第7話 メルカトル vs ロビンソン

 竹本兄妹ともキズキとも連絡がとれず、いつ世界がフリーズするか気が気でならず、僕は焦るばかりだった。 そんな折、いつもの散歩をしていると、図書館の駐車場の片隅で、数人の男子小学生が騒いでいた。


「触ったらまずいよ」

「嘘、食べられるよ」

「じゃあ、食べてみろよ」

 などという会話が聞こえたので、近づいてみると、駐車場のフェンスの下辺りに一匹のミラーエッグがいた。植物なのに一匹という表現はおかしいが、なぜかそう言ったほうがしっくりくる。


「どこで見つけた?」

 僕は偉そうに聞いた。地球全権大使だから実際にもの凄く偉い。たぶん、世界で一番偉い。

「そこ」

 天然パーマの少年がフェンス下の地面を指した。指先の方向からすると、隣家の庭にミラーエッグを見つけ、フェンスの下に手をもぐりこませ、とらえたようだ。

 

 僕は、身をかがめて隣の庭をのぞき込んだ。

 まだ二匹いる。

 僕は腹這いになって、手をのばし、二匹ともつかまえた。

 小学生はちょうど三人だったので、

「これで一人一匹ずつだ」

 と、僕は偉そうに言った。

「いらないよ」

 一人がそう言って踏みつけた。半透明な皮が破裂し、中の水がアスファルトをぬらした。

彼らにあれだけの貢献をしながら、おくゆかしい僕は名も名乗らぬまま、その場を立ち去った。


 それにしても、もうこんな近くにまで、ミラーエッグがいるとは驚いた。

 どうにかして、運営と連絡がつかないだろうか。


 ちょうどその頃、新聞のチラシに目を通していると、アウフヴィーダーゼンというドイツ料理の店が市内に明日オープンするとわかった。前回のアトランティス騒動のとき、キズキが同じ名前の店を拠点にしていた。あのときはマンションの一階と地階だったが、今回は独立した建物だ。

 しかし、この物知りの僕がオープン前日になって初めて知るのもおかしい。そんなに大きな街ではない。暇人でよく出歩く僕なら、とっくの昔に知っているはずだ。やはり彼女との関係を疑うべきである。

 場所を見て驚いた。例の喫茶店のあった場所だ。外壁の色は違うが、建物の外観もこんな感じだった。イタリア料理店の予定のはずじゃなかったのか。

 これでキズキと連絡がとれるかもしれない。

 

 翌日、オープン時間に合わせてそこに出掛けた。前回見たときと外壁の色は違うが、壁紙はあのときのものだ。平日ということもあり、そんなに混雑していない。


「いらっしゃいませ」

 入るとすぐ、若い女性店員が席に案内してくれた。まだ中学生か高校生に見える。エプロンをつけた竹本清美だった。


「どうして、君が?」

 僕が聞いても彼女は答えてくれず、

「あいにく満席ですので、相席お願いできますか。あっ、忘れてた。オープン記念ということで、特別に奧のvipルームにご案内します」

 下手な女優が台本を読むように、彼女はそう言った。

 店内の間取りは前と同じようだ。厨房に入り、奧の部屋に通された。彼女はその間無言だった。


 しばらくして、坊主頭の兄がお冷やとおしぼりを持って登場した。高校生のバイトに見える。

 僕はあえて客の振りを押し通し、何も言わなかった。

 用事をすませ、部屋から出ていこうとしたとき、彼は振り向いて、

「どうして黙ったままなのですか?」

 と責めるように言った。

「そっちの妹の愛想が悪いから、お互いさまだ」

「あれはこの世界にまだ慣れていないのです」

 妹のほうは、同じ運営でも兄よりもはるかにロボットみたいだ。光瀬龍氏の後書きでも、女のほうは一言も発しなかったとある。

 だが、「戦争から何年経ったと思ってるんだ。僕が生まれるはるか前のことだぞ」

と僕はいった。

「のべ滞在時間は千時間以下です」

「まあいい。いくらオープンでもランチタイムが終わったらじっくり話し合おう」

「今ここでお願いします」

「店のほうはいいのか?」

 厨房も見たが、人員に余裕はない。「ヴァーチャル店員なんて芸当はできないだろう」

「客の心を操れば、何時間でも待たせることができます」

「その手があったか」


 彼は向かい側に座り、いきなり本題に入った。


「三日前、アトランティス側の運営から、このままでは天体全体の計算量が足りなくなると指摘を受けました。理由は複数のミラーエッグが近接して存在すると、その表面に互いの映像が多重に映りこみ、計算量が激増するからです。いまのところはまだ大丈夫ですが、後三ヶ月もすると多方面に影響が出てくるそうです。アトランティス側は対処法として、旧世界全体を原始時代に戻し、冷暖房、通信、運輸、ハイテク機器などの負荷の多い処理を減らすことを主張しています。温暖化阻止のときのように大量殺戮プランではなく、計算量確保のため、むしろ人口を増やしてくれとのことです。ですが、いまさらこちら側だけ原始時代なんて受け入れられません。それを避けるには……」

 彼がそこまで言いかけたとき、

「その前にどうして、いままで連絡をよこさなかった。たまたまチラシを見たからいいものを、そうでなければいつになったかわからない」

 といって僕は遮った。

「チラシを見るように心を操作しました」

「ああ、その手があったか。続けてください」


「温暖化阻止にはミラーエッグの増加はやはり必要なので、他の処理を減らすしかありません。ですが苦労してここまで育てた文明を破棄したくありません。残る手段として……」

 彼は驚きの対処法を語った。

「残る手段として、地球を球体から平面に戻す方法があります」

 

「ちょっと待った!」

 以前、キズキから地球はコロンブスの活躍した大航海時代から初めて球体になったと聞いた。それまでの処理能力では無理だった球体地球が、参加者が増え、さらに人間一人当たりの能力が高まることでようやく実現可能になったからだ。

 前世紀のコンピュータゲームは二次元が当たり前で、三次元のものがあっても画面はかなり荒かった。それがコンピュータ性能の進歩で高画質の三次元ゲームが当たり前になったようなものだ。

 球体から平面に戻すことで、計算負荷を下げ、フリーズを阻止する。理屈としてはあっている。

 だが、

「単純に戻すといったって、またみんな原始人になればいいけど、今の科学を維持しながら、いまさら平面なんて無理だ。心理面だけじゃなくて、人工物が増えたから物理的に無理だ。北や南はかなり横に伸びるはずだ。道路や線路はどうなる?」

「土地と同じ比率で伸ばします」

「地球の周りを回る人工衛星とかどうするんだ?」

「その点についてはこれから検討するつもりです」

「これからって無責任な」

「他にいい手段がありますか?」

「浮かばない。だけど理論上は可能でも、現実的に無理だろう」

「もちろん様々な課題はありますが、そのほとんどは地球平面論が主流になれば、問題にすらなりません。長い間、人類は天動説を受け入れてきたのです。その時代に人々の意識を戻すだけのことです。メディアや学者を操作すれば充分可能なはずです」


 今の時代に天動説が受け入れられるわけがない。普通の人間ならそう考えるはずだ。だが、コペルニクスが地動説を発表してから間もなく五百年になろうとするこの現在、地球が平面であると主張する人々がいる。それも、地球平面論者達(Flat Earthers)の多くは、アメリカやイギリスなどの先進国に暮らしている。

 二世紀にプトレマイオスが天動説を唱えてから、長い間、人類はそれを受け入れてきた。キリスト教の宇宙観に合っており、太陽や星の動きを見ていて、地球が動いているという感覚は持ちにくいからだ。

 コペルニクスの説が一般に受け入れられるようになったのも、十八世紀後半になってからである。たった二百年そこそこしか経っていない。世界が平面になっても、ほんの二百年前に意識を戻すだけでいいのかもしれない。


 最初にキズキと会ったとき、宇宙における地球以外の天体は、基本的に地球から見た映像しか存在せず、プラネタリムの映像と本質的に変わらないので、天動説が正しいと言った。

 といっても、現在では地球が太陽の周りを回っているという前提で計算しているので、理念上は地動説が正しいといえる。

 今度はその計算すら、地球の周りを他の天体が回るルールに変更する。単なる学説ではなく、リアル天動説世界の誕生だ。


 コペルニクス的転回という言葉がある。カントが作った言葉だ。発想の大転換を意味する。天動説が再び主流になることは、文字通り、逆コペルニクス的転回だ。


 全権地球大使といっても、地球の運営からすれば、所詮、僕は部外者にすぎない。キズキに較べれば遙かに劣るが、地球の運営といえど、世紀の大天才を上回る能力の持ち主だ。僕程度の頭脳では、なんらのアドバイスもできない。

 それで僕は、

「もしその方法でうまくいくなら、僕は反対しないよ。事情はわかりましたので、そちら側でしっかりやってください」

 と半ば人ごとのように言った。前回同様、話を聞くだけの役目だと思ったからだ。

 ところが、僕には重要な役目があった。


「地球代表として、平面化に異論はないということですね」

 清治は確認するように言い、「そこでお願いなんですが、平面化の方法にもいろいろありまして、できれば私の案を支持していただければと思いまして、こちらにお招きした次第であります」

「どういうこと? プロセスのこと?」

「ご存じのように、現在の世界地図は平面です。今の地球は球なので、それを平面として表現するには、さまざまな手法があります」


 彼の言いたいことは、地図の種類のことだ。球体の表面を平面に投影すると、何らかのひずみが生じる。どれも問題をかかえているので、距離、面積、方位などどれを重視するかで、選ぶ図法が異なる。よくしられているのは、メルカトル図法だ。地球を円筒に見立て、それを切り開いて長方形の平面図とする。

 赤道に近い地域はかなり正確に表現され問題ないが、緯度が高くなるに連れ、拡大されゆがんでしまう。グリーンランドや南極大陸がすごく広くなるが、地図上の二点を結ぶ線の方角が正確で航海時に役立ち、広まった。


「メルカトル図法をご存じですか? でしたら話が早い。私としては、是非、メルカトル図法を推したいのですが」

 ん? 彼の声がおかしい。

 くぐもった感じで、耳で聞いた声ではなく、僕の頭の中で直接響いている気がした。


「私としてはということは、アトランティスを含む地球全体の運営でも、旧世界派の運営でもなく、あなた個人の考えということか?」

 僕は口から声を出した。

「すいません。極秘事項なので直接、あなたの心に話しかけます」やはりそうか。「メルカトル図法は16世紀に発表された幾何学的投影法で、方位を知るには都合がいいですが、面積に関してはひどいものです。最近ではロビンソン図法のような、ひずみについての数学理論を使用した解析的投影法がよく使われています。」

 ロビンソン図法は、上下を少しきりとった横長の楕円形(平極楕円)で、メルカトル図法同様一枚で全世界が表現される。1963年に開発されただけあって、メルカトル図法より実際に近い。


「ご存じのように原初の地球は、ごく小さな長方形の平面でした。全体がサバンナのような同一の気候で、北に行くと寒くなるという法則はありませんでした。参加者が増えるに従って、徐々に広がっていきました。

 アフリカ大陸が今の形になった頃、ある宇宙で大量死が発生し、そこの生命を受け入れることになりました。それまでとタイプの違う生命体で、そのままアフリカに送ると、大きな集団ができ、それが互いに争い合う状態が懸念されました。そこで、アフリカの北にヨーロッパ大陸が作成され、厳しい寒さと痩せた土地で活動を押さえ込みました。

 その時点でも世界は長方形でしたが、メルカトルのように北側は広くなることはありません。ヨーロッパは寒く設定されていましたが、太陽光が少ない理由も特にはありませんでした。

 しばらくして、また別の宇宙で混乱があり、ヨーロッパの東にアジアを作り、多くの生命を受け入れました。この辺りから長方形ではなく、北を狭くした、おむすび型の平面になりました。北に行くに従って横に狭くなる分、受ける太陽光が少なく寒くなる、という理屈がつけられました。

 紀元前三千年、ギリシャでの青銅器文明はエーゲ文明につながり、そのまま放置するとさらに発展し、他の地域にも伝播し、世界の均衡が崩れるおそれが生じました。ここまで育てた文明を破壊するのも惜しいので、運営は新たに大陸を作り、それをまるごと移す計画を立てます。

 アトランティスはヨーロッパ大陸の西に作られ、謎の民族海の民をギリシャに侵攻させ、エーゲの民はアトランティスに移住し、エーゲ文明は崩壊します。ちなみに海の民はヒッタイトも滅ぼします。

 アトランティスの発展は著しく、百年もすると地球球体説が唱えられるようになります。軍事力もすさまじく、このまま同じ星にいては他の地域が支配される恐れから、アトランティスのみ他の宇宙に分離し、先に球体化しました。 

 そして大航海時代。南北アメリカやオーストラリア大陸も出来上がり、球体化の直前には、世界は今のロビンソン図法とそっくりな形状になっていました。

 というわけで、地球の歴史を通して、メルカトル図法は採用されたことはないのです。

そういった背景もあり、旧世界の運営の間ではロビンソン図法が最有力候補になっています。

 ですが、私個人としてはメルカトル図法を推したいと思っています」


「どうして?」

「メルカトルは、ロビンソンに較べ、極に近い地域の面積が広いのはおわかりだと思います。アトランティス大陸は、USAと西アフリカ北部、イベリア半島の中間にあり、比較的、緯度が低い位置にあります」

 ひとつの大陸にすぎないアトランティス人とその運営は、それ以外の旧世界よりも発言力が大きい。メルカトルにすれば、アトランティスの面積を相対的に小さくでき、その力を削ぐことができる可能性がある。地球全権大使の僕がメルカトルを推奨すれば、形勢が覆る可能性がある。それが狙いか。


「お察しの通りです」

 そのことを他の運営は知っているのか?

「清美以外の運営は知りません」

 そこに僕ひとりが加わっただけで、勝てるのか?

「今はアトランティスの運営は旧世界の原始化を主張していますが、それも無理があります。アトランティス派がメルカトルにつけば、充分勝算はあります」

 アトランティスにとって不利にも関わらず、アトランティスを仲間に抱き込む。僕は、運営の派閥争いに巻き込まれた気分だ。


「で、どうすればいい?」

 僕は声を出した。

 相手は黙ったまま、心に話しかけてくる。

「僕もメルカトル図法がいいと思う、とだけこの場で声に出して発言してください。それでアトランティス人を含んだ人類全体の意志とみなされます」


 そう言われると緊張する。僕は姿勢を正し、ゆっくりと力をこめて声に出した。

「え~僕もメルカトル図法がい、いいと思う、思います……はあ、言えた」

 無事、発言しおわると、清治は立ち上がり、深々と頭を下げた。

「どうもお手数かけました。今日のところはこれで結構ですので、おひきとりくださって結構です」

 結構? 

 僕はドイツ料理を食べにきたのに、早々に追い払おうとする。

 僕がそう思うと、

「私は、これからすぐにアトランティスグループと打ち合わせに入りますので失礼させていただきますが、スタッフには特別なお客様なので無料とさせていただくと伝えておきます。何なりとご注文ください」

「運営も大変だな」

「おわかりですか。もともと人手に余裕がないところに、相次ぐ緊急事態で、休む暇もありません」

 その言葉を聞いて、前から疑問だったことを思い出した。


「運営の方は眠るんですか?」

「身体が無いのに、どうして眠る必要がありましょう」

「じゃあ、休む必要ないじゃないか」

「休む暇もないというのは、精神的にしんどいという意味です」

 そう言うと、清治は部屋を出ていった。


 僕はメニューを手にとった。キズキの店とは料理の内容が異なる。そういえば、どうしてこの店の名前は、彼女の店と同じ名なのだろうか?

 いけない。そんなどうでもいいことを考えている余裕はない。地球が平面になるのだ。

これは特に日本にとって影響が大きい。


 少し前まで国内地図は太平洋を中心に西側にユーラシア、アフリカ、東側に南北アメリカ大陸の配置だが、欧米のものは大西洋が中心だった。大西洋にアトランティスができてからは、国内の地図でも欧米と同じように、大西洋中心となり、日本列島は地図の右端に置かれることになった。

 地図上の表記なら単なるプライドの問題だが、これが現実の世界の姿となると一大事だ。太平洋の途中で世界が終わるのだ。日本からアメリカに飛行機で行くとなると、これまで東に向かえばよかったものが、西に遠回りすることになる。


 それに、世界の端はどう処理するつもりだろうか。

 高い壁でも築くのか、なぜかそこから先には動けなくなるのか。


 世界がロビンソン図法のようだった頃には、南や北は横に狭く、その分受ける太陽光が少ないとされた。よく考えるとおかしな感じがするが、当時は科学が未発達なので、これで充分だったのだろう。

 今の球体世界では、北や南の端のほうに行くほど寒くなるのは、太陽の位置に対し傾きが生じ、光があまり当たらないからだ。長方形の平面にしたら一律に太陽光を受けるので、緯度による温度差の説明がつかない。

 まさか、世界中どこも赤道と同じ温度にするのか? それでは、温暖化解決どころではない。

 平面化といっても、すべてを中世の頃と同じにするわけではないはずだ。

 太陽光そのものを弱め、全世界を温帯気候にしたらどうか?

 だが、それでは人間の活動領域が増え、それに伴う計算量の増加でまたフリーズしかねない。

 考えれば考えるほど頭が痛い。

 まあ、僕は専門家ではないので、これまで通り普通に生活できればそれでいい。教育関係者は大変だろう。物理学者が慌てる様子が浮かび、誰もいない部屋で笑ってしまった。


 笑っている場合ではない。平面化という無茶な対処も、地球の運営がミラーエッグでへまをやらかしたからだ。また失敗しないとは限らない。だから、今のうちに楽しんでおくことにしよう。せっかく無料なので、一番高い料理をいただいてから帰宅した。


 自分の部屋に入るとハミナがいた。僕は相手がキズキのつもりで話しかけたが、ギーギーという鳴き声を出すだけで、僕の言葉を理解しているとは思えなかった。


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