第10話 メルカトル図法に則った本物の地球
宇宙空間に出た飛行士のなかで、神を見たり、人格が変容した人物も少なからずいるのはよく知られている。理由は不明とされるが、宇宙空間は闇が多く、酸素がないなど、データ処理が少なくてすむので、計算力に余裕が生じ、それがマインドの調整に向けられたのだろう。
そのときの僕も頭がさえていた。
「待てよ。僕に宇宙人退治させようとしたのも、その辺が関係しているのか」
宇宙人退治そのものが目的ではなく、宇宙人派の元運営の三名が平面化の邪魔をしないように、相手をさせるのが狙いか。
「おそらく、私達三人にこの仕事をさせるため、権威が必要だったのでしょう」
背の低い男の声だ。
「やはりそうか。ハナからおかしいと思ったぜ」
宇宙人退治の謎は解明されたが、人質の問題は未解決のままだ。
僕たちの長話に耐えかねた宇宙人のリーダーは、刀の先端を僕の顔に近づけ、何か言った。
「いつまで話してるんだ。このボケ、と言ってます」
サングラス女がわかりやすく訳してくれた。
「諸君、君たちは包囲されている。抵抗しても無駄だ。直ちに人質を解放しろ、と伝えてくれ」
「そんなことを言ったら、あなたの命がありません」
「このままの状態でも充分危ない。早く何とかしてくれ」
「人間の刑事ドラマによくあるように、犯人の気を逸らして時間稼ぎします。その間にどうにか逃げてください」
「無茶を言うな」
僕がそう文句を言うと、突然、部屋の照明が消えた。
彼女の言う時間稼ぎとは、この程度の子供だましなのか。暗闇に目が慣れるまでの間に、ここから離れろと言われてもそれは不可能だ。いくら相手の関心が逸れても、両腕をつかまれているので動けないのだから。
しかし、そうではなかった。
突然、ドームだった天井が、宇宙空間に変貌した。天井全体が液晶パネルのようなスクリーンだとしても、ドームの形状を一切感じさせないのは凄い。
その情景は地上で見るより、はるかに美しい。
UFOはゆっくりと向きを変えて、天井側が地球の方に向いていく。
「あ、あれは?」
僕は驚いた。平面化の最中だとすでに聞いていたが、それでも衝撃を受けざるをえない。
地球、いや地球だったものが円筒形に変わっている。ほぼ真横から見ているので、形としては縦長の長方形だが、陸地の形状からそれが円筒形だと誰もが推測できる。
CGのような出来ではなく、宇宙空間から見たリアルな地球だ。
こちらからは、南北アメリカ大陸とアトランティス大陸のほぼ全域が見える。
宇宙人達も驚いている。だが、僕の両側の二人は僕の腕をつかんだままだ。
ただ、リーダーと思われる男は、力が抜け、刀をだらりと下に垂らしている。
UFO内の全ての存在は、しばらく我を忘れ、不思議な光景に見とれていた。
そうしてしばらく眺めていると、あることに気づいた。
最初に見たときは、アトランティス大陸の東端までは見えなかったが、今ははっきりと確認できる。
円筒が横に徐々に広がっているようだ。
それは、つまり……。
円筒から平面にする作業がすでに始まっていることを意味する。すでにこちらからは見えない裏側で、縦に切断する作業を終え、それを開く段階に入っているということだ。
サングラスの女は、訥々と何か話している。宇宙人にこの状況を説明しているのだろう。
円筒だった地球はどんどん開かれていく。こちらから見ると、横に広くなっている。
その東端はスカンジナビア半島からアフリカ中部まで展開し、西側はアラスカを越え、ロシアの一部にさしかかった。
予想していたとはいえ、実物を見ると、感慨深い。
そしてさらに地図のような地球は、東西に広がっていった。
西側のほうはついに日本に来た。
北海道、本州と展開していく。
だが、本州の途中で止まった。
故障?
僕はサングラスの女に向かって、
「処理能力が足りなくなったんじゃないの? ここはしばらくいいから、元運営の三人で協力してあげて」
と頼んだ。
「いいえ。処理は順調です」
と女は答えた。
「だって止まってるぞ」
「いえ、止まったのではなく、全体が見渡せるようになったのです。まだ平面ではなく、カーブがかかっていますが、それを完全な平面にしているところです」
「そんな馬鹿な。日本が中途半端だ」
そこまで言ったとき、地図の東端が目に入った。
小さくて目につきにくかったので気づかなかったが、そこには日本の西半分が見えた。
「この地図、間違ってる!」
僕はそう叫んだ。
よりによって日本が真っ二つになる位置で分けるとは、いくらメルカトル図法的には正確でもありえない。
日本だけではない。オーストラリアも中央よりやや東側で東西に別れ、国土の大半が地図の東側に位置するロシアも、樺太に加え東シベリアの一部が西端に来ている。インドネシアではニューギニア島のパプア州が真っ二つ。
「おい、わかるように説明しろ」
と、僕は自分が人質になっていることも忘れ、サングラスの女に怒鳴りつけた。
だが、すぐにお門違いとわかった。彼らは元運営であって、平面化についてほとんど関与していないと思われる。
むしろ、平面化を認めた僕の方がはるかに罪が重い。
だが、さすがは元運営。彼らもある程度の事情は聞いているようだ。
「お気持ちはお察しします。おそらく、地球代表は切断の位置が東経180度と思っておられたようですが、東経138度に決まりました」
彼女の言うように、切断箇所が東経180度なら、同時に西経180度であり、東経(西経)零度が世界の中心に来るので、ほとんどの世界地図がそうしている。陸地との関係でも、ロシアの東端がほんのわずかにかかる程度で、そのほとんどが海だ。そこならば平面化の影響を最小限にとどめることができる。
それが、よりによって何で138度なのか、納得がいく説明が欲しい。
「もしかして、平面化を認めた全権地球大使の暮らす国だから、選ばれたのか?」
僕は彼女にそう聞いた。そのくらいしか理由が浮かばない。
「そうではありません。切断位置を先に決めたのではなく、世界の中心を決めた結果、切断位置がそこになったのです」
「東経ゼロ度が中心ではますいのか?」
「はい」
地球は球体の南北の端を結ぶ軸を中心に回転する。このため南北の緯度を決めるのは簡単だが、東西はどこかを基準地にする必要があり、政治的思惑が絡む。
1884年、ロンドンの王立グリニッジ天文台がゼロ度経線(本初子午線)として、世界に認められた。当時の最強国、七つの海を支配した英国が決めたのだ。
ということは当時の運営もそれを認めたはずだ。しかし、現在の地球の運営は、それを拒否している。
「もうイギリスの時代じゃないということね?」
と僕は聞いた。
「前世紀、運営は英国を世界のリーダーから引きずり下ろすため、二度の世界大戦を仕組みました。それでも依然としてその力は大きく、世界中に様々な影響を及ぼしています。今現在、世界の中心はアトランティスです。少なくとも運営の中ではそう決まっています。今後も長い期間アトランティスが中心になるでしょう。その首都アクロポリスは西経42度なのです」
西経42度は、つい最近まで大西洋のど真ん中だった場所だ。そこを東西の中心に据えるということは、その真裏が180-42=138という計算になり、東経138度が切断箇所になる。
理屈としてはわかる。だが、138度は新潟、長野、静岡の三県にかかる、ほぼ日本の中央だ。新潟、静岡は大半が東側だが、長野はほぼ中央でまっぷたつ。日本アルプスのうち北アルプス(飛騨山脈)、中央アルプス(木曽山脈)が138度のすぐ西側で、南アルプス(赤石山脈)がすぐ東に位置する。ご丁寧に日本アルプスまで分断している。そこで真っ二つとはいただけない。
本州各地に日本の中心を名乗る自治体が十以上あるが、北緯36度と東経138度が交差する通称ゼロポイントがある長野県の辰野町は「日本のど真ん中 辰野町」を謳い、観光収入と人口の増加を狙っている。NHKの某番組でも「日本の中心の中心」として認定され、その日本の中心の中心で日本がまっぷたつ。
どうする? 辰野町
但し、長野県は分断線が市街地にかかっていない。新潟も同様。
最も影響を受ける自治体は、東経138度展望台がある静岡県掛川市だろう。市街地の中心で東西に分割されている。
ただ単に国境が分断されるのではない。地球一周という言葉は今後死語になるだろうが、浜松から静岡に行くだけで、地球一周に匹敵する距離を移動しないといけない。
今後は、よほどの事情がない限り、浜松から静岡に行くことはなくなるだろう。
新潟県は、かなり西のほうで分断された。西側は糸魚川市(いといがわし)だけになる。市といっても人口四万程度で、そのまま富山県に併合されたほうが都合が良さそうだ。
東京にあるキー局のテレビ放送を、西日本で見ることができるのだろうか?
東日本と西日本で天候がまるで異なる。天気予報は別々になるのか?
バイクで日本一周している人たちは、あきらめることになるのか?
盆や正月の帰省はどうなるのか?
西日本で作った部品を東日本の工場で組み立てるのか?
全国展開する企業はどうするのか?
地元の選挙区が西日本にある国会議員は、次の選挙をどう戦うのか。
考えれば考えるほど、別々にやっていくしかないように思える。
これまでの感覚で東西を語ったが、世界の東の端にあるほうが西日本で、西の端にあるほうが東日本だ。ああ、ややこしい。
僕にとっても人ごとではない。
「東海道新幹線はどうなる?」
この間利用したばかりだ。
「車輌がちょうど子午線上に来なければ、問題ありません」
「そうじゃなくて。新幹線の線路、路線は使えなくなるのか?」
「事情を一切考慮することなく、機械的、事務的に切断されます」
計算力が足りないから平面にするのだ。個別の問題にかまっていたら、きりがないということのようだ。
道路や鉄道だけではなく、境界付近では電線、上下水道など各種インフラが使用不能になり、もうこの時点でいくつか事故が起きているに違いない。
お気の毒に。
と思ったが、他人のことを同情している場合ではない。
僕は、今にも殺されそうになっている人質なのだ。
だが、もうしばらくは大丈夫だ。宇宙人といえど、この大イベントには心を奪われるはずだ。
それから数分して、
「今、運営から連絡が入りました。平面化作業が無事終了したそうです」
と女が告げた。さらに
「私達三人はもうそこにいなくていいから、地球代表を無事生還させた後、今後の身の振り方を考えるよう言われました」
と背の低い男が付け加えた。
「これで完成か」
あらためて、僕は四角い地球を眺めた。
これが新しい世界。メルカトル・ワールド。
女は宇宙人達にも説明し、天井は元のドームに戻り、照明が点いた。
つかの間の宇宙ショーは終わったので、これから人質問題が再燃する。
僕の予想通り、宇宙人のリーダーは天井に向かい、激しい口調で何かを言った。
「何と言っている?」
僕は女に聞いた。
「ここの代表は、地球がああなってしまっては我々の出番はない。これから故郷の星に帰る。念のため人質は連れて行く、と言っています」
帰りたくても帰る場所がないのに。目指す方向に向かっても、すぐに航行不能になるだろう。具体的には宇宙のどこかでUFOが停止し、そこから動けなくなる。その先は窒息か餓死だ。ということは、僕はこいつらと一緒に死ぬことになる。
「そんなのご免だ。すぐに助けてくれ。そうだ。平面化が終わったなら、もう運営は手がすいているだろう。助けを呼んでくれ!」
「わかりました。一応、連絡をいれておきます」
緊急事態に一応とは対応が悪いが、運営はすぐにやってきた。
さきほど僕が通った引き戸が開いた。
独りでにだ。
「何だ、自動ドア機能もあるじゃないか」
僕は文句のつもりで言った。
「いえ、手動のみです」
サングラスの女が言った。
「じゃあ、なんで開いたんだ?」
「これから通るということでしょう」
何者かが登場するらしい。
女が言い終わらないうちに、BGMが鳴り始めた。
時代劇の主題歌のようだが、リズミカルにアレンジされている。
歌い手も放送されたものと違い、現在売り出し中の女性シンガーの声だ。実際にその歌手が収録しなくても、運営なら簡単に合成できるはずだ。
天井のどこかに隠された照明が、スポットライトのように引き戸の開いた空間を照らす。
そこにいる全員の視線が集まる。
隣の部屋との間の短い廊下を、派手な恰好の若い女がこちらにゆっくりと歩いてくる。
白地に極彩色の花模様の浴衣。オカッパの黒髪には花簪。裸足に下駄。腰の両側には短刀を差している。
その顔は竹本清美だった。
相変わらずの無表情だったが、そのほうがこの場ではすごみがある。
宇宙人達が何か言っている。たぶん、「何やつだ?」「其のほう方、どこから入った?」「おのれ、曲者! 我が手で成敗してくれる」「フハハハ、飛んで火に入る何とやら」「ここは貴様ごとき下郎の来るところではない。早々に立ちされ」
などと言っているのだろう。
女は両手で短刀を抜いた。手の甲のほうに刃が来る形で柄を持っていて、カマキリのようだ。
宇宙人達は警戒する。女子供は後ろに下がる。女は刀を振り回す。適当に動いているのではなく、型の決まった舞踊のようだ。
それで大男の二人とリーダーを残し、僕の周りを囲んでいた宇宙人達は退いた。
「今だ!」
僕は叫んだ。
三人の元運営はチャンスを逃すことなく、一瞬のうちに僕を隣の部屋まで運び出した。
「これで安心です」
背の高い男は言った。
だが、「刀持った女の子が近づくだけで、宇宙人達は僕の傍から離れた。わざわざ他の運営に頼まなくても、君たち三人でできたじゃないか」
と僕は非難した。助けてもらったのはありがたいが、怖い目にあったんだ。このくらいは言いたい。
「あの方法が思いつきませんでした」
背の低い男が言い訳した。
「あのくらい普通の人間でも思いつく。しかも、あの宇宙人達は君たちがデザインしたんだろう?」
「あれはただ単に脅したのではありません。巧妙な演出で、相手の度肝を抜いたのです」と女。
「地球の運営同士でもレベルの差があるわけね」
僕はいやみのつもりで言った。
「特にあの方は……」
背の高い男がそう言いかけると女が睨んだ。「いえいえ。気にしないでください」
妹という設定でありながら彼女は兄を監視している。上司や管理職的立場なのだろう。 それだけ優秀ということか。
隣の部屋から大勢の悲鳴が聞こえた。
そうだ。人質となったのでわすれていたが、僕は宇宙人減らしのためにここに来たのだ。
引き戸に近づくと、サングラスの女が「見ないほうがいいです」といって僕を止めた。
時代劇のチャンバラのような格好のいいものではなく、地獄絵図が展開されているのだろう。
それから行きと逆のルートで僕は、地球に生還した。出発前と違い、もう地球は丸くなく、回ってもいない。それどころか、日本は真っ二つになり、種子島のあるほうは西日本だが、世界の東の端にある。
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