第18話:衝突
第六章
あの子に初めて見た時、目の前に自分自身がいると思った。
全身ボロボロになりながら、それでも必死に救いを求める姿が幼い時の自分にそっくりだったからだ。
たった二日違いで皇太子になりそこねた子を心から憎んだ母に、自分は幼い頃よく叩かれた。「お前がグズだから、私は国母になりそこねたのだ」と罵られて。
自分が母親に虐げられるのは仕方のないことだと最初から諦めてはいたが、それでもやはり母の愛は恋しかった。
そんな強い願望が、あの日、片方ずつ色の違うあの子の瞳からも感じられて。
だから手を伸ばしたのだ。自分と同じ思いをさせたくないと、勝手に思ってしまったから。
大切にしてやりたいと思う。せめて、あの子が自分の足で進む日が来るまで。それまでは父のように、母のように、そして兄のように接して行こうと誓った。
幼い頃に抱いた「逃げる悪を許さない組織を作る」という理想に、あの子を巻き込んでしまったことは今でも悔やんでいる。けれど同時に、あの子が生き生きとしている姿を見ることが出来て嬉しいと思う自分もいた。
まったくもって自分はわがままな存在だ――――と、夜空に浮かぶ月を見て王子は笑った。
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「だから、シードが貴族殺しの犯人で間違いないって! ファレーの事件の時に一度戦ったから分かるんだよ」
「まぁ剣術や体術は癖が出やすいものだから、間違ってるとは言えないが……」
「だろ? シードを追い詰めれば裏舞踏会の真相に近づけるかもしれないって!」
それどころか、実はシード本人が裏舞踏会に関わっているのでは、とリュスカは密かに踏んでいる。
あの性格なら残虐な宴に参加していてもまったく不思議ではないし、逆に頷けるぐらいだ。
もしも本当にシードが裏舞踏会の関係者なら、絶対に許さない。漆黒の蝶の一員として、被害者の一人としてリュスカはシードの罪を暴いてみせる。
そう意気込むリュスカを見て、ディーノはすぐに同意して協力すると申し出てくれた。しかし、いつもならディーノに先を越されまいと負けんばかりの主張してくるレイナルドが、今日はどうしてか難しい顔をしている。
「レイナルド? どうしたんだよ」
「いや……シードはアランでも一筋縄にいかない相手だろう? その上、ジェラール兄上の専属の騎士だ」
「皇太子専属騎士とか、そんなの関係ないだろ? 悪は悪に変わりないんだからさ」
「確かにそれには同意するよ。でもやはり王族が深くかかわってくるとなると、いつもより慎重にならなければならない。追い詰めるなら、まず決定的な証拠を用意しないと……」
今回に限ってやけに慎重を主張するレイナルドに、リュスカは首を傾げた。いつもの彼だったら重要な情報を掴み次第すぐに行動に移し、あとは動きながら決定的な証拠を見つけていく形でやっていこうとするのに、今回は嫌に消極的だ。
「んなこと言って、相手が王族だからってビビッてたら、五年前みたいに証拠を握り潰されちまうかもしれないぞ」
「それはそうだけれど……しかし……」
リュスカの鋭い眼差しと指摘に、レイナルドが言葉を返そうとした時。
「僕も反対だよ」
ラッセルがレイナルドに代わって、はっきりと反対の意志を示した。
「ラッセル、お前まで何だよ!」
「レイナルド様が慎重になられるのはもっともな話だ。今までのように貴族が相手なら万が一のことがあっても、レイナルド様が僕らの前に立つことができる。でも相手がジェラール様となるとそういうわけにもいかなくなるからね」
やや怒りを含んだラッセルの説明に、リュスカは言葉を返せない。
「それにいくら漆黒の蝶に身分の差はなくても、一歩外に出れば身分や権力は否が応にもついて回るんだ。リュスカはその渦中にいないから分からないだろうけど、僕らはそういったものの兼ね合いの中で動かなきゃならないんだよ」
「それは……そうかもしれないけど……」
「あと……これは僕の意見だけど、陛下暗殺未遂事件の方も、もうこれ以上真相に触るべきじゃないと思ってる」
「ッ、何だよ今さら! そっちのほうはラッセルだって賛成してたじゃないか!」
唐突の展開に、言葉を飲み込んでいたリュスカも堪らず声を荒げた。
「最初はね。でも考えてみなよ、二つの事件はもう私設組織程度が手を出せる話じゃなくなってきてる。加えてこちらは魔族まで匿ってる。そんな危険因子を抱えている状態で王族が関わる問題に手を出すのは自殺行為だ」
危険因子という言葉に、ディーノがビクリと身体を震わせる。
「ごめんね、僕がここにいるから……」
綺麗な紫の瞳に涙をいっぱい溜めながら、ディーノが謝罪を口にする。
ディーノの涙を見て、思わずリュスカはラッセルに掴みかかった。
「なんてこと言うんだよ、ラッセル! ディーノは親友を救いにきただけで、何も悪くないだろうっ!」
「……それもどうかな?」
必死にディーノを弁護するリュスカに、ラッセルが微笑を浮かべる。
「たとえば、今回の陛下襲撃が最初から綿密に計画されたものだとしたら? ライウェンがレイストリックを属国にしようと企んで、わざと開戦に繋がるよう仕向けたとしたら? 僕らが……彼に騙されているとしたら?」
騙す、という言葉と同時に、ラッセルがディーノを見遣る。
その瞬間、リュスカの中で何かがぷちんと切れる音がした。
「ラッセル!」
怒りが頂点に達したリュスカがラッセルに掴みかかり、拳で殴りつける。するとすぐに殴られた反動でリュスカの手から離れたラッセルの痩身は、大きな衝撃音とともに部屋の壁に叩き付つられた。
「リュスカ、落ち着くんだ!」
それでも怒りがおさまらずラッセルに近づこうとするリュスカを、アランが止める。
「ディーノが俺たちを騙してるわけないだろ!」
「っ……根拠は? ディーノが嘘を吐くように見えないからだなんて、そんなの根拠にもならない」
「んだとっ?」
「リュスカ、君は少し考えが甘すぎるよ。そんなんじゃ、君がいつかこの組織を壊す原因になりかねない」
「ラッセル、これ以上はもういい」
状況を見ていたレイナルドが、ラッセルを制する。ラッセルはレイナルドに手を貸されて立ち上がると、冷静な目でリュスカを見つめた。
「とにかく僕は反対だ。それでも皆が事を進めるというなら、僕はこの時点で漆黒の蝶から抜けさせて貰うよ。リュスカの無茶のせいで、今の立場を失いたくないからね」
殴られたことで切れた口の端に浮かんだ血を拭いながら、ラッセルは棘のように鋭い言葉を淡々と並べる。
「立場の方が大切って言うなら、何で漆黒の蝶に入ったんだよ!」
「簡単なことだよ。僕はアランのように貴族の家の出じゃないからね。レイナルド様に協力すれば相応の後ろ盾が得られると思った。ただそれだけ」
すべては保身のため。ラッセルはそう言い切って四人に背を向ける。そして、そのまま部屋を出て行ってしまった。
取り残された四人に、重たい沈黙が下りる。
突然のラッセルの離反を、誰もが信じられない様子だ。しかし、皆が呆然となるのも無理はないだろう。ラッセルは口の悪い男だったが、任務には真摯だった。不正を横行する貴族を許さないという気持ちに、偽りは感じなかった。
だけれど――――現実は違った。
「くそっ!」
やり場のない怒りをリュスカは吐き出す。無性に何かを殴りたい、そんな衝動にも駆られた。けれど胸に巣食うのは寂寥の色を宿した感情だった。
怒りに任せて切り捨てることができれば簡単なのに。
これまでの思い出がそれを邪魔する。
リュスカは唇を噛み締めながら様々な思いでぐちゃぐちゃになる心を必死に宥めようとしたが、あまり上手くはいかなかった。
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