第2話 僕にネコカインが支給されないわけ
夜、いつもの通りインスタントラーメンでも食べようとお湯を沸かしたときにね、家の扉を何かがひっかく音がするんだよ。
そして、甲高い声でミー、ミー、って鳴くんだ。僕はそれまで、子猫の鳴き声なんか聞いたことがない。
だから、さいきん会社のやつらがよく見かけるという火星リス(地球から誰かが持ち込んで、ネズミのような生活をするようになったリス)かと思ったんだ。
けれど、それは違った。
むかし学校で習った『子猫』だった。
僕は恐る恐る、子猫を抱き上げた。なにが起こったかは全く分からなかったよ。
ただ、僕の目の前に小さな子猫がいたんだ。そして、その子猫は薄汚れて、おなかを空かせていた。
そのとき僕に分かったのはそれだけさ。
そして、僕は子猫を抱き上げたまま、しばらく呆然としていたと思う。
21世紀の君たちはそんなとき、どんな気持ちなのかい?
僕がいまこれを書いて君に送っている31世紀では、センターが優良な家庭を選んで子猫を割り当てる。
子猫の割り当てられる家は何度も言うけれど、お祭り騒ぎだ。
ほとんどの惑星で、人間の住むところは地下にあるけれど(宇宙放射線を避けるためにね)、子猫が割り当てられた家庭ではシールド地域の地上に家を持つことができる。
自分たちが心から愛している猫を家に迎えることができるうえ、広くて快適な家も手に入るんだ。
それは躍り上がって喜ぶよね、誰だって。
一年も前から子猫のための快適なベッドや、猫砂や、窓に一番ちかいところにキャットタワーを用意して、子猫を迎え入れるための準備をするんだ。
いちど、僕の会社の上司が選ばれたときなんか、会社のみんなからうらやましがられていたっけ……。
でも、ジーナは違う。
ある日とつぜん僕の家の前にいたんだから、準備なんか全然していない。
それに、学校で習った『子猫』はふわふわの毛並みで、それはかわいらしかったのに、僕の腕のなかにいるジーナは、毛はベタベタで、やせ細っていた。
僕はほんとうにどうしていいか分からなかったよ。
まず何を食べるかもわからない。ひょっとしてどこか地上の家から迷子になってしまったのかもしれない。
でも、そんなことになろうものなら、宇宙猫センターから毎日のように通達があるはずだ。
頭のなかはぐるぐるしているのに、腕の中の子猫をどうすればいいか分からないんだ。
けれどとりあえず、のどが渇いてそうなことは分かったから、とりあえず水を皿に入れてジーナの目の前に差し出した。
ジーナはちょっとだけ皿を嗅いで、少しだけ、ほんの少しペロッと舐めた。
そして力なく、目を閉じてうつらうつら始めた。
小さな頭がちょっとでも震えると、もう死んでしまうのではないかと僕の心も震え上がったよ。それはいくら生き物を飼ったことのない僕にだって、具合が悪いってわかるぐらいの状態だったさ。
とりあえずタオルを持ってきてジーナをくるんだ。
僕は一生懸命、猫のことを知っている人を思い出そうとした。センターに連絡をしないで済んで、猫のことを知っていそうな人がいないか……。
親は遠くに離れているし、センターから子猫を割り当てられた上司とは仕事の上でも険悪だ。
30分以上、頭を抱えてうんうん唸って、僕はようやく一人の人物を思いついた。
いつも、通勤途中の駅前にいる奇妙な人物だ。
『シャデルナ』という怪しい占いの店をやっている人だ。
なんで思いついたかって? その人はいつも全身ヒョウ柄なのさ。
化粧だって、目を吊り上げて猫の目みたいにしている。
上着には大きなヒョウの頭が描かれていて、要は、3キロ先からだってあの人だってわかるような人物だ。
なぜそんな人を思い出したかって……?
それだけ他に思い出せる人がいなかったし、頭が回っていなかったのかもしれない。
でもあえて言うなら、僕が駅前を通りかかるたびに彼女はあのぎょろ目で僕をじっと見つめていたのは知っている。目で挨拶するぐらいの関係と言えばいいかな。
僕は……ほんとに恥ずかしいぐらい人付き合いがない。
でも火星ではそういうものなんだ。
隣に誰が住んでるかもよく知らないし、なれなれしく挨拶するなんて、むしろ失礼に当たるんじゃないかと思うぐらいだ。
そんな中で、僕とその占い師のあいだには、何年ものあいだ奇妙なつながりがあると言えばあった。決してお互い話しかけたりはしなかったけどね。
とにかく、僕は小さなジーナを懐に入れて、『シャデルナ』に向かうことにした……。
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