第一章 若葉の頃

第1話 傭兵

 太陽が西に傾き始めた頃、王都フィーレディアへの街道を一台の粗末な馬車が走っていた。1頭立てで引いているのは雨避けの幌を被せただけの荷台。御者台には商人風の若い男が一人だけ。いくら王都近郊とはいえ夜間には野盗も出没することを考えればなんとも無用心だ。男もそれが分かっているのか、馬車はかなりのスピードで街道を疾走する。


「ヒヒーンッ!! 」


「うわっ!? 」


 森の脇に差し掛かったところで突然目の前に矢が刺さり、驚いた馬が後ろ足で立ち上がった。男は振り落とされないようなんとか御者台へと掴まる。


「よし! 囲めッ!! 」


 すると野太い男の声がして、森からぞろぞろと人影が飛び出してきた。人影は全員男で皆一様に獣の皮の服を着た髭面、手にはあまり手入れもされていない武器が握られている。


 男たちはあっという間に馬車を取り囲む。


「兄ちゃん、こんな時間にご苦労だな。急いでるところ悪いが荷物と着ている物を置いていってくれるか?」


 呆気に取られる若い商人に対して正面を塞いだ一団の後ろから周囲に比べれば幾分かマシな格好をした男がニヤニヤしながら話し掛けてきた。


「そ、そんなッ! 今日仕入れをしてきたばかりなんです! それに馬車を取られてしまったら商売をしていけないんです! どうかっ!どうかお見逃しください!! 」


 明らかに野盗と思われる男たちに対して若い商人は懇願する。


「おいおい、兄ちゃん面白いこと言うな。お前らもそう思うよな? 」


 必死に頭を下げる商人を見て、ボスらしき男は厭らしい笑みを浮かべて周りの男たちに大声で話し掛ける。男たちからも笑いが起こった。


「どうか! どうか! 」


 男たちの笑いの中、若い商人は頭を下げ続ける。


「そこまで言うなら見逃してやる――」


「本当ですかっ!! 」


 男の言葉に商人は顔を上げたのだが、


「なんて言うわけないだろ? お前バカか? おい、誰かそいつを引き摺り下ろせ! 後ろの奴は荷を確認しろッ! 」


「そんなッ! ?」


 続いた男の言葉に商人の顔が歪む。ボスの言葉を聞いた男たちは商人を無視して動き始めた。後ろにいた男たちの中から何人かが馬車に近付き、荷台に被せられた幌に手を掛けたとき――


「うぎゃぁぁぁぁぁッ!」


 突然前から絶叫が聞こえた。


「なんだよ。もう始めちまったの、か」


 仲間が商人を斬ったのだと思って笑いながら前を向いた男はそこで言葉を失う。


 仲間の一人が血飛沫を上げながら倒れるのが見えたのだ。倒れる仲間の前には先程の若い商人の姿。だが、先程まで情けない声を出していたはずの彼の手には血に塗れた剣が握られ、人を斬ったはずの顔には何の感情も浮かんでいない。


「な、何なんだよ……」


 いきなり起こった想定外の出来事に前を向いた男から戸惑いの声が漏れる。


「チッ! 油断しやがってッ! おいッ! てめぇらッ、相手は一人だ! さっさと囲んでやっちまえッ!! 」


「お、おうッ! 」「このヤローッ! 舐めやがってッ! 」「ぶっ殺してやるッ! 」


 斬られた仲間に悪態を吐きながらボスはすぐさま周りの男たちへと指示を出す。男たちも口々に怒鳴り散らしながら商人を取り囲む。


 だが、周りを野盗たちに囲まれたはずの商人は先程までの態度が嘘の様に顔色一つ変えない。慌てた様子も無く、右手に剣をダラリと下げて静かに男たちを見ている。


「ク、クソッ! 」


 商人の様子に焦った一人が剣を振り上げ斬りかかる。


「……」


「グワッ! 」


 飛び込んできた男が剣を振り下ろすまもなく、素早く男の懐に入り込んだ商人が左下から男を斬り捨てた。斬られた男はゆっくりと倒れていく。


「チ、チクショーッ! 」「全員でかかれッ! 」


 仲間が斬られたことに慌てた男たちが一斉に商人へと殺到する。


「ぬわッ! 」「ガッ! 」「バカ、な……」


 商人は自分に殺到する男たちの間を動き回ると次々と斬り捨てていく。


「そんなバカな……」


 野盗のボスは子分たちが次々と斬られていくのを信じられないものを見るような目で見ていた。そして、気が付いたときには自分と商人以外に立っている者は残っていなかった。


「お、お前何なんだよッ! あんなにいたんだぞッ! それを一人でこんな……」


 遂に一人になりゆっくりと自分に近付いてくる商人に対し、男は後ずさりながら唾を飛ばして捲くし立てる。


「死ぬ奴に名乗っても仕方ないんだが……まあいいか。俺は傭兵団“天陽の刃”ヴァルター・ベルクヴァインという」


 商人――ヴぇルターは少し悩んだ後に男にそう名乗った。


「よ、傭兵だったのかよ……。チクチョーッ! ツイてねぇッ!! 」


 ヴァルターの名乗りに男は頭を抱える。


「ク、クソッ! こんな聞いたこともねぇ傭兵団の奴に殺られてたまるかッ! 」


 男はそう言って震えながら剣を構えた。だが、


「なに? 」


 男の言葉にヴァルターの表情が険しくなり、声が一段と冷たくなった。その様子に男の口から思わず「ヒィッ」と悲鳴が漏れる。


「し、死ねェェェェッ!!」


 ヴァルターの剣呑な雰囲気にボスは堪えきれなくなり自分から彼へと飛び込んだ。ヴァルターは表情を変えることなく男が振り下ろした剣を余裕を持って躱すと横薙ぎに男を斬った。


「グッ! こ、こん……な……バカ、な……こと、が……」


 斬られた男は驚愕に目を見開き、傍らに立つヴァルターを見ながら前のめりに倒れていった。


「……無名で悪かったな」


 ヴぇルターはもうすでに事切れている男に吐き捨てた。


「はぁぁぁぁ」


 倒れた男たちの間で暫く立っていたヴァルターだったが、やがて溜息を吐くと剣を仕舞い男たちを馬車の荷台へと放り込み始めた。


 男たちを全員荷台に放り込むと彼はすっかり大人しくなった馬の前に立った。


「待たせて悪かったな。帰ろうぜ」


 彼はそう言って軽く馬を撫でる。馬は返事をするように「ブルルッ」と鼻を鳴らす。その様子にヴァルターは軽く笑みを浮かべると再び御者台に乗り込んで手綱を手に取った。


「ハッ!」


 掛け声とともに手綱を振ると馬車が動き出す。馬車が去った後、その場には何事も無かった様にただ静寂だけが残されていた。

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