第9話(旅路)

 聖国サントクリスと魔術都市ヘクセレンを結ぶ街道。

 馬とよく似た魔獣が引く荷台の一番後ろの席に、モルテとプリエの二人はいた。乗客は二人以外にもいる。中を見渡すと席は全て埋まっており、人以外の荷物もいくつか固定されて置かれていた。

 荷台の先頭には運び屋と呼ばれる仕事人が手綱を持っている。

 彼らの仕事は魔獣を操って国や村に物資を運ぶこと。国によっては定期便が組まれるほど、流通の生命線を担っている。その中には人を運ぶ便も幾つかあり、しばしばこのように国家間の移動手段として利用される。

 冒険をしない一般の人にとっては、危険が多い旅をするよりずっと安全で早く目的の場所まで向かうことが出来る。聖国から魔術都市まで、歩いて向かうと一般的には一週間。今回の場合、運び屋を利用すれば大体四日で到着する。

 荷台はがガタガタ軋みを上げ、魔獣はブルブル鼻を鳴らしながら街道を沿って進む。

 運び屋達一行は、聖国サントクリスを出発して、のどかな原風景の中を通り過ぎていた。

「モルテ」

「何だ?」

「退屈だね」

 プリエはとてもつまらなそうに上空を見上げていた。雲一つない青い空が二人の狭い世界を覆い尽くしている。

「まあ、運び屋を使っているからな」

 モルテは腕を組み目を瞑り、移動時間を静かにやり過ごそうとしていた。

「私は普通に冒険して行くのが良かった」

「そんな顔するなよ。良いもんだろう。こうやって楽できるし」

 普段の冒険であれば必要な道具や食糧は日数を重る分だけかさむ。魔道具の発展によって旅の持ち物は小さくコンパクトに持ち運べるようになったが、この男には一生無縁だろう。冒険者教官であるにも関わらず現代の道具をうまく使えない不器用人。最新の魔道具を買って手に入れたとしても、結局、進んだ時代についていけず、お家の押し入れに詰め込み放置をしてしまう。詰め込んだ魔道具は数知れず。モルテも、そのうちきっと、押し入れにしまった魔道具も他の魔道具同様に忘れてしまうことだろう。

 旅の道具選び、日中の予定、旅におけるその他の問題。この便利な運び屋を利用すれば全て解決だ。

 食料に関しては、大きな街道であればあるほど、宿屋、食堂が点在しているため食料を必要以上に用意しなくとも問題あるまい。魔道具の使えない、覚えないモルテは今後とも旅を楽するためだけに利用し続けるだろう。

「確かに楽だけどさ、つまらない」

 普段、ほぼ大半の時間を聖国の自宅で過ごすローエにとって旅は特別。

 凶暴な魔獣、端正な建築物、壮大な大自然。

 目に入るもの全てが新鮮で、興味を湧かせ、刺激の宝庫が感動という感情を溢れ出してくれる。そこに自分の感情を揺らすきっかけがあるのならば、ただの冒険も旅も刺激が多い方が楽しいはず。様々な制限、困難、思考があってこそ、冒険はより楽しく、思い出深く、刺激的になる。

 運び屋がする旅は安全。危険を及ぼすようなこともなければ、変な道を通って計画が狂うこともない。

 何もない平坦な道のりにローエは期待を失い、感情の動かない旅に飽き飽きしていた。

「待っていると思えばも気も変わったりしないか?」

「ないわね」

 肥えてしまった感覚は自らを退屈させる。

「あっそう」

 モルテはあまり興味を示さなかった。

「もう三回目よね」

 プリエはモルテの顔を見ずに、流れていく景色を見ながら話を続けた。

「何が?」

「ローエのところに行くの」

「毎月行くって言ったからな」

「冒険者ギルドのコネを使って手紙とかでやりとりすれば良いのに、わざわざ毎回こうやって律儀よ」

「ただ気になるだけだ」

 ローエの言う通り、手紙や使い魔を従えて連絡する方法は幾つかある。わざわざ会いに行くというのは、それなりにモルテはローエを気にかけていた。

「嫌ね。嫉妬しちゃうわ。私がいるのに他の女の子を気にするなんて」

「俺だって男だぞ。お前別に」

「どう?」

 プリエは席から立ちあがり可愛く、くるりとモルテの前で回って見せた。

「ねえな」

「くそ。あのお尻にはせめて勝ちたかった」

 モルテはお尻が好きらしい。プリエの小さなお尻はどうやらモルテの好みには当て嵌まらなかったようだ。弟子のローエのお尻を散々付け回しているのは、プリエはお気に召さない様子。自分を見て欲しいとプリエは強調した。

「お前ももう少し成長したら追いつくかもな」

「それはない」

「そうだな。ごふっ——」

「何年の付き合いだ、たまには否定しろ」

 モルテがプリエの体の成長を指摘すると、プリエは席から立ち上がりモルテの腹めがけて、足を突き出して見事に中心を捉えた。

「——は、はい」

 腹を抑えるモルテ。相棒をいじった結果、高いお釣りが返って来た。これも二人の長年のコミュニケーション。別にモルテもやり返そうなんて行動に移したりはしない。これも二人の日常の一つだった。

 しかし、その一幕に一瞬周りから気まずい空気が流れるが、そんな些細な変化に気を留めずモルテとプリエは会話を続けた。

「それで、永遠の血の対処はいつもと同じ方法を取るの?」

「今回はローエにやらせる。俺たちはあくまでもサポートだ」

「だからこんな周りくどいことをしていたのね」

 モルテが口にしなくとも、わざわざ会いに行く理由をローエは気づいた。

「そうだ」

「ローエがしくじったらどうするの?」

「俺たちがやるだけだ」

「本当面倒ね」

 ローエは更に機嫌を損ねた。永遠の血が絡めば無邪気な子供の表情は影を潜める。酷く退屈な冒険同様、永遠の血の終わりにも計画と合理性を重んじる。慣れてしまった結果、そこまでの過程と結論はローエという人格が甘美な刺激を感じとることはない。味気のない食べ物は飲み込んでしまうのが一番。味がしない永遠の血を早く食すなら、口の中で味わうことも、鼻腔を通る適度に熟した香りも、喉を通る筋張った感触も感じることなく、ただ我慢して飲み込むのみ。苦痛を感じるなら、どんな物事も素早く終わらせたくなる時もあるだろう。

「あ、そうだ良いものやるよ」

「何よ」

「シュガードロップ。前回は一種類で文句言ったろ。だから今回は色んな味を貰ってきたぞ」

 様々な色に染まったお菓子がローエの目の前に現れた。

 モルテはプリエのためにお菓子を手に入れていた。お菓子はプリエの大好物。甘い物には目がない。甘さを直接感じる嗜嗜好品にプリエは虜になっている。機嫌を取るならばお菓子と相場は決まっていた。

 モルテは冒険者ギルド以外にも、お菓子屋の手伝いをプリエには内緒でしている。

 これも可愛い相棒のため。

 モルテはお菓子屋で手伝いした分のお金は受け取らず、代わりにお菓子を貰うようにしていた。

「わああああああい! ねえ食べて良い?」

 無邪気な子供に戻るプリエ。

「良いぞ。何日かに分けて食えよ」

「えへへへ。お菓子だわ。お菓子よ。えへへへ。もぐもぐ」

「あと三、四日かかるんだぞ。一日で全部食うなよ」

「もぐもぐ」

 退屈な旅に少しの楽しみと甘い蜜が包み込む。体を左右に激しく揺らし、嬉しさを爆発させる。プリエの退屈な旅に味がついた。

「聞いてねえか」

 こうなるとプリエを手につけられないと言わんばかりに、話しかけるのを諦める。両手にお菓子を持って、小さな口に沢山詰め込んだ。味わって食べているのか、それとも更なる刺激を求めて過剰に摂取しているのか、見分けはつけられない。モルテとしては是非とも味わって食べて欲しいと気持ちを伝えたいが、この様子では声をかけても届くのは数日先になりそうだ。その間に恐らく旅も終わっているだろう。

 プリエは両手のお菓子がなくなると同時に更なる快楽を求めて、モルテに手を差し伸べた。

 モルテは無言で大きな鞄から、お菓子が大量に入った袋を取り出して、プリエに渡す。受け取ったプリエはご満悦。晴天にも負けない暖かい笑顔をモルテに向ける。

「今日は最高の一日になる」

 そんな表情に惹かれてモルテも自然と笑顔を作った。


 ***

 

 二人が聖国を出発して、四日の時間が経過した。運び屋一行は魔術都市の冒険ギルド街に無事到着する。窮屈な荷台から降りると同時にモルテは両手を組んで、天高く手を伸ばした。プリエはずっと眠っていたのか、目元はまだ大きく開いていない。モルテが頭上を見上げると、空は夕焼けに染まり始めている。二人は正面の街に目を移すと、全土には影が迫っていた。外の活気は薄れ、室内からは柔らかい光と騒がしい冒険者の声が漏れる。

 二人は一日の終わりが始まった魔術都市の冒険者街の中を歩いて、冒険者ギルドを目指した。

 オレンジ色に濃く焼けた空は燃え尽きて、徐々に黒く染まり所々に輝く星達と、淡く青く光る月が夜に僅かな明かりを与える。

 夜になると二人はその場に立ち止まり、プリエは修道服をガサガサ何かを漁り始めた。プリエが着る修道服には、服の大きさの二倍の大きさの量を収納できる機能を有している。この機能を利用して、プリエはお気に入りの道具を仕舞い込んでいる。

 鼻歌まじりにプリエはランタンを取り出した。ランタンのデザインはゴッシクな小さな家がモチーフ。持ち手の黒い棒の先端にランタンは吊るされており、プリエが横に振るとがしゃがしゃ機械的な音が街中に響くと、ランタンに青い炎が灯った。二人は会話をせず、ガシャガシャなる音と一緒にランタンの明かりを道標にして、再び歩き出した。


 暫く歩くと立派なレンガ作りの冒険者ギルドの建物にたどり着く。昼間とは違う落ち着いた雰囲気漂う中、モルテは冒険者ギルドの扉を開いた。

 周囲をひとしきり確認して、落ち合うはずのローエの姿を探すが、見当たらない。深まった夜に、冒険者は数人しかいない。隣にいるプリエの方に視線を移した。モルテの視線に気づいてプリエが見上げると首を横に振った。

 モルテは冒険者がまばらに座る待合室を通り過ぎて、カウンターにいる冒険者の受付の人に尋ねた。

「すみません、聖国サントクリス支部の教官をしているモルテと申します。ローエさんはいますか?」

 そう言って、冒険者の教官を証明するカードをポケットから取り出した。

「今日はお見えになっておりません。その代わり昨日、手紙を預かりました。モルテ様が来たら渡して欲しいと」

「手紙?」

「ええ、少々お待ちください」

 受付の人は席を外して、別室に移動した。

「ありがとうございます。それとこれ預かって貰えますか?」

 モルテは大きなカバンを受付の人に渡した。

「構いませんよ」

「二日後を目安にまた顔を見せます。その間すみませんが、よろしくお願いします」

 そう言ってギルドの受付カウンターから離れたところで、モルテは手紙を開いた。

「何て書いてあるの?」

「永遠の血を見つけたとさ。プリエ行くぞ」

 モルテとプリエは表情を引き締めた。今日この場にローエがいない状況を把握する。乗り遅れても最後の仕上げを確認しに行くことは可能だ。

 二人は歩きながら会話を続ける。

「行くってどこに?」

「消失の森に誘い出すらしい」

 なるほどとプリエもその意図を理解した。

「忘れるには都合がいい場所ね。ローエ上手くやるかしら」

「上手くやるさ」

「毎日祈っているのが無駄にならないと良いわね」

 プリエは毎朝早く家を出るモルテが何をしていたのか、納得のいく答えが見つかった。

「知っていたのか?」

 そのことを知っていたモルテがプリエの意外な一面を見て、少し驚いた表情をする。プリエは滅多に変化を指摘しないことをモルテは知っている。

「たまたま、朝早く起きた時に見かけたわ」

「恥ずかしいところ見られたな」

 モルテは素直に照れた。

「私も祈った方が良かったかしら」

「さあな。俺らの教えを信じるなら自ずと分かる」

「全が一つにってやつ?」

「全ての手段が一つを成すならば、一つの手段は全てを成す。一つの手段が全てを成すならば、全ての手段は一つに成りうる。お前もこの教えを信じてみるか?」

 モルテが冒険者になる前に信じた教えをローエにも伝える。

 プリエは考える素振りを見せて、少し焦らして応えた。

「たまには良いかもね」

「長い付き合いだけど、他人の考えに共感するなんて初めてだよな。今日はお菓子の雨でも降って来そうだ」

「そんな世界があったら永遠に住んでいられるわね」

 二人は軽口を交わして、冒険者ギルドを後にした。


 冒険者街と魔術都市の行き来が許される場所は一つしかない。魔術都市に通う生徒でない者が入国するには、厳しい審査と検査が必要となる。それ以外の方法で入国するには強硬手段に出るしかない。消失の森は魔術都市内部にある庭の一つだ。行くには勿論、魔術都市に入国しなければならないが、夜の受付はしていない。

 必然的に二人は不正に入国するしかない。魔術都市を囲うのは目には見えない要塞じみた強固な魔術障壁。根本的に破られたのは一度のみ。人間で破った者は誰一人としていない。

 強固な魔術障壁は、ありとあらゆる障害を弾き飛ばす。魔術は勿論、発展した文明が持つ叡智や人間の侵略が相手だろうと敵にしない。魔術都市の研究と繁栄を見守る要塞は、魔術都市の日常を保って来た。偉大な冒険者であろうともこの要塞を突破出来れば、世界中の迷宮を攻略できるに違いない。

 そんな障壁の目の前に立つ、二つの影。

 人気もない林の中。

 モルテとプリエが、魔術都市の要塞を攻略しようとしていた。

 音をたてるプリエお気に入りのランタンは修道服に仕舞い込み、モルテは魔術都市の障壁に触れて、弾き返される感触を肌身で感じていた。

 その様子を見て、この要塞を突破出来るのかプリエはモルテに確認を取る。

「どうなの?」

「あいつ前よりも複雑にしたみたいだな」

 この都市に住む数少ない旧知の知り合いの魔術を褒め称える。術式は重ね掛けされており、複雑な形状をしていた。

「手が早いね」

「まあ、すぐに終わる。この前は開けっ放しにしてバレたからな。今回は気づかれないように開けたら閉める。ほら、もっと近寄れ」

「うん」

 そう言って、プリエがモルテに近づくと、腰に手を回して、ひょいと小さな体を片手で抱え上げる。プリエは全身の力を抜いて、宙ぶらりんになった。

 そして、モルテは体の門を開けて、左手で障壁に触れる。

万物は最高の一つシンプル・イズ・ベスト

 そう呟くと、空間に歪みが発生して、左手が障壁を貫いた。左手が障壁の向こう側に行くのを確認すると、素早く体を魔術都市の土地に移動させて、障壁の歪みを元に戻す。

 抱え上げたプリエをそっと降ろして、開いた門を閉じる。一連の流れは無駄なく瞬く間に終わった。

 二人の後ろには障壁。呆気なく冒険者街から魔術都市へ潜入を成功させた。

「こいう小細工は本当に得意よね」

 モルテが完成させた、かつての。全盛期のようなメチャクチャな能力は消えたが、それでも出番は多い。

「そのおかげで面倒くさくないだろう?」

「文句なしに快適よ」

 緊張が途切れたプリエは修道服をガサガサ漁り始めた。それに気づいたモルテが釘を刺す。

「まだランタンは出すなよ」

「ごめん、無意識だった」

「それじゃあ、行きますか」

「ういーん」

 プリエはよほど機嫌が良いのか独自の返事をした。誰も気づかない闇の中に乗じて、二人は魔術都市に身を潜めた。

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