第10話(誘惑)
日が沈み学園に通う生徒のほとんどが、寮で過ごしている頃。この時間に残っているのは学園の関係者や、物好きな生徒くらいだろう。
魔術都市ゲルメズ学園の学生寮は多くの生徒で溢れていた。
寮は男女それぞれ分かれており、在学中はずっと過ごすことが出来る。食事は朝、夕の二回。水浴び場と複数の自習室まで完備されている。
日中であれば、寮長の許可のもと寮の行き来は許可されている。なので、放課後や空いた昼食時間等で、男女が一緒の寮にいることも珍しくはない。寮の規則が厳しくなるのは朝と夜。この時間帯は許可の有無問わず規則違反になる。寮長に見つかれば大目玉と厳しい処分が下される。最悪、退学も視野に入れなければならない。
ローエはそんな危険も承知で、男子寮に忍び込んでいた。寮の大きさは五階建て。部屋と部屋を結ぶ廊下には沢山の生徒が
ローエは見た目を第七の術式を応用した変装の魔術を使って、男子生徒と同じ見た目に変身した。ローエが寮内で会話する男子生徒の目の前を、堂々と通り過ぎても気付く者は誰一人いなかった。ローエは男に混ざり階段を上る。数字で四と書かれた階に到着した。階段横に掛けてあるフロアガイドを確認する。左が六年生、右が五年生。ローエは左に進路を取り廊下を歩いた。
今日、ローエがその人に会いに行くという事前のやりとりはしていない。部屋に行ったとして、もしかしたら不在の可能性もある。
事前に準備したくても極力人には見られたくなかった。手紙で人伝に渡したりすれば、筆跡がついた紙が残り関係する人も増える。直接会いに行けば二人でいるところを誰かに見られてしまう。それらを踏まえて行き着いたのが、変装しての潜入だった。今のところ順調に進んでいる。
目的の部屋を見つけて立ち止まった。部屋のドアを三回叩く。すぐに部屋の扉が開いた。どうやら住人は不在ではなかったらしい。
「あんた誰?」
「ちょっと話があるんだけど」
ローエの口調は野太い男、そのものになっていた。
「だから、誰だよ」
「失礼、ちょっと部屋に入るぞ」
ローエは男を押しのけて無理矢理部屋に入ると同時に、男の部屋の扉を閉めた。
「いきなりなんだよ」
男はローエの肩を乱暴に掴んで、体を自分の目の前に振り向かせると、自分の目の前に女の子がいたことに動揺する。思わず男が叫ぼうとしたところを口を片手で
「しー。静かにして」
ローエは自分の口に人差し指を当てた。ローエが拘束を解くと、男は抵抗せずその場に立ち止まった。
「なんで、お前がいるんだよ」
男はどうやらローエの顔と名前を知っている様子。だから、咄嗟の叫びも押し殺すことが可能だったのだろう。男は扉に寄りかかり腕を組んで話を聞く準備を終えると、ローエは後ろに一歩下がった。
「たまには良いでしょ? こういうイベントもね、ダオレン」
短い黒い髪。二重に高い鼻、唇は小さく、整えられた顔。
半袖の部屋着。紺色の半袖ズボンに白いシャツ。両方の袖を捲り上げて、腕と肩の付け根をはっきりと見せている。
「ローエ、心臓に悪いぜ。どうして、男子寮にいる? 見つかったら俺もお前もヤバイんだぞ。さっさとここから出て行けよ」
「まあ、そんなこと言わないでさ。ちょっと付き合ってよ」
「何に?」
「何って?」
ローエはダオレンに近づき肩に両手を乗せて耳元に顔を寄せて、しっとり
「イ、イ、コ、ト」
そう言って、ダオレンがローエの腰に触れと、暴力的に払い除けた。
「ああ、待って、待って。ここじゃダメ」
「何がダメなんだ」
「ここだと見つかちゃうかもしれない」
「お前なら見つからないだろう?」
「それでも、ダ、メ」
ローエは全身に強化魔術を施すと、体が赤く光りだした。ローエの体から吹き出す蒸気が空間を圧迫する。圧倒的なローエの熱量に気圧されて、ダオレンはすぐに手を離して扉に背中を貼り付けた。
「早く離れろ。こっちは逃げ場ねえんだぞ」
「ごめん。ごめん」
ローエはダオレンから距離をおいた。
「たく、それで何に付き合えば俺にご褒美をくれるんだ?」
「この学園に長くからある度胸試し」
「一通りやったぞ。もうやることなんてないぜ」
ダオレンが経験した数ある度胸試し。
学園長室の入室。魔女宛の手紙。学園地下に現れる研究所の発見。授業前の教師への悪戯。学園に眠る魔獣の覚醒。どれも全て、ダオレンは経験済み。この学園に怖い物など、存在しない。
「本当にヤバいやつはまだやってないでしょ。学園には禁止されている度胸試しも幾つかあるわ。そういう、度胸試しは広まらないの。知らないのも当然ね」
「んで、隠された肝心な度胸試しってのはなんだよ」
「魔術都市にある四つの庭。明るいうちは危険がないけど、夜は絶対に立ち入ってはいけない。校則でも固く禁じられる夜のお散歩。消失の森の散策で私が先に帰ったらご褒美を上げる」
姿勢を正して、胸を張る。体のラインとシルエットがくっきり制服に乗り移る。ローエの美貌を見て、ダオレンは鼻息荒く答えた。
「イイねえ。その度胸試し乗った」
「そしたら、消失の森の入り口で待っているわ。忠告しておくけど、今日だけの限定よ」
「分かった。すぐ準備する」
「待っているわ」
ローエの
「ああ」
「それじゃあ、お先に」
そう言ってローエはダオレンの部屋から、予め入り口に仕込んだ術式を発動させて、男子寮から姿を消した。
ローエが消えると早速準備に取り掛かる。
「敵わねえな。流石、ゲルメズ学園が誇る最強の魔女。【式神】ローエ・フェルゴメド」
ローエはこの学園屈指の実力者だ。
一般科と専門科の共通テストは実技試験、筆記試験。
専門科はそれとは別に試験が存在する。
ローエは五年間、実技試験以外に掲示板に名前が載っている。筆記試験は五番以内。専門科の試験に関しては五年連続、前後期、一位。
普段は学校以外に姿を見せない秘密に満ちた人物。
ゲルメズ学園、いや他の三つの学園の術式科も相手にならないだろう。
魔術都市の学科長も凌駕する才能、稀に学科長や学園長の研究を手伝っているとの噂をある。そんな、彼女についた二つ名は【式神】。
公の場で戦うことは少ないが、その戦いを見た生徒はその精度と魔術の速さに圧倒される。
音速の魔術。
現代魔術の術式省略をも置き去りにする、先手必勝の魔術は単純に力勝負をする前に決着がついてしまう。どんな魔術師も力で戦う前の速さで負けてしまう。大抵の魔術師では戦いにならない。
この魔術都市で、生徒でありながら実力は十本の指に名が上がる時もある。
実技試験を受けないのはほんと気まぐれ、もし試験を受ければ文字通りゲルメズ学園の生徒の中では最強の魔術師である。
ダオレンはクローゼットから制服を取り出して着替える。剣を抜き差し出来るホルスター付きのベルトを腰に巻く。ベッドに立てかけて置いた剣を手に取り、腰に差した。
そいう、ダオレンは一般科の実技試験では下から数えた方が早い。筆記試験の方はそこそこの点数。目立つものがないかというとそうでもない。彼は剣の里で厳しい修行を卒業した一流の剣士。剣の里を卒業すると、色を名乗ることが許される。ダオレンが授かったのは橙と黄。魔術の才能はなくとも実戦での経験はローエを凌駕するほどだろう。魔術と剣の融合を目指して、この魔術都市に通っている。魔術が下手でも、生徒間同士で行われる決闘では負けなし。どんな魔術も剣一本で対処する。強化魔術しか使わない剣の魔術師。
【黄昏の裂け目】ダオレン・フォルジュが準備を終える。
「炎の妖精の
魔道具の力を使って、幻惑の魔術を部屋に掛ける。
滅多に表に出ないローエが現れたのだ。
戦いの予感を感じて臨戦態勢をばっちり整える。
そして、ダオレンは寮を出た。
***
消失の森。
この魔術都市にある四つの庭の一つ。昼間はただの森。夜間もただの森。危険な森ではない。ただ呪いがあるだけ。その呪いが危険であるが故、魔術都市の出入りを禁じている。
この森にかけられた呪いは、思い込んだ事が現実になり、この庭であった出来事を当事者以外の記憶から消す森。静かな夜は人に孤独を抱かせて、暗い森は人に恐怖と不安を抱かせる。そう、夜の森に訪れた人の心を
寮から東に進むと見えてくる三段式の噴水。
ローエは噴水の前で待ちぼうけていた。
ダオレンがローエのお願いに命を掛けてまで付き合う必要はない。来るという確約もなければ、補償も存在しない。
目の前の利益を望む者、未来の利益を望む者、人の欲に答えはない。
月の差す明かりに照らされて、夜の暗がりに影が生まれる。日に照らされた普段の影と違う影をローエは見つめる。
ローエの立てた計画に
挑発した。気持ちも逆撫でした。人の思考を狂わせる異性の武器も使った。もし、
ふと、人の気配を感じて顔を上げると、夜の片隅からダオレンが姿を見せた。制服に着替えて、腰には剣を携えている。
ダオレンがローエの横に並び立つ。
腰に差した剣を左手で触れて、何時でも抜く準備が出来ている。ダオレンは強い警戒心を持っていた。
「来たわね」
ダオレンの姿を確認するとローエが消失の森の入り口を開放する。人避けの結界に穴が開くと、噴水を中心に庭が姿を表す。角と羽が生えた悪魔の彫刻。目に埋め込まれている赤い宝石が不気味に輝く。向かい合う悪魔の彫刻の間には大きな黒い格子の門。隙間から一目見える黒塗りの森。
先の見えない森に臆することなく、身を引き締めたダオレンはローエと向かい合う。
「ここが消失の森よ。怖気ついた?」
ダオレンは目を大きく開いて、庭の全貌が見えるまで見続けた。
曲がりなりにも魔術都市の講師達が作った結界。こんな簡単に生徒が破れるものなのかと疑問抱くダオレン。魔術を教える歴代の天才が作り上げた結界をローエは鼻歌混じりに解放させた。凄いとか、実力あるなとか、そういうレベルではない一種の恐怖をダオレンはローエに感じせざるを得ない。
ダオレンはいつか、ローエと戦ってみたいとは思っているが、決闘形式で戦っても一方的にやられる未来しか想像できなかった。小細工すら見破られ、圧倒的な力でねじ伏せられてしまう。最早、怪物。
勝機があるとすれば、彼の剣術の速さが、音速の魔術を超えられるかどうかにかかっている。
ダオレンは剣の鞘を握る左手を強く握りしめた。
「怖くなんかねえよ。もし決着がつかず夜が明けた場合はどうする?」
「考えてなかったわね。その場合もご褒美をあげる」
「サービス盛り沢山だな」
「それじゃあ、行くわよ」
「おうよ」
二人は悪魔が守る門を開けて、悪魔の彫刻が見守る消失の森の中に入り込んだ。
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