四辻町四丁目の朱雀庵 第3話 白狼

                 ◆◇◆◇◆


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 八月も半分が過ぎようとするお盆の頃に、二人の少女はリビングでお茶を楽しむ。金髪の少女アセルスはアッサムティーを啜りながらドライフルーツのバウンドケーキを口に運び、緑茶を啜る魂緒たまおは串団子を頬張る。

「やっぱり、お茶と言ったら紅茶よ。魂緒様はよく、そんな苦いお茶飲めますね。あ、口元にあんこが付いて、じっとして下さい」

「―――こくり」

 アセルスが魂緒の口元をナプキンで拭い終えると「そう言えば、最近商店街に出掛けてますけど、むやみやたらに人間に干渉してはいけません。魂緒様はこの土地の神様なのですから、すこしは自覚を持ってですね、ただでさえこの龍穴で魂緒様は人間を導いているのですよ」

 ここは朱雀庵すざくあん

 妖怪と人間が交差する四辻町の商店街にある古物商。

 一人の人間に名前を与えられた女の子は魂緒と名乗り、朱雀庵に訪れる人間を導きながら、商店街では白い着物を着たおかっぱ頭の女の子が歩いている姿を見かけると言った都市伝説が囁かれ、特に魂緒の姿を見たお年寄りからは崇敬すうけいの念を集めて、また孫のように可愛がられる魂緒はおせんべいやお饅頭、お惣菜を両手いっぱいに抱えながら朱雀庵へと戻る事がしばしある。

 今日のお茶会のお菓子も魂緒が商店街から貰ってきた物である。

「―――こくり」

「う……、それは確かに。でも、人間が神様を敬いお供えするのは当たり前です。大体この町の人間は信仰心を当の昔に忘れています。狐塚の狐が弱り寿命が来たのもそのせいでしょう?」

「―――こくり」

「まったく、どうして神様たちは、それでも人間を愛することができるのか私には甚だ理解できません……あ、お茶のおかわりを淹れますね」と、アセルスが急須を持とうとした時、引き戸が開いて眉間に皺を寄せた初老の男―――名を朱明しゅめい陽夏ようかと言う。朱明は逆三白眼の目で魂緒を一瞥して、アセルスを睨む。

「いつも言っているだろ? 店の売り物をかってに使うなと」

「なにが売り物よ。どうせ誰も来ないじゃない? それなら魂緒様が使った方が器も喜ぶというものよ」

「人形のお前さんには理解できないかもしれねえが、魂緒が使っている錦木にしきぎの抹茶茶碗は時価二十万を下らねぇ」

「どうせ贋作ニセモノでしょ?」

「お前さんが使っている菓子皿に描かれている梅の花は人を惑わし、夜になると使い手の喉に枝が巻き付いて絞め殺すという曰くつきの逸品だ」

「―――げっ! そんな物置いてるんじゃないわよっ!」

「けっ」と、朱明は鼻で笑い「それより魂緒にお客さんだ」引き戸の奥に隠れていた小さな女の子を招き入れ、入れ替わりに朱明はリビングから出て行く。

「コロがいなくなっちゃった~」

 女の子の泣き声に耳をふさいでアセルスは掛け時計を見るがいつもの時間でもなく、慌てて魂緒が肩の上でパンパンと両手を叩くと、お茶会を開いていたリビングは暗闇に飲まれる。天井には幾つもの行灯が仄かにゆらぎ、散りばめられた橙の小さな炎が微かに女の子を照らす。

「ほら、泣き止みなさい人間。先ず、名前を名乗りなさい」

「ちせ、ごしゃい」

「年齢は聞いていないわよ」

「ほ待ちひておりました。……ごくん」

鮎川あゆかわ知世ちせ様」

「さぁ、あなたの願いはなに?」すぅと、魂緒が小さな手の平に息を吹きかけると、七色をした蝶々が幾重にも羽ばたく。蝶々は螺旋を描きながら、その羽に知世の過去を映し出す。

 母親に抱かれて眠る生まれて間もない頃の記憶。誕生日にペットショップで買って貰った子犬との出会いの記憶。散歩中に車に撥ねられて子犬が死ぬ記憶。

「コロ! コロ……」と、知世は泣きじゃくる。「コロに会いたい……コロ、どこにいるの? おねえちゃん、コロに会わせて」

「それがあなたの願い?」

「魂緒様、こちらを」

「これは照魔鏡と言う真実を映し出す鏡です」

 金色の淵に覆われた鏡を魂緒が両手に持つ。

 鏡が知世を捉えた瞬間、知世の意識は遠のく。

「さぁ、真実を―――」

「改変するのです」


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 遠くでお祭りでもしているのだろう、祭囃子の笛の音に太鼓の音があたりに鳴り響き、目を覚ました知世はぼんやりと目をこすると、また状況を把握するのにきょろきょろと辺りを見回しながら魂緒とアセルスの姿を見つける。

「―――こくり」

「ここは現世うつしよ幽世かくりよの境界でもあり、妖怪たちの世界でもあるわ」と、アセルスが知世に手を差し出して、知世の汚れた衣服をぽんぽんと魂緒が払う。

「ようかい?」

「知世、このお面を被りなさい」

「―――こくり」

「知性ある妖怪は人間が大好物だから。あなたのような年端もいかない幼い子どもは特に危険なのよ。絶対に外してはいけないわよ」きょとんとする知世に狐のお面を被せてアセルスは「コロに会いたのなら我慢しなさい」と、どこかよそよそしく知世に言い聞かせて、知世は状況を把握する。

「コロはっ!? コロはどこにいるの?」

「あそこに、ぼんやりと灯りが見えるでしょ?」すぅと人差し指を差したその先を知世は見つめる。「今日はお盆だから、年に一度妖怪たちはお祭りを催すのよ。その先の林道のさらに先に大きな坂が見えるでしょ?」

「……うん」

「その坂を登ったところにコロはいるわ」

「ほんとに?」

「―――こくり」

「神様は人間を導く存在よ」

 知世はアセルスを見上げて、魂緒を見上げる。

 知世より少し年上の魂緒は、知世同様に狐のお面を被りながら隠れた頬は緩み切り、三人は縁日の灯りへと目指す。



 縁日には幾つもの屋台が立ち並び、四辻町のお祭りと違うのは一つだけ、どこもかしこも妖怪だらけなのだ。青い法被はっぴにねじり鉢巻き姿の妖怪が鉄板焼きの屋台を営み、手先の器用な妖怪が飴細工を売っている。酒器をぶら下げた妖怪に、親子連れの妖怪の姿、中には知世同様に狐や火男のお面を被った和服姿の子ども達が縁日を駆け回っている。

「怖がることはないわ知世。先ずはこの縁日を通り過ぎましょう」

「おねえちゃん、いなくなっちゃった」

「え?」と、知世に袖を引っ張られてアセルスが見ると、狐面を被っていた魂緒の姿がどこにも見当たらない。「―――魂緒様っ!?」

 アセルスは苦虫を噛み潰したような顔を一瞬見せるが、魂緒の事を誰よりも知っているアセルスは、今頃はどうせ妖怪の隙間を縫って縁日巡りをしているのだろうとため息を漏らして「先に行きましょう」と、知世を促す。

 その時、ぐにゃりと柔らかい物をアセルスは踏んだ。

「痛いやろ。どこに目付けとんじゃ」

「うわ……めんどくさい奴に出くわした」

「ええからさっさと足を退かさんかわれ!」

 アセルスが足を退かせると、狸に似た袋狢ふくろむじなが握りこぶしを作っていた。

「なんや人形の嬢ちゃんやないか? 物見遊山でこっちの世界に来たんか?」

「タヌキ?」

「誰がタヌキじゃ童子わらしっ! あんなずるがしこい奴と一緒にすな! わいは袋狢のネズ様じゃボケっ!」

「大丈夫よ知世。こいつは内弁慶で自分より弱い妖怪を馬鹿にして、自分より強い妖怪には媚を売る、ただの三下妖怪だから怖がることはないわ」

 アセルスは背中に隠れる知世に言い聞かせて、スカートを握る知世が顔だけを出して袋狢のネズを見下ろす。

「それで嬢ちゃん、こっちの童子は?」

「見ての通りよ」

「ほぅ」と、袋狢のネズは知世を見上げて、ぱたぱたと足を動かしながらアセルスと知世の周りを往復しながら知世の匂いを嗅ぐ。

「あんた、まさかこんな小さな子まで?」

「―――だっ! ふざけんな! わしの守備範囲は最低でも二桁以上じゃ」

「どうだか? その小さいなりだとスカートの中が丸見えよね」

「さすがに人形の下着見ても興奮せんけどな」

 アセルスは袋狢のネズを踏みつぶして縁日を歩く。

「それにしてもさっきから、なんや人間の匂いがするのう」

「きっと私の匂いよ。さっきまで現世にいたのだから」

「いや、嬢ちゃんからやのうて、その隣の童子からや。のう、ちょっとその面を外して見せてくれへんか?」

「悪いわね。私たちは先を急ぐのよ」

「ちょいと顔見せてくれてもええやんけ」と、袋狢のネズは後ろ姿の知世の狐面のゴムを引き千切る。

「人間や! 皆の衆、ここに人間がおるぞ~」

 袋狢のネズが大声を上げると、なんだなんだと妖怪達が集まり、いつの間にか騒ぎを嗅ぎ付けた妖怪達がアセルスと知世を取り囲む。

「人間だ」と、妖怪達は知世に迫り来る。

「―――ちっ! 逃げるわよ知世!」

「痛い……」

「食われるわよっ!」

 こんな時ばかり、何の能力もないアセルスは自分に嘆いて奥歯を噛む。せめて魂緒がいてくれればこんな事にはならなかっただろう。

 アセルスは迫り来る妖怪達の巨大な手を払いのけ、隙間を縫うが足を掴まれる。知世と引き離され、怯えた知世に妖怪達の毒牙が迫る。


 ―――ごぅ。


 雲一つない月夜に雷が鳴り響く。

 知世の前に落ちた雷は青白い炎を身に包んだ巨大な白狼へと姿を変えて、その爪で妖怪達を薙ぎ払い、さながら妖怪達から知世を守るかのように巨大な体躯を前に差し出して遠吠えする。

「か、堪忍して……出来心やったんや」

 巨大な白狼の迫力に押されて、袋狢のネズからはさっきまでの威勢が無くなり、尻餅をついて命乞いをする。既に祭りどころの騒ぎではなく、多くの妖怪達が巨大な白狼の爪で傷を負い、辺りは血の惨劇へと変わる。

「―――こくり」

「……魂緒様、逃げて」

 縁日巡りをしていた魂緒は両手いっぱいに屋台の袋をぶら下げ、琥珀色をした杏飴を舐めながら巨大な白狼の目の前に歩み寄る。

「そんな……さっきまで暴れていた白狼が魂緒様に首を差し出すなんて」

 魂緒は、その小さな手の平で巨大な白狼の額に触れる。

 青白い炎が一瞬、魂緒の手の平に燃え移るが、魂緒の神様としての力とでも言うべきなのか、巨大な白狼はみるみるうちにその身を小さくする。


―――否。


 巨大な白狼は元の姿へと戻る。

「コロっ!」

「くぅ~ん」

「やっぱりコロだっ!」砂や埃で汚れた知世が子犬を抱きしめると、名前を呼ばれた子犬は甘えるような泣き声を出して、知世の頬を舐める。

「くすぐったいよコロ」

「魂緒様……」

「―――こくり」

「そう……死んでも、ご主人様のために命を燃やしたのね」と、知世と子犬を眺めながらアセルスは妖怪達に問う。

「ここにいる人間は魂緒様のお客人! 故あって私たちは黄泉比良坂よもつひらさかを向かわなければいけない! それでも、この人間に手を出すと言うのなら、お前たちは神に仇名すと知りなさい! それとも今度は白狼の牙でその身を食われるか!」

「じょ、冗談じゃねぇ」と、妖怪達は蜘蛛の子を散らして一目散に姿を消す。

「魂緒様~」

「―――こくり」

 魂緒は泣きつくアセルスの金色の髪の毛を撫でる。

「一人でどこ行ってたんですか? 心配したんですよ……魂緒様はいなくなるし、妖怪たちに襲われるし……散々だったんですよ」泣き止まないアセルスに魂緒は屋台の袋から取り出した杏飴を差し出し、子犬を抱きしめる知世にも杏飴を差し出そうとした時に、アセルスは慌ててそれを阻止する。

「―――なに、現世の人間に食べ物を与えようとしているんですか? 知世も受け取らない。現世に帰れなくなるわよ」

「……おなか、すいた」

「あのね知世……黄泉戸契よもつへぐいと言って、こっちの食べ物を食べるとあなたの元居た世界に帰れなくなるの。たとえば、お地蔵様にお供えしているお饅頭を知世は食べないわよね」

「うん、たべない」

「それと同じよ」と、アセルスは知世に納得させて杏飴を魂緒に戻したアセルスは知世を一瞥する。「知世、あとでいい物を見せてあげるわ」


                  3


 三人が縁日を抜けても舗装もしていない砂利道が続いていたが、山の頂が遠くに見える頃には石畳みを地面に敷いて神聖な聖域を作り出す。一本の桃の木に横たわる石造りの鳥居を横目に三人は石畳みの上を歩く。月の光だけが三人を照らして、力尽きたのだろう子犬は知世の腕の中でぐっすりと眠っている。

「これが黄泉比良坂よ」

 ようやく山の頂上に辿り着いた三人は、足を止めて厳かな山を見下ろすと、風穴が吹き荒れていまにもその中に吸い込まれそうになる。

「知世、さっきいい物を見せてあげると言ったのを覚えている?」

「うん」

「その前に、四辻町の商店街を思い出して。一定の距離を置いてイラストの描いたタイルがあるでしょ?」

「ひつじさん、おうしさん?」

「そう。双子座に―――」

「かにさんっ!」

「蟹座ね。蟹座の散開星団プレセペを中国では積尸気せきしきと呼ぶのよ。積尸気とはつまり鬼火のこと。私が唯一できるのが、この鬼火を操ることだけなの」

 神様でもないアセルスは抗弁を垂れる事しかできないが、条件が幾つも揃うと魂緒ほどではないにしろ、死者の魂に触れる事ができる。いまも、青白い鬼火がアセルスの手の平をくるくると回っている。

「―――きれい」

「どんな生き物にも寿命と言うものがあるの。知世にも私にも、虫や蝶にも」青白い鬼火はアセルスの手の平でくるくると回り、やがて吸い込まれるように風穴へと誘われる。「死んだら輪廻と言って、とても大きな歯車の一部分になって魂だけの状態になるの」

「んん?」

「さぁ、コロとお別れしましょう」

「いやっ!」

「コロはもう死んでるの」

「コロはここにいるもん!」

「あなたのことがとても大好きなのね」

「そうだもん! コロはちせのことが大好きだもん!」

 少し考えてアセルスは答える。

「知世、コロが苦しんでいるわ」

「コロ? おなかいたいの?」

「さっき、あなたを助けるために命を燃やしたの。このままだとコロは本当に消滅してしまうわ」

「おねえちゃん、どうしたらいいの? コロはどうしたらいいの?」

「輪廻に還してあげましょう。どんな生き物も輪廻の輪に還ることで、この世の罪を清算して生まれ変わることができるの。特に人間と違って犬や猫といった動物は飼い主に愛された分、人間より早く生まれ変わることができるの」

「また、コロにあえる?」

「えぇ」

「わかった」

 知世が差し出した子犬をアセルスが受け取る。

「お別れを言って、知世」

「……バイバイ」

 アセルスの手の平で子犬は青白い光の粒子となり、魂の姿となった子犬は他の鬼火と同じようにくるくると回った後に黄泉比良坂の風穴の中に吸い込まれる。

「またあえるよね」

「さぁ、今度はあなたの番よ。魂緒様お願いします」

「―――こくり」と、魂緒が知世の前に立つ。魂緒の人差し指が知世の額に触れると、ピンと張っていた糸が切れるみたいに知世は足を崩して深い眠りにつく。

「鮎川知世様」

「―――よい夢を」



 知世と子犬が分かれてから数日が過ぎる。

 商店街のシャッター通りにある朱雀庵のリビングで今日も魂緒とアセルスは商店街のお供え物でお茶会を開く。

「やっぱりレモンにはダージリンティーがよく合うわ。魂緒様は相変わらず緑茶が好きですね」

「―――こくり」

「私はいいですよ。あ、口元にみたらし団子のタレが。じっとして下さいね」

 アセルスがナプキンで拭おうとすると、魂緒が口元を舐める。

「あ、お行儀が悪いですよ魂緒様」と、アセルスは呆れる。

「それより、知世は大丈夫でしょうか?」

「―――こくり」

「そうですね。七歳までは神の子と言いますから、まだ穢れていない子どもの知世だったから、現世と幽世の境界線である朱雀庵に条件を無視して招き入れられたのでしょう」アセルスはダージリンティーを一口啜り「魂緒様のお力添えももちろんのこと、まだあやふやな存在だったから幽世であの子犬―――コロにお別れをすることができました。あの子も輪廻の輪で新しい肉体を得ることでしょう」

「―――こくり」

「あ、お茶淹れますね」アセルスが急須を持とうとした時、引き戸が開いて眉間に皺を寄せた朱明が、逆三白眼の目で魂緒を一瞥して、アセルスを睨む。

「お前さん、何度言ったらわかる? 店の売り物をかってに使うんじゃねぇ」

「別にいいじゃない。今度は妖力を感じない器を選んであげたんだから」

「俺が言いたかったのはそういうことじゃねぇ」人形にいくら問答しても無駄だと悟った朱明はパイプを蒸かす。

「ごほごほ。ちょっと! ここでたばこは禁止って言ってるでしょ?」

「けっ」と、朱明は鼻で笑い「それより魂緒にお客さんだ」

 朱明と入れ替わり引き戸の奥から男の子が現れたのだった。

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