第20話:ラッセルの色
夜空に大きく輝く月はまだ満月とはいえないが、それに似た丸みがある。だからだろうか、今夜は月の光が強くて
ランタンなしでも楽に夜道を歩くことができた。
王城内にある庭園は国で一番美しい場所と言われているが、夜空の下で眺める光景はまた格別だった。蒼い闇と月光を纏った赤や黄の花々は妖艶で美しい。
やはり昼よりも夜のほうが好きだ、とラッセルは思った。
耳障りな他人の声も、粘着を帯びた気持ちの悪い視線も一切なくなって、やっとまともに息が吸えるようになる。
この世界から太陽と青空が消えて、常夜の世界になればきっともっと生きやすくなるだろう。いっそのこと魔族を脅してこの国全体を闇で覆うような術でもかけて貰おうか。と、絶対に不可能なことを想像をして、自嘲していると。
不意に強い夜風が吹いた。
顔を隠すために被っていた絹のスカーフが飛ばされそうになって思わず手で押さえると、首から下げていたペンダントが胸元で儚げに踊った。
「――こんな真夜中にお前から誘いを受けるとはな。なんだ、やはり俺と遊びたくなったか?」
風がおさまったと同時に、低く響く声がラッセルのもとに届く。顔を上げると、そこには今夜呼び出した人物が顔を隠すことなく立っていた。
「僕も、皇太子の専属騎士様が誘いに乗ってくれるとは思いませんでしたよ」
頭からスカーフを外したラッセルが、シードに向かって夜の花のごとく妖艶に笑う。するといつもと少しだけ違う口調に、シードがわずかな驚きを見せた。しかしすぐさまラッセルの顔を見てニヤリと笑う。
「クククッ……仲間にでも殴られたか? 色男が台無しだな」
目前まで近づいてきたシードに、口元の傷を触られる。瞬間、ピリッと痛みが走った。
「本当にね、これだから子供は困るよ。……ああ、でも確か、騎士様は白より赤の方が好みじゃありませんでしたか?」
含んだ笑いと共に返してやると、シードは満足そうな顔をこちらに見えた。どうやら今日は機嫌がいいらしい。
「それで、俺に何の用だ? いや、聞き方が違うな。俺に何を求める?」
「理解が早くて助かります。――僕が欲しいのは後ろ盾。できる限り強くて大きい、ね」
「直球勝負か。まぁ、嫌いじゃない。で? 『この国の第二王子』以上の後ろ盾の見返りとして、お前は俺に何を明け渡す?」
できる限り大きな、とだけしか言っていないのに、シードは即座にそれがレイナルド以上のものだと言い切った。これはもう、相手が漆黒の蝶を知っていると公言しているようなものだ。さらに言えば、全てを知っていてその状況を愉しんでいる。何て食えない男だと、ラッセルは悪態を吐きたくなった。
「僕に用意できるものならなんでも献上しますよ。毒薬に爆薬、必要ならどんな情報でも」
「フン、つまらんな」
「僕に、騎士様を愉しませる価値はない?」
興味なさげに返され、なら次はどの手でいこうかと頭の中で策を巡らせた時、出し抜けにシードが抜刀した。
振り下ろされる剣の筋を読み、緩やかな動きで身体を翻す。その動きは普段のラッセルからは想像もつかないほど早かった。
「――――やはり、お前も混血だったか」
「どうせ最初から……僕に初めて剣を向けた時から、気づいていたんでしょう?」
言葉にしてから過去の映像を脳裏に蘇らせる。
あれはたしか二年前だったか。シードに向けられた剣を、ラッセルは無意識に躱してしまったことがあった。混血特有の危機感知と高い身体能力を使って。それからというものラッセルはシードに執拗につきまとわれ、ことあるごとに混血かどうか試されていたのだ。
「上手く隠したものだな」
シードは持ち上げた剣の先を、今度はラッセルの左目に向けた。混血だと判断するための一番の理由であるオッドアイ。しかし今のラッセルの瞳はどちらも翡翠色に染まっている。
「そりゃ、生きて行くためですから」
「お得意の薬か?」
「ご名答」
ラッセルは、自らが開発した特殊な薬で左目の色を変えていた。それは幼い頃、必死に生きて行くための方法を探していた時に偶然見つけたものだった。その薬で目の色を変えてここまで登りつめてきた。
もちろん、目の色を強引に変えるものだから強い副作用も多い。けれども人間として生き、そして死ぬことを最優先としたラッセルに、副作用なんて障害にもならなかった。
「それで? 僕を王国法廷に引き渡す?」
「俺がそんな面倒なことをすると思うか? そうだな……とりあえずお前の本物の色でも見せて貰おうか」
あとのことはそれから考える。そう言ってシードは剣を鞘に収める。
「ええ。それがお望みとあれば」
お得意の作り笑顔を浮かべて、ラッセルは即座に承諾する。
ふと見上げた月に、笑われた気がした。
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