第8話(疑念)
二人は霧海の森を無事に抜けて、冒険者ギルドの受付に帰還した旨の報告をした。道中、迷宮センターも忘れずに経由している。今回の冒険の成果は、ひどく焦げてしまった素材の一部だけ。ゴブリン種が完全に成長した鬼の素材もその中に含まれていた。鬼という種は、稀少性が高く素材には良い値がつくこともある。今回の場合、ローエが散々、あばれ散らかしたため、素材の状態が悪く換金された結果は、二人合わせて
だが、今回の二人の冒険は稼ぐことを目的にしてはいない。あくまでも魔王の調査を行うこと。魔王と遭遇して無事に葬り去った。そして、ローエと永遠の血は一気に進展する。
今日の成果を祝うべく二人は初めて訪れた冒険者街のとある食事処マルゼハーレンで、頼んだ料理を前にしていた。木の机の上には沢山の料理。茶色く照りが付いた肉料理。赤と白と灰色をした根菜類の入ったスープ。色とりどりの野菜を詰め込んだサラダ。脇役であり主役の酵母で作られた茶色いパン。お酒と果物を絞ったジュースが入った二つのグラス。料理取り分けるための食器が用意されていた。
周りに灯る数々の蝋燭と大勢の客に囲われて、騒がしい雰囲気の中、デュカルは仕事の疲れを魔道具によって冷えに冷えた酒を勢いよく飲み干した。溜まった疲れを洗い流し、溢れ出る爽快さをぐっと堪える。
「もう、一杯!」
デュカルは、横を通り過ぎた店員に空いたグラスを渡して、飲み物の追加注文をした。
「あ、先に飲んじゃうなんてずるいよ。まだ、グラスを打ち合ってないのに」
飲み物が入った器を打ち合って、今後の冒険と活躍を冒険者同士の習慣。ローエにとっては道半ば、デュカルにとっては冒険の終わり。それぞれの終わりは異なるにしろ、魔王との戦いで生死を経験した戦友だ。魔王を探して、討伐した二人だけの小さな祝賀会。
「わりい、わりい、ついな。大抵飯食う時は一人だからよ」
「もう、しょうがないな」
勝手に一人で食事を始めてしまったデュカルに呆れるローエ。
デュカルの手にお酒が入ったグラスが渡ると、二人は気を取り直して、グラスを打ち合って、食事を始める。
「世界を救った瞬間におそらく立ち会ったのに、この何もなかったような緊張感のない一日はなんだ」
「ただの魔王を殺しただけよ。これで渡したんて二度目。師匠はもう何百って倒したらしいよ。これからも私は幾度なく魔王を殺す。その度に大規模な祝福をされてたら、こっちも迷惑よ」
「一回くらい、良いだろうよ」
デュカルは街中が大騒ぎするような祭りの真ん中に自分が主役になって多くの歓声を浴びる姿を想像して顔がにやける。
「私は嫌よ。もしやるなら、一回にして欲しいわ。そう言う祭りはたまにやるからいいのよ。毎日、毎日、狂ったように祭りがあったら飽きて誰も見てくれなくなるわよ」
「そういうもんか」
「そいうもんよ」
二人は食事に手をつけ始めた。デュカルは照り焼きの肉を切り分けて、ローエに手渡すと、ローエがサラダを盛り付ける。二人に肉と野菜が行き渡ると、デュカルは肉をローエは野菜を口につけた。デュカルは肉をペロリと
「なあ、あの戦っていた男って誰なんだろうな?」
「私は知ってる」
ローエはスープが入った器を正面に寄せて、スプーンで中身を掬って音を立てずに静かに飲む。
「え、誰?」
「教えない」
「隠すなよ」
デュカルは食べる手を止めて、ローエに聞く。
「会ってみてえな。綺麗な錬術だった。もう一度見てみてえよ」
「何、その言い回し。そんなに気になるの?」
ローエは気にすることなく自分のペースで食を進める。デュカルもローエのペースに合うように大きな一口で、よそった肉とサラダを食べ尽くした。
「うん、だって剣士だぜ」
「あいつが剣士? そんな訳ないって、冗談やめてよ」
「いや間違いなく剣の里出身だ。ちゃんと正式な流派の技だった」
「本当?」
「ああ。二色をこの目で見たからな。剣の里ではそれなりに有名かもしれねえな」
デュカルが最後の肉の一切れを盛り付けると、ローエはサラダに手をつけてデュカルに分けようとするとデュカルは手を前に出して、静止させた。仕方ないなという雰囲気で、ローエが自分の皿によそった。
「知らないわよ。何で魔術学園入学しているかも良く分からないのに」
「そいつ魔術学園にいるの?」
「うん、一般科だけどね」
「世界は広いなあ。俺も学園入学出来ねえかな」
「魔術使えるの?」
「使えねえ」
「じゃあ、入学は厳しいわね。赤のくせして使えないなんて宝物持ち腐れじゃない。その才能を有効に真面目に魔術に取り組む生徒にくれてやりなさいよ」
「お前のいう通りなんだが、このおかけで、治癒師としてやっていけてるから勘弁してくれ」
「魔素の素質は治癒師にも関係あるの?」
「大ありだ。回復力に差が出る」
「へえー。そうなんだ」
「それに、調合科ってのが出来たんだろう。俺にもチャンスねえかな。神聖学園に調合って科目があるんだよ。俺に少しはチャンスがあると思うんだけどな」
流石は冒険者。魔術都市の情報もそれなりに持っていた。調合科が魔術都市に出来たのは割と最近の話だ。
「専門科は入学した後の話よ。その前の入学を通れなければ元も子もないじゃん。因みに実技は必須です」
それを聞いたデュカルはがっくし肩を落とした。
「ローエは何科なんだ?」
「術式科」
「お前が見たっていう奴と関わることあんのか?」
「ほとんどない」
「じゃあ何で知ってんだよ」
「それがあんまり覚えてないのよね。噂で名前を知る程度なのに顔はしっかり覚えてる」
「噂?」
「一般科の女性生徒を食いものにしてたって噂。いつも周りには女の子ばっかり」
「モテ男じゃん。良いなあ」
デュカルはスープが入った器を持ち上げて、直接口をつけて啜る。
「羨ましいの?」
「いや、興味ねえけどさ、言うのはタダじゃん」
「あんたも最低ね」
「んな、すぐに怒るなよ。ちょっと気になったのが、女は周りにいるだけで、とっかえひっかえしてたのか?」
「あれ、そう言えば不思議ね。周りには沢山の女の子がいたけど、決まってお気に入りの女の子は一人だけだった」
「へえ、以外と真面目だな」
「お気に入りの女の子は、毎回どっかにいなくなっちゃうんだよね。家庭の事情とか、成績とか、お金とかの問題で」
「今回みたいに行方不明者になったりとかだったら、洒落にならねえぞ」
「それだったらすぐに噂になるよ」
「一応、調べといた方が良いぞ。ギルドに言えば記録だけは見せてくれるから」
「記録?」
「ギルドカードに記録されるんだ。古い魔道具のくせして、そういう所は細けえの。冒険の記録はギルドが保有する魔導の書に記載される。何もかも筒抜けって訳。まあ、俺達みたいなサポート係は助かるんだけどさ、ギルドの不正は見逃さないって姿勢は凄いんよ」
「それだと、みんな確認しちゃうじゃん」
「普通に見るには本人の同意書と冒険者ギルドの教官とその支部長の承認がいるからな。でも、八星からは緩和されるんだ。知りたいやつの冒険記録がタダで見放題。だから教官の推薦が必要になる。冒険者として実力を認められるのもそうだが、冒険者ギルド内部で力を持てる特典付き」
そこまで説明してデュカルは、ふとローエが冒険者特典を知らない事に言及する。
「なんだ? 説明なかったのか?」
「なかった……」
「ハッハッハ! そりゃあ、最高な教官様だな。俺も上げてくれねえかな」
「上げて貰ったら何するつもりよ」
「そりゃあ弱いやつ集めて、
「そんなんだからデュカルは七星のままなのよ」
「間違いねえな」
目の前の料理もかなり無くなった。二人が取り分けた食べ物も一口分の料理しか残っていない。二人はそれぞれグラスに手をつけて、渇いた口の中を飲み物で潤した。
「で、疑ってるの?」
「当たり前だ。剣士としての実力は信頼しているけど、人間としては信頼してねえ」
「ちょっと気になる点もあるから確認してみる。ねえ、聞きたいんだけど。たまたま、あそこにいたと思う?」
「そりゃあ、ねえだろう。あの実力なら確かにフォグホーンの森を一人で攻略可能だが、俺達は無限に湧く魔獣をたどってあそこを見つけたんだぞ。お前が魔術で黙らせてようやくだ」
ローエの問いにデュカルは事前に用意したかのように、整理した自分の見解をすらすら述べる。
「でも、一緒の道じゃなかった可能性は?」
「それもねえだろう。だって魔獣の出現場所を消したのはローエだぞ。湧いた場所が複数あったらこの考えは意味ないけど、それでも変だろうな。だって、俺達の後にあいつが来るなら分かるけど、前に来ているってどうやって魔獣を対処したんだ? 少なくとも最初にいるなら、俺達はその地点にいけねえし、そもそも魔獣も対処済みのはずだ」
「そ、そうね」
デュカルの意見にローエの口が一瞬硬直して、返事に少し詰まる。
「だろ? なあ俺もお前が見たって奴の記録一緒に見ても良いか?」
ローエの知る人物がとても怪しいと言わんばかりに、デュカルも真相を知りたい様子。
「ダメ、私だけで見る」
「ちぇ、つれねえな」
デュカルの声が重くなった。
「カードを
「分かった。師匠にも連絡するからその辺は大丈夫かもしれない」
「名前は?」
「聖国サントクリスのモルテさん」
「ああ、あの人か」
「知ってるの?」
「有名だぜ。たまにやる講習は死人が出るくらいきつくて、その講習で生きて返って来たら九、十星は確約される。実力は本物、引退した今でも最前線でのガイドも出来る生きる伝説。年齢もいくつか分からないらしく、冒険者ギルド創設者の中に名前があるって噂だ。冒険者内部の発言力もヤバいらしい。とんでもない重鎮がバックアップしているのか」
「そんな凄い人なの?」
「冒険者が起こした不祥事の一つや二つ力で潰せるどころか、完全にもみ消せる」
「嫌いな権力者ね。最近は、私の尻を眺めるただのおっさんよ」
「まあ、気をつけろよ」
「うん」
そうして、二人は食べ終わった綺麗な皿だけを残して、会計を済ませてお店を出た。二人は店の前でそれぞれ行動を別にした。デュカルは自分が泊まる宿に、ローエは冒険者ギルドに。
街は暗闇の中、空には大きな青く光る星。この世界で月と呼ばれる星が、淡い光で照らしだす。完全な暗闇ではない。その月に照らされて、街を青い光で包み込み、かろうじて人の目でも、ぼんやりと道と建物の輪郭を捉えることが出来る。そんな、深い深い夜。
学園都市の門限は有に超えている。寮の最終点呼も終わっているだろう。このままでは、ローエを探しに一騒ぎ起きてもおかしくない。だが、そんな危機迫る気配も雰囲気も魔術都市からは感じない。何も手を打たずローエもこんな真夜中に外を出歩く訳もなく、予め抜かりなく部屋には自分の分身を見せる幻覚の魔術を施している。ローエのように夜、忍び出そうと考える生徒は少なからずいる。
理由は何であれ、魔術も競争世界。同じ時間を過ごしていては、いずれ差は生まれる。その差を埋めるために寝る暇も削って、勉強と鍛錬に励むのは基礎も基礎。
魔術都市側も容認し、目を伏せることもある。規則の基準は、寮を管理する者の裁量と個人の判断に委ねられる。毎年同じ規則という訳にはいかないが、バラつきは自然と生まれる。
行方不明者を数多く出したこの年の規則は、より一層厳しい年でもあるが、ローエの魔術は厳格な確認体制を欺き騙し通した。
街が寝静まる準備をする中、未だに明かりが灯る建物が一件。冒険者ギルドである。眠らないギルドはどんな時間であろうと旅の出発を見送り、迷宮から帰って来る冒険者を迎える。一日中営業する冒険者ギルドにローエは何食わぬ顔で扉を開いた。中には誰一人冒険者はいない。明かりも必要最低限。一ヶ所だけ受付カウンターに明かりが付いている。そのカウンターに
恐る恐る一歩を踏み出すと、乾いた足音が室内に児玉する。自分が生む、音に少し怯えながら、フードを被った職員のいるカウンターの前に立った。
「すみません」
「こんな時間にどうしました?」
「少しギルドカードの履歴を確認したく」
「くっくっく」
フードを被った職員は不気味に笑った。
「あの、何か可笑しいでしょうか?」
「いいえ、何も。それではギルドカードを提出して下さい」
「こちらです」
そう言って、紫色のギルドカードを職員に渡した。入念にギルドカードに刻まれた星の数を指差しで何度も確認する。ひとしきり確認が終わると、職員はカウンター横に置いてある装置にギルドカードを置いた。装置から赤いレーザーのようなものでギルドカードを読み込むと、そのままローエに戻した。
「これは失礼しました。ローエ様。それでは、確認したい冒険者の名前を教えて下さい」
「ダオレン・フォルジュ」
「只今、確認してまいります。しばらく後ろの席でお待ちください」
「分かりました」
ローエは待合室の椅子に座って、履歴が出来上がるのを待った。
***
「お待ちしました。ローエ。ローエ・フェルゴメド様。受付カウンター1にお越しください」
名前が呼ばれると勢いよく飛び起きた。目は少し充血している。どうやら少し眠っていたようだ。午前は授業、午後は冒険、夜は食事を挟んで冒険者ギルドでの下調べ。疲労は限界に近い。
「すみません」
眠い目を擦り、再び受付カウンターの前に立った。
「お待たせしました。こちらになります。くれぐれもこの資料の扱いはご注意ください」
「外には持ち出しません。これって日付順ですか?」
職員から分厚い本のような資料を手渡される。一応、最初のページも確認する。ローエと同じ、八星の冒険者ランクだった。
「はい」
それを確認すると、ローエはすぐさま最後のページを開いた。
眠気を吹っ飛ばし、食い入るようにページに記載された履歴を読む。視線は左右に慌ただしく動かして記録を読んだ。そして目的の情報を見つけ出す。
「やっぱり、あった。もうこの資料は不要なので、こちらで処理をしても大丈夫ですか?」
「構いません」
職員がそう言うと、ローエは迷わず職員の目の前で資料を塵に変えた。
「すみません、一点確認したいのですが?」
「何でしょう」
「私が確認した履歴も残りますか?」
「残ります」
「それも消すことは出来ますか?」
「申し訳ございません。そこまでの権限をローエ様のランクではございません」
「分かりました。駄目もとだったので大丈夫です」
「ローエ様の担当教官はどなたでしょうか?」
職員が何かを思い出したように、ローエを引き止めた。
「モルテさんですけど。何か関係ありますか?」
「モルテ様ですか……少々お待ちください。すぐ見つかるはずなので、えーっと——」
職員は黒いフードの懐を探り始めた。目的の物はすぐに見つかった。何か白いメモ用紙を取り出して、書いてある内容を確認する。
「——ああ、ありました。先程の履歴を消す件ですが、承ります」
「え?」
「消去しました」
そういうローエのギルドカードを読み取った装置から、バリンと硝子が砕ける音が鳴った。職員は自分のギルドカードを取り出して、正常に動くことを確認すると何事も無かったように正面を向いた。
「そう……ありがとう」
「またのご利用をお待ちしております」
「今回は助かりました。最後にすみません、メモ用紙と書くものを借りれますか?」
「こちらに」
職員から羽根ペンと白い用紙が用意されると、素早くメモに何かを書き記した。
「このメモをモルテさんに渡してください」
職員がメモを受け取る。
「私は不在かもしれないので、他の職員に引き継いでおきます。それと、これでは不恰好なので、封筒に入れて手紙にしておきます」
「何から何までありがとうございます」
「いえいえ」
「では、行ってきます」
「くっくっく、それでは良い冒険を——」
ローエはギルド職員に見送られながら出口に向かった。入ってきた時のように、雰囲気に緊張したり、自分の足音に怯えた様子は見えない。ローエの冷淡で冷酷な一面が顔に宿る。
迷いも戸惑いもない。残されたのは、目的を遂行する意思のみ。感情と常識を切り離す。
「——くっくっく」
職員の笑い声は止まらない。
静寂な冒険者ギルドは不気味な笑い声に包まれた。
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