第3話:渋い顔をして頷いた

「エレクトラ」


 そこまで広くない部屋だった。ただそれは貴族達にとっては、であり一般人へいみんからすれば十分広いと言える空間だ。

 調度品も王公が使っているとは思えないほど飾り気のないものだったが、当然すべて値の張るものばかりだった。

 市井に繰り出した当初はその辺りの差異に慣れるまでドジをしたなあ、と過去を思いだしながらエレクトラは殊勝に座っていた。


「先日の件だが……」

「はい……」


 肩を落とし、瞳を揺らめかせて、頼りなげに座っている姿はいかにも反省しているかのように見えた。しかしエレクトラの前に座っている年の離れた兄がそれに騙されてくれるのはまつりごとが絡まないときだけだ。

 兄はエレクトラと同じくどこにでもいるような、凡庸な外見をしていた。着ている服が平民のものであれば市井にいたとして、誰もこの国の王だとは思わないだろう。けれど今このときは平民服など着てはいないし、威厳ある為政者の顔つきをしていた。


「自らを囮にして事件解決を図ったそうだな?」

「はい……」


 すでに確信している兄に隠しても無駄であるので、エレクトラは素直に頷いた。下手に誤魔化そうとすると説教が長くなるのだ。


「お前が市井に出るとき危険な事はしないよう言ったはずなのだがなあ」

護衛ティシャがいましたからなんの危険もありませんでした」

「ふうむ。師梟騎士団長からもそう聞いてはいるが、なあ」

「元はといえば兄さんがエグバート・スペンスを野放しにしておくのが悪いのでは? 偽金を流通させられていたらどうするつもりだったのです」

「無論、対策はあったが。勤勉な妹のお陰で無駄になってなによりだ。それにああいう輩にも役割と言うものがある。あれはそこそこ金策が上手かった。納税者としてはまあ、優秀だったが経済が混乱すれば国民にも害が及ぼう。そこだけを見ればお前にご褒美をあげなくてはならないな」

「ご褒美って。いい年の妹を子ども扱いするのはやめてもらえませんか。貰えるなら貰っておきますが」

「ほうほう。それなら良い見合い相手の話がな……」

「嫌がらせですか。何度も言っているでしょう。結婚する気はございません」

「まだ根に持っとるのか」


 呆れた風の兄にエレクトラは被っていた猫を脱ぎ捨てた。


「ああ持ってるね。身内を愚弄するような大馬鹿と騙し討ちで見合いさせられた、なんてのがそう簡単に忘れられと思うのか? 私は一生言い続けるね」

「ふうむ……。あれは儂が悪かった。だがかわいい姪や甥を抱きたい儂の思いも理解してくれないか」

「兄さんにはかわいい息子と娘がいるんだからそれでいいじゃないか。かわいらしい生命体いのちを抱きたいなら創造しつくってやろうか

「そうじゃないんだがなあ」


 やれやれと肩をすくめて兄は茶を飲む。

 飄々とした口調で語ったエレクトラだが、紛れもない本心だった。

 腹が立ちすぎて記憶から消去した見合い相手の顔も名前も覚えていないが、ティシャ──マティシャニタスを馬鹿にされたことだけはよく覚えている。

 エレクトラが拾う前のティシャを知っているらしかった男は、それを知っていると発言する時点で自分も後ろ暗いものを抱えていると言っているも同然であるのに、それを理解できない愚か者だった。

 エレクトラがこの婚姻を承諾しなければティシャが過去どういう場所にいて何をしてきたのかを暴露バラしてやると言ってきた。下賤の者を傍らに置いているとしれたら国民はさぞ悲しむでしょう、王家の権威を失墜させたくなければ──

 こちらの弱みを握った気になった馬鹿はその後の行動もやはり愚かだった。結婚後の妄想をとうとうと喋り倒す馬鹿をティシャに殴り飛ばさせたときは胸がすっとしたものだ。

 別段精神的外傷トラウマになったとまでは言わないが、不快にさせられるのはあの一回で十分だった。


「話がそれだけならもう行く。これから貴重な昼寝時間なんだ」

「それ夜更かしばっかりしとるからだろ……。はあ。怪我がないならよかった。今後もより一層怪我には気をつけるんだぞ。あと規則正しい生活を送りなさい」

「はいはいわかってるよ。いくぞティシャ」


 隠蔽の付与がなされたフードマントを羽織り、エレクトラは王妹から街の薬売りただのコハクに戻った。ちゃっかりと土産に甘味をいただいて兄に背を向ける。

 部屋から出がけしな、兄から面白がっているのかそうでないのかわからない声がかけられた。


「結婚したくなったらいつでも言うといい。身分差は気にするな、この国では儂が法律だからな」


 夜の闇が未だ濃い中、コハクはうんざりとした様子でため息を吐いた。掛布を被り直し二度寝の体勢に入る。悪夢というほどではないが、良い夢でもなかった。おまけにこんな夜中に目覚めてしまうなど、ため息だって出てしまう。どうせ見るなら楽しい夢のほうがいいに決まっている。

 明日──いや、もう今日だろうか、とにかくまた昼寝しよう、とコハクは再び眠りに落ちていった。


***


 コクヨウの朝は早い。夜明けと共に目覚め、朝の支度を済ませる。

 寝具を片付け、身なりを整え、軽く掃除を済ませ、自室を出る。

 薬屋カラリは外から見れば小ぢんまりとして見える店だが、コクヨウには理解できない術をもってして、外見よりもかなり広い作りになっている。空間魔術を使っている、と説明されたがその原理をちっとも理解していない。

 ただ教えられた手順を守ってさえいれば決められた場所に出られるので不便は微塵も感じていない。

 いつものようにコクヨウは店の清掃を終え、薬缶やかんをコンロにかける。コンロに魔力をこめれば薬缶に熱が伝わり始める。薬缶をそのままに冷凍庫から温めるだけのパンを取りだし、オーブンに入れて五分のタイマーをかけた。コクヨウが一人でもパンが焼けるようどの冷凍パンをどのくらい熱するか決まっている。今日のロールパンは五分だ。

 コンロに水を入れた鍋を置き、熱する。スープになる粉を入れる。具は冷凍されていたものを三種類選んで入れると決まっていて、今日は茸と根菜と葉もの野菜を入れた。スープに卵を入れるかどうかはコハクの気分で決まるので、コハクが寝ている今日はただのスープになった。

 途中オーブンが時間を知らせてきたが、コクヨウはそのまま作業を続行させる。

 大鍋に沸かした湯の中に、これまた冷凍庫から出してきたビーフシチューを入れ物のまま湯煎した。コハクが作り出した冷凍用の入れ物は防水加工がされているので湯煎したくらいではなんの問題もない。

 ビーフシチューを温めている間にサラダを作る。冷凍庫から出したサラダを入れ物から出し、皿に盛り付けたあとオーブンのパンと入れ換えてほんの少し、凍ったサラダが温野菜になるくらいまで温める。

 食卓にコハクとコクヨウのスープとパン、ビーフシチューにサラダが並んだところでコクヨウはコハクを起こす。


「コハク様。朝です。おはようございます」

「…………ん…………」


 コクヨウの主人は宵っ張りであるので朝に弱い。早起きは苦手なんだとあくび混じりによくぼやいている。

 不明瞭な返事ばかりよこすコハクに声をかけ続けること十分。ようやくコハクが目を覚ました。寝癖のついた頭をかきながら大きくあくびと伸びをする。


「おはようございますコハク様」

「んん……おはよう……」


 まだうつらうつらとしながらも両腕を広げたコハクから夜着を剥ぎ取り、下着と薬屋の制服を渡す。のそのそと着替えるコハクの髪を梳かして整える。あれこれとのんびり指示を出すコハクに従い服装も整え、未だ眠たげなコハクは髪をまとめ終えるとようやくベッドから降りた。


「うぅ……眠い……」

「お眠りになりますか?」

「いや……起きる……」


 コクヨウは基本的にコハクの意見に従うため、ここで二度寝宣言をするとそのまま素直に従う。カラリにいるときは朝食を一緒に取るようにしているので、ここで寝てしまえばコクヨウは平気で朝食を抜く。コクヨウの主治医として、主人あるじとしてなんとしても起きなくてはならなかった。

 もう少し自主性を持って欲しいのだが、そうなれば無理矢理起こされるだろうことは簡単に予想がつくので悩ましい問題であった。

 食卓に用意された朝食はすっかり覚めていたが、いつものことだ。

 コハクは指を一振してスープとビーフシチューを温めた。コクヨウが二人分のコーヒーを淹れて席に着く。


「いただきます」

「いただきます」


 向かい合って食べるのはいつものことだが、朝から自分の倍以上の量を食べるコクヨウを見ているだけで腹が満たされてる気分になる。

 燃費が悪いのだから当然なのだが、決して大柄とはいえないコクヨウのどこに毎食大量の食事が入るのかといつも不思議に思う。

 筋肉か。筋肉だな、とコハクはスープをすすった。パンにつけるだけの量しかないビーフシチューもなんとか食べ終えて、コハクは冷蔵庫を覗いた。リンゴかオレンジのどちらを剥くか迷って、オレンジを手に取った。リンゴはおやつにアップルパイにする。

 オレンジを剥いている間に朝食食べ終えたコクヨウが食器の片付けを始めたが、オレンジを剥き終わると皿洗いの途中で食卓に戻ってきた。律儀で真面目なやつなのだ。

 デザートを食べ終えればやはり律儀にごちそうさまを言って後片付けに戻っていった。

 気怠げに体を伸ばしたコハクはついでに軽く柔軟をする。食べ終えたばかりで横になるとすぐ睡魔に捕まってしまうからだ。コーヒーを飲んだのだから熟睡してしまうことはないものの、後片付けをしているコクヨウは気にしないが、側でぐうたらしているのは座りが悪い。店をコクヨウに任せて昼寝をしているのだからあまり意味がないような気もするが。

 三時のおやつのためにパイ生地でも作っておくか、とコハクは強力粉を計り出した。


***


 コクヨウは髪で隠れている耳をそばだてた。限られた生物にしか聞こえない音域の笛の音は同僚エナスからの伝言だ。

 伝言内容はコハクの命令でエナスが調べていた貴族の調査が終了した、とのことだった。カウンターでうとうとしているコハクにすれ違い様伝えるとひらりと手を振られる。了解の意だ。

 億劫そうに起き上がり、難しそうな顔で考え込んでいる。コクヨウはいつものコーヒーにいつもの倍以上の砂糖を入れてコハクの前に置いた。

 コーヒーを飲むと頭が冴えて、糖分を取れば頭の回転が速くなるらしい。

 そんな様子のコハクを興味津々にホレスが見ている。また小説のネタにつまったと茶を飲みに来ていた。


「おまえさんには悪いがネタはないぞ。帰った帰った」

「そんなヒドイこと言わないでくださいよぉ。おれを助けると思って、ね、コハクさん!」

「囮をやってくれるんなら考えてもいいが」

「えー……囮……。囮かあ……。命の危険はないですよね?」

「そうだな。…………おおむね」

「おおむねかあ~~」


 自分の命と小説のネタを天秤にかけたホレスが机に突っ伏す。


「おおむねかあ~~~~。う~ん……でもこのまま書けなくても死ぬしな……」

「本を出してるんだから印税が入ってるだろうに、そんなに悩まなくても自分の命を大事にしたらどうだ。命あっての物種だろう」

「それはそうなんですけど、書けないと小説家としては死んだも同然でしょう?」

「そういうもんか」

「そういうもんです」


 行儀の悪い姿勢で紅茶を飲みながらホレスは腹を決めたようで、体を起こす。勢い余って紅茶がこぼれた。


「あっ、すみません、コクヨウさん自分で拭いておきますんで……。よし、囮やります! コクヨウさんを付けてくださいね!」

「そりゃ付けるが。すごいなホレス。自分から危険に突っ込んでいくその根性」

「技量では大先生方に劣りますからね! せめて体験ぐらいでは勝たないと!」

「そうか。じゃあ今晩ここに集合だ。誰だか分からんように変装させえてやるからな、安心しろ」

「え、変装? そ、そんなに危険なとこに行くんです?」

「小説のためだろう、がんばれ先生」

「やっぱりやめたくなってきました……」


***


 その日、閑古鳥の鳴くカラリでザクロはため息をついた。


「ご自分で潜入できないからといって一般人を囮にするのはおやめください……」

「ネタに餓えた小説家を一般枠に括っていいものか迷うな」

「お三方と比べればおれは歴とした一般人ですよお……」


 違法賭博を摘発し終えた翌日である。

 いつものように眠たげなコハクに、いつもと変わらないコクヨウ、それから困り眉に涙目で思い出し恐怖をしつつも原稿を書く手は止めないホレスに、そんなホレスに呆れ、違法賭博の摘発を事後承諾させられ、今の今まで事後処理に終われて疲れたように肩を落とすザクロがしみじみと熱い茶を飲んだ。

 ネタを欲して自らを囮にすると決めたその夜、いかにも成金といった趣味の服に仮面、それからカツラを装着させられたホレスは、同じく趣味の悪い仮面をつけたコクヨウを従者に賭博会場へと潜り込んだ。

 勝負勘の強いコクヨウの言う通り賭けていけばあっという間にチップの山ができた。

 その山を狙うかのようにぎらついた目のディーラーが交代すれば、あっと言う間にチップの山がなくなった。

 なるほど、これが聞いていたイカサマか、と納得したホレスがコクヨウに目配せをすればわずかにコクヨウが頷く。ホレスのすることは変わらずコクヨウの指示通りに賭けるだけだ。

 ルーレットで赤に賭けたのはホレスだけで、周りの客達もディーラー達も薄く笑ってホレス達を見ていた。しかし転がる玉は見事に赤へ止まる。周囲が騒然とするのにホレスは内心で呆れた。そんなに分かり易いとイカサマしていると言っているのも同然じゃないか。

 当たりを数回繰り返し、再び小金チップの山を築いたホレスはなに食わぬ顔で席を立つ。そこを強面の従業員達に囲まれた。

 コクヨウがすぐ側に控えていてくれたからこそ無様を晒さずに済んだが、「内心チビりそうでしたよぉ」とのちに涙声で語る羽目になった。

 二人がつれていかれた別室にはやはり賭博会場の支配人が待っていた。

 チョビ髭を生やした爬虫類のような顔をした支配人は、いかにも支配人でござい、といった風貌だった。


「不当な利益を得られるのは困りますね、お客様」

「なんのことでしょう」


 ホレスがすっとぼけると取り巻きが苛立ちを隠さず声を荒げ始めた。それを制止する支配人にホレスは逆に問いかける。


「不当な利益を得ているのはそちらでは?」

「……何のことです?」

「必ずそちらに利益が出るようにルーレットだけでなく他のゲームでもイカサマをして客の金をむしってますよね? 顧客に金回りの良い人間を紹介させてカモにして。おまけに法外な金利で金貸しまでして、借金のカタに土地や商売の権利を奪い取る」


 得意気に聞こえるよう言い終わったホレスは声が震えずに済んで大きく安堵した。内心は冷や汗を滝のように流しているし、膝が大笑いをしている。それでも回れ右をして脱兎のごとく逃げ出さないでいられるのはコクヨウを信頼しているからに他ならない。


「──だったらどうだと言うのです?」


 ひんやり、と底冷えのする笑みを向けられてホレスは思わず一歩後退りしそうになる。まるで首筋に刃物を当てられているようだ。今すぐコクヨウの背中に隠れてしまいたかった。


「べ、別にどうもしませんが。こちらはイカサマなんてしていませんからね、放っておいてくださればそちらのことも言いません」

「ほう……? それは賢明なことですな」


 支配人のまなこが怪しく光る。あ、ダメだこれ。

 いつの間にやら凶器を手にした強面達がホレスとコクヨウとの距離を詰めてきた。袋の鼠とはこういうのだろうな、とホレスは意識が遠退く思いをした。にんまりと笑みを顔に張り付けた支配人が一言、やれ、と号令を出した、そこでホレスの役目は終わった。

 やれ、のやが音になるか否かのその刹那、コクヨウは文字通り目にも止まらない速さで強面達全員を床に叩き伏せた。

 ホレスにはいきなり取り巻き達が気を失ったようにしか見えなかった。支配人も同じだったろう。何が起こったか理解できないのだろう、は? だとかえ? だとか言葉にならない呼気を漏らしている。



「えーと、ご覧の通りおれの護衛はとんでもなく強いので抵抗しないでくださいね」


 目を落とさんばかりに見開いて、口をあんぐりと開ける支配人はやはり言語未満の呻き声を漏らして、床で伸びる男達とホレス達とを忙しなく見比べている。目の前の光景が心底信じられない、という風に震えた指先を新たな護衛達を呼ぼうと呼び鈴に伸したが、もちろんそれはコクヨウに阻止される。

 コクヨウが無表情に手指を力をこめると華美な作りの鈴はまるで紙細工であるかのように簡単にひしゃげ、丸まった。


「あー、もったいない。ダメですよ、壊しちゃ。なるべく物は壊さないようにって言われたじゃないですか」

「…………」


 ホレスに指摘されたコクヨウはそういえばそうだった、という顔で気まずげに視線をそらした。


「それで支配人さん、ご相談が──あれま」


 ホレスが支配人を見やれば口から泡を吹いて気絶していた。あとから知った事実ことだが、コクヨウが潰した呼び鈴は希少な金属を用いて作られた特別製であり、頑丈さがウリだったそうだ。それを事も無げに片手で握りつぶされたとあれば魂消たまげるのも致し方ないだろう。

 意識のある人間がいなくなったのをこれ幸いとホレスとコクヨウは手分けして借金の証文やら裏帳簿やら、不正の証拠などを入手して回った。

 両手一杯になったそれらを潜入していたザクロの手下達に渡して、二人はなに食わぬ顔で賭博会場を後にした。

 ホレスはじわじわとやってきた恐怖に腰が抜ける一歩手前で、薬屋につくころにはコクヨウに背負われていた。カラリに着くやいなや、気絶する様に眠ってしまい、そのまま朝を迎えたのだった。


「怖かったあぁ~~!!」

「お疲れさん」

「よくやってくれたな、今日は俺の奢りだ飲め飲め!」

「こんなに胃が痛んでるのに飲めませんよお~……。ああ怖かった……」


 朝に起こされ、寝ぼけまなこで朝食を取ったあと頭が冴えてくるに従い恐怖も思い出したらしい。へにゃへにゃとカウンターに懐くホレスに苦笑いしてザクロは労いの酒を、コハクは胃痛に効く薬草茶ハーブティーを出してやった。すんすんと匂いを嗅いで、ホレスは薬草茶を舐めるように飲み始めた。


「本ッ当に怖かったああ! 人食い大蜥蜴に囲まれた蛙ってきっとあんな気分ですよ! でもいいネタになりましたありがとうございます! 一本書けそう!」

「そりゃよかった」


 ホレスは言うが早いかメモ帳を取りだし高速で文章を書き付け始めた。慰労の酒には目もくれず、コクヨウにコーヒーを注文する。コクヨウは粛々とコーヒーを淹れて置いてやった。

 ザクロは気を悪くするでもなく放っておかれたままの杯に口をつけた。


「んん、うまい」

「こっちにもひとくちよこせ」

「はいはい」


 ザクロは新しく杯をコハクに手渡して注いでやる。


「別にひとくちでよかったんだが」

「そういう訳には、なあ」


 もごもごと言い淀むザクロを横目にコハクは酒を飲む。確かに美味い酒だった。


「まだ店を開けるまで時間はあるがこのまま書き続けるなら家に帰ったらどうだ」

「ううん……はい……あと一行……」


 人の言葉など耳に入らないのか、動く気配のないホレスにこりゃダメだ、とコハクが肩を竦める。


「私はもう少し寝る。あとは頼んだぞ」

「御意」

「はい」


 あくびをしながら部屋を出がけしな、コハクはそう言えば、と振り返った。


「近日中にニッカが来るそうだ。そのときは子守りを頼むぞ、コクヨウ」

「………………はい」


 わずかながらに渋い顔をして頷いたコクヨウを見て愉快そうにコハクは笑った。

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