第八話 お嬢様と因縁

アリサとの過去をお嬢様に打ち明けた俺は、夕焼けに目を向ける。

その夕焼けはアリサと最後の日に見たのと似ていて、何処か懐かしいような、寂しくなるような感覚を覚えてしまう。

そこに干渉を浸っていると、隣に座っているお嬢様が声を発した。

「……シノンに、そんな過去があっただなんて……」

お嬢様は険しい顔をしたまま、拳を震わせる。

「でもっ……」

詰まっていた息を吐き出すように、声に勢いを乗せる。

「でも! シノンは何も悪く無いじゃない!」

悔しそうな、怒っているような、悲しんでいるような。

どの感情にも読み取れるお嬢様の表情に、瞳が僅かに潤わせている。

「悪いのは『あいつら』よ!」

「……ありがとう、お嬢様」

俺に気を遣っての言葉なのか、それとも本心の言葉なのかは判別する事は出来ないが、きっと後者なのだろう。

お嬢様は嘘を着くのが得意ではない。それは一緒に過ごして直ぐに分かった。

だからこそ、お嬢様が向けてくる言葉は俺の傷んだ心にスッと溶け込んで行くような感覚も感じた。


––––––その感覚は、アリサと一緒に居た時と同じだった。


感覚だけではない。

容姿も、性格も、力強さも、暴力的なところも……アリサと似ている部分がお嬢様にはあった。

だからお嬢様を見ていると、アリサの姿が重なって見えてしまう時が度々あったのだ。


––––––まるで、アリサの生まれ変わりのように。


すると、お嬢様から頭を撫でられた。

「あなたも、良く頑張ったわね」

華奢な手が俺の頭を優しく撫で始める。

––––––初めての体験だった。女の子から撫でられるのは。

不思議な感覚だった。ただ頭を撫でられているだけなのに、とても心地良く、そのまま眠ってしまいそうだ。

それと同時に、涙も溢れてしまいそうになる。

理由は分からない。

けど。もしかしたら。アリサが今も俺の隣に居続けてくれたのなら。


––––––きっと、こうしてくれたのだろう。


確信もない勝手な妄想をしている自分に気持ち悪さも感じてしまうが、そんな事は気にもしない。

俺は瞳を閉じ、今の幸せに浸る。

僅かの間だけで良い。幻でも錯覚でも良い。

『今、俺の隣にアリサが居る』という時間を、俺にください。


そして、あの時言えなかった事を、今ここで言わせてくれ。



『俺はアリサが好きだ––––––もし良かったら、俺と付き合ってくれないか』



––––––。



アリサは何も言わずに、ただ優しく微笑んだような気がした。



     ★



「ありがとうございます。お嬢様」

俺はお礼を告げた後、頭を撫でてくれた手をそっと引き離した。

本当なら気が済むまで撫でて欲しかったが、場所も場所だ。

ここはイーオンの隣にある公園である為、通り掛かる人達も少なくはない。

こういった経験の無い俺にとって、公の場で異性に触れられている姿を晒すのは恥ずかしくて仕方が無かった。

幸いだったのは俺達以外に公園を利用している者は一人もいないという事。

小さな子供に人気そうなこの公園に誰も来ないのは時間が影響しているからだろう。

時刻は午後五時半前であり、陽も落ち始めている。

みんな、そろそろ家に帰宅しても可笑しくない時間帯だ。

俺達も夕食が控えてある為、そろそろこの場を後にしなければならない。

長かったようで短かったプチお出かけ。

今回はどちらかというと探索というより、過去の話をしただけの時間だったような気もする。

イーオンを見て回りたいとはしゃいでいたお嬢様に悪い事をしてしまったなと罪悪感を感じた俺は、次出かける時はちゃんとお嬢様の要望を叶えてやろうと心に強く誓うのであった。

「……ねぇ、シノン」

「はい?」

「無理、しないでよね?」

「…………」

具体的に、何に向けた言葉なのかをお嬢様は口にしなかった。

それは、具体的に言ってしまう行為は治りかけていた傷をまた広げてしまう事に繋がってしまうお嬢様の配慮だった。

俺は敢えて『何の事です?』と、とぼける事も出来たが、ここは素直に返事をする事に。

「……分かってますよ。ありがとう……」

とぼけてしまえば、お嬢様の配慮を無駄にしてしまう。

ベンチから立ち上がり、帰ろうとしたその時だった。

「おお? なんだ、また会ったな!」

俺達の前に現れたのは、カフェで出会った四人組だった。

その中で一歩前に飛び出しているのは虐めの主犯、『ギルド』だ。

「まさか帰りでも会うなんて、おもしれー事もあるもんだな」

ギルドはポケットに手を突っ込んだまま喋る。その姿はオラついている。

「……」

何か用があって来たわけではなく、たまたま帰り道を歩いた所に俺達の姿を見つけてしまったようだ。

だがギルドはその偶然を嬉しく思っているように、一歩、また一歩と此方に寄ってくる。

目的は––––––お嬢様だった。

「ちょっ! 何よ!」

「う〜ん♡良い香りだ」

「触らないで! 気持ち悪い!」

ギルドはお嬢様の髪を救い上げ、自分の鼻元まで寄せ始め匂いを嗅いだ。

その気持ち悪い行動に咄嗟に手を振り払うお嬢様。

その奇妙な行動にお嬢様は恐怖に怯えているかのように顔を青ざめる。

「俺好みの香りだ。––––––じゃ、次は」

ギルドがお嬢様の胸元に手を伸ばそうとした所を、俺は腕を掴んで行く手を阻む。

「……おい。何の真似だ、シノン」

「それはこっちのセリフです。用件があるなら聞きますよ」

腕を掴まれたギルドの手には『まだ』力が込められている為、必然的にこちらも力を込めてしまう。

お嬢様は俺とギルドを交互に見て、恐る恐る傍観している。

「用件だぁ? んなもんねぇよ」

「じゃあ、何故彼女に手を出す?」

「決まってんだろ。俺の物にする為だよ」

理解が出来ない。何故、お嬢様に手を出す事が自分の物になると思っているのか。

「そういやー、アリサの時もそうだったな」

「なにっ?」

アリサの名前が出された事に反射的に反応してしまう。

「……特別だ。折角の機会だから教えてやるよ。––––––俺はあいつに惚れていた」

「!?」

「悔しいが、あいつは俺以上に完璧な存在だった」

ギルドは俺の瞳の奥を覗くかのように鋭い眼差しを向け続ける。

「頭脳、運動、人望、性格。どれにおいても俺は勝らなかった」

人望と性格はさて置き、ギルドは見かけによらず頭脳は上位に入り込む程で、運動は見た目通りのガッチリとした筋肉質で得意分野だ。

総合的に見れば決して悪く無いステータス。

それでも、アリサには届かないようだ。

「はっきり言って屈辱だったよ。まさかこの俺が女に負けるなんてな」

その発言に、少しだけ見えて来たような気がした。

「……それが、アリサを狙った事に繋がっているのか?」

目を細めて言うと、ギルドはにやける。

「そうだが?」

「っ!」

ギルドの腕を握っている手に力が更に篭る。

手が小刻みに震えるほど、ギシギシと握りしめる音が微かに音を鳴らす。

「ってぇーな。いい加減離せや、コラァ!」

ギルドは掴まれている腕を強引に振り解くと、俺の顔に目掛けて拳が襲い掛かる。

「!!」

俺は頭を横に逸らし、何とか回避する。

そして急な攻撃に嫌な感じがした俺は、お嬢様の手を握って共にギルド達から距離を置く。

「シノン!」

「俺は大丈夫です。それよりも、強引な手引きを申し訳ございません」

心配そうに見つめてくるお嬢様に対し、俺は申し訳ない表情で頭を軽く下げる。

「わ、私の事は大丈夫だから! それより、あいつ––––––」

「……」

俺とお嬢様はギルド達に敵意の目を向ける。

ギルド達も何が可笑しいのか、不適な笑みを浮かべている。

「ククッ。よくかわしたな」

「……」

「鈍間のお前が、まさか俺の攻撃を躱せるとは思わなかったぜ?」

「……何となく、察しただけだよ」

ギルドは感情に身を任せるような人間だ。

だから苛立ちを感じた時、何かしら制裁を加えてくるような気配は何となく感じていた。

だから俺は間一髪、躱す事が出来たのだ。

伊達にギルドと一緒にいたわけではない。

「少しは勘が鋭くなったようだな。––––––なら、これから何が起こるのかも察しがついているだろう?」

「……」

それも肌で理解していた。

だが、腑に落ちない点もある。

「どうして、アリサをあそこまで追い詰めた?」

俺を庇った原因でアリサまでもが標的になってしまったのは理解出来る。

それでも、惚れている女の子にあそこまで追い詰める……ましてや、傷つける行為をわざわざするだろうか。

ギルドの話を聞いて、その点が妙に引っかかっていた。

「ククッ。何でだと思う?」

ギルドは答えず、意地悪そうに聞き返す。

「…………」

俺が訝しむ顔で黙っていると、ギルドは一度瞳を閉じ、スッと瞼を開いて答えた。



「––––––あいつが、俺を虐めてきてからだよ」



「ッ!?」

「えっ!?」

俺とお嬢様は驚愕する。

アリサがギルドを虐めていた?

もちろん、素直に納得する事は出来ない。

「お前らは被害者ぶっているが、実は俺も被害者なんだよ」

「……どういう、事だ?」

「なぁに、簡単な話さ。あいつは虐められる側の気持ちを分らせるために、俺に虐めをして来たという事だ」

「なんだと……!?」

「あいつの正義感っぷりは知っているだろう? 困っている人を放って置く事が出来ない、善良な人間。まぁ、お人好しって奴だ」

ギルドの言うとおり、アリサは困っている人がいたら損得考えずに手を差し伸べるような人だ。

それがアリサの人望が高い事に繋がっている。

もし今回のような虐めの被害者が俺ではなく、他の人であったとしてもアリサは助けたに違いない。

アリサは本当に、人の上に立つべき理想の存在のように思えた。

「いつだったか、放課後あいつは俺に言い寄って来た。––––––これ以上『誰か』を傷つけたら許さないってな」

「…………」

誰か、は『俺の事』。

傷つけたら、は『虐めの事』。

アリサが直接的に言わなかったのは、俺に配慮しての事だったからだろう。

直接的に言ってしまえば、俺がアリサに告げたかのように捉えられかねない。

そうなってしまえば、ギルドの怒りの矛先は変わらず俺のままになってしまう。

それはアリサにとっても望んでいた展開ではない。

「もちろん、俺は従わなかった。誰かに指図されて生きるのは性に合わないんでな」

ギルドはアリサの警告を無視し、自分の思うように行動し続けたという事。

「それから数日経った頃だ……。俺の学校生活に不可解な現象が起きたんだ」

(不可解な現象?)

「俺の所有物が少しずつ無くなるという現象だ。それも決まって、休み時間の後に起こる」

「……」

「不思議だよなぁ? だから俺はクラスの連中に協力をしてもらった」

「協力……?」


「アリサの行動を監視し、不可解な行動があれば俺に報告しろってな」


聞いて思う。

俺とアリサが屋上で会っている事がバレたのは、そういう事だったのかと。

「そしたら実に面白い報告が入ったぜ。なんと俺の所有物を無くしている犯人は、『あのアリサ』だったんだからな」

俺とお嬢様は耳を疑った。

俺の知っているアリサはそんな事をしない善行に溢れた人間だ。

そんなアリサが正義の為とはいえ、虐めに等しい事をしていたのだから。

「最初聞いた時は驚いたぜ。でも所詮、味方一人いなかったあいつは直ぐに平伏せたがな」

やはり、アリサはギルド率いる数多くを相手に一人で立ち向かったらしい。

アリサに味方が一人も付かなかったのは、既に多くの人達がギルドの恐怖に怯えて従う構造が出来上がっていたからなのかもしれない。

もし逆らってしまえば、自分が何をされるか分らない。

そんな恐怖を植え付けられたら、頭の中では駄目だと理解していても、体は素直に言う事は聞かないだろう。

人が最も恐れるのは『暴力』。

物理的暴力、精神的暴力、数の暴力。

それらをコントロールする事が出来るギルドは、周りに恐れられて当然の存在。

惜しくもギルドに屈してしまったアリサは、それでも。

アリサは、たった一人で立ち向かったんだ。

「ま、こちらも色々と事情があったわけよ。何より、あいつに気に入られていたお前が許せなかったがな……。シノン」

「俺が、気に入られていた?」

これまた、信じられない事を告げられる。

「ああそうだ。あいつはお前と居る時は普段と雰囲気が違うっていう報告も入って来ていてな……。お前とあいつが屋上で別れた後、面白半分で見て見れば……ククッ。あれは––––––『恋する乙女』のようだったな」

俺は今更ながら思う。

アリサが俺に近づいて来たのは……。

「楽しかったか? 恋愛ごっこはよぉ」

「……黙れ」

俺は独り言のようにボソッと呟く。その声は、誰にも届いていない。

隣にいるお嬢様はギルドに腹ただしく感じており、意識をそっちに持ってかれている。

「あ、わりぃわりぃ。そもそも付き合ってなかったか!?」

「……黙れっ」

「今から告白すれば付き合えるかもしれねぇぜ? あ、そうだった。あいつはもういないのか。こりゃあ残念なこった!」

ギルドはわざとらしく、俺に聞こえるように声を荒げる。

最初に反応したのは、お嬢様だった。

「あんたっ! いい加減に––––––」

俺は前のめりになったお嬢様を手で制する。

そしてお嬢様より一歩前に踏み出し、ギルド達に向けて強気な言葉を放った。


「黙れ雑魚ども。これ以上、アリサの事を悪く言ったら……分かってるよな?」


まるで時が止まったかのように、場に沈黙が訪れる。

ギルド達も、お嬢様も、俺が普段そんな怒りを滲ませた脅しのような言葉を使う事がない為、目を丸くして驚きに満ち溢れていた。

みんな耳を疑っているかのように、俺の姿を呆けたように見つめている。

「……ククッ」

最初に沈黙を破ったのは、ギルド達だった。

「だぁっーはっはっは!! おい、聞いたかよ! あの雑魚がいきがってやがるぜ!」

ギルドが笑い出すと、それに便乗するかのように周りも一斉に笑い出した。

ギルドに合わせて笑っているのではなく、俺の発言がよっぽど可笑しくて本心から馬鹿にしているようだった。

「いいねぇ。中学に比べて随分といきがるようになったじゃねぇか、ああ? それともなんだ? 隣の彼女にかっこいい所見せようと無理してかっこつけちまったか? この高校デビューがよぉ!」

「…………」

「まぁ、よく見たらそいつ、『あいつに似ている』もんな。……そうか、だから惚れたのか。なるほどなぁ……」

ニヤリと、不適な笑みを浮かべるギルド。

「なぁ、シノン。今から俺と賭けでもしねぇか?」

「賭け?」

「俺達と勝負して、お前が勝ったら何でも言う事聞いてやる。ただし、俺達が勝ったら、その女を俺に寄越せ」

「……勝負の内容は?」

「男なら……拳だろ」

両手をポキポキと鳴らし始めるギルド。

「いいだろう」

急な提案に初めは動揺してしまうが、俺は直ぐに承諾する。

もちろん、それに納得していない者も一名いる。

「ちょっと! シノン!?」

「大丈夫です。俺はあんな奴らに負けたりしませんよ」

「そ、そういう問題じゃ……」

お嬢様は別にそこまでしなくてもと言いたげだ。

もちろん、その通り。俺がギルドの提案に乗る必要は微塵もない。

むしろお嬢様を巻き込んでしまっている以上、断るのが最善と言える。

だがこの勝負は俺にとって、良い機会だとも思ってしまった。

「ククッ。相手は四人だぞ? お前一人で勝てると思ってるのか?」

「当たり前だ。でなければ乗ったりしない」

威勢の良い発言に苛立ちを感じたのか、ギルド達は眉を潜める。

たった一人で勝てるという、その余裕っぷりが癇に触れたのだろう。

あいつらから見た俺のイメージは、能無しの雑魚と思われているから尚更だ。

ギルドの周りについている一人が勢いをつけて此方に向かって来た。

「へっ! お前如き、俺一人で倒してやるよ!」

残りの三人は向かって来る事はなく、ただ俺がやられる光景を目に焼きつこうと言わんばかりに、傍観としている。

顔の表情も緩く、楽しみにしている様子だ。

タイマンでも俺相手に負ける筈がないという自信の現れだった。

向かって来たそいつはギルド達がいつも一緒に連んでいるグループの一人で、細身の体を生かした素早い攻撃を仕掛けて来そうな奴だった。

実際、先手で殴り掛かって来た拳は速かった。


––––––だが、俺には通用しない。



俺は正面から向かって来た拳を躱し、そのまま顔面にカウンターを決める。

「ガァッッ!?」

カウンターを真面に喰らったそいつは地面に崩れ落ちる。

鼻から大量の鼻血を垂らしながら苦痛に悶えているそいつは一発でノックダウンとなった。

「勢いを付けたのが仇になったな」

それだけ言い残し、俺はギルド達に目をやる。

ギルド達は先程の一瞬の対戦に信じられない目を向けている。

「う、嘘だろ……!? あいつが、一瞬でやられただと!?」

一人目のこいつは決して弱いわけではない。

学校内であれば上位に割り入れる程の実力者だ。

ただ、俺より弱かっただけ。それだけだ。

「て、てめぇ……っ!」

「……」

「調子に乗るなあああああッッ!!」

「調子に乗ってるのはどっちだよ……」

俺は呆れてしまう。

次に向かって来た二人目は一人目より体格が二回り程大きく、剛体だった。

一人目とは正反対で、速さよりも力を重視したかのような体格。

こちらに走って向かって来る動きも、俺に向ける拳も一人目よりも遅かった。

「死ね!!」

見た感じ、力負けしてしまいそうな攻撃を俺は避けず、敢えてその拳を受け止めた。


––––––パシッ。


「なにッ!?」

俺はその拳を片手で受け止める。

意外にも、俺でも受け止められる程度の力だった。

「やって見ないと分らないものだな」

相手は俺の手から逃れようとするも、俺は力で制する。

この時点で、俺の方が力は上というのが証明出来た。

それだけで満足した俺は相手の腹部に目掛けて一発喰らわす。

「がはぁッ!!」

二人目が白目を向き、膝から崩れ落ちる。

口角からはよだれが垂れ、体がピクピクと痛みに悶絶している。

「残りは、二人だな」

そう言い、三人目に目を向ける。

「ヒィィッッ!」

俺と目が合っただけで怖気付いたそいつは見るからに喧嘩に適した体型ではなかった。

厚い脂肪が遠慮なしに纏まり付いている肥満体型で、筋肉の主張が一切ない。

まるで防御に徹した壁のようだ。

そんな奴が利点を活かすとなれば、押し潰すかそれこそ力技になるだろう。

機動力は無いと見える。

それならば、こちらが突くべきポイントを正確に突けば良いだけの事。

まぁ、ギルドと二人掛りで来るなら話は別だが。

「お、俺は何も悪くないんだあああああああああ!!」

三人目は俺に立ち向かうどころか、恐怖に怯えているかのように逃げ始めた。

一人目と二人目が無様に倒れている姿を見た後、俺の方を見て急に叫び始めたから何かと思いきや。

「あ、逃げた。まぁ、良いけど」

三人目は俺の不戦勝。

既に攻略方法は出来上がっていたが、これはこれで無駄な体力を使わずに済んだのでラッキー。

さて、これで残るは……。

「残りはお前だけだな。ギルド」

「ちっ!」

「どうする? まだ続けるか?」

俺が倒した二人はギルドが認めた自慢の配下だ。

プライドの高いギルドの性格上、実力が無い者を身近に置く事は無い。

それをいとも簡単に倒されてしまった事で、実力の差を見せつけるには十分だったのではないだろうか。

もちろん、俺が倒したのはギルドより実力が低い連中の為、ギルドに勝てるとは限らない。

少なくとも、中学時代の俺とは違う事はハッキリと理解したはず。


––––––今の俺は、ギルドに対抗出来る程の実力者であるという事を。


俺は争いを好まない平和主義。

ここでギルドが素直に降参してくれるとありがたいのだが……。

「………………ククッ」

「?」

「ククッ……。そうか。そういう事か……」

ギルドは不気味そうに呟く。

自分の中で納得し始めると、スッと俺の方へと視線を向けて来た。

「どうやら『今のお前』は『あの時のお前』とは違うらしいな」

「……」

俺は言葉を出さず、ただ黙ってギルドを見つめる。

「アリサが死んで、自分の弱さを恨んだか?」

「……」

「過去の自分を変えたくて鍛えたのだろうが、そんなの何の意味もねぇよ」

「……」

「何故なら、もうアリサはとっくに死んじまったんだからよ」

「……」

「そして––––––」

ギルドは俺からお嬢様に視線を変え、ペロリと口周りを舐めた後、俺に向けて言葉を向けた。

「また、俺に奪われるんだよ!」

そこを一番に主張したかったのか、声を荒げる。

俺からアリサを奪ったように。

今度は俺からお嬢様を奪う気でいるようだ。

ギルドはアリサに惚れていたと言った。

そんなギルドは、アリサに激似のお嬢様に惚れている部分があるのかもしれない。

おそらく、一目惚れに近い感覚だろう。

性格は別として、見た目が自分好みであるならば、先ずは手を出してみる。

そして、いずれは自分のものへと手中に収めようとするのがギルド。

やはり『今のギルド』は、『あの時のギルド』であった。

「……させない」

「あ?」

「もうお前から……何も奪わせない!」

強い意志を瞳にかざし、ギルドに向ける。

ギルドに強い対抗心を向けた事で、ギルドは苛ついている様子だ。

あの時の俺だったら、こんなに強気で出る事はない。

ギルド達に怯え、クラスに怯え、学校に怯える日々。

低カーストの俺に権利など無い。

歯向かえば終わり。

だから相手に刺激を与えないよう、同級生であろうと敬語を使用し、頭を下げ、命令に背く事はしないようにして来た。

仕方なかった。


––––––そうする事しか俺の居場所は無かったのだから。


でも、その考えは違うと理解した。

俺はただ怯えているだけで、立ち向かおうとすらしないだけの臆病者だったのだと。

そして、それを教えてくれたのは他でも無い。


––––––『アリサ』というたった一人の女性。


女の子が一人で立ち向かったというのに、男の俺が立ち向かわないでどうする!

(これ以上、かっこ悪い姿を見せられないよな……)

もう、奪わせない。

アリサの想いと共に、今度こそ!



「お嬢様は、俺が守る」



お嬢様の前に立ち、俺は誓う。

「シノン……」

俺の背後でポツリと呟いたお嬢様。

俺の言葉を聞いて、今どういう表情をしているのか伺う事は出来ない。

何故なら、まだ目的を達成していないからだ。

「ハッ! 俺に勝てるつもりかよ! お前ごときが」

「そのごときとやら……試せば分かるさ」

一瞬だけ沈黙が起こり、風が舞い起こる。

落ち葉は空中で踊り、捨てられていたゴミ屑達も風の成り行きに従って行く。

そして風が止み、再び沈黙が起こった時、両者共に駆け寄り出した。

間合いまで詰め寄った後、先に攻撃を繰り出して来たのはギルドだった。

「喰らいやがれ!!」

顔面に向かってくる渾身の殴り。

俺は頭を横に逸らして回避する。

––––––すると、ギルドは空ぶった勢いを活かし、回し蹴りを放つ。

「!」

予想していなかった攻撃に反応が僅かに遅れたものの、俺はそれを腕でガードした。

「!」

強い衝撃が骨に響き渡る。

一度体制を整えようと距離を置いた。

ガードされたとはいえ、俺が苦痛な顔を浮かべている姿を見て、ギルドは既に勝ち誇ったかのような笑みを浮かべていた。

その笑みに反応するかのように、俺の骨がジンジンと痛む。

「どうだ! 俺の攻撃を喰らった感想は!」

「………………」

俺はガードしていた腕をそっと降ろした後、ボソッと呟く。


「––––––なんだ、こんなもんか」


「あ?」

よく聞こえなかったのか、ギルドは聞き返すように苛立ちを見せる。

だが俺は二度言う事なく、助走の構えをする。

「今度は、こっちから行くぞ」

地面を強く蹴り、速さに勢いを付ける。

「––––––な!?」

予想もしていないその速さにギルドは驚きを見せ、構えの体勢が遅れる。

それでも、俺の渾身の殴りを何とか頭を横に逸らして回避する。

––––––すると、俺は空ぶった勢いを活かし、回し蹴りを放つ。

「!」

予想していなかった攻撃に反応が僅かに遅れ、ギルドはそれをガードする事が出来ず、真面に喰らってしまう。

「ガッ––––––!!」

頸部に直撃すると、ギルドは白目を剥いて倒れてしまう。

どうやら、気を失ってしまったらしい。

俺は周囲を見渡し、ギルド達四人組が地に這い蹲っている光景を目にした後、独り言を呟く。

「……呆気なかったな」

「シノン!」

正面から心配そうに駆け寄ってくるお嬢様。

俺の前に立つと、両手を包み込むように手を握って来た。

「大丈夫!? 怪我は無い!?」

「はい。大丈夫ですよ。それよりも、申し訳ございません。騒ぎを起こしてしまって……」

「それは、あいつらが悪いし……それに、今回のは不可抗力ってやつでしょ? シノンは何も悪くないよ!」

「ありがとうございます。ですが、騒ぎを起こしてしまったのは事実です。これは俺の自己満足ですが謝らせてください。申し訳ございません」

シノンは深々と頭を下げ始める。

それを見たお嬢様は慌てた様子で頭を上げるよう命じる。

「ちょ、分かったから! 早く頭を上げなさい!」

言われた通り頭を上げる。

お嬢様はギルド達を見渡した後、関心した様子で俺に向き合う。

「……あなたって、とても強いのね。まさか一人で全員を倒すなんて」

「いえ、俺は弱い人間ですよ。もし強く見えるのなら、それはアリサのおかげです」

謙遜では無い。

事実、アリサの存在が……アリサの想いが、俺をここまで導いてくれた。

「……そっか」

お嬢様は薄く微笑む。

他に言いたい事はもっとあるのだろうが、今はその一言で納得してくれたようだ。

そんなお嬢様の存在も、気遣いも、想いも。

こうして強いと認められた要因の一つでもあった。

お嬢様こそ、『それには気付かない』であろう。

今だけは、そう言った意味ではお互いポンコツであった。

「ところで、これどうするのよ?」

「……そうですね」

俺達の周りで屍のように倒れているギルド達。

このまま放って置いてこの場から立ち去るのも気が引けるし、何より捉え方によっては警察沙汰になるかもしれない。

一先ずは、声を掛けて起こすのが最善と見た。

「おーい、大丈夫か〜」

俺はギルドの頬をペチペチと叩く。

「……っ」

ギルドが僅かに目を開けると、徐々に気を取り戻して行く。

俺の存在をハッキリと視認すると、ギルドは苛立ちと恐怖が入り混じった顔をする。

「お、お前っ……!」

「もう十分だろ。お前の負けだ」

まだ闘う気でいるのか、拳がプルプルと震えている。

「……はっ。随分と上から目線になったじゃねぇか。中学の時は素直に懐く子犬で可愛かったのによ」

「そうかもな。でも、子犬も時には狂犬に化けるものだぞ?」

「……フッ。なら今のお前は、もう子犬に戻る事は無さそうだな……」

「……どうだろうな。少なくとも、自分の信念は曲げない。あの時から、そう誓った」

「信念、だと?」

「今だから言えるが、俺はお前達が……クラスが、学校が、大嫌いで仕方が無かった」

「へっ。そりゃそうだろうな。虐められて好きなんて奴は、ぶっ飛んだ変態ぐらいだろ」

「そんな俺を救ってくれたのが、アリサだった」

「…………」

「でもお前達は、アリサを奪った。––––––そしてそれは、俺にも問題があった」

ギルドは何処か納得しているように、ただ口を紡ぐ。

「あの時、俺がもっと強ければ……お前達から守り通せるぐらい強ければ……アリサはもしかしたら今ここにいたかもしれない」

過去の悔やみが心の底から湧き上がってくる。

「だからアリサを失ってから、俺は強くなろうと心に誓った。強く……強く! 次は誰かを守り通せるようにって……そう誓ったんだ!!」

どれだけの時間を鍛錬に注ぎ込んだか分からない。

ハッキリと覚えているのは『底知れない痛みと後悔』だけが、俺自身を無我夢中にさせてくれたぐらいだった。

「……『今のお前達』では、俺には到底勝てないよ。もう、分かってるんだろ?」

ギルド達もそれは肌で感じている。

まだ闘う気力が残っているのも表情を見て取れるが、そうしないのは俺との実力差が開き過ぎていて勝てそうに無いと、闘いの中で実感したからだろう。

喧嘩慣れしているギルドだからこそ、実力が大きければ大きい程、一度拳を交わすだけで実力差が分かってしまうもの。

「……確かに、勝てない……な。––––––だが、それは『今だけ』だ」

ギルドは不適な笑みを浮かべる。

「お前達の制服から学校も特定した。これで『いつでも』お前を待ち伏せする事だって可能になったわけだ。次はもっと大人数連れて来るかもしれねぇぜ? 不意打ちで背中を襲う事だって可能だ。それでも、今のように余裕でいられるって言うのか? 俺は結構根に持つタイプだから、次にお前をぶっ倒すまでずっと––––––」


––––––。


ギルドの言葉は最後まで言わせて貰えず、代わりに『パシッ』と高い音が響き渡った。


––––––お嬢様が、ギルドの頬を引っ叩いたのだ。


「え!?」

わなわなと慌てている俺を他所に、お嬢様はギルドの胸ぐらを掴んで告げる。

ギルドも驚きに満ちて、唖然としていた。

「ふざけないでッッ!!」

「!!」

「あんた、シノンがどれだけ辛い想いをして来たのかまだ分からないの!?」

「っ」

「……お嬢様」

お嬢様の目尻には涙が浮かび上がっていた。

「私は二人の事情を、いや、三人の事情をシノンから聞いたわ……」

「……」

「あんたは、本当にまだ分からないの? 人が傷つく痛みというのがっ」

お嬢様にも思う所があるのだろう。

俺やアリサだけでは無い。

お嬢様だって、俺達の知らない所で傷ついて、傷ついて……。傷ついて耐えていたのだろう。

お嬢様の言葉には重みを感じた。

「あんたは『アリサさん』に惚れていたって言ったわよね? そんな惚れていた女の子が亡くなったというのに、どうしてそんなにヘラヘラしていられるのよ!」

「…………」

「私はアリサさんの立場になった事もないから本当の気持ちなんて想像を絶するぐらい理解し難いと思う……。でも! でもっ! あんたに一発仕返しをしないと気が済まない事ぐらいは理解出来る!」

そう言うと、お嬢様はギルドを仰向けにさせ、馬乗り状態で往復ビンタをかました。

「っ!」

パシッ、パシッと聞くだけで痛覚が反応するかのような高い音が何度も響き渡る。

俺はそれを見て口を挟む事は出来なかった。

お嬢様は涙を頬に伝えながら溢していて、顔は悔しそうな……怒っているような……悲しそうな。

どれにも読み取れる表情で、誰かの想いを代わりに果たしているような。


––––––まるで、アリサが乗り移ったかのような。


「っ……ぐっ……つっ……っ!」

「謝れ! 謝れ! 謝れ! 謝れ! 謝れ! 謝れぇッ!!」

何度も祈るかのように往復ビンタを続けるお嬢様の顔は既にくしゃくしゃだ。

これ程みっともなく取り乱したお嬢様の姿は初めてだ。

それと同時に、再確認した。



––––––お嬢様は、やっぱり強い女の子だ。



赤の他人の為に、どうしてそこまで本気になってくれるのだろうか。

当時の俺からすれば、全く理解出来ない行動だろう。

だって、誰かに関わってしまったら今度は自分が––––––。


––––––いや、違う。理屈ではないのだろう。


お嬢様は––––––。俺と根本的に違う。



––––––。



『……アリスにとって、優しいってどういう人の事を指すんです?』

『……これは、私の考えだけど……』


『––––––損得考えず、困っている人に手を差し伸べる事が出来る人、かな』



––––––。


「…………」

お嬢様は損得とか考えていない、とても優しい女の子だったのだ。

それは今は亡き、アリサもそうであったと今更思い至る。


––––––二人は、本当に似ていた。


まるで、ドッペルゲンガーのように思えてくる。


だからこそ、錯覚のように感じる。

だからこそ、守り通したい。

だからこそ、一緒に居続けたいと……この時感じてしまった。



微弱で涼しげな風が、今の俺には心地良かった。



     ★



ギルドが謝るまで制裁を止める気配が無さそうだったので、俺はお嬢様の手を掴んだ。

「もう、やめましょう」

「はぁ……はぁ……っ」

俺に触れられて少しは冷静さを取り戻したのか、呼吸の乱れが落ち着いていく。

ギルドの両頬は赤く腫れており、叩いていたお嬢様の手も同じように赤くなっていた。

あのギルドが一切抵抗をしなかったのが気になるが、今はお嬢様を止める事が最優先だ。

「お手、大丈夫ですか?」

「……ええ。平気よ。……ごめんなさい」

やや俯きながら申し訳なさそうに謝るお嬢様。

自分が怒りの感情に囚われ過ぎて我を忘れ、取り乱していた事に反省しているようだ。

するりと、腕が下ろされる。

「……ククッ。気は済んだか?」

あれだけ叩かれてもなお、まるでダメージが無いかのように不適な笑みを浮かべるギルド。

それでも、お嬢様は顔の表情一つ変える事は無い。

「この程度で、済む筈がないでしょう」

「……」

「でも…………ごめんなさい」

「……あ?」

「部外者が……しゃしゃり出て」

「…………」

俺は陰で二人の様子を見守る。

お嬢様の言う通り、お嬢様はこの件に関して言えば部外者同然だ。

俺達の問題に何一つ関与していない、全く赤の他人。

お嬢様はその事はきっと頭の隅では理解していたのだろう。

それでも、アリサの立場になってみれば、しゃしゃり出ずにはいられなかったのだろう。

そんな怒りと申し訳なさの半々な気持ちがある為、ギルドに謝った。

「………………けっ。勝手に打っておいて、今更謝るんじゃねぇよ」

ギルドはお嬢様から目を逸らして呟く。

それ以上言う事は無いのか、重たそうに体を起き上がらせる。

ギルドは連れ達を起こして、この場から立ち去ろうとしていた。

重たい一発を頬に叩くと、連れ達は一回で目を覚める。

「おら、帰るぞ」

「え、あ、あ……あいつらはいいんですか?」

「いいんだよ。もう決着はついた」

この件に触れて欲しくないように、会話を無理やり終わらせようとするギルド。

連れ達も何かを察したのか、それ以上触れる事は無い。

先に歩いて帰ろうとするギルドを、連れ達は早歩きで追いかける。

連れ達が追い付く前に、ギルドは俺達に背中を向けたまま叫ぶ。

「悪かったな!」

陽に向かって叫ぶギルド。

叫んだその言葉は、果たして誰に向けた言葉なのだろうか。


俺?

お嬢様?

それとも、アリサ?


それは確信を持って断定する事は出来ない。

でも、満足だ。


––––––あのギルドが、謝ってくれたのだから。


これでいい。謝罪の言葉を聞けた事実だけで、俺は満足だ。

誰に向けた言葉なのかは、勝手にこちらで思い込む。


ギルド達の背中を見送っていると、最後の抵抗と言わんばかりに夕陽が一瞬だけ俺達を照らし出す。

光が眼に映り、僅かに眩しさを感じる。


ギルド含む俺達三人は、無意識に紅くて乏しい綺麗な夕陽に黄昏てしまっていた。



これも、確信を持って断定する事は出来ない。

それでも、少なくとも……俺にはそう見えてしまった。



––––––アリサが、満足そうに微笑んでいたような気がしたのだ。



     ★



イーオンの隣にある公園。

その公園の直ぐ隣には、大型電気店が建てられている。

その建物に身を潜む影が、シノン達の騒動の一連をスマホで撮影していた。


「フフッ。これで、シノン君は私のものね〜」

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