第7話:不穏な夜
「じゃあ……行ってらっしゃい、リュスカ」
「ああ、行ってくる。って、何でそんな今にも泣きそうな顔してるんだよ」
見上げるほど大きな図体に目を奪われそうなほど魅力的な顔立ち。この男が魔族ではなく人間ならきっと数多の女性が放って置かないだろうに、せっかくの美貌が情けなく垂れ下がった眉と涙で台無しになっている。
「だって、マリクと最後に別れた時と似てるから」
「大丈夫だよ、今夜は偵察に行ってくるだけだし」
リュスカの今夜の任務はアーガトンの私室へと忍び寄り、今、この国の王がどんな状態にあるか確認しにいくこと。しかも外からそっと覗くだけであるため兵と出会すこともないだろうから、さほど危険な任務ではない。
「何だよ、俺のこと信じられないか?」
「そんなこと……あっ、そうだこれ!」
心配そうな顔をしていたディーノが、何かを思い出したように声を上げてから自らのローブの中をごぞごそと探る。
取り出したのは白と黒の布地を丁寧に縫い合わせた、大きく愛らしい瞳が印象的なぬいぐるみだった。首元には桃色の紐首飾りまであしらわれていて、きっとこういったものは女性や子供に好かれるんだろう、というところまでは分かった。
ただ、こんな生き物は見たことがない。
「何だこれ。白い熊? にしては目の周りと手足、それと首回りも黒いな」
「これはね、パンダっていうんだ。僕の国よりもずっと東の山の中にいるっていう幻の動物。誰も見たことがないから、妖精とも言われてるんだよ」
「誰も見たことなのに、よく作れたな」
「僕の精霊が教えてくれたんだ」
精霊と聞いて、リュスカはそういえば、と話を続けた。
「その精霊って、実際どういうものなんだ?」
「精霊は魔族にしか見ることができないけど、それぞれ姿形があるんだよ。水の精霊は優しいお母さん。火は強いお兄さんで、地は面白いおじいさん。風は……ちょっと変わった人。話もできるよ」
「色々いるんだな。……って、オイ。何でそのパンダとやらのぬいぐるみを、俺のポーチにつけてるんだよ」
精霊の話を聞いたリュスカが想像を巡らしていると、腰の辺りに何やらモゾモゾとした感触が走った。視線を向けてみると、ディーノが嬉しそうにパンダのぬいぐるみをリュスカの隠密行動用の小道具が入った腰袋に括っているのが見えて、驚きに目を見開いた。
「パンダはね、不幸を追い払ってくれる奇跡の動物とも言われてるんだ。だから僕が一緒にいけない代わりに、この子を連れて行って」
「このどう見ても間抜けな生き物が、奇跡ねぇ」
にわかには信じられないが、夜に一人で留守番をするディーノのことを思うと無下に断れない。
「とりあえず、行ってくるよ」
もうあと数年で成人と認められる歳の自分が子どもが持つようなものを、と考えると少々引っ掛かる部分はあるが、これ以上時間を押すことはできない。リュスカは半ば強引に自分を納得させ、あとはこの姿をレイナルドに見つからないことを祈りながら部屋を出るのだった。
・
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太枝を選びつつ木々の間を渡ると、夜中でも煌々とした明かりが漏れる部屋が目に入った。
あそこが目的地であるアーガトンの私室だ。リュスカは一直線にその部屋が覗ける場所へと足を進め、程なくして辿り着いた絶好の偵察場所でじっくりと中の様子を窺った。
ここからは高い天井に吊された豪華なシャンデリアに黄金で作られた支柱、落ち着いた花の柄が縫われた壁紙、そして赤い布がかけられた天蓋付き寝台が確認できる。
これが一国の国王の部屋か、と一瞬目を奪われた。だがすぐに任務を思い出し、リユスカは寝台に横たわっているアーガトンに視線を遣った。
――大分痩せちまってるみたいだな……。
以前、民の前でを演説した時に遠目から見たことがあったが、その時よりも肌が数段青白くなっていて、まさに病人という印象を抱かせた。レイナルドと似ていると思った顔も、今では大分変わってしまっている。
レイストリックに住む者として国王を崇拝しているというわけではないが、民全員の父ともいえる王が伏せっていると、それだけで切ない気持ちになる。国のためにも、そして息子であるレイナルドのためにも早く目覚めて欲しい。そう願いながら観察していると、不意に部屋の扉が開く音が聞こえた。
――誰か来る。この足音の数だと、人数は……三人か。
足音で人数を把握したリュスカが、今度は会話を聞き取るために耳を澄ます。
「グルド、陛下の……父上の意識は、まだ戻らないのですか?」
「出来うるかぎりの治療は施しました。あとは陛下の体力にかかっております」
アーガトンの容態を心配し、気落ちしているといった様子で話すのは声からしてレイナルドの兄・ジェラールだろう。名を呼ばれたグルドは確かアーガトンの専属医だ。
「そうですか……」
「ジェラール様、辛いお気持ちは重々承知しておりますが、そろそろ陛下が倒れられて半月。臣下は陛下のお姿が見えないことに不安を募らせております。何か、お言葉を出されないと……」
「確かに事実を公表しなければならない時期だと、私も思ってます」
「どのように発表なさるおつもりで?」
「この半月、色々考えました。しかしやはりレイストリック王国の皇太子として、このような手に及んだ魔族を私は許すことができない。今回のアーガトン国王陛下への襲撃行為をライウェン王国からの侵略意思と見なし、私は……相応の手段を取らせて頂きます」
「相応の手段とは……まさかっ」
少しだけ低くなったジェラールの声と言葉に、グルドが瞠目した。
「ええ、我が国は正式にライウェン王国との開戦を宣言します。まずは上の者から順次という形になりますが、準備が整い次第、正式な宣布として国民にも知らせるつもりです」
「開戦となれば、二国の全面戦争になることが確実となりますが、その……申し上げにくいのですが、ジェラール様に御勝算は?」
彼の昔、一度ライウェン王国に敗戦した歴史を思い出したのか、グルドが聞きにくそうにジェラールに尋ねた。
「心配なさる気持ちは分かります。ですが現在の我が国の医療、および軍事技術は格段と向上しております。その点を考慮した上での勝算はこちらにあります。勿論、我が父アーガトン陛下にはまだ足下にも及びませんが、必ず、我が国の痛みを魔族にも味わって貰う」
ジェラールの言葉から、揺るぎない意志が伝わって来る。
しかし。
ライウェン王国に対して宣戦布告するということは、即ちディーノたちと戦争すること。多くの者が戦い、血に塗れる光景を思い浮かべた途端、動揺から手が震えた。そして緊張に息を飲み込んだ瞬間、リュスカが乗っていた木にドスンと大きな衝撃が走った。
「ッ!」
リュスカは、慌てて後方の木へと飛び移る。一体、何が当たったのかと自分が乗っていた木の幹を見てみれば、そこには大岩すらも簡単に砕けそうな大剣が深々と突き刺さっていた。
「シード、突然何をっ?」
場所を移動したことで姿が見えなくなったジェラールの声が、部屋の奥から聞こえてくる。ジェラールが名を呼んだシードという名を、リュスカは知らない。だが、おそらくそのシードという者がアーガトンの寝室にいる最後の一人であることは間違いなかった。
ドス、ドス、と重たい足音がこちらに近づいてくる。その音は窓の近くまで来ると、手を伸ばして木の幹に刺さった剣を軽々と抜いて再び鞘の中に戻した。
「ああ、外に大きな虫がいただけだ」
リュスカの場所からは腰下しか見えていないシードが、外に向かって呟く。
――まさか、俺のことに気付いたのか?
リュスカの手と背筋が、冷たい汗でしっとりと濡れる。
続けて脳内で高らかに警告音が鳴り響いた。
これ以上ここにいてはまずい。本能で危険を感じ取ったリュスカは、シードが背を向けると同時に即座にその場から離れ、闇夜に紛れるのだった。
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