳だ。

 やっぱりだまされてた、と落ち込むヤンネにコクヨウが静かにロールケーキを勧めてきた。気遣いを受け取って、ヤンネはロールケーキを頬張った。美味い。


「それで騎士団に行こうかと……」

「そのことだが」


 コハクは咳払いをしてわずか居住まいを正す。


「ヤンネには悪いが、もう少しオーレリア嬢を任せてもいいか? いろいろあってな。寝起きはここでしてもらって、日中は自由にすごしていてもらって構わない」

「やったぁ!」


 ヤンネの返答を待たずにオーレリアが両手を上げて喜んだ。どうしてそんなに家に帰りたくないんだ。


「でも、夜会まであと三日なんだろ? 早めに帰ったほうが……、それに、オーレリアの家族も心配してるだろうし……」

「あー、連絡はしておくし、護衛料は奮発するから、なんだ、その……ガンバレ」


 生温ぅい視線のコハクに肩を叩かれ、存在しない拒否権にヤンネは項垂れるしかなかった。


 どこで間違ったのだろう。どうしてこうなったのだろう。わずかに薬草くさいベッドで横になりながらヤンネは考えていた。

 オーレリアがかわいそうだと思ったから、王都の騎士団に保護してもらおうとしただけなのに。ちっとも上手くいかない。夜会までにはオーレリアを家に帰すとコハクが請け負ってくれたから、あと三日、いやもう二日だ。それまでの我慢だ、とヤンネは目蓋を閉じた。


***


 美味しい朝食をご馳走になってから、オーレリアとヤンネが出かけたのは昨日のようなにぎやかな市ではなく、人のまばらな広場だった。

 城壁のすぐそば、貧民街にも近いさびれた広場には、みすぼらしい恰好の子どもたちが鬼ごっこをしているだけだ。仕事のできない子どもをここで遊ばせているのだろう。

 もしここで元仲間達に見つかったら、と思うとヤンネは気が気ではなかった。なにをするにしても人目につく場所よりつかない場所のほうがやりやすいからだ。

 自分一人ではオーレリアを守れないぞ、とヤンネは周囲を警戒していた。


「ねえ、ヤンネ。きれいな花畑のある場所を聞いたの。行きましょ」

「……まさか城壁の外とか言わないよな?」

「あら、外に決まってるじゃない。森に一面の花畑があるんですって」


 自分の立場を忘れてしまったのか、のんきに笑うオーレリアにヤンネはあからまさに呆れて見せた。


「自分の置かれる状況がわかってないのか? せめて壁の中にいてくれよ。そんな場所へ行って誘拐犯共に狙われたらどうするんだよ。言っただろ、オレ一人じゃおまえを守れないって。わざわざ危険な場所へ行こうとすんなよ」


 オーレリアを連れ出してからずっと気を張ったままで、疲労のたまっていたヤンネは、それはもううんざりした様子でため息をつく。


「…………」

「オー……お嬢様?」


 正論しか言っていないのに、オーレリアは傷ついたように瞳を潤ませて、わかりやすくヘソを曲げた。


「お嬢様? どうしたんだ、腹でも減ったのか?」


 どうしてそんな顔をするんだ、とヤンネは首をかしげた。


「お嬢──」

「いいわよ、なら一人で行くから!」

「は?!」


 自分一人では守れないから行くな、と言ったのに、一人で行く、と言われた意味が分からなくて、ヤンネは素っ頓狂な声を上げた。


「きれいな花冠が作れてもヤンネにはあげないんだから!」


 イーッ! と歯をむき出して、可愛らしい悪態をついたオーレリアに呆気を取られ、ヤンネはしばしそこに立ち尽くしていた。


「お兄ちゃん、おいかけなよ」

「ないたおんなは、おいかけろって、とーちゃんいってたー」

「有用なアドバイスをどうも!」


 鬼ごっこをしていた子どもたちに見送られ、ヤンネは全力でオーレリアを追いかけた。

 そんな子ども達をコクヨウは背の高い時計塔の上から観察していた。いつもは月のような色をしている眼は、視覚共有の魔術のおかげで青紫に光っている。


『いや~、青春だね~』


 首の魔導機から朗らかなコハクの声が骨を伝わって聞こえてくる。

 オーレリアを追って疾走するヤンネを追尾する黒い影に視線を動かせば、骨を振動させる音が『全員生け捕り』と伝えてくる。

 了解の意を返して、コクヨウは時計塔から飛び降りた。



「おまえ……っ、お嬢様のくせに身体能力が高いよな……っ」

「………、……」


 互いに全力疾走したあとであるので、ぜえはあと荒い息を吐いて整えること数分。大きく肩を上下させるオーレリアを呆れ半分、称賛半分の気持ちでヤンネは見やる。本当に、あの月明りの下ではかなげに涙ぐんでいたお姫様はどこにいってしまったのやら。今では欠片も見つからない。

 いつまでもメソメソ泣かれるより断然マシなので、ヤンネはこちらのオーレリアのほうが好ましかった。けれど、好きなひとには笑っていて欲しいではないか。

 泣いていた姿にうっかり一目惚れしてしまったので、説得力はないかもしれないが。

 別れまでのわずかな時間くらい笑っていてほしかった。最期までその笑顔を目に焼き付けて、想うくらいは許してほしい。


「ほら、戻ろうぜ。危ない目に遭いたくないだろ」


 差し出されたヤンネの手をオーレリアは取らなかった。頬をふくらませ、どうにも拗ねている様子で、花畑に座り込んだままでいる。


「どうしたんだよ、お嬢様。自分が狙われてるって、わかってるだろ? お嬢様? お姫様、オーレリア様~」

「やっ! まだ帰らない!」


 やっ、て幼子じゃないんだから、と可愛らしいオーレリアにヤンネの頬がかってにニヤついていく。仕方ないので、ヤンネは顔ごと視線をオーレリアからそらして、だらしない表情を隠した。


「まだ、ってじゃあ、どうしたら戻る気になるんだ? 花冠を作ったらか?」

「どうしてそんなに帰らせたがるのよ、せっかく二人きりなんだから、もう少しくらい楽しそうにしてくれたっていいじゃない」

「オレだけじゃお嬢様を守れないから早く戻ろうって言ってるんじゃないか」

「ヤンネなら大丈夫よ、ちゃんとわたしを逃がしてくれたじゃない」

「……運がよかっただけだ。次はない。だから、早く戻ろう──」

「もっと自信を持ってよ!」


 いきなり怒り出したオーレリアにヤンネは面食らう。藤色ウィスタリアの瞳を潤ませて、まなじりを釣り上げ、ヤンネを睨んでいる。


「わたしを助けてくれたのは、他の誰でもない、ヤンネだわ! もっと自信を持ってよ!」

「いや、オーレリア、でも」

「でももしかしも、かかしもないの! わたしの隣にいたいならもっと自信を持ちなさい!」

「ええ?」


 まさかオーレリアは犯罪者じぶんを雇い入れるつもりなのか、とヤンネは混乱した。誘拐犯を護衛にしようとするなんて、酔狂にもほどがありはしないか。


「まさか、オレを護衛にでもするつもりか? 気持ちはうれしいけど、オレは──」

「ここで死ぬんだから護衛になんぞなれっこねぇよな、ドブネズミがッ!」

「!!」


 とっさにオーレリアをかばったヤンネの小柄な体が宙に浮き、それから地面に叩き付けられる。花びらを巻き散らしながら、なんとか受け身を取ったヤンネは声の主を鋭く睨み上げた。

 下卑た笑いを隠しもしない男はヤンネを拾った、誘拐犯達の頭目だった。


「おいおい、飼い主様に挨拶もねぇなんて、躾甲斐がねぇな」

「ドブネズミに挨拶してもらえるほど自分がお偉い存在だと思ってたのか? 想像以上にお目出たい頭してンな」


 ヤンネは口内の血を吐き捨てながら答える。誘拐犯達に捕らえられたオーレリアが腫れたヤンネの頬を見て青褪めた。


「はっ、口が減らねぇなあ。恩知らずのテメェに礼儀を期待した俺が悪かった、よ!」

「ぐえっ」


 頭目の右足がヤンネの腹に沈み込む。いたぶるのが目的のようで、気絶はしなかった。転がりながら、ヤンネはそれに感謝し、痛む腹を押さえて激しく咳きこんだ。


「ヤンネ!」

「おっと、お嬢様はおとなしくしてな。アイツみたいに痛い目を見たくないだろう?」

「はなしてっ!」


 頬に刃物を当てられて、オーレリアは息をのんだ。そのままおとなしくしててくれよ、とヤンネは祈るしかない。


「まったく、手間をかけさせやがって。テメェが裏切ったりしなけりゃ、今頃はこのお嬢ちゃんをぶっ殺してたんまり礼金をもらえてたのによう。なんだって、長年めんどうを見てやった俺達に歯向かって、お嬢ちゃんを逃がしたんだ? ハハハ、まさか惚れちまったか?」


 頭目の揶揄に他の男達もどっと笑う。その中でヤンネはいたって真面目に答えてやった。


「そうだ」

「──はあ?」

「アンタらみたいな薄汚ねぇクソ野郎どもについていって長生きするより、オーレリアみたいなキレイなお姫様を助けて、感謝されるなら死んでもいいって思ったからだよ」

「ヤンネ……」


 ヤンネの言葉を聞いたオーレリアは天にも昇る心地でその名前を呟いた。

 頭目のほうは目に見えて怒り狂っており、浮き出た血管という血管から今にも血を吹き出さんばかりの顔色になっている。相当頭にきているようだ。


「なら望み通り殺してやるよ、ドブネズミが!」

「ヤンネ!」


 懐から慣れた手つきで小剣を懐から取り出し、頭目はヤンネの息の根を確実に止めるため頸動脈を狙った。 オーレリアが叫ぶ。


 ここで死んでたまるか、とヤンネは鋭く光る切っ先をかわす。しかしそれを予測していたのか、頭目の拳がヤンネの頬を再び打った。無様に吹き飛ばされた先で素早く身を起こしたが、襲い来る刃を避け切れず左腕が浅く裂かれる。

 チリチリとした左腕の痛みをすぐ感覚の外に追いやり、ヤンネは踏み荒らされて増した花のにおいを胸に吸い込んだ。


「ヤンネ!」


 オーレリアは誘拐犯に捕まれたその細い腕を引き抜こうとしているが、力の差は歴然で、静かにしろ、と恫喝されている。

 だから早く戻ろうって言ったのに。

 ヤンネは切れて血の滲む薄い唇をなめて、息を整えようと努める。コクヨウかザクロが来るまで時間を稼げれば自分は死んでも構わないと考えていた。どうせ騎士団に出頭すれば縛り首なのだろうから、ここでオーレリアのために死ぬなら悪くない。むしろ恵まれているくらいだ。


「最期くらい、笑っていて欲しかったんだけどな」


 小さくぼやいて、ヤンネはかすかに口の端を上げた。つくづく、どこまでも期待を裏切ってくれるお嬢様だった。それでも好きなのだけれど。


「テメェの死体は魔物の餌にしてやるよ!」

「アンタがなれよ、クソ野郎!」


 致命傷を避ければどうとでもなる、とヤンネは一歩を踏み出した。


「ぐわぁっ?!」


 しかし痛みに叫び声を上げたのはヤンネではなく頭目で、小剣を取り落とした手を押さえて片膝をついていた。訳が分からなかったが、千載一遇の好機を逃すヤンネではない。隙だらけな頭目の側頭部を強かに蹴りぬいた。さすがに頭部への一撃は効いたようで、頭目は白目をむいて倒れ伏す。


「お、お頭?!」

「ヤンネ! テメェ、よくも!」


 頭目がいきなり戦闘不能になり、騒ぎ立てる男達をまったく意に介さない声が落とされた。


「お見事」


 そのたった一言が、男達から動きを奪う。

 そうして、音も気配もなく現れたのはコクヨウで、その後ろにはひらひらと手をふるのん気な様子のコハクもいた。


「お疲れさん。よくがんばったな、二人とも」


 囮役ご苦労さん、と聞こえないように呟いたコハクにヤンネは目を剝いた。こうなることをわかっていて、否、狙って、自分一人にオーレリアを任せたのか。

 場違いとも言える部外者の登場に、誘拐犯達はすぐに我を取り戻し、オーレリアの首筋に刃を当てた。


「おい、テメェら何者なにもんだ!」

「動くな、人質がどうなってもいいのか?」

「はいはい」


 まるでやる気のないコハクのが、やはりやる気なさげに両手を上げた。コクヨウもそれに倣う。


「ヘヘ、分かればいいんだよ」

「そうだねー。物分かりがい奴は俺も好きだなー」

「あ?」


 仲間以外の声を疑問に思う暇もなく、男の喉元に白刃がきらめいていた。

 どさ、どさ、と重量のあるものが地面に落ちる音がする。消えていく背後の気配に、おそらく仲間が気を失っているのだ、と男は気付いた。


「死にたくなければ剣から手を離せ。お嬢さんからもな。その後ゆっくり手を上げろ。でなければ殺す」


 最後の一文だけは男にしか聞こえない声量で、冷たいそれが男の背に染みこむ。這い上ってきた恐怖で痺れたように動かない指を死に物狂いで動かし、剣から手を放す。地面を叩いた剣の音がいやに耳に響いた。震える手をゆっくりと頭上へ持っていく。


「よくできました。お嬢さん、もう大丈夫──ってありゃ」


 誘拐犯の最後の一人を縛り上げたエナスは頭をかいて苦笑した。


「そりゃあ、おじさんより王子様のほうがいいよなぁ」

「おっさん臭いっすね、隊長」

「うるせ~。ほら、騎士団が来る前に撤収だ、撤収」

「了解」


 影の近衛エナス達が姿を消したあとは、何が起きたのか分からず、ぽかんとして座り込むヤンネと、ヤンネに取りすがるオーレリアと、コハクとコクヨウだけが花畑に残っていた。


「騎士団に連絡してあるからすぐ来ると思うぞ」

「いらっしゃいます」


 コクヨウがそういったすぐあとに馬の蹄と軍靴が近付く音が聞こえ、木々の間から梟の紋章を掲げた師梟騎士団の面々が現れた。

 地面に縛られ転がっている誘拐犯達をテキパキと気付けし、引っ立てていく。下馬した騎士団長が近付いてくるのを見て、オーレリアが居住まいを正し、令嬢の顔に戻った。完璧なカーテシーを披露する。


「ごきげんよう、グローステスト騎士団長」

「ご機嫌麗しく、マクラグレン嬢。救出が遅れてしまい、申し訳ありませんでした」

「いいえ、この通りわたくしは無事ですもの。感謝しかございませんわ」

「過分なお言葉をいただき光栄の至りです。貴方に狼藉を働いた者たちは全員捕縛いたしましたので、どうぞご安心ください」

「ありがとうございます。貴方の尽力は父にも伝えておきますわ」


 令嬢と騎士団長の会話を右から左に流し聞いていたヤンネは、誘拐犯を連れ去っていく騎士団を放心しながら見送ってしまってから、はっと気づいた。


「あれ、オレは捕まえないの?」

「こらっ、ヤンネ! 見逃してもらったんだからいいでしょ? 黙ってればわからないんだから!」

「ふ、正直者だな」


 レイモンドがかすかに微笑んだ。コハクがその隣でわざとらしく咳払いをする。


「こほん。オーレリア嬢、そこな従者は雇ったばかりか? 従者としての礼儀はまだまだと見える。しかし主のために命を投げ出すとは、年若いのに見上げた従者だ。将来が有望だな」

「へ?」


 脈絡なく──少なくともヤンネにとっては──芝居がかった口調をし出したコハクにヤンネは困惑の声を上げる。コハクの振る舞いにではなく、言葉に驚いたのだ。

 オーレリアはといえば、たいして驚きもせず、むしろ胸を張って自慢げにしている。オーレリアがなぜ自慢げなのかがわからない。


「さすが、見る目がおありですね、殿下。ですが、この方は従者ではなく、わたくしの婚約者ですの。まだ発表してはいませんけれど」

「ヘ?!」


 これから家族を説得して、経歴改竄やら、親戚との養子縁組やらをして、立派な婚約者に仕立て上げるのだ、というオーレリアの意思を明確に読みとったコハクは、ヤンネに同情した。しかし、それも瞬きのことだった。すぐに笑んで歩き出す。


「はっはっはっ、マクラグレン家の長女なだけある。夜会に参加して婚約者候補たちと会うまでもなかったか。お幸せに~」

「は?!」


 置いてけぼりのヤンネと腕を組み、オーレリアはご満悦だ。


「なに? どういうこと? コンヤクシャってなに?!」

「わたしのお婿さんってことよ」

「いつの間にそんなこと決まったんだ?!」

「わたしのために死のうと思ったんでしょ! あれ、求婚プロポーズだから!」

「え?! そうなんだ?!」

「そうなの!」

「貴族って変わってるな!?」


 仲良く騒ぎながらうしろをついてくる子ども二人が、末永くいっしょにいられるといいなあ、とコハクは軽い足取りで薬屋への帰路を辿りながら、空を見上げた。


「お前もあれくらい熱烈な言葉をニッカに贈ってやったらどうだ~?」

「…………」


 なんとも言えぬ顔をして視線をそらしたコクヨウに、今度こそコハクは声を立てて笑った。


 翌日開かれた夜会で、マクラグレン家の長女が婚約者を伴って参加したことは大いに話題となったという。

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