第6話:新たな任務
人は驚きの限界が超えると、反応が止まるらしい。
「まさか、王国内に魔族がいるとは……」
「ああ、さすがにこれは驚いた」
リュスカから連絡を受け隠れ家に集まったアランとラッセルが、ディーノを呆然と見つめながらそう零した。予想どおりの反応だ。
だがここで安心してはいけない。
最大の難関は残ったもう一人だ、とリュスカが振り返ると――――。
「リュスカ! 私という者がありながら他の男を連れ込むなんて、私はお前をそんなふしだらな子に育てた覚えはないよ!」
双肩を怒りに震わせながらも目尻には涙を浮かべるというなんとも情けない姿のレイナルドに理不尽に嘆かれ、リュスカは呆れに目を細める。
「ふしだらなのは、アンタの脳内だ。ってか、そんなことはどうでもいいから、さっさと俺の質問に答えてくれ」
「むむっ、リュスカが私にそんなこと言うなんて、もしかして反抗期かい? 大人の階段を登ろうとしているところなのかい?」
「あー、アンタはもういい。少し頭が冷えるまで黙っててくれ。……で、アランたちは?」
妄想活動に勤しむ変態王子は相手にするだけ無駄だと、一人で勝手に騒ぐレイナルドを視界から消し、リュスカはアランたちに問う。
「今のところ騎士団内では魔族が捕縛されたという情報は出回ってないぞ」
「研究所の方も同じく」
王城から城下町まで、すべての警備を統括している騎士団にも、国の中枢機関の一つである創薬研究所にも情報が回っていないとなると、マリクはレイストリックに入っていないのだろうか。
だがディーノに後から詳しく聞いた話によると、マリクを探すために精霊に依頼して痕跡を追った結果、この国の近くまで来ていることが確かだということまでは掴めたらしい。
精霊は神の使いであるため嘘はつかない。それはレイストリックでも共通の認識だ。となると国内にいる可能性はやはり高い。
「さて、ディーノと言ったね。君の親友がこの国の近くで消息を断ったことは聞いたけれど、なぜこの国に?」
ではどこにいるのだ、と頭を抱えたその時、いつの間にか先ほどの壊れっぷりとは真逆の、真摯な面持ちを浮かべていたレイナルドがディーノをじっと窺いながら口を開いた。
「僕の国で騎士になるため。精霊との約束に定められた宝を探し出して持ち帰ることが、騎士として認められる条件なんだ」
「ふむ、そちらの国からしたら大切な試練なんだね。……まぁ、こちら側からすれば魔族の侵入は重罪になっちゃうんだけども」
整った顔を少し困らせたものにしてレイナルドは心境を語る。
「ごめんなさい。いつも試練の宝はこの国とは別の方向に出現するんだけど、今回はどうしてかここだって精霊が……」
「なるほど、宝の場所は精霊が決めるものだから、どこに出現するか分からないんだね。それなら……まぁ、仕方のない話かな」
王族の人間としては見逃せないものだが、個人としては試練を尊重してやりたい。そんな思いがレイナルドの言葉から伝わってくる。
レイナルドという男は、悪という言葉と同じぐらい差別を嫌う。ゆえに魔族だからという理由だけで、ディーノを切り捨てることができないのだろう。リュスカに対する愛着は異常だが、根は真面目で心優しい王子なのだ。
だからリュスカも、レイナルドから離れない。
「さて、では正直に答えてくれたディーノのために、私も情報を提供しようかな。これはまだ王族と、その重臣までで留まっている情報だが……」
レイナルドの顔つきが、一層真剣なものに変わる。これは漆黒の蝶の仕事を見つけて来た時の顔だ。悟ったリュスカも、一段と気を引き締めて話に耳を向ける。
「実は半月前、父上……アーガトン陛下が何者かに襲撃された」
レイナルドから告げられた誰も知らない真実に、ディーノ以外の三人が表情を固めた。
「襲撃されたっ? 陛下がっ?」
「そんな情報、研究所には一つも伝わってきてないけどっ?」
初めて聞かされた話に、アランとラッセルが目を見開くほどの驚愕を見せる。
無理もない。一国の王が襲われたというのに騎士団の人間や、さらには怪我をした人間の治療にあたる創薬研究所の研究員にも情報が降りていないなど、前代未聞の話なのだから。
「二人にはすまないと思ってる。だが父上を襲撃したとして捕えられた青年が魔族の者だったため、国内が混乱に陥らないよう一時的に情報を止めよと兄上が指示を出したんだ」
レイナルドの兄。ジェラール=パトルス=レイストリック。この国の第一王子であり皇太子でもある男だ。国王が有事の際は法に則り、政と軍の指揮権が臨時でジェラールに移るため、
「まさかっ、捕まってるのはマリクなの?」
紫の瞳を辛そうに揺らしながら、ディーノが身を乗り出してレイナルドに尋ねる。だがレイナルドは無言のまま首を横に振って、ディーノに返答を渡した。
「名前までは分からない。魔族の青年はずっと黙秘を貫いているみたいだからね。だが、レイストリックとライウェンの国交状況とディーノの話を纏めて総合的に考えると、おそらく君の親友だろうね」
ここ数十年、レイストリック国内で魔族の侵入が確認されたことがない。その事実からも、捕まっているのがマリクである可能性が高いというのが、レイナルドの考えだった。
「それで、マリクは今どこに?」
「国王を襲った罪で、今、重罪人たちを収容する特別牢に入れられてる」
「重罪人……そんな……」
ディーノが真っ青な顔で唇を震わせる。だがすぐに頭を振って声を荒げた。
「絶対に違うっ! マリクはそんなことしないよ! マリクはとても道に咲いてる花ですら摘むことを拒むぐらい優しい性格なんだ。どんな理由があっても人を襲うはずがない!」
親友を暗殺未遂犯だと言われ、我慢できなかったのだろう。ディーノは全身を震わせながら、レイナルドを睨みつけた。
ピリピリとした緊張が室内に走る中、ふとリュスカの肌に緊張感とは違った、妙な感覚が走る。
「……え?」
これはなんだと考えているうちに、頬に触れる風の強さが増した。気づけば机の上のコップが地震でもないのに、カタカタと震えていて。
まさか、と嫌な直感が走ったリュスカがディーノの両腕を慌てて掴む。
「落ち着けって!」
さっきの夜道ではディーノが叫んだ途端に炎の術が発動した。もしも感情の爆発が術発動の条件なら、家の中が大惨事どころでは済まなくなる。
「まだマリクがやったと決まったわけじゃないだろ!」
リュスカが宥めたことで、ディーノの身体から徐々に強ばりが解かれる。
同時にコップを揺らしていた風も止んだ。
しかし落ち着いたのも束の間、今度は慎重派のラッセルが挙手の形で手を上げて、「ちょっと待ってよ」と流れを止めた。
「親友が犯人じゃないって思いたい気持ちは分からなくもないけど、魔族の青年が犯人ではないという証拠もないよね? ただ花も摘めないからって話だけで、犯人じゃないと断定するのもどうかと思うよ」
「ラッセル! そんな風に言わなくてもいいだろ! こいつは危険を冒してまでたった一人で親友を探しにこの国に来たんだぞ。確かに証拠はないけど、だったら真相を確かめればいいじゃないか!」
「確かめるって、どうするの?」
「俺がちゃちゃっと牢屋に忍び込んで、マリクから話を聞いてくる」
リュスカは身軽ゆえ隠れての情報収集が得意だ。これまで幾度となく様々な場所に侵入した経験もある。だから城の牢まで言ってマリクから話を聞き出すぐらいなら簡単だ、と自信満々に言えば、今度はレイナルドから待ったの声がかかった。
「それは難しいと思うよ、リュスカ」
「おいレイナルド、アンタもマリクが魔族だからって信じられないって言うのかよ」
「そういう意味じゃないよ。いくらリュスカが情報収集のスペシャリストでも、マリクが収監されている特別牢は無理だ。あそこは普通の牢とは違うからね」
今にも食いかからんばかりのリュスカを優しく制しながら、それでも難しそうな顔をして説明した。
特別牢は主に貴族に対する殺人や政治犯などの重罪を犯した者が収監される牢で、城の地下にあるという。出入り口の扉は牢までの間に三つもあり、それらすべてに牢番が配置されていて王、または王の代理人の許可がなければレイナルドですら入ることができない。一般牢のように外と接する場所があればどうにかなったかもしれないが、今回ばかりはリュスカでも無理だろうというのがレイナルドの見解だった。
「じゃあ、どうすれば……」
「まぁ、そんなに落ち込まなくてもいいよ。とりあえず……急がば回れとも言うし、先に外側からの情報収集から始めようか」
マリクを助ける手段を封じられてしまったことに視線を下げたリュスカに、レイナルドが
「え? レイナルドも動いてくれるのか?」
「勿論。リュスカにそこまで熱くお願いされたら、聞いてあげないわけにはいかないしね」
熱くお願いした覚えはあまりないが、レイナルドが協力してくれるというのならこれほど心強いことはない。嬉しさにレイナルドを見つめると、愛情過多王子が片目をパチンと瞑ってから綺麗に微笑んだ。
普段は舞台役者のように大袈裟すぎる表現にげんなりとしてしまうが、今日ばかりは受け入れてもいいと思える。
しかし、残った慎重派の二人の懸念はまだ消えていない。
「レイナルド様、本気ですか?」
レイナルドが出した結論に、綺麗な眉を寄せたラッセルが問う。その隣でアランも同じ顔をした。
「本気だよ。……とは言っても、全部が全部リュスカのためじゃない。私も少し気になるところがあってね」
「気になるところというと?」
「レイストリックでは国内に魔族が侵入した場合、いかなる理由があっても侵略とみなして死罪となる。例外はない。そこまで厳しい法があるうえ、今回はさらにそこへ王族への暗殺行為だ。これが事実なら即日王国法廷が開かれ、極刑判決が下されるはず。それなのに拘束された魔族の青年は半月経っても裁判はおろか、捕縛の公表すらされていない。それだけでも疑念を抱くのに充分だというのに、現在昏睡状態にある陛下への面会許可が兄上以外の誰にも下りない。これは逆に疑って下さいと言っているようなものだと思わないか?」
「それは、確かに……」
ジェラールが父王であるアーガトンとの面会を許されているのは皇太子であるゆえ納得できるが、だからと弟のレイナルドに許可が下りない理由にはならない。レイナルドはそういったことも含めて、国王暗殺未遂事件に疑問点を抱いているようだった。
「今回の件はディーノの存在がなくても調べていた案件だ、と言えば二人も納得して貰えるかな?」
「そういった理由があるなら疑問に思うのも無理はありませんね」
「ではさっそく調査に入りますか?」
レイナルドの説得に、ようやく二人も納得の色を見せる。
「いいのかい? ラッセルもアランも。これはいつものような貴族が罪を犯したというレベルの問題ではなく、王族や魔族が絡むものだ。もしものことがあった時の危険は、従来と比較にならないよ」
だから今回の件は断ってもいい、とレイナルドは言う。
漆黒の蝶はその存在が特異であるゆえに、ひとたび存在が露見すれば権力者によって弾圧される可能性が非常に高い。そのためレイナルドはリュスカたち三人に協力を要請した際、二つの約束を交わしていた。
一つは組織内では身分の差を一切問わないこと。
そしてもう一つが任務への参加は自由意思とすること。
もしも任務内容が自らの信念に反するものだったり、協力することで立場やそれこそ生命に大きく影響がでると予測されるものだったりした時は断っても咎めることはない。
「いえ、これが冤罪事件ならしっかりと調査すべきだと思います」
「魔族だけでなく、王族もかかわることなら人数も必要になると思いますし。それに……ここで一人だけ帰ったら目覚めが悪くなります」
「目覚めが悪くなるとかいって、ラッセルは仲間外れが嫌なんだろう」
「何、リュスカ、お腹に蟯虫がいるから試作の腹下しが飲んでみたいって? いいよ、今なら苦みたっぷりだから今すぐ持ってきてあげる」
「そんなのいらねぇよ!」
リュスカの揶揄にラッセルが負けじと返す。二人の掛け合いに場が少しだけ和むと、これまでずっと顔を不安の色で染め上げていたディーノにも余裕が生まれた。
それを横目にリュスカが自信のある笑みを浮かべる。
「まぁレイナルドの直感は高確率で当たるから、絶対に何かあるって思う。今回もいつもどおりやれば、悪に辿り着くことができるだろうぜ」
これまでにレイナルドが不審に感じて調査した事件は、ほぼすべての場合において裏があるものばかりだった。だからリュスカにレイナルドを疑う気持ちははない。
「リュ……リュスカ! 私のことを褒めてくれるんだね! 嬉しいよ!」
褒められたことが余程嬉しかったのか、レイナルドは凛々しく決めていた顔をたちまち情けないものに崩ずと、まるでこの機会を待ってましたと言わんばかりに両腕を広げてリュスカに抱きついてきた。
「うわっ……ぷ! おいっ、こら。全力で抱きつくな! 骨が折れる!」
これがなければ、もっといい男だと認めてやるのに。リュスカは自分の身体から聞こえる骨の軋む音に恐怖を覚えながら、レイナルドを引き剥がすことに集中する。が、しかし。
「リュスカ!」
二人の様子を見て、今度はディーノが歓喜の声を上げた。
「ありがとう! 僕のこと……ううん、マリクのことを信じてくれて!」
ディーノがレイナルドと同じように両腕を大きく広げた。
嫌な予感しかしない。
「ちょ、まてまてまてまて!」
リュスカの予感は、果たして的中した。
笑顔のディーノは腕を広げたままこちらを向かってくると、リュスカに抱きつくレイナルドごと抱き締めたのだ。
「ぐっ……るしい……」
小さな身体にかかる圧力が二倍になり、リュスカの意識が混濁してくる。
「愛されてるね」
「ああ、愛されてるな」
どう見ても地獄絵図にしか見えない光景を端から静観していたラッセルとアランは、「触れぬが吉」を決め込んで近づこうともしない。
命をかけた任務をともに担う仲間のくせに、裏切り者め。リュスカは二人の大男の腕に隠された狭い視野からラッセルたちを睨み、恨み節を零す。
「大好きだよ、リュスカっ!」
「わ、分かったから……離れてくれ」
内心、ややこしいものを拾ってしまったかもしれないと若干の後悔を抱くリュスカの上で、レイナルドが「おのれ、ディーノもやるな」と黒く呟く声が聞こえた。
悪いが、そんなことはどうでもいい。とりあえず、今はなんでもいいから、
「誰か……たすけ………」
それから数十秒後、大男たちの腕の中からとうとう酸素不足で倒れたリュスカが、慌てたアランによって助け出されたのは言うまでもない話だった。
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