第26話:決意と呪い


 宣布の場として選ばれた王城内の野外広間には、五千人を超える兵や貴族が集結していた。

 皆、今から行われるだろう開戦宣布を今か今かと待ちわびている様子だ。その中、リュスカとディーノは、もうすぐジェラールが立つ予定のバルコニーの壁の影に隠れながら外の様子を眺めていた。


「うわー、何か俺、すげー場違いな気分だ」


 王城のバルコニーなんて潜入時でも入ったことがないリュスカが、あまりの壮大さに呆気を取られる。


「場違い? どうして?」

「どうしてって……それより、何でディーノはそんなに落ち着いてるんだ?」

「何でって、それは……―――あ、そうだ。僕、リュスカに言わなきゃいけないことがあるんだ」

「俺に? 大事なことか?」

「うん。あのね、実は僕……」


 ディーノが言葉を言いかけたところで、広間内に歓声が起こる。どうやらジェラールの用意ができたらしい。


「あ、始まるみたいだ。悪い、ディーノ。後でちゃんと聞くから」 

「……うん」


 視線をバルコニーの先へと移すと、そこにジェラールがゆっくりと現れた。その背後にはレイナルドと、行方不明となったシードの代わりに皇太子の護衛を任されたアランが並ぶ。ラッセルはこの場にいないが、多分、すぐ近くに設けられた自分の席に座っているだろう。


「―――今日、この場に集まって貰ったことを、療養中のアーガトン国王陛下に代わり心より感謝します」


 大勢の人間を前に宣布を始めるジェラールは、とても堂々としていた。引き締まったレイナルドの顔もいつもと違って見える。


「さて、皆も知っているように我が国では今日まで、ライウェン王国との開戦に向けて準備を進めてきました。しかし――――」


 言葉の途中で宣布が一呼吸分止まる。何千という視線を一身に受けて立っていたジェラールは、沈黙のままその場にいる全員の顔を見るように視線を巡らせた。

 そして、再び口を開く。


「熟考の末、我が国はライウェン王国との戦争を行わないことを決めました」


 ジェラールが放った言葉に、響めきが起こる。しかし、それも予想済だという顔で話を続けられた。


「今回、事の発端が魔族の青年による陛下襲撃だと皆には知れ渡っていると思います。しかしそれは偽りだった。いや、私が開戦の口実にするため故意に偽った。……今回のことはすべての罪は私にあります。これは後日、王国法廷によって露見されることでしょう」


 皇太子が自ら罪を認めたことに、今度は戸惑いの声が立つ。皆、ジェラールが聖人君子だと信じてやまなかったからだろう。


「皆を惑わせてしまったこと、不安にさせてしまったことを、この場を借りて謝罪します」


 ジェラールが一歩下がり頭を下げる。すると兵士の中の一人が「今さらそんな話、聞けるか!」と罵倒が上がった。

 王族に対する罵倒は重罪。それにも関わらず、一人が堰を壊した途端、多くの兵士が文句を吐き出し始めた。けれどジェラールはその者たちから決して瞳をそらさず、沸き立つ批判をすべて受け入れるとでも言うかのように、真剣な眼差しを向けた。


「皆が私を許せない気持ちはよく分かっている。無論私も、この謝罪だけで終わらせようとは思っていない。私は今回の責任を取り、王位継承権の放棄を――――」



 王位継承権の放棄。そんな結末をレイナルドとの相談もなく自分で用意したジェラールが、民衆の前で宣言しようとする。しかしその瞬間、広間の後方でズドン! と大きな爆発音が鳴った。


「な、何だ、今の音」


 爆音がおさまってから顔を上げると、音が立った方向に黒煙が上がっているのが見えた。が、その刹那、今度は別の場所で爆発が起こる。それから広間の左方、右方と様々な場所で衝撃音が続いた。

 止まらない爆発に方々で悲鳴が上がり、貴族や兵たちが右往左往に逃げていく。


「レイナルド、これって………っ!」


 リュスカがレイナルドの支持を求めバルコニーに出た途端、大きな影が空から降りる。


「リュスカ、危ない!」


 ディーノに腕を引かれて影から外れると、リュスカがいたその場所にズシンッ、と何か重たいものが着地する音が響いた。


「な……お、前……っ、シード!」


 バルコニーの上空から飛び降りてきたのは、今まで姿を消していたシードだった。

 だがなぜか今のシードは騎士の鎧を身に着けていない。まるで「自分はもう王国の犬ではない」と意思表示でもしているかのようだ。


「フンッ」


 リュスカたちを一瞥し、ニヤリと笑ったシードは背を向けると、背後から羽交い締めにする形でジェラールを拘束した。さらに、その首元に剣の刃を突きつける。


「兄上!」

「ジェラール様!」


 レイナルドとアランが即座に反応して抜刀する。


「おっと、それ以上動いたらコイツの首が胴から離れることになるぞ」

「くっ……」


 ジェラールを人質に取られてしまえば、たとえ腕ききのアランであってもどうすることもできない。


「シード……これはどういうことだ?」


 そこら中から黒煙が昇り、叫び声がこだまする緊迫な状況の中でジェラールが冷静に問う。


「愉しい余興だったが、貴様の話が長すぎて聞いているのが飽きたんだよ」


 そう答えを返すと、シードはジェラールもろとも背を翻して広間の方を向いた。


「よく聞けクズども! お前たちは俺を愉しませる道具だ! 道具なら道具らしくさっさと死んで、俺の渇きを癒せ!」


 シードは笑いながら、まだ広間に残っている貴族や兵士たちを揶揄する。


「逃げられるものなら逃げてみろ! 残った奴らはすべて剣の錆にしてやる」


 シードが叫ぶ間も爆発はまったく止まらない。それどころか火災も起こり始めている。早く何とかしなければとリュスカたち焦燥に駆られながら、シードの動向を見つめる。


「だが一人で逝くのは寂しいだろう! せめてもの情けにコイツも一緒に送ってやろう。もちろん、この前殺し損ねた国王もな!」


 ジェラールの首にシードの剣がわずかに食い込む。


「やめろ、シード!」


 剣が当てられた首から一筋の血が滴ると、レイナルドがリュスカすら見たことのない剣幕で叫び、シードに向ける剣に力を込めた。

 その時。


「いいんだ、レイナルド。剣をおさめなさい」


 落ち着いた口調で、ジェラールがレイナルドを制止した。


「兄上っ?」

「これは全て私が招いたこと。だから責任を取る覚悟はできている。それに……私はシードとの約束をまだ果たしていない」


 黒煙が風に乗ってバルコニーまで届くと、鼻につく火薬の匂いで咽せそうになる。


「シード、お前との約束は私に協力する代わりに、君の乾きを癒すことだったね」

「ああそうだ。貴様は果たせなかったがな」

「だったら私の首を刎ねればいい。皇太子の首なんてそうそう手にかけられるものではないと考えれば、少しぐらいは愉しめるだろう?」

「兄上、止めて下さい!」


 目の前で繰り広げられるおぞましい会話を、レイナルドが遮る。


「レイナルド……お前は許してくれたけれど、私は決して許されてはいけない罪を犯した。だからこの場で王位継承権を放棄し、お前にこの国を託すつもりだった。でも、まだ皇太子としての役目が残っていたようだ。申し訳ないが、もう少しだけ名前を使わせて貰うよ」


 レイナルドを真っ直ぐ見つめるジェラールの瞳は、今まで見た中で一番穏やかなものだった。今から殺されるかもしれないというのに、少しも怖がる様子が見られない。

 そんなジェラールが、シードに語りかける。


「……シード、私はお前を側に置いてからずっと、どうしたらお前の乾きを癒やせるか考えていた。戦争を起こせば、本当にお前の希望が叶えれるのかと。……でも、分かったんだよ」

「何がだ?」

「たとえ魔族との戦争が起こったとしても、お前の乾きは癒されないよ。人間も魔族も混血も、すべてを憎む『異端の子』のお前にはね」


 ジェラールの言葉に、レイナルドとそしてシードが驚愕に目を見開く。


「貴様、知っていたのか……」

「どうしてお前が、そこまで枯渇しているのか、知りたくなって調べたんだよ」


 シードが余裕を失う姿を見るのは、これで二度目だ。だが今回の動揺は以前と種類が違う。本当に驚いている様子だった。それほどまでに『異端の子』という言葉はシードを狼狽させるものなのだろうか。 


「異端の子って何だ?」


 初めて聞く言葉にリュスカが首を傾げると、レイナルドが硬い声で答えた。


「異端の子とは、混血から生まれた子のことだよ」

「なっ! 嘘だろ、混血から生まれたなんて」


 リュスカは思わず声を張り上げた。しかしそれも無理はない。人間と魔族の間に生まれる混血ですら出生率が低いというのに、さらに混血からだなんていまだ聞いたことすらない。それにシードの目はリュスカたちのように、片目が紫色に染まってもいない。見た目は普通の人間だ。


「王国に残る文献からすると、天文学的な確立で混血から生まれてくるのが異端の子だ。目の色は多少の色の違いは出るものの、血が濃い方に影響されるからそんなに差異は現れないと言われている。見た目は変わらないが、混血特有の高い身体能力をもつ…………ただその代わり、酷く短命だと」


 多くの場合は幼少時から成人まで、長くても三十年までという記録が残っているとレイナルドは告げた。

 寿命が三十年。シードは今、二十代の半ばだから残りあと五年あるかないだ。そう考えると恐ろしく短く感じる。


「お前は自分の母親を生んだ魔族と人間を、そしてお前を人生への悲観の果てに殺そうとした混血の母親を、そして自分の運命を憎んでいた。その深い憎しみが乾きとなって今でもなお、お前を苦しめている。そうだろう?」


 シードは何も返さない。が、その沈黙は肯定を意味していると誰もが分かった。


「お前の出生を知ってから今日まで、どうやったらお前の心を救えるのかずっと考えた。その答えが――これだ」


 ジェラールが動きの取れる手を懐に差し込み、短剣を取り出す。と、その剣を躊躇いなくそれをシードの腹に刺した。


「ぐっ!」


 短剣を突き刺されたシードの腹から、血が塊になって落ちる。その衝撃で、剣を持つシードの腕が震えた。そのまま首から離れそうになる剣の腹を、シードの血で染まったジェラールの手が支える。


「さぁ、私の首を撥ねろ。……私が一緒に死んでやる」

「ク……ハハハ……俺と心中するだと?」

「皇太子と心中なんて、これ以上の笑い話はないだろう。これならお前も愉しめるはずだ」


 それに一緒に死ねば一人で死に怯えることもなくなる。言葉には出さなかったが、ジェラールの行動にはそんな思いが込められてた。 

 ジェラールがゆっくり目を閉じて、その時を待つ。 

 しかしシードは剣に力を込めず、その代わりに顔をやや俯けてジェラールの耳元に己の唇を近づけた。

「――――――――――」


 リュスカたちには届かない言葉が、ジェラールの耳に紡がれる。次の瞬間、ジェラールの目が驚愕に見開いた。

 同時に拘束を解かれ、ジェラールの身体はバルコニーの床に投げ出される。


「兄上!」


 レイナルドが駆け寄り、解放されたジェラールを抱き起こす。その二人の前にアランが立って盾となる。


「シード! なぜだっ!」


 レイナルドに抱えられながらジェラールが声の限り叫んだ。


「お前と……心中するよりも……もっと愉しめる方法を……見つけたからだ……」


 笑いながらシードが一歩、また一歩と後退する。その姿を見つめていたリュスカは嫌な直感を覚えて、ハッと息を呑んだ。

 シードの背後にあるのはバルコニーの手摺りだけ。

 これ以上後退してしまったら――――。


「哀れな皇太子よ。今日より生涯に渡り、その身に我が呪いを受け続けるがいい」

「シード!」


 この世の絶望でも見たかのように目を見開きながらシードの名を叫ぶジェラールを見て、直感が当たったことに気づいたリュスカが夢中で駆け出す。しかしその足がバルコニーの先端へと辿り着いた時にはもう、フラリとバランスを崩したシードの大きな身体が手摺りを超えた後だった。


「くそっ!」


 リュスカは手摺りから身を乗り出して下の様子を見る。が、広間は炎と黒煙に包まれていて、誰の姿も確認することはできなかった。クソっ、と舌打ちをしてから皆の方向に身体を戻し、無言のまま首を横に振る。


「そうか……」


 眉を大きく顰め顔を顰めるレイナルドは、腕の中で呆然と宙を見つめるジェラールの肩をグッと抱きしめた。


 シードには散々振り回され、煮え湯を飲まされたというのになぜこんなにもやるせない気持ちになるのだろう。シードの生い立ちを知り、リュスカは改めて生まれた時に背負う運命の重さを感じた。――――その時。


「レイナルド様!」


 沈黙が走る中、ラッセルがその場に飛びこんできた。


「ラッセル、君も無事だったんだね」


「はい、他の来賓の方々も城外へと批難しました。ですが城内が酷い状態です。どうやら大量の爆薬が使われたようで、いたるところで火災が起きています。今、兵士たtいが全力で消火に当たっていますが水の運びが悪く追いつきません」

「そうか、それなら兵士たちには消火活動を止めて城外へ批難するように指示を!」

「レイナルドっ? いいのか、そんなことしたら城が完全に燃え落ちちまうぞ?」


 レイナルドの指示に、リュスカは驚く。


「今は城よりも人命が優先だ」


 ジェラールがシードの死の動揺で自失している今、レイナルドが動くしかない。しかし一つでも指揮を間違えれば責任問題が問われる中、躊躇いなく人の命を選んだレイナルドをリュスカは誇りに思った。


「分かった。じゃあ、俺も手伝う!」

「待って!」


 各自、避難誘導に向かおうとしていた四人を、ディーノが止める。


「この火、僕がどうにかしてみる」

「どうにかって、そんなことできるのか?」

「補助術では無理だけど、水の攻撃術を火に当てればなんとかなるかもしれない」

「でも攻撃術は……」


 確かに魔術なら消火の希望は持てそうだが、攻撃術の発動を怖がっているディーノに無理矢理使わせて心に大きな傷を負わせてしまったらと考えると、不安でならない。そう思って反対してみたが、ディーノは首を横に振って大丈夫と答えた。


「こんな時に怖いだなんて言ってたら、マリクにも皆にも呆れられちゃうから。――――レイナルド、いい?」


 真剣な顔のディーノが尋ねると、レイナルドは即座に承諾した。 


「このままでも城は焼けてしまうから何をしても構わないよ。ただし、残っている兵士には当てないようにして貰えるかい」

「うん、何とか……頑張る!」


 リュスカ達が見つめる中、ディーノがバルコニーの中央に立つ。そしてゆっくり目を閉じると、静かに術の詠唱を始めた。


『我を守護し水の精霊よ。我は蒼き母の子、ルカ=ディーノベル=ライウェン。魂の盟約に基づき、我は願う。今、そこに在る劫火を母の敵とし、その力を見せつけよ!』


 詠唱を終えると同時にディーノの周りに蒼く光る円が形成されると、円を描いた光の線が火のついた導火線のようにゆっくりと内側に何本も伸び、幾何学模様を描いた。やがてそれが美しい魔方陣となると光が一段と強くなり、陣から激しい水流が生まれる。

 そうして一気に水流が上空へ伸びると、四方に分かれて飛び散った。


「す……げぇ……」

 

 水が意思を持っているかのように炎にだけ向かい、みるみる城を包む業火を消えていく。その光景はまるで水龍が踊っているようで、リュスカは規格外の迫力に思わず感嘆の声を上げてしまった。


「ディーノ、お前すげぇな!」


 術を発動してから半刻ほど経った



 ディーノが呼び出した水龍の演舞で炎が完全に鎮火すると、魔方陣もいつの間にか消えていた。もう近づいても大丈夫だろうと、リュスカはディーノに駆け寄る。だが―――。


「も、ダメ」

「へ?」


 リュスカが近づいた途端、ぐらりとディーノの身体が揺れた。それからすぐにリュスカの頭上へと影が落ちたかとおもえば、ディーノの身体がリュスカに向かって降ってきて。


「うぉあっ、いきなり倒れんなって!」


 危機一髪でディーノの身体を受け止めたのはいいが――――重い。リュスカはディーノの身体を支えたまま、地面に尻をついた。


「いてて……ってディーノ、大丈夫か?」


 尻の痛みが引くのを待ってから目開ける。するとディーノはリュスカに覆い被さりながら意識を失っていた。

 もしかして術を使ったせいで何かあったのかと心配になって、慌てて覆い被さる大きな身体を揺さぶる。そうしていると、術のせいで全身ずぶ濡れになってしまっていたレイナルドが苦笑を浮かべながら多分大丈夫だよ、と言った。


「きっと、いきなり大技を使ったから体力を消耗してしまったんだろう。少し休ませてあげよう」


 確かに、あの燃え盛る業火をすべて消火してしまうほどの術を使ったのだ、体力切れで倒れてしまっても無理はないだろう。


「あー、そうか……うん、そうだな」


 仕方ないなぁ、と覗き込んだディーノの顔はお気に入りのぬいぐるみでも見つけたかのように幸せそうで、見ているこっちも幸せな気分になれた。

 確証はないけれど、多分いい夢でも見ているのだろう。


 ――起きたら思いきり褒めてやるか。


 そう決めてリュスカは微笑む。

 目に映る景色はどこもかしこも余すところなくずぶ濡れだったが、真っ直ぐ見つめた空は気持ちがいいほど晴れ晴れとしていた。

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