第19話:レイナルドの母
ラッセルが漆黒の蝶から抜けた後、結局話し合いどころではなくなってしまい、会議はそのままお開きとなった。
レイナルドやアランは「それがラッセルの意思なら、仕方がない」と言っていたものの、明らかに困惑している様子で、ディーノもラッセルの脱退が自分のせいだと言って落ち込んでしまった。
リュスカ自身も気持ちの整理が追いつかない状態だ。
個々の気持ちが不安定になり、次の手が何も決まらない。その中、動いて気分を紛らわそうと考えたリュスカは、情報収集を理由にふたたび新兵のふりをして王城内を探ることにした。
「レイナルド」
荷物運びの仕事を引き受け王城内の庭園を歩いている時、不意に知った名前が聞こえてきてリュスカは足を止める。そうして声の方向を見てみると、色とりどりに咲き誇った花々の中でレイナルドと四十手前の女性が並んで話している姿が見えた。
「レイナルド、こんなところで何をしているのです?」
「母上……少し調べ物がありまして、資料室に入っておりました」
母上という言葉に、リュスカは思わず反応した。
――あれがレイナルドの母親か……。
確か名はナタリー。アーガトンの正室として侯爵家から嫁いできた女性だということは知っている。が、これまで一度もリュスカが彼女を見たことはなかった。
――すごい綺麗な人だな。
ナタリー妃は見目麗く、立っているだけで触れ難い気品が漂う女性だった。レイナルドの綺麗な蜂蜜色の髪と目は、どうやら母親譲りらしい。
二人が並んで立つと、それだけで上質な絵画を見ているような気分にすらなる。しかし。
どうしてだろう、レイナルドを見遣るナタリーの視線になんとも言えない冷たさを感じる。
「まぁ、何ですか。皇太子は魔族との開戦の準備で忙しくしているというのに、弟の貴方が呑気に遊び呆けているなんて。たった二日しか生まれた日が違わないというのに、どうしてこんなにも出来が悪いのでしょう」
「母上……」
「まぁいいわ、貴方にはもう何も期待していませんから」
まるで自分が産んだ子を見ているとは思えない、忌み物でも睨んでいるかのような顔でレイナルドを一瞥してからナタリーはそのまま踵を返す。が、それでもレイナルドは反論することなく、小さく頭を下げてナタリーを見送った。その顔が、リュスカには途轍もなく寂しそうに映る。
「……レイナルド」
何だかあんな顔のレイナルドを一人にしたくなくて、リュスカはそっとレイナルドに近づき声をかけた。
「リュスカ? どうしてここに?」
「兵に紛れて、情報収集してたんだ」
「そうか。……ああ、それよりも見苦しいものを見せてすまなかったね」
「こっちこそゴメン。でも大丈夫か?」
リュスカがおそるおそる聞くと、レイナルドはふわりと笑って返してきた。
「大丈夫だよ。母上のあれは、私が生まれた時からのものだから」
「は? 生まれた時から、ああなのか?」
「母上は、私がジェラール兄上よりも二日遅く生まれてしまったがために、皇太子の母になれなかったことが心残りでならないそうだ」
この国は正室、側室関係なく先に生まれた方から王位継承権の順位が与えられるため、先に誕生した側室の子・ジェラールが掟に則って皇太子に任命された。
つまりナタリーはたった二日出産が遅れたがために正室にもかかわらず皇太子の母に、そして後の皇太后になれないという運命を辿ることになってしまったという。
理由を聞いて、さらにリュスカは喫驚する。
「そんな! そんなの、レイナルドは少しも悪くないじゃないか!」
生まれてくる日なんて誰だって決められない。天の意向だ。それなのにリュスカはそんな理由で実母に疎まれるレイナルドが、気の毒でならなかった。
「怒ってくれるのかい? ありがとう、リュスカ。でもね、これでいいんだよ。母上は私を憎むことで、ご自分を保たれてる。それで母上が幸せなら、私は構わないんだ」
正室が側室に劣ったことで、きっとナタリーも辛い目にあったことだろうと、レイナルドは自分よりも母の苦労をいたわる。
「それに、母上のおかげでリュスカと出会うことができたんだ。だから今では感謝しているんだよ」
「え? 俺と?」
「そう。私は母上に憎まれたことで、逆に人に愛を与えたいと強く思うようになった。その願いを神様が叶えてくれたからあの日、私はリュスカと出会えることができたんだ」
直接は関係がないかもしれないが、レイナルドはリュスカとの出会いがそうであると信じているのだと言う。
「人ってね、自分の掲げた正義を貫けば、必ず願いを叶えらえると私は思ってる」
「正義を貫く?」
「リュスカにだって正義はあるだろ? 悪は絶対に許さないって。それと同じで私も人を愛し、信じることが正義だと思っている」
「俺の正義……」
「そう。リュスカの正義。そしてディーノやアランの正義、そして……もちろんラッセルもね。だから誰も間違ってはいないんだよ」
道別れになってしまったのは悲しいけれど、とレイナルドは続ける。そんなレイナルドを見て、リュスカはすぐに悟った。ああ、レイナルドは今もまだラッセルを仲間として愛し、信じているのだと。
「やっぱ強いな、レイナルドは」
「そうかい? まぁ、これでも一応この国の王子だからね」
「一応なんて言うなよ。アンタは立派な王子だ」
「ハハッ、嬉しいね。リュスカが私を褒めてくれるなんて」
レイナルドは少し驚いた顔をしてから、綺麗に笑う。
その笑顔を見ていたら、少し気持ちが軽くなった。今度機会があったらラッセルと、ラッセルの正義についてゆっくり話してみるのもいいかもしれないと思うぐらいに。
「またさ、皆で一緒に飯食ったり、ワイワイ騒げるといいな。俺さ、早くに親亡くしてるから、皆のこと家族っていうか、俺の居場所だって思ってるから。……だからこのまま離れ離れになりたくないんだ」
親を失ってから、自分は二度と温かな家族なんて手に入れられないと思っていた。けれどレイナルドに助けられて、漆黒の蝶に入って、諦めていた灯火を再び手にすることができた。
皆と過ごす時間はリュスカにとって何よりも大切な宝物だ。
だから絶対に離したくない。
きっとラッセルに対して怒りを覚えたのも憎いからではなく、離れていってしまったことが寂しかったからだ。ようやく自分が抱いた感情の正体に気づいたリュスカがハッと目を見開き弾かれたように顔を上げる。
そんなリュスカの晴々とした表情を見て、レイナルドはもう一度微笑んだ。
「大丈夫。絶対にまた一つになれるよ」
たとえ抱く正義が違っても。そう断言したレイナルドの言葉を、リュスカも信じて強く頷いた。
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