第2話:意図せぬ遭遇

 月の出ている明るい夜だった。インガはいつものように仕事場から家への路地裏を歩いていた。街灯のない暗い夜道をすたすたと迷いなく慣れた様子で進んでいく。

 風になびく薄い空色の髪は月の光に透けて更に色が抜けて見え、暗闇でもよく目立っていた。同じく薄いピーグリーンの瞳には仕事を終えた安堵と疲労の色が濃い。


「……!」


 途中、人の気配にインガはその身を素早く物影に潜ませた。こっそりと窺えばなにやら数人の影が争っているようだった。



「――、――!」

「――! ―――!」


 内容は聞こえないが白熱している様子だった。

 ようやく仕事が終わり家路についているというのに、ツイてない。疲れているが仕方ない、遠回りして帰ろう――とインガがきびすを帰そうとしたその時、叫び声が上がった!」


「ぎゃあ!」


 思わず振り返ったインガの視界で影のひとつが地面に倒れる。月光に光ったものは、まさか刃物だろうか。

 インガは咄嗟とっさに声を出さないよう口に手をあてじっと縮こまった。

 路地裏の治安が良いとは言えない場所で生まれ育ったインガにはケンカは日常茶飯事だったが、さすがに殺人の瞬間を見たのは初めてだった。

 いや、まさか、けれど、と震える体を押さえこみがら息を潜めていると、人影がインガの方に歩いてきた。歯が鳴らないよう指を噛む。

 ようやく人影が通り過ぎると、インガは急いで物陰からはい出て火蜥蜴の進行方向とは逆――図らずも倒れこんだ人影の方向へ這って行った。路地裏に放置されているゴミやら何やらが手足に当たるが構っていられない。仕事着も汚れているだろうが、命のほうが大事だった。

 背後から聞こえる乱暴な靴音が小さくなっていくにつれてインガの体から強ばりが取れていく。その時だった。指先にあたった地面とは違う、柔らかいものを見てしまったのは。

 事切れているのはすぐにわかった。見開かれた眼球に、同じように大きく開かれた口から出ている液体が月明りにてらてらと光っている。


「ひぃッ……!」


 初めて見てしまった死体に思いがけず上がった声にインガはなりふり構わず走り出した。背後から怒声と戻ってくる複数人の声が聞こえたからだ。

 肺が痛くなるほどほど走っても足音は消えず、むしろどんどん近づいてきている。

 とうとう追い付かれ、腕を掴まれたと思えば壁に追い込まれ恫喝された。


「貴様、何を見た!」

「見てない、なんにも見てないったらあ!」


 インガを取り囲んだのは全員が覆面をしていて顔はわずかも分からないが、体格からして男だろうと思われた。

 否定をしても男達の殺気は当然収まらず、インガは突き飛ばされ地面に転がる。


「言い訳は御空でするがいい」


 言って、男が刃物を振りかぶった。路地裏のならず者達が持っているようなちゃちな短剣ではなく、拵えの確りとした長剣だった。

 とにかく逃げ出す隙を、と手に持っていたものを投げつけてようとインガが拳を握りしめた矢先だった。


「おいおい、女一人を囲んで何してンだ、アンタら」

「何者だ!」

「俺ァ、ザクロって漢字者モンだ。そういうアンタらはどちらさんだい?」


 覆面達の背後から現れ、ゆったりと言葉を発しながら歩みを進める偉丈夫は返答なく襲い掛かってきた覆面達を投げ飛ばしていく。所作に荒さは見られず、難なくインガの前までやってきたザクロは覆面達に向き直った。剣の柄に手がかかるのを見た覆面達が動きを止める。


「まだやるかい? 逃げるなら止めねェが、どうする?」

「……チィ! 退くぞ!」


 ザクロに凄まれた覆面達は蜘蛛の子を散らすよりも早く姿を消した。ザクロはそれを見届けると剣の柄から手を離す。


「お嬢さん、大丈夫かい」

「ありがとう素敵なお方! 危ないところを助けていただいて! お近付きの印にこれをどうぞ!」

「それだけ元気なら問題ねェな。オイオイ、どさくさに紛れて人にゴミ渡さねェでくれよ」

「おほほほほほ」


 呆れながらごみのポイ捨てをするでもなく、律儀に渡された物を懐にしまったザクロにインガはさらに好感度を上げた。


「改めて名乗らせてもらうぜ。俺ァ風来坊やってるザクロだ。アンタは? あいつらとは知り合いかい?」

「あたしはインガ。あんなヤツらと知り合いだなんて冗談じゃないわ! あたしはただ――ッ」


 間近に見てしまった誰かも知らない男の死に顔を唐突に思い出してしまい、口元を押さえてよろけたインガの方をザクロが支えた。


「顔色が悪ィな。歩けるかい? 家まで送ってくぜ」

「あぁん、明日痛くてとてもじゃないけど歩けないわぁ。家に帰ってもまたアイツらに襲われるかと思うと怖くて怖くて……。一人になんかなりたくないの、お願い、あなたと一緒にいさせて」


 足に痛みなどないが、インガはただでは起きない女なのだ。

 潤ませた瞳を上目遣いに、組んだ手でさり気に胸の谷間を強調させる。インガが勤め先でよく使い、尚且つ男に金を落とさせる仕草だ。ダメ押しにそれとなくザクロの腕に胸を押し付けようとしたが、やんわりと避けられた。


「確かにさっきの奴らが口封じにお前さんを狙わねェとも限らねェからなあ。よし、俺に任せな」


 にかっと人好きのする笑顔を向けられて、髭面も悪くないわね、とインガは思い直した。


***


「邪魔するぜ、コハクさん」

「邪魔するなら帰れ。それと閉店時間過ぎてるぞ」


 店主の塩対応に軽く笑って、ザクロはインガをカラリに連れて来た訳を話す。


「てな訳で保護してやっておくんな」

「お前はまたそうやって面倒事を持ってきやがって……。今度酒も持って来い」

「もちろんだ。良い酒持ってくるぜ」


 親し気に会話するザクロと琥珀に機嫌に下げながらインガはザクロにしなだれかかる。が、またしても避けられた。内心で舌打ちをし、コハクの後ろに立っているコクヨウを指さした。


「あぁん、もう。ここ男がいるじゃないの、安心できないわぁ。アンタの家に連れてってよぉ」

「あー、いやあ……」


 歯切れの悪いザクロに気だるげなコハクが助け舟を出す。


「コクヨウはどこの誰より安全な番犬だぞ。天地がひっくり返ってもあんたを襲うなんてあり得ん、安心しろ」


 コクヨウは無表情にインガを見ているだけだった。


「は? なにそれ。ケンカ売ってんの?」

「なんでそうなる」

「あたしみたいな美人に手を出さない訳ないでしょ!」

「えぇー……」


 コハクに詰め寄ったインガの隙を逃さずザクロは素早く出入り口の扉に手をかけた。


「コクヨウの傍にいれば安全だぜ、俺が保証する! じゃあな!」

「あ、ザクロ! ……行っちゃった……」


 眠たそうに欠伸あくびをしたコハクが呆れた様にインガを見た。


「引き受けたからには面倒を見るが、あんまり手間をかけさせないでくれよ」

「アンタには頼んでないわよ、あたしはザクロに守って欲しいの!」

「さー寝るぞー。仮眠室は譲るからあんたはそっちで寝てくれインガさん」

「あ、ちょっと待ちなさいよ!」


 さっさと背を向けて歩き出したコハクを掴もうとした腕はコクヨウに遮られ、インガはテキパキと仮眠室のベッドに寝かしつけられた。


「お休みなさいませ」


 反論する暇もなくベッドに転がされ、灯りまで消されては大人しく寝るしかない。


「なによもう! 明日こそザクロを落としてやるんだから!」


 一人意気込みながらインガは薬草の匂いのする掛布にくるまった。


***


「コーヒーひとつ!」

「紅茶くださーい」

「湿布お願いしま~す」

「のど飴おくれ」

「お嬢ちゃんかわい~ね~。どう、このあとお茶でも行かない?」

「当店は出会い茶屋ではありませんのでご退店ください」

「コクヨウちゃんごめんて! いつもはいない美人がいたからつい! 許して!」

「ご退店ください」


 その日の薬屋カラリはいつも以上に盛況で、普段なら閑古鳥が鳴きがちな昼飯時でさえ客の姿が絶えなかった。

 ようやく閉店の札を掛けた時にはインガはすっかりくたびれていた。


「つっっっっっかれた~~~」

「お疲れさん、助かった」

「給料出しなさいよ……タダ働きなんてゴメンだわ……」

「出す出す。ほれ、茶でも飲め」


 出された茶を飲んだインガは気の抜けた声を出す。


「ありがと。あ゛~~、疲れた体に染みるわあ。ここって毎日こんなに忙しいの?」

「今日は美人がいたからだろう」

「あら、わかってるじゃない」


 自慢げに笑ってインガは茶を呑み干した。後片付けをコクヨウに任せ、自分は気だるげに椅子にもたれかかるコハクを軽くねめつける。


「で? ザクロはいつ来るのよ」

「知らん」


 おっくうそうに視線だけをインガに向けて、コハクは頬杖をつき今にも寝に入りそうな大勢だ。


「客がいつ来るかなんて私にわかる訳ないだろう。客の気分次第だ」

「ふうん?」


 探る様にコハクを見、次にコクヨウを見る。挑発的な笑みを浮かべ、丹念に手入れした爪の先でコハクを指す。


「アンタはコクヨウと“良い仲”なのよね?」

「……」


 コクヨウは質問の意図が分からず首を傾げ、コハクは眉をひそめてうへえ、と声を上げた。

 インガはそんな二人を置いてけぼりに自信に満ち溢れた笑みで胸をそらす。


「あたし、ザクロを狙ってるの。邪魔しないでよね」

「ハイハイ」


 コハクは心底面倒、といった顔を隠さずおざなりに返した。

 窓の外を見ればすでに陽が傾き、赤く染まった家々の影が黒々と伸びている。その内夜の闇に沈むだろう。

 インガは夕暮れを見て自分の出勤時間を思い出し、大げさに見えるほど手を叩いた。


「いっけない、もうそろそろ店に行かなくちゃ!」


 軽く身なりを整えカラリを出ていこうとするインガにコハクは今日分の給料が入った革袋を持たせた。中身を確かめたインガは大きく目を見開く。これだけもらえば二、三日は店に出なくてすむ。


「すまんが、しばらく働きに出ないでもらえると助かる。あんたは狙われてるかもしれないんだ、出歩かないほうが安全だろう」

「そりゃ、そうだけど。でも無断で休めないわよ。クビになっちゃう。しばらく休むって連絡くらいはしないと」

「それはそうだろうな。コクヨウに送迎されるから離れるんじゃないぞ」

「あら、仕事場に行くくらい一人で平気よ」

「念のためだ。相手がどんな手段を使ってくるか分からないからな」


 大人しく聞き分けてくれ、とコハクに説かれてインガは殊勝に頷いた。


「はあい。じゃ、行きましょコクヨウ」


 コクヨウは無表情に頷く。あたしに笑いかけられたんだから赤くなるくらいしなさいよ、とインガは鼻を鳴らした。

 コクヨウはこれまでインガが弄んできた男達と違って顔色がまったく変わらず腹の底が読めない。背も高くないし、甲斐性があるようにも見えなかった。

 インガが店番をしなければ流行らないような薬屋の店員などしているのだからう鳴かず飛ばずの男なのだろう。

 やっぱりザクロのほうが素敵だわ、とインガは重い給料袋を抱きしめながらコクヨウを連れて仕事場に向かった。


***


「おはようございまーす。インガ、今日からしばらくお休みしまーす」

「はあ?! いきなりそんなこと言われても困るよ?!」


 店の扉を開けるなり休みを宣言したインガにコップを拭いて開店準備をしていた支配人は目を白黒させた。


「実はかくかくしかじかでぇ、ほら、この人護衛なの。こんな仏頂面くっつけてお店に出る訳にもいかないじゃない?」


 インガが勤めるこの店は客に酒を出して女給が話し相手を勤める店だ。女給の横に無表情の男がいたら客も気持ちよく酔えないだろう。

 たしかに、と支配人はコクヨウを上から下までじっくりと眺める。


「うーん……。でもこの人、見てくれはいいし、ボーイくらいならできるんじゃない?」


 支配人の言葉にインガもコクヨウを見るがコクヨウは微動だにせず二人を見返すだけだった。


「……だめっぽいね。愛想笑いのひとつでもしてくれればいいのに……」

「でしょー? じゃ、そーゆーことで」


 説明は終わったとばかりにインガはコクヨウを連れて店を出た。支配人の制止に聞こえないふりをして歩みを進める。

 すぐに帰り道が違う、とコクヨウの不思議そうな視線に歩みを止めて、インガは甘える子どものような声をかけた。


「ねえ、家に寄っていきたいんだけど、いい?」


 コクヨウはしばし無言で考えたあとに頷いた。笑って礼を言いながら無愛想なヤツ、とインガは自宅へ向かったのだった。


 しばらく歩いて着いたのは見るからに貧相な作りの家屋の立ち並ぶ貧民街で、インガはその内の一部屋の前でコクヨウを振り返った。


「今日の給金を隠してくるからちょっと待っててくれる?」


 コクヨウは首肯する。殊更美しく見えるよう笑みを浮かべてインガは礼を述べた。

 部屋の床下に金を埋めて、インガは玄関と反対方向の窓枠に足をかけた。


「ザクロにどうしても会いたいの。もう少し待っててもらうわよ。昨日と同じ時間と場所に行けば会えるはずなんだから!」


 ザクロに会ったら今度こそ何が何でも彼の家に置いてもらうのだ。

 陽の落ち切った路地裏をインガは足取り軽く進んで行く。それほど時間がかからず昨夜と同じ場所に辿りついた。だが辺りを見回してもザクロらしき人影はどこにもない。


(……そりゃあ、そうよねえ……)


 半分以上会えると思っていなかったが、それでも会えないのは予想以上に堪えた。


(あーあ、男を翻弄するのが仕事のあたしが一人の男に振り回されるなんて腕が鈍ってるにもほどがあるわ……)


 待っても来ない人間をいつまで待っていても時間の無駄だ。仕方なしに家に戻ろうとしたインガは人の気配を感じて喜色満面で振り返った。


「ザクロ……?!」


 しかし視界に入ってきたのは待ち望んでいたザクロではなく、どこからどう見ても怪しい覆面の集団だった。


「貴様。その髪、昨日の女だな」

「探す手間が省けた」


 インガの背中に冷たい汗がながれる。じりじりと後ずさるが、それを許さないと言うかのように覆面達は刃物を取り出した。


「貴様に恨みはないが見られたからには死んでもらう他ない」

「み、見てないってば! あたしはなんにも知らないってば!」


 勢いよく首を振るインガだったが、覆面達の殺気は緩まない。


「何も知らない、か。じゃあ昨夜ここで何を拾った?」

「……はあ? 知らないって言ってるじゃない。大体こんなとこで拾えるのなんてゴミくらいのもんでしょ」

「……やはり殺すか」


 予想外の問いに面食らって、数舜遅れた返事を勘ぐった覆面達は問答無用で襲い掛かってきた。


「キャアアア! 助けて、」


 迫る白刃に思わず身を縮めたインガがザクロ、と叫ぶのと、ギャ、と蛙が潰れたような声が上がったのは同時だった。恐る恐る辺りを伺ったインガは地面に倒れた覆面達に目を見開く。


「ザクロ、助けにきて……」


 言いながら見上げた人物の背はもちろんザクロ――ではなくコクヨウのものだった。


「――――……」


 助けてもらって悪いとは思うのだが、本当に悪いとは思うのだが、インガは分かりやすく落胆した。落ち込むインガをよそにコクヨウはたちまち覆面達を叩きのめしていく。


「……クッ! 退くぞ!」


 とうとう立っているのが頭目らしき男だけになってしまうと、覆面達は素早く撤退していった。或いは腕を、或いは足や脇腹を庇いながら闇の中に姿を消していく。

 束の間、覆面達の去っていった方を眺めていたコクヨウはインガに向き直る。


「怪我は」

「な、ないわ」

「では戻りましょう」


 勝手に側を離れて責められるか、なじられるか、と身構えていたインガは拍子抜けした。行かないのか、と問うようなコクヨウに行くわよ、と返してインガは大股に歩き出した。



***


「それで? おめおめ逃げ帰って来たのですか?」


 冷たく粘着質な声が部屋に響く。さほど大きい訳でもないその声に男達――つい先ほどコクヨウに叩きのめされた者達だ――は床に額を擦り付けて謝罪する。


「申し訳ございません!」

「護衛が予想外に手強く……!」

「言い訳はよろしい。相手が誰であろうとあなた達は私の命に背いた。違いますか? 目撃者の小娘一人殺せぬとはとんだ無能を今まで生かしておいたものです。自分の見る目にがっかりしていますよ」

「申し訳ございません!」

「おまけに大切な職人も逃がしてしまうし。あの男は金にこそ汚かったが、腕は良かった。それをむざむざ死なせるはめになって……」

「申し訳ございません!」


 その場に額づくだれもが、殺せと命令されたから殺したのに、と思ったが口には出さずただひたすらに耐える。


「おかげで完成が一月遅れてしまいます。まあ、どうせ完成したら殺す予定でしたから良いのですが」


 机に投げ出されている硬貨のひとつを撫でながら男はニンマリと笑った。


「贋金の型さえ完成してしまえばあとはやりたい放題ができますからね。半年待ったのです、一月くらい待ちましょう。私は寛大な人間ですからね。あなた達のような無能な人間のことも許して差し上げますよ」

「ありがたき幸せにございます!」


 うすら寒い主の笑みを見ない様、男達はひたすらに頭を下げ続けた。


***



「真っ黒でしたね」

「真っ黒だったな」


 無事に任務を終えたエナスとルーサーは侵入が露見しないうちにエグバート・スペンス邸から脱出した。

 ルーサーはかつて先代にかけられた恩に報いるため愚かな主に仕えていた。その主が悪行を働き捕まったとき、自分達も当然裁かれるものと思っていたのだが、どこにどう話をつけたのか自分達を叩きのめした男――コクヨウがエナスと共に現れ、簡単な自己紹介のあとコクヨウ達の主に仕えろ、と言ってきたのだ。

 週休二日制だったがお前たちが入れば週休三日制になる、給料も待遇もいいぞ、とエナスに丸め込まれて今に至る。エナスは主人に仕える集団の頭目であるが気さくな人物で、裏の世界を生きてそれなりに長いルーサーに今の職場の基本を丁寧に教えてくれている。敬語もいらんと言われたが、仲間達までも救ってくれた恩人にいきなりため口はきけなかった。

 新たな主に雇われてから初めて任された大事な任務だったが、インガを襲った者達がどこに戻るのか確かめればいい、という簡単な内容であったので完璧にこなしたと言えた。

 できれば悪行の証拠をひとつやふたつも持ちだしたかったが、悪人相手とはいえ、窃盗は窃盗なのだから出来得る限り法に触れぬよう行動しろ、と新しい主から言いつけられているのだ。インガを誰が、何の為に狙っているのか分かっただけでも収穫だろう。


「窃盗は駄目で、無断侵入はいいんですね」

「バレなきゃな。バレて捕まったりするとヒドイぞ~」


 おどけた調子のエナスにルーサーはごくりと息を飲んだ。いったいどのような罰を受けるのだろう。鞭打ちだろうか、それとも食事抜きだろうか。


「コクヨウ殿が助けに来てくれるが、ついでに犯人共の家屋敷が瓦礫の山になる」

「……それは……ひどいですね……」


 犯人達にとっては、とルーサーは引くつく口の端を無理矢理に上げた。

 知らなかったとはいえ、なんて人に戦いを挑んでいたのか。あっという間に地面に沈められた時の事を思い出し、ルーサーは頭を抱えくなった。手加減をされていると感じてはいたが、手加減の限りを尽くされていた。

 過去の己の愚かさを改めて悔やみ、顔も名前も知らされていないが、前科者の自分たちをホワイトな職場に再雇用してくれた己の主人への忠誠を高めるルーサーだった。


***


「只今戻りました」

「お帰り。夕飯できてるぞ」

「……ただいま」


 軽く頷いたコクヨウが店の奥に消えて行く。ほかほかと美味しそうな湯気を立てる夕飯にさっそくありつこうとインガが席に着こうとすればコハクから待ったがかかった。


「外から戻ってきたらまず手洗いうがいをしてくれ。食べるのはそれからだ」

「ええ? あとでいいじゃない。あたしもうお腹ペコペコ――」


 インガが言い終わらないうちに首根っこを引きずられ洗面所に連行される。先に手洗いうがいを終えたコクヨウと視線が合い、インガは猛烈な羞恥を覚えた。


「……子どもじゃないんだからこれくらい一人でできるわよ」

「子どもじゃないなら言われんでもやってくれ」

「………………」


 至極当然のことを言われ、黙るしかなかった。

 昼の賄いと同じく美味な夕飯を終えて、食後のデザートに浸っていると思い出したようにコハクが言う。


「そうそう、あんたが出ている間にザクロの手下が来てな、あんたを保護する準備ができたそうだ。明日からそっちに移れるぞ」

「……え?」


 思いもよらなかった話に反応の遅れているインガにコハクはなんでもないような顔で続ける。


「ここは薬屋であって保護施設でもなんでもないからな。向こうでも仕事はあるから給金の心配はしなくてもいいぞ」

「そ、そう……なの」


 もごもごと歯切れの悪い返事をしながらインガはコクヨウを見る。コクヨウからはやはり何の反応も返ってこなかった。

 そんなことなど分かっていたはずなのに、なぜか妙に腹立たしい。


「わかったわよ! 行くわよっ! 迷惑かけたわね! ありがと!」

「なに怒ってるんだ……」

「怒ってなんかいないわよ!」


 バタンッ! と力強くしまった仮眠室への扉にコクヨウはコクヨウはわずかに首を傾げた。女心は私も分からん、とコハクはコクヨウを手招きする。


「さて、報告を利かせてくれ」

「御意」


***


 翌日、迎えに来た男衆達に連れられながら、インガはやり場のない怒りを発散していた。


「もうっ! 腹立つ! なんなのよあの仏頂面!」

「まあまあ……」

「あたしは売れっ子なのよ!『夜の蝶』のインガと言えば少しは名前が通ってるんだから! なのにあの男ってばまったく表情変えないんだからっ! 好色ヤロウにジロジロ見られても腹立つけどまったく興味持たれないのもそれはそれで腹立つ!」

「仰る通りで……」


 ザクロの元で荒事は慣れている彼らも荒れ狂うインガの勢いには敵わず、相槌を打つしかできなかった。


「ザクロにも会えないし!」

「お頭は忙しいお人なんで……」

「そうみたいね! こんな美人が待ってあげてるっていうのに!」


 一目がなければ地団太を踏んでいたであろうインガの剣幕に男衆達は苦笑いをするしかない。

 ひと通り叫んで、ようやく気の静まってきたインガは深呼吸した。


「で、どこに行くの?」

「俺らのたまり場っす。そこなら誰かしらいるんでインガさんの保護には最適だろうって。たまり場にいる間は家事をやっていただけたら……」

「賃金は出るんでしょうね?」

「もちろんです。ちゃんと出ますよ」

「それならいいけど」


 ザクロの手下のたまり場ならザクロに会えるだろう、となんとかイライラを修めたインガだった。


 保護場所が変わって三日経った。インガは難なく食事作りや掃除をこなし、手下達とも砕けた会話をするようになっていた。


「ぜんっぜん! ザクロに会えないんだけど?!」

「お頭は忙しいから~」


 この三日で聞き飽きたお決まりのセリフにインガは自慢の美貌で凄んだ。来たばかりの頃にかぶっていた猫はすでにその辺でごろ寝している。


「や、本当に。あの人はマジで忙しいんすよ。俺らでも毎日会うとかないですもん。な?」

「そうそう。正直、お頭は止めたほうがいいっスよ、インガさん」

「なんでよ!」


 男衆は揃って顔を見合わせた。


「お頭は顔が良いし」

「面倒見も良いし」

「腕っぷしも強いし」


 うんうん、と肯くがそこで男達は声を揃える。


「「「「でもな~」」」」

「「「「恋人とか結婚相手には向かないよな~~~~」」」」

「「「「な~」」」」

「そ、そんなこと言って、諦めさせようってんでしょ? 騙されないんだから」


 男達は無言で首を横に振る。


「いつもいつも仕事仕事って忙しいし」

「特定の相手を作るの見た事ねえな~」

「ノリはいいんだけどな~」

「言い寄られても一線引いてるよな」

「女を呼んだ飲み会は飲み代だけ置いてすーぐ帰るし」

「そうそう。いつの間にかいなくなってんの」

「既婚者にも近寄らねえよな。バアちゃんは別として」

「なによそれぇ……」」


 男達の証言を聞いてインガが持っていた自信はみるみるしぼんでいく。コハクの態度にも合点がいった。ザクロが女と距離を置いていると知っていたのだ。


「…………もしかして男色そっち?」

「「「「「…………」」」」」

「否定しなさいよ!」


 否定が欲しくて呟いたインガに男達は口を噤んでめいめい明後日の奉公に視線をとばす。


「だってなあ……」

「うん……」

「違うと思うヨ?」

「コクヨウの兄いとすげえ仲良いけど」

「阿吽の呼吸だけど」

「嘘でしょおおおおおお!」

「どんまい」

「インガさんなら他に良い男をすぐ捕まえられるって」

「ファイト☆」

「胸もない仏頂面に負けるなんてえええええ!」

「コクヨウさんは胸筋あるっすよ」

「バカ、黙ってろって」


 いつも騒がしい男衆のたまり場だが、女一人いれば更に騒がしくなるものだな、と陰で会話を聞いていたザクロは詰所に入ることなくそのまま歩き出した。


「男色ではないのだがな……」


 短くない時を共に過ごした部下達にすら勘違いされているのか、と哀愁に暮れながら。

 行先はすぐ近くの露店だ。


「おっちゃん、団子十本包んでくんな」

「あいよ。どうしたね、ザクロの兄さん。暗い顔してよお」

「はは、ちょっとな」


 ザクロは団子を待つ間先詰所で隠れきいたことの顛末を説明する。団子屋の店主は面白がって笑う。


「あっはっは」

「笑いごとじゃねェよ。まったく、好き勝手言いやがって」

「いやあ、でも事実でしょう」

「俺ァ男色じゃねェぞ」

「コハク姐さん一筋でほかの女に目もくれねえじゃないですか。ほい、団子十本お待ち」

「………で、様子はどうだい」


 団子の受け渡しのついでに談笑を交わす声音と顔でザクロは露店の親父に尋ねた。親父の方もにこやかに応える。


「うろちょろしてますが襲ってくる気はないようです」

「そうかい。引き続き頼むぞ。油断はするなよ」

「へえ、任せてくだせえ」


 これから薬屋ですかい? と面白がる部下オヤジにやれやれとこれ見よがしな溜息をついて見せ、ひらりと手を振った。

 行先はもちろんカラリだ。



「邪魔するぜ」

「いらっしゃいませ、ザクロ様」

「もう店じまいはすんでるんだがなー」


 閉店のかけ看板に構わずドアベルを鳴らせばいつもの眠たげな瞳に出迎えられたが、手土産ワイロの団子と酒を渡せばころりと態度を変えて瞳を輝かせた。現金なコハクに微笑んでザクロはカウンター席に着いた。


「釣れないねェ、俺より土産のほうが大事かい?」

「はっはっはっ、そんな訳ないだろう」


 さっそく指についた団子のあまっじょぱいたれを舐めながら言われても説得力はない。団子を一本腹に収めたコハクはいそいそと酒瓶の封を開け、ついとお猪口の一杯を飲み干す。


「は~……美味い……。

 で、どんな面倒事を持ってきたんだ? 大方スペンス家に関することだろうが」

「ご明察。いやあ王女殿下が市井にいてくださると話が早くて助かる!」

「よく言う……。最初は反対ばかりしてたくせに」


 からから笑うザクロをねめつけながらコハクは再びお猪口を空にした。ふにゃりと眉間が緩む。美味い酒を前にしては不機嫌を装ってばかりはいられない。

 上がるコハクの口角に満足したザクロもまた笑みを浮かべた。


「うん、美味い。かなりの上物だな」

「この間気に入ってた酒蔵の新作だ。当たりだったな」

「へぇ……よく手に入ったな。…………つまり持って来た話はものすごく面倒なんだな?」


 イイ笑顔で無言の肯定をするザクロにやや肩を落としながらコハクは勢いよくお猪口を空にした。


「美味い酒は美味く呑むぞ。お前も飲むだろ」

「もちろん」


 しばし二人は無言でお猪口を空にし続けた。コクヨウはそれをぼう、とした佇まいで見学している。

 酒瓶の半分が消費されたところでコクヨウが酒を片付け始める。それに未練がましい視線をおくりつつも、仕切り直すように水を飲んだコハクは気怠く背もたれに体重を預けた。ザクロも水を飲んで背性を正す。


「教えていただいたスペンス家ですが証拠が平民の目撃証言だけでは追及しきれないでしょう」

「だろうな。かといって私が口を出すのもなあ。兄さんは私が市井にいるのをあまり良しとしていないし、面倒事に首を突っ込み過ぎると外出禁止をくらうだろうな。お前もとばっちりくうぞ、ザクロ」

「それは困りますね」


 コクヨウの入れた茶を飲んで二人は唸る。


「殺しの証拠は出てないんだろ?」

「ええ」


 ザクロが懐から小さな金型を取り出した。インガを助けた夜に手渡された物だ。ゴミかと思っていたが、思いがけない証拠となりそうだった。


「殺された男は半年ほど前から行き方知れずになっていた金物細工の職人でしたが、どこで何をしていたかはわかっておりません」

「どうにも手詰まりだな」

「黒い噂の絶えない御仁ですが尻尾は一度も掴ませたことがありませんからね」

「だとすれば現行犯として捕まえれば楽だな」

「………やめてくださいね」

「まだ何も言ってないだろう」

「どうせご自分が囮になろうとか考えていらっしゃるのでしょう?」

「それが一番手っ取り早いからな」

「面倒事に首を突っ込み過ぎると外出禁止になると言った口で……。やめてくださいね?」

「善処する」

「殿下!」

「大声出すな」


 鬱陶しそうにコハクが眉を顰め、手を振る。聞く気の無いコハクにザクロが深い溜息をついた。


「万が一御身に何かあったらどうするのです」

「コクヨウがいれば大丈夫だ。最悪スペンス家が物理的に潰れるだけで済む」

「あの家には高価な調度品があるので潰したくありません。どうせ潰れるなら売り捌いて民のために使いたく存じまず」

「ははは、たしかに潰すのはもったいないな」

「……殿下」


 静かに、まるで月から泉にひと雫が落ちた水音のように静かに、ザクロがコハクを見つめる。


「本当に、おやめくださいね」

「わかったわかった、考えておく」


 ザクロは両肩を落として大きなため息をついた。

 コクヨウはそんなザクロを労わる様に淹れたての茶を置いた。


***



「なんで私が荷物持ちなんだ。コクヨウに頼めばいいだろうに」

「コクヨウがいないんだから仕方ないじゃない、護衛が聞いて呆れるわ!」

「何をそんなに怒ってるんだ……」

「怒ってなんかいないわよ!」


 言葉とは裏腹にいらいらとした様子で買い物を続けるインガにコハクは肩をすくめた。

 インガが男衆達の詰所へ預けられてから一週間がすぎていた。

 インガを狙う者達からの襲撃もなく、極めて平穏に過ぎていった日々に飽きたインガが買い物に出たいと訴え、しかし折悪く男衆はみんな溝浚いだの畑の手伝いだの害獣駆除だので予定が埋まっており、護衛がいない。だから大人しく詰所にいてくれ、と説得された。しかしそこで諦めるインガではない。はいそうですかと引き下がっていては店で売り上げ上位に入るなどできないのだ。ならばコクヨウに護衛をさせるからとカラリまで男衆に贈らせた。

 これで思う存分買い物ができるぞとカラリの扉を開けるまでは良かったのだが、魔の悪い事は重なるもので、コクヨウまでもが所用で留守だったのだ。

 今日の買い物は諦めろとやる気なくコハクに言われてもインガは諦めきれなかった。命の危険があるからと七日以上も引き籠っていたが、もう限界だった。

 路地裏に近付かなきゃ平気よ、とインガは渋るコハクを半ば引きずるように街へ繰り出した。

 服屋をハシゴし、装飾品屋を冷かし、露店で買い食いをすればあっという間にコハクのひ弱な腕に限界がきた。 


「おーい、そろそろ休まないか。腕が限界だ」

「いいわよ、あんたの奢りね」

「ハイハイ」


 茶屋に入ろうとした二人を呼び止める声があった。声をかけてきたのは人相の悪い二人組で、嫌な笑みを浮かべていた。


「ネエちゃんたち、ヒマかい? どうだい俺達にちょっと付き合わねえかい?」

「は? 鏡見て出直してきなさいよ。そんな貧相な服装であたしたちを釣ろうったって――」


 不躾に近寄ってきた男達に悪態をついて追い払おうとしたインガが身動ぎを止める。コハクもおとなしく両手を上げようとして、荷物が邪魔で諦めた。

 周囲から見えない様インガに短剣を突き付けた男達は顔だけは笑って低く脅す。


「大人しくついて来な。死にたくないだろ?」

「………」


 背中にナイフの存在を感じながらインガは男達について歩くしかなかった。


***


「おい小娘、お前が盗んだモンを出しな」

「知らんわこンボケがさっさと放せやドクズ」

「エグバート様ぁ~、こいつガラ悪いっス! さっきから足蹴ってくるし、いてぇ!」

「ガラ悪いとかどの口で言ってんのよ、極悪人面共が!」

「もうヤダこいつ美人なのに中身チンピラじゃん!」

醜男ブオトコが金も払わず親切にしてもらえると思うな!」

「醜男って言うやつがブスなんですぅー!」

「ハッ、図星突かれて泣いてんじゃないわよ」

「エグバート様~~!」


 インガに言い負かされたチンピラ達がエグバートに泣きつく。泣きつかれたエグバートは余裕たっぷりに笑って見せた。


「ホッホッホッ。指のひとつでも落とせば口も滑らかになるでしょう」

「はァ? あんた正気? この白魚のように美しい私の指を切り落とそうって? バカなの? 頭に栄養いってないんじゃない? あ~だからそんなにさびしい頭髪してんのねぇ、納得ゥー」

「……」


 エグバートは無言で笑みを深めたが、米神は小刻みに動いている。頭髪について触れて欲しくはないようだ。部下たちはなんてことを、と震えあがっている。


「口の減らない小娘ですねェ……!」


 乾いた音が暗い部屋に響く。頬をはたかれてもインガは気丈にエグバートを睨み続けた。


「さっさとアレをどこにやったのか吐きなさい。お前などにかける時間が無駄です」

「アレじゃわかんないわよ。人に物を尋ねるならちゃんと固有名詞使ったらどう? それともボケてでないのかしら。人の商売道具に傷付けたからには慰謝料払ってもらうわうよ」

「このアマ……」


 怒りで笑みを引くつかせた男がもう一度手を振りあげたところで気怠そうに――この場には不釣り合いなほど落ち着いた声でコハクが男の動作を止めた。


「盛り上がってるところ悪いだが、漫才は切り上げてもらっていいか」

「……大人しくしていると思えばこちらはずい分と肝が据わっていますねえ。少しくらい怯えていたほうが可愛げがありますよ? こちらのお嬢さんのようにね」

「………!」


 気付いていたのか、とわずかに震えていた足を指さされインガは今更ながら男が恐ろしく感じた。


「期待に沿えなくて悪いが、こっちはもっと恐ろしい状況に陥ったことがあるんでな。それにあんたに気に入られるのはぞっとしないね」


 どこまでもやる気の見えないコハクに男は鼻を鳴らした。怯える者をいびるのが楽しいのだ。


「インガはあんたらの探し物に心当たりがないと言っているが、本当にインガが持っているのか? あんたの部下が隠し持っていてもこっちには分からんぞ」


 コハクの言に男はふむ、と考える。


「小賢しいですが、貴方の言うことも一理ありますねえ」


 男は部下を見やる。部下達は揃って顔を青くし、勢いよく首を横に振った。


「この通り私の部下達は忠実に私に仕えている者ばかりでしてね、これで部下の着服は消えましたねえ」

「どーだか」


 インガの発言は黙殺された。


「そうか。で、あんたの探し物は結局なんなんだ? それがわからんとインガも答えようがないだろう」

「口に出すのも憚られる物ですよ。それを知っている人間は消さなくてはいけませんからねえ」


 出来の悪い仮面のように男が笑う。醜悪な笑みだった。

 消すとは何をだ、と想像したインガの体に悪寒が走る。暗闇で見てしまった死に顔が勝手に出てきてインガを恨めしそうに睨んでくる。

 コハクはやはり眠たげに男を見ていた。


「消すとは物騒だな。そんなに大事な物だったのか」

「ええ、それはもう」

「ふうん。例えば贋金を作るための金型とかか?」

「ッ! なぜそれを知っている?!」

「おお、当たった」


 わずかに喜色の混じった、しかしそれでも気怠い声をコハクが上げて微かに口の端を上げた。それとは反対に先程までわらっていたエグバートは頭に血を登らせ眉尻をはね上げている。


「貴様、なぜそれを知っている!」

「そうだなあ、あんたが贋金を作ろうとする理由をしゃべるんなら教えてやろう」

「この、ふざけやがって!」


 予想外の事態に激高した男が手を振りあげる。インガを叩いた平手ではなく、拳が握られていた。


「――!」


 コハクが殴られる、と思わず目をつむったインガだが、聞こえてきたのは男の叫び声だった。


「ぎゃあああ! イダイッ! 腕が! 私の腕がァ!」


 恐る恐るインガが目蓋を開ければうずくまるエグバートの姿が見えた。何が起こったのかわからず呆然とするしかない。エグバートの部下達もいきなり現れたコクヨウと痛みに蹲っているエグバートに動揺して動けないでいた。


「ご無事ですか?」

「え、ええ……大丈夫……」



 コクヨウの声に顔を上げたが、コクヨウが心配したのはインガでなかった。縛られているコハクの縄を解いていて、インガには見向きもしていない。

 猛烈に腹が立ちインガは一人で立ち上がった。大股にコクヨウに近付き、力一杯そのぶ厚い背中に体当たりをかました。


「いったぁ! あんた背中に鉄板でも入れてんの?!」

「……入れて、いませんが」


 なぜ体当たりされたのか、と不思議そうに首を傾げるコクヨウは痛がる素振りもない。インガひとりが痛い思いをしただけだった。


「さっさとあたしの縄も解きなさいよ!」

「……はい」


 縄はあっけなく解かれた。

 痛みに悶えていたエグバートが怒り狂って叫ぶ。


「お、お前ら、何をボーっとしてる! さっさとそいつらを始ま゛ッ」


 インガの目にはひどくゆっくりと男の身体が宙に浮かんだように見えた。

 コクヨウがエグバートを蹴り上げるとまるでぬいぐるみのように壁に叩きつけられた。嫌な音と共にずり落ちる。


「エグバート様!」

「ヒィッ!」

「こいつ!」


 痙攣しながらわずかに呻くエグバートに怯えたように部下達はへたり込んだ。自棄になりコクヨウに向かってきた者はすぐ床に沈んだ。


「コクヨウ、よく加減で来たな。エライぞ。だが私達は無事だったんだからその辺で許してやれ」

「……」

「コクヨウ」

「………御意」


 気の進まない様子でコクヨウは頷いた。部屋のあちらこちらに戦意喪失した者と気を失った者とが溢れている。


「さて、助けが来るまで何をしようか」

「なに言ってんの、このまま逃げればいいじゃない。コクヨウのことなんだから扉を蹴破るくるらいできるんでしょ」


 地下室の惨状に血の気が引いていてもなお気丈に振る舞うインガがコクヨウを指さす。多数の荒くれ者を相手にしても息ひとつ乱さないのだから、この屋敷を抜けだすくらい訳ないはずだ。

 コハクは気まずげに頬をかいた。


「それはそうなんだが、建前として自力で脱出するのはなあ……」

「建前? なによそれ」

「えーと……」


 インガが琥珀に詰め寄っているとなにやら騒がしい足音が聞こえてきた。かと思えば勢いよく扉が開く。

 息せききった見慣れぬ美形が人を引き連れて部屋へ突入してきた。


「殿下! ご無事ですか!」

「見ての通り無事だ。ご苦労、レイモンド。スペンス卿の贋金作りの言質は取った。余罪もあるだろうからさっさと連れていってくれ」

「はっ」


 レイモンドの指示で床に転がっていた男達は連行されていく。

 何が何やら、理解のまったく追い付かないインガは目を白黒させていた。

 鎧がいっぱい……騎士団? あの紋章は師梟しきょう騎士団? なんでこんなところに? デンカ? 殿下? 誰が? コハクが?


「お、おぉ……師梟騎士団長……レイモンド殿……助けてくだされ、こやつらがいきなり私を……」


 後ろ手に縛られながら息を吹き返したらしいエグバートがレイモンドにすりよる。しかしレイモンドはそれに取り合わず、冷たい視線を返すのみだった。


「エグバート・スペンス卿。貴殿には王妹殿下を拉致監禁した容疑がかかっている。今の状況を見れば疑いようなどないが」

「王妹殿下? なにを言って……」

「硬貨偽造とそれに関わった金型職人殺害の容疑もかかっている」

「なっ、何かの間違いだ!」

「言い訳は取調室で存分に話せばよろしい。連行しろ」

「はっ!」

「待て! 私を誰だと思って……! 汚らしい手で触るな平民上がりどもが! この田舎者めが! 覚えておれ!」


 口汚くレイモンドを罵りながらエグバートは連れていかれる。部屋に残ったのは飄々としているコハクと無表情のコクヨウと絶賛困惑中のインガと騎士団長のレイモンドだけだ。


「……コハク、あんた、貴族……王族だったの?」


 コハクは答えず悪戯っぽく笑んで人差し指を立てると口元に添えた。いわゆるナイショのポーズだ。


「こんなところに王族様がいたら大騒ぎだろう。お前さんも不敬罪で捕まったりしてな?」


 面白がるように目を細めてコハクが口の端を引き上げる。それに呆れたレイモンドが息を吐いた。


「殿下付きの影からお忍び中の殿下が拉致されたと報告があった時は心の臓が止まるかと思いましたよ。おかげでスペンス卿を摘発できますが」

「ならいいじゃないか。小言はナシにしてくれ。手柄は全部やるからお咎めもナシの方向で……」

「殿下?」


 レイモンドがにっこり、それはもう美しく微笑んだ。街行く娘達が見たならば黄色い声を上げるか、さもなくば卒倒するかのどちらかだsろう。

 しかし極上の笑顔を向けられたコハクはげえ、と不味いものを口に含んだような声を出して後ずさる。


「御身を囮にするのはおやめくださいと申し上げたはずですが?」

「お前の心配がなくなるような作戦を考えておくと言ったろう」

「初耳です。それに心配しかありませんでしたが?」

「……わるかったよ。でもこの方が手っ取り早――」

「殿下?」


 インガはレイモンドとコハクのやり取りを茫然と眺めていた。

 貴族の悪だくみに巻き込まれて、恋のライバルだと思っていたコハクがこの国の王妹殿下で、騎士団長が現れて、と情報が多すぎて処理しきれない。


「そうだ、インガ」

「な、なに……?」

「許可なく囮にして悪かったな。ほら危険手当だ」

「これ、金貨じゃない……!」


 インガは手のひらに乗せられた金貨をまじまじと見つめた。路地裏で暮らす人間には一生縁のない代物だ。贅沢しなければ半年は仕事をせずに暮らせる。

 初めて見る金貨に見入っているとコハクに肩を組まれ、囁かれる。


「口止め料も入ってるからな。今日あったことは他言無用。いいな?」


 おどけている声音だったが、わずかばかり冷たさをはらんだコハクの声音にインガは体を振るわせた。


「言われてなくても! 大体深窓の王妹殿下が冴えない薬屋やってるなんて言っても誰も信じないわよ。誰もが見惚れる麗しの君だって噂なのに詐欺もいいとこじゃない」

「誰が言ってるんだ、それ……」


 げんなりと肩を落としたコハクに涙が出るほどインガは大笑いした。


***


「今回も一件落着したな。さあ、帰るか」

「殿下。陛下がお呼びですからね」


「……一杯やってかないか」

「殿下からのお誘いをお断りするのは心苦しいのですが、職務中ですので結構です。陛下から疾く殿下をお連れするように、と仰せつかっておりますので」

「ぐぐぐ……。ザクロなら付き合ってくれるのになぁ~~?」


 甘えた声で上目遣いをされてもレイモンドの内心はともかく表情は不動だった。


「今この場にいるのはザクロなる任侠者ではありませんので」

「じゃー王妹殿下もいないぞ。はい解散ー」

「コクヨウ殿」

「御意。エレクトラ様、失礼いたします」

「ぎゃあっ! わかった! 行くから下ろせ!」


 コクヨウに抱き上げられたコハクは暴れるがコクヨウは小動もしない。


「雇い主は私だぞ。なんでレイモンドの言うことを聞いてるんだ、コクヨウ」

「人徳というものです」

「こいつ……。いけしゃあしゃあと……」


 コハクが観念したことが分かるとコクヨウはその身を静かに降ろした。ふてくされたコハクが口をとがらせる。


「兄上の説教が終わったら一杯付き合ってもらうからな良い酒持って来いよ」

「殿下のお心のままに」


 折り目正しく腰を折ったレイモンドの頭にコハクの手が触れる。整えられた髪を無遠慮に乱されて、レイモンドは小さく笑った。


「見慣れたすまし顔も良いが、酒は髭面で持って来いよ、ザクロ」

「はいはい。コハクさんの言う通りにしますよ」

「よし。コクヨウ、薬屋カラリから城へ戻るぞ」

「御意」


 カラリでの酒盛りを約束した二人は騎士団長と薬屋の店主に戻って別れる。

 その晩のカラリでは飲み過ぎて潰れたコハクとザクロを介抱するコクヨウの姿が見られ、翌日のカラリは店主二日酔いのため、と看板がかけられ一人で店を切り盛りするコクヨウの姿が見られたのだった。

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