第六話 お嬢様と張本人
「ねぇ、シノンってどういう女性がタイプ?」
「うるさい」
「ねぇ〜、教えてよ〜」
「俺に構うな」
「むぅ。じゃあ、趣味とかなら答えてくれる?」
「断る」
「んもぉ。……じゃあ、なんだったら答えてくれるのさ〜」
「何も答える気は無い」
「うわー、秘密主義〜」
「別に良いだろ。ってか、いい加減俺を詮索するような質問はやめろ」
「じゃあ、今度はシノンが私に何でも聞いて良いよ?」
「……何でも?」
「うん。何でも。……あっ、エッチな事はダメだからね?」
「聞かんわ!!」
「え〜ほんとう〜?」
「〜〜〜っ!」
「あははっ! 顔赤い! 顔赤くなってるよシノン!」
「っ! なってない!」
「はあ〜……お腹痛い。さて、冗談はこの辺にして。何か質問あればどうぞ?」
「………………」
「……特に無い感じかな?」
「いや、ある……」
「んじゃあ、それ聞いてよ」
「………………どうして」
「ん?」
「……どうして、俺に構う?」
「…………」
「俺と一緒にいても、何も良い事なんてないぞ」
「…………」
「知ってるだろ? 俺は学校中で嫌われていて……虐めにも合っている。俺なんかと一緒にいたら…………」
「私の心配をしてくれているの? 優しいんだね。シノンは」
「そ、そんなんじゃっ……」
「でも、心配しなくても大丈夫だよ。私が、シノンと一緒にいたいだけだもの」
「……どうして?」
「どうしてって……。シノンはそういう所はポンコツだよね〜」
「……」
「一緒にいたいからだよ」
「!」
「シノンだって、『どうしてそれが好きなの?』って聞かれたら上手く答えられないでしょ?」
「まぁ、そうだな」
「私が一緒にいたい理由は、そんな感じなんだよ」
「…………」
「理由なんて必ずしも必要ではない。ただ、そうしたいからそうしているんだよ」
「…………」
「分かった? えい!」
「イタっ……。急に背中を叩くな」
「えへへ。可弱いからそんなに痛くはなかったでしょ?」
「いや、十分痛かったわ。この怪力女め」
「あっ! 女の子にそういう事言っちゃいけないよ? てか誰が怪力女だ!」
「イッッッタイってマジで! ごめん俺が悪かった俺が悪かったから叩かない
で!」
「素直でよろし!」
「怪力女も素直で言ったつもりなんだけど」
「何か言ったかしら?」
「いえ何も言ってません」
「そう。それなら良いんだけど」
「……あのさ」
「今度は何かな?」
「もしっ……。……いや。無理は、しないでくれよな」
「…………うん。それも、大丈夫だよ。––––––ありがとう」
––––––––––––。
––––––––––––。
––––––––––––。
「––––––ハッ」
目が覚めると、そこは俺の部屋だった。
「……夢か」
久々に、嫌な夢を見てしまった。
最近は夢なんて見る事はなかったのに、ここに来てから夢を見る回数が増えてきたような気がする。
「今日から、学校だよな……?」
ぼんやりと何の変哲も無い壁を眺めながら呟く。
手帳を開いて予定を確認して見ると、今日から俺達の通う光陰高校は記念すべき通常通りの登校開始日となっていた。
俺達の高校は前期と後期の二期制で授業が区分けされている為、今日から前期の終業式まで通い続ける事になる。
入学式を終えた次の日は土日を挟んだ為、余裕を持って気持ちの切り替えも出来、新入生は一層気合いが入っている事だろう。
新しい学校生活の幕開けだ。
難関大学を目指そうと勉学に励もうとする者、部活の全国大会に向けて日々の鍛錬に励もうとする者、自分の殻を突き破り高校デビューをする者、特に意味など見出さず、平凡で平穏な生活をただ送ろうとする者。
高校生活に掲げる念は新入生の数だけ存在し、その数だけ新たな道が切り開かれる事だろう。
––––––でも、俺は違う。切り開く必要は無い。既に俺の突き進む道は『あの時』に決まっている。決して振り返らない。ただ、突き進むだけ。
どのみち俺の進むべき道には、もう『アリサ』は存在しないのだから。
★
学校の支度を済んだ俺とお嬢様は家を出て学校に着いた。
ここからはお嬢様と執事の関係を隠す為、名前で呼び合う事になる。
正門前で体育教師と思われるゴリラ男に挨拶を返して通過し、下駄箱で靴を履き替えようとした時、アリスから心配そうな声をかけられる。
「シノン、今日いつもと雰囲気が違うけど……。体調でも悪いの?」
お嬢様は俺を見て何か不安に思う部分があるのだろう。
もしかして、会話が原因か?
俺とお嬢様は学校に着くまでの間、特に会話という会話をする事なく、ここまで来てしまっていた。
『今日から学校ね』
『そうですね』
『今日がいい天気で良かったわ』
『そうですね』
『なんか、緊張してきた』
『そうですね』
と言ったようにたわいも中身もない会話(?)を繰り返す事しかなく、気付いたら沈黙である気まずさを誤魔化すように周囲の街並みを見て堪能したり、他の高校の制服を見て堪能したり、呼吸に集中したりとまるでこれがコミュ障同士のデートなのかと勝手に堪能していた。
俺もお嬢様も会話を広げるの下手すぎワロタ。
だがこんな会話から俺の雰囲気が違うと察した訳ではなかろう。
単純に、俺がいつもより暗い顔をしているからお嬢様は察したに違いない。
忘れるつもりは一切なかったのだが、まさかあの出来事を思い返す事になるとは……。
「……いや、ちょっと変な夢を見てしまって」
「へぇ。どんな夢?」
「あー、それは……。あまり、覚えていないですねー」
「なーんだ、つまんないの。でも、夢って不思議と記憶が曖昧よね。あれってなんでなんだろ?」
「お嬢様は単に記憶力が––––––」
「シノン君? 私がシャキッとさせてあげようかしら?」
「たった今冷たい空気でシャキッとなりましたので大丈夫です気遣いありがとうございました」
「そ? なら良かったわ。––––––それより、呼び方気をつけてよね」
「あ」
そうだった。学校ではアリスって呼ばないといけないんだった。俺とした事が。しっかりしないと!
靴を履き替え終えたアリスは俺を置いて先に歩いて行ってしまう。
俺はその後ろ姿を見て何故か、気が遠くなるような、遠ざかって行くような、そんな錯覚に陥ってしまい、ぼんやりと見つめてしまう。
そんな中、後から登校してくる学生の話し声や下駄箱を開ける音に気づきハッとなった俺は、気合いを入れ直す為に両頬を強めに叩く。パシパシっと高い音が響くと同時に、ジリジリと痛みが襲いかかってくる。
そのお陰で目が覚め、体には力が入り、生気が戻ってきたような気がして、本当にシャキッとした感覚を感じる。
でも、所詮それは表面上だけでしかない。
頭の中のモヤは、一向に晴れる事は無かったのだ。
★
今日から始まる通常授業。
クラスメイト達は授業中、教室の雰囲気に慣れていない為か、初の授業で気合が入っている為か、それとも単に真面目なだけなのか知らないが、全員姿勢を正し、騒ぐどころか無駄話を一言もする事なく、真剣に授業を受けていた。
中にはそんな事はない人もいるのだろうが、流石に授業初日は真面目に過ごし、何一つ問題なく放課後を迎える事が出来ていた。
慣れてくれば偽りの仮面に亀裂が入り、本性が現れるのだろうが、それも時間の問題であろう。
一人が仮面を外せば、それに便乗して周りの人間も仮面を外していく。
そうして自然の形で本性を晒していき、最初は透明で透き通る程美しい教室内の色を十人十色という混沌で混濁の色に染め上げていくのだ。色だけにね。
そこでようやく晴れて自分に合いそうな人達を取捨選択していき、これからの学校生活を共にするグループを結成していく。
タイミングを逃してしまえば、一度出来たグループに他の者が参入するというのはほぼ不可能。
人間、真面目が一番というが、それは最初の第一印象にも関わってくるから重要な要素なのかもしれない。
見た目がチャラそうな人は敬遠しがちだもんね!
だから最初の方は真面目に過ごし、周りに『自分は真面目ですよ』アピールをするのは正しい選択で間違いないと俺は思う。
その一方、俺は不真面目に一日中学校の授業を寝て過ごしてしまっていた。
別に眠いわけではない。体調が悪いわけでもない。小学生の時みたいに『はい! 元気です!』とハキハキと喋れるぐらいに体は元気である。ごめん、盛った。
ともかく元気ではあるのだが、どうも頭の中で頑固な油汚れのような『モヤ』が消えてくれなくて、頭がボーッとしてしまうのだ。
先生が授業で解説してくれている内容も耳には入るが頭の中には入って来なくて、それが更にモヤを大きくさせてしまう。
こんな状態で授業を受けるのは時間の無駄である為、俺はモヤを一刻も早く解消させる為に取った行動が『寝る』であったのだ。
起きてから間も無い為そんなに眠くは無いのだが、例え眠れなかったとしても、今の俺には思考をクリアにする為に何も考えない時間が必要であった。
机の上に添えた腕を枕代わりにし、頭を乗せ体を倒し、椅子を少しだけ引いたこのうつ伏せ状態は側から見れば誰でも寝ていると思わせる。
俺はモヤが解消するまで授業は全てこの体勢で受けた。
んで、気付いたら放課後になっちゃったの☆(てへぺろ)
幸いな事に本日の学校はアリスに何か問題が降りかかってくる事はなく、無事に過ごす事が出来ていた。ただ休み時間中、ずっと独りで読書していたけど大丈夫かしら。お父さん、なんだか心配だわ。
だが、人の心配している場合ではない。
一日学校の授業を代償にしたのにも関わらず、未だにモヤは解消される事はなかったのだ。
しかもエリーナ先生からも心配そうな目で見つめられ、何だか居心地が悪く感じた。
そんな自分に苛立ちも覚えてくる。
俺は開き直った。今日はもう諦めようと。明日になればこのモヤも無くなっているだろうと、甘く考えていた。
「ねぇ、シノン」
「おわっ!」
帰る為に荷物をまとめていると、突如前からアリスに声を掛けられた。
意識が自分の世界に置いていた為、不意打ちのそれに体をビクッと跳ね上がらせて驚いてしまう。
「ど、どうしました……んだ?」
振る舞い方がごちゃごちゃになる程、思考は定かではなかった。
「……放課後
ちょっと、どっか寄ってかない?」
「…………」
その台詞を俺は覚えている。
先週エリーナ先生の荷物運びを終えて、その帰りにお嬢様からそう誘われたのを。
「良いですよ」
二度も断るのは気が引ける為、俺は承諾した。
もしかしたら気分転換にもなるかもしれないと、そう思ったから。
「じゃあ、内原イオンに行こう!」
内原イオンとは俺達が済んでいる地域で唯一の巨大デパートであり、放課後や休日は暇さえあれば思わず寄ってしまう暇つぶしスポットでもある所だ。
スーパーや飲食店に雑貨、ゲーセンや本屋など時間を潰すには満足な程多くのジャンルが揃っている。
俺は普段そんなに寄る事はないが、気分に任せて一人で寄ったりする事もある。
まぁ寄るのは殆どゲーセンと本屋だけなのだけれど。
「では、行きますか」
「……うん!」
お嬢様の表情と言葉からは、何処か素っ気無く感じた。
★
内原イオンに着いた俺達は中に入り、キョロキョロと歩きながら久々の巨大デパートに思わず見惚れてしまっている。
「うわぁ〜! おっきいね〜!」
その言い方、俺の自動翻訳機が変に誤解生むからやめようね?
「そうだな。前はこんなにデカくなかったような気もするが……」
実際の所、造り自体は何も変わっていない為、久々に来た事による錯覚みたいなのを感じているだけであろう。
「シノンは良く来るの?」
「ん〜、まぁ、気分によるかな」
「なによそれ」
お嬢様は微かに吹き出す。
「特段、ここに来ても寄るのは本屋かゲーセンぐらいなもので。それに本屋は家の近くにあるからそこで済ましちゃうし、ゲーセンに行きたい時に行くみたいなものですかね俺は」
「服とか雑貨には興味ないの?」
「ないわけではないけど……。別に買う必要が無いっていうか……」
「そうなんだ。……私、もう何年も来てないから色々見て回りたい」
「えっ、そんなに来てないんですか?」
俺みたいに数ヶ月単位ではなく、何年も来ていないという事に驚きを感じてしまった。
「ちなみに、具体的にどのくらい?」
「う〜ん……。多分、二年ぐらいは来てないと思う」
「マジで!? そんなに!?」
「うん。中学生になってからずっと勉強漬けだったから。それに、外出して良いような雰囲気ではなかったというか、そんな余裕がなかったというか……」
「…………」
そっか。お嬢様は家族に認められたくて、自分の時間を潰してまで必死に勉強に励んで来たんだな。
自分の置かれている立場を見定め、それに見合う行動をして来た。
結果的に理想の自分にはなれなかったが、それでもお嬢様が必死になって追い続け、費やしてきた時間は決して無駄なものではない。
自分なりに全力で挑んで、それでも届かなくて。
今までの努力は、時間は、一体なんだったのだろうと、絶望に満ちた筈だ。
そのまま崩れ落ち、そのまま倒れていたらどれだけ楽だっただろうに。
それでもお嬢様は立ち上がり、現実を思い知った。
努力だけではどうにもならない事を、思い知った。
あの時のお嬢様にとって、あの脅威なる絶望は必要不可欠な事だったのかもしれない。
自分の気持ちに気づいておきながらも、他者が示す道が正しいのだと、それが自分の進むべき道なのだと、そうやって思い込んで、偽って、自分を騙し続けた。
だから、最初から間違っていたのだ。憧れの人になろうとしていた時点で。
お嬢様には、お嬢様らしい道がある。
そこを進めば良かっただけなのだ。
でも、道は進んで見ないと先は分からない。
お嬢様が味わった絶望は、行き止まりの合図だったのかもしれない。
そのお陰で、お嬢様は無事に原点に戻って来る事が出来た。
––––––なのに……俺は……。
「––––––ノン。シノン!」
「はっ」
自分の名前が呼ばれている気がしてハッとなった俺は声の出先に体を半身だけ向ける。
「……え、あ、呼んだ?」
「呼んだ? じゃないわよ。途中から返事が無いなーと思って見てみたら、あなたさっきからボーッとしてるんだもの」
「ご、ごめん。––––––で、なんの話だっけ?」
「……折角来たんだからカフェでも寄ってかない? って話!」
「そ、そうだな。じゃあ……三階にあるカフェに行くか」
気が集中していて途中からお嬢様の話に耳を傾けるのを忘れてしまっていて失礼な事をしてしまった。
それどころか、店内の賑やかな騒音すらも聞こえていないような感じだった。
それでもお嬢様は責める事も、機嫌を悪くするような顔もする事はなく、ただ心配そうな、不安そうな顔で俺の顔をじっと見つめていた。
それが妙に居心地が悪く感じ、俺は目の前にあったエスカレータに向かう歩むスピードを僅かに速めて三階まで上がって行く。
俺の後ろに立つお嬢様は何も喋る事なく、ただ俯いているだけだった。
まるで俺に、気を遣っているかのように。
★
俺達がようやく会話をしたのは、店員に案内された端っこの席に着いた時だった。
横に長く設置された革のソファの対面には茶色の木材で造られたテーブルと椅子が一つずつ用意されている。
俺は木材の方に先に座り、お嬢様を必然的にソファに座らせる。
肩に掛けていた鞄を机の下にある荷物置き場に置いた後、テーブルの上に置いてあるメニュー表に互い目を向ける。
「お。……じゃあ、俺はこの期間限定のコーヒーにするかな」
選ばれたのは綾鷹ではなく、ブラックコーヒーでした。
「え! ちょ、決めるの早くない!? ほら! 他にも色んなコーヒーや飲み物もあるよ?」
カフェラテにカプチーノ、オレンジジュースやコーラといったジャンルの飲み物も沢山あったが、俺は迷わず期間限定のブラックコーヒーに決めた。
「俺は期間限定があればそれを選ぶようにしているんだ。味わった事のある物は頼まないけどな」
中毒になる程美味しい商品は別だけどね!
「へ〜。あんたって意外と限定に弱い感じ?」
「いや、別にそういうわけでは無いけど。なんていうか、逃したら二度と味わえないって思うと、つい頼んで見たくなっちゃうんですよね」
「いやだから、それ限定に弱いって言うんじゃないの?」
「まぁ、そうとも捉えられるけど……。なんていうか……」
「…………」
目の前でお嬢様が不思議そうな顔で見つめて来るものだから何だか急かされているようで、俺の思考は更に言語化されずにグルグルと迷走してしまっている。
ずっと答えられずに相手を待たせるのも居心地が悪く感じたので、俺はさっきまで頭の中で感じていた思い出をベースに言語化したのを伝えてしまう。
「二度と会えなくなるなら、せめて味わっておきたい……と思うんですよ」
答えになっているのか、なっていないのか自分でも判断が付きにくい回答をしてしまった事に少しだけ羞恥心を滲ませた自己反省してしまう。
そんな良く分からない回答を耳にしたお嬢様は先程の不思議そうな顔は収まっておらずに呆けたような顔をして俺の目を見つめている。
その後、直ぐに柔和な微笑みを浮かべた後、視線をメニュー表に見下ろす。
「じゃあ、私もシノンと同じのにする」
お嬢様は俺が選んだ期間限定のコーヒーに視線を向けている。
「え、良いんですか? 他にも沢山種類ありますよ?」
「良いの! 私もこれが飲みたいの!」
「はぁ……。まぁ、お嬢様がそれで良いなら良いんですけどね。他に何か頼む物あります? あ、ほら。パンケーキとかもありますよ?」
「え!? パンケーキ!? 食べたい!!」
「分かりました。他はありますか?」
「う〜んと……大丈夫かな!」
「おけ」
俺はテーブルの上に置かれている注文ボタンを押し、店員に注文をした。
★
俺達は注文した品が届くまでの間、雑談をして時間を過ごす事に。
良く二人で出掛けて目の前でずっとスマホ弄られると、『お前と話しているよりSNSチェックしてる方が楽しいわW』って思っちゃうのは俺だけ?
俺もお嬢様もそういった気持ちを理解しているのか、お互いスマホを取り出す事なく相手との対談に専念している。(ワイ、コミュ障陰キャぼっちなので、会話の盛り上げは任せましたよお嬢様!)
「ここ、良い所ね。こういったレトロな雰囲気、結構好きだわ」
「カフェとかは初めてなんですか?」
「いえ、一度だけ来た事があるわ。確か……中学二年の最初の方だったわ」
「へー。一人でですか?」
「いえ、友……その、知り合いと二人でよ」
選ぶ言葉を間違えたかのようにお嬢様は言い直した。
きっとお嬢様は友人と言おうとした。きっとそこに何かあったのは察する事は出来た。
「へぇ。……その知り合いとは何かきっかけでもあったのですか?」
中学生の段階で『知り合い』という関係だけでカフェに行くというのはどうもしっくり来ない。普通は友人と行くものではないのか?
大人になれば大人の都合で大して仲良くも無い人と飲みに付き合わせられる事はあるかもしれないが、中学生というまだ社会に出ていない子供に強制参加という暗黙のルールは存在しないようにも思えるが……。
この件に続けて触れても良かったか悩ましい所ではあったが、変に察して話を逸らすよりかは流れに沿って自然に会話をした方が良かろうと思い、ダイレクトに聞くのではなく少しだけ焦点をずらして問いかけたつもりだ。
俺の勘がそうしろと言っている。
だがお嬢様のしゅんとした様子から見て、俺の配慮は全く意味を成さなかったように感じる。
「きっかけは……彼女が、頭が良かったからというだけよ」
頭が良いという点とお嬢様とでは合点が付いている為、特に驚きはしない。
大方、頭が良かったから勉強を教わろうとしたという辺りだろう。
「どのぐらい良かったんですか?」
「常に学年一位を維持する程よ」
「うわっ、そりゃあ凄いこと……」
「だから私は、その子にどうしたらそんなに勉強が出来るのか聞きたくて、仲良くなりたいと思ったの」
「ふむ」
「でも、結局聞いても私のスタイルには合わなくて、結果的に自分流でやったんだけどね」
「まあ、勉強スタイルは人によって違いますもんね」
「うん。しかもそれがきっかけで徐々に私達は普通に話すようにもなったわ。元々、お互いに一人で過ごしていたという共通点が大きいかもね」
お嬢様に関しては周りからの嫉妬や妬みが理由で、一人でいた事は知っている。
だがその子に関しては何の情報も持たない俺にとって不可解な点ではあった。
「その子は一人でいるのが好きなのですか?」
「あー、うん。一人の方が楽で好きって言ってたわ」
あー分かるわ。その気持ち。俺もその考えの一人だわ。
その子と気が合いそうだな。
「でもね、その子一人は好きなんだけど、独りは嫌なんだって」
「あ、それ聞いた事がある。一人は好きだけど独りは嫌いってやつ。SNSで多くのユーザーに共感されて話題になっていたな」
「そう! だから本当はその子、学校ではいつも独りだったから、本当は一人で良いから話し相手が欲しかったんだってさ」
「なるほど。それでお嬢……アリスが話し相手になったわけか」
「そうなの。お互いに独りだったからこそ、引かれ合ったってわけ」
「へー、そんな偶然な出来事もあるものだな」
でも、これでお終いでは無い筈。
ここまでの話しだけでは、互いの共通点が引かれ合って仲良くなれた温かいエピソードでしかない。
お嬢様が見せたあのしゅんとした顔には、まだ何か続きがある筈。
「でもね、そんな関係も直ぐに終わってしまったわ」
「!」
目の前で再びしゅんとした顔に変わったお嬢様。
その顔は最初に見せた顔とほぼ一緒だった。
「直ぐに?」
お嬢様の言葉を確認するように俺は聞いた。
話したくない事なら深く追求しようとは微塵も思わないが、お嬢様から話を切り出すという事は、前みたいに聞いて欲しいという言葉の裏返しのように感じた為、俺はこの話しの続きを促した。
「……そんな関係は、たった二週間で終わってしまったのよ」
「……早過ぎでしょ。一体何があったのです?」
「これも、あまり面白く無い話しだけど……良いの?」
何を今更。
「良いに決まっているじゃないですか。お、アリスが話したい事なら何だって聞きますよ」
「……ありがとう。後、慣れていないなら普通にして良いわよ。今は周りに誰も学生はいないし」
「……御配慮の程、ありがとうございます」
俺が軽く会釈した後、お嬢様は一呼吸置いて話を続けた。
「……まぁ、簡単に言ってしまえば、『虐め』よ」
「!!」
「私の家系の事情を知っているあなたはもう察していると思うけど……」
「……ハブられた……って事ですかね」
「……そうよ」
「……」
「クラスという集団があると、どうしても上位カーストという者が存在してね。クラスの成り行きは殆どそいつらに委ねられていったの」
自嘲気味に話すお嬢様は意味も無くテーブルの上に視線を向けている。
「それで、私はそいつらに嫌われていたから他の人も私に絡む事は一切無かったわ」
俺は胸中の熱が徐々に沸騰して熱くなってくるような感覚に襲われる。
「その子は元々一人が好きで誰とも絡む事は無かったから、上位カーストからは何もされていなかったけど、私と絡むようになってからその子は脅されるようになったの」
哀しみの情を少しだけ露にするお嬢様の姿を俺は力強く捉えていた。
「休み時間の時、たまたま聞こえてしまったわ……。『あいつと関わったらお前タダじゃ済まさねぇからな』って」
テーブルの下に隠している俺の拳はいつの間にかプルプルと震えていた。
「それからよ。私を無視して、絡まなくなったのは。まともに話したのは出会って最初の方の、カフェに行った時ぐらいだったわね」
カフェに行ってから数日後に、このような事があってしまったという事。
「最初は私と同じような感じがして、初めてクラスで友達が出来たと思ったけど……。やっぱりそんな事にはならなかったわ」
「……」
「でもいいの。多分、あのまま私と一緒にいたら、彼女……何をされていたか分からなかったし」
お嬢様は開き直ったかのように作り笑顔を見せてきた。
「ま、そんな事があったのよ」
お嬢様が話しを終えたタイミングで、店員が注文していた品を運んできた。
「お待たせしました! こちら期間限定のコーヒーと……パンケーキですね! ご注文の方は以上でお揃いでしょうか?」
「はい」
「では、ごゆっくりどうぞ」
爽やかな笑顔と言葉遣いを残して去って行く店員。
それに返すように、俺達は軽く会釈して『ありがとうございます』と伝える。
「ふふっ。––––––では、頂きましょうか」
「……そうですね」
お嬢様の新たなもう一つの暗い過去を聴き終えた後、俺達は区切りが良いように感じて目の前に並べられたコーヒーとパンケーキを頂く事にした。
(……パンケーキ、美味そうやんけ)
想像以上にふっくらとしてカラメル色の焦げ目が付いた美味しそうなパンケーキを前に、自分も頼めば良かったと少しだけ後悔するシノンであった。
★
期間限定のコーヒーは苦味が一段と強く感じるのにも関わらず、深いコクがあり後味スッキリとした味わいだった。
ブラック好きにはたまらないだろうなと思わせる程。
そんな期間限定のコーヒーの味を堪能している俺の目の前では、そのコーヒーの味を最大限に堪能させるかの如く、蜂蜜と生クリームが別で添えられたパンケーキを食そうとする女の子が目をキラキラと輝かせながら視覚的にも堪能していた。
「わあ〜! ふっかふかで美味しそう! では、いただきまーす!」
パンケーキに蜂蜜をかけ、それをナイフで一口サイズにカットしていき、生クリームを適量乗せ、三位一体したパンケーキを口の中に頬張るお嬢様。
「んんっ〜♡ 美味しい〜♡」
……くっ! なんて美味そうな顔してやがる! 思わずよだれが垂れそうになったじゃねーか!
今のお嬢様は先程の暗い雰囲気は嘘だったかのように感じられず、それどころか今は至って普通にカフェを楽しんでいる女子高生であった。
「ふわふわのパンケーキに甘い蜂蜜と生クリームがじんわりと染みこんできて、口の中が幸せだわ〜」
……ゴクリっ。
「……シノンも食べる?」
「へ?」
思わず、間抜けな声が出てしまった。
「……い、いや。俺は大丈夫です」
「甘い物嫌い?」
「いえ、大好きですよ」
「じゃあ、一口で良いから食べてみたら? 折角来たんだし」
お嬢様の様子を伺いつつパンケーキにチラッチラッと視線が動いてしまう。
ダメだっ!! 体が欲している!!
「……じゃあ、一口だけ……」
言うと、お嬢様は綺麗な動作でパンケーキを一口大サイズにカットしていく。
普段の綺麗な食事の行いがそこには現れていた。
カットしたパンケーキに生クリームを乗せ、フォークで刺した状態で俺に向けてきた。下には溢れた時の事を考えて手が添えられている。
「え、なんですか?」
「何って、食べるんでしょ?」
「まぁ、そうですけど……」
「じゃあ、はい。あーん」
「え、あ、ちょっ」
やや強引に詰め寄られ、俺は成す術なく向かってくるパンケーキをパクッと一口で頬張る。
お嬢様は周囲に誰もいなかったからこのような行動を取ったのか、それともその行為事態何も感じないのか知らないが、初めての体験だった俺には大分恥ずかしくて顔を真っ赤にしていた。
「……んっま」
羞恥心と共に噛み締めるように俺は良く噛んで味わった。
お嬢様の言うとおり、ふわふわのパンケーキに甘い蜂蜜と生クリームがじんわりと染みこんできて、口の中が幸せだった。俺の場合、余計なスパイスが混じってしまったが。
まあ、そのスパイスによって味が悪くなるとかマイナスな事にはならなかった。
むしろ素材の味を引き立ててくれたと言えよう。
俺は味を堪能した後、ゴクリと飲み込む。
その後、甘さによって乾いた口をコーヒーで潤す。最高だった。
「このパンケーキとコーヒー凄く相性良いですね。大人がおつまみとビールを頼むのもこんな感覚なのでしょうね」
「あ、私も飲んでみよっと」
俺の真似をするかのようにお嬢様もコーヒーを飲んだ。
「……あ、ホントだ。パンケーキの甘さとコーヒーの苦味がお互いに良さを引き出している気がするわ」
「対比効果ってやつですね」
「対比効果?」
「はい。二種類以上の違った味を混ぜ合わせた時に、どちらか一つ、あるいは両方の味が強く感じる現象の事です」
「へぇ! シノンって意外と物知りなのね」
「意外は余計ですよ?」
「そういえば、シノンって光陰高校を受けた理由とかあるのかしら?」
「理由、ですか?」
「えぇ。光陰高校ってこの地域じゃ、一番偏差値が高い高校でしょ? シノンも私みたいに何か目標があって受けたのかなーと思って」
「……目標……」
お嬢様の言う通り、光陰高校はこの地域では一番偏差値が高く、受験も毎年倍率が高くて合格難易度も高いうえ、男女共に人気の高校でもあるのだ。頭も高そう。
生半可な気持ちと実力では到底合格する事の出来ない光陰高校。
そこを受験する者は将来を見据えて進学する事まで考えているエリート達が集まると噂されている。
実際、光陰高校を卒業した者はそれに続いて難関大学まで進学している。
中には家から近いからとか何となく受けるみたいな適当な動機で受験をする者もいるだろう。
だが、余程の天才ではない限り合格する事は先ず無い。
合格する殆どの人がお嬢様のように明確な目標を持ち、絶対に合格してやる! という強い志を持たないと勝ち抜く事は出来ないだろう。
そもそも光陰高校の合格難易度が限りなく高い事に受験生は重々承知している筈な為、余程の挑戦者では無い限り受験しようとは思わないだろう。
そういった事もある為、受験する者は必然的に真面目で知識レベルの高い者達が集まってくる。
––––––だから俺は、光陰高校を受験した。
「俺が光陰高校を受けた理由は……少しは平和に過ごせるかなと思ったからですよ」
気の抜けた俺の回答にお嬢様は呆気を取られている。
「……どういう事?」
俺は詳しく説明をするか迷った。
それを説明するには出来れば思い返したく無い過去を、隠しておきたい過去を話さなければならないから。
なら、何故あの時誤魔化さなかった? ……分からない。
……いや。もしかしたら、お嬢様の影響が関係しているのかもしれない。
本音を打ち明け、絶望から立ち直り、再び自分の歩むべき道に進もうとしている。
その姿を心の何処かで俺は、尊敬していたのかもしれない。
そんな尊敬に値する人物を目の前にして、俺もそれに釣られてしまったのかもしれない。
それに、今日のお嬢様は何処か俺に気遣っているような違和感も感じる。
その心配そうな、不安そうな眼差しをじっと向けられたら嘘も誤魔化しも通用しない事だろう。
本当、女性の勘というのは恐ろしいものだ。
俺は逃げ場を失ったような錯覚に陥ってしまい、覚悟を決め、過去の苦い話しを打ち明けよとした。
「……中学時代、俺は酷いいじ––––––」
––––––その時だった。
「あれ? あいつもしかしてシノンじゃね?」
カフェの入り口側から聞こえてきた男の声。
聞き覚えのあるその声は鼓膜に妙に響き、心の底から憎悪が込み上がってくるような感覚に陥った。
俺の名前を不意に出された事により、反射的に声の出先に顔だけを振り向けると、そこに立っていたのは中学時代クラスメイトだった男子四人組だった。
俺達と同じく学校帰りに寄って来たのか、学ランの制服姿でいた。
制服から見て、その四人は偏差値がかなり低い高校の物だった。
信じられない出会いに、互いが互いを本人であるか確かめるように見つめ合う。
そして俺は確信した。それは相手も同じであろう。
中学時代のクラスメイトだった。
「おいおい、マジかよ! こんな所で会うなんて思わなかったぜ!」
四人のうちの一人が声を発すると、それに便乗するかのように他の三人もクスクスと笑い出す。中学時代の俺の惨めさを思い出しているように感じる。
そんな俺達を他所に、店員は人数と空いている座席を確認した後、四人の男子を俺達と反対側の席へと案内しようとする。
「あ、店員さん。俺達あそこの隣が良いんだけど」
先程声を発した一人が指を向けて座席を指定し始める。
指の先は俺達の方へと向けられている。
つまり、俺達の隣に座りたいという事だ。
不幸な事に、店内には俺達以外にお客さんはいない。
新規のお客さんが座席を指定するのであれば、それを断る理由が店員には無い。
店員は一瞬だけきょとんとした後、直ぐに案内する座席を変更させる。
「あ、失礼致しました。では、あちらへとご案内致します」
店員が先陣を切って座席を案内し、その後を四人組が付いていく。
一歩一歩、四人組が俺達の方へと近づいて来る。
俺の方へと距離を詰めてくるその感じは、あの時の恐怖を蘇えさせる。
俺にまた、危害を加えてくるのではないかと、錯覚してしまう。
「こちらの席で宜しかったでしょうか?」
「おう」
「では、ご注文がお決まりの際はそちらのベルをお鳴らし下さい。では、ごゆっくりどうぞ」
四人組を席へと案内し終えた店員はその場を後にする。
残された四人組は躊躇する事なく俺達の隣の座席へ座り始める。
嫌な予感はしていた。
何故、わざわざ俺達の隣へ座るのか。
俺はお前達と話す事など何も無い。出来ればあのまま反対側の座席に座って欲しかった。
さっきまで落ち着いて過ごしやすかった場も、今は天地がひっくり返ったかのように窮屈で居心地が悪かった。
「……何か用ですか?」
圧に耐えられなかった俺は気を誤魔化すかのように声を発した。声も先程と比べて大分低かった気がする。まるで怯えているような声音だった。
そんな俺の変化に気付いたのか、お嬢様は状況の理解が追い付かず、俺と四人組を目だけで交互に見ていた。
「用? 別に用なんかねぇよ。ただ懐かしい奴を見かけたもんでな。昔話でもと思っただけだ」
「…………」
こいつらとの昔話など、ろくな思い出は無い。思い出すだけで治りかけていた傷口が開くだけ。
それを持ち出そうとしてくる辺り、未だにこいつらは中学時代の頃と何も変わっていない事が分かった。
「……あ、あの。あなたたちは、一体……」
恐る恐る質問をし出したのはお嬢様だった。
それもそのはず。お嬢様は俺達の関係を知らない。ましてや、素性の知らない者が急にお邪魔してきたら尚更の事。
そんなお嬢様に対し、四人組はジッとお嬢様の事を見つめている。
「可愛いな」
「えっ?」
「あいつにも似ている……」
質問に答えてくれるかと思いきや、予想もしていなかった言葉に俺もお嬢様も驚きを隠せないでいた。
「もしかして、こいつの彼女だったりする?」
顔を一度俺の方へと向け、彼氏であるか確認を入れる。
「かっ、なっ……ち、違うわよ!」
「うほぉ〜、顔真っ赤にしちゃって、可愛いねぇ」
「か、からかわないで下さい!」
「うんうん、良いね! これから暇? 俺達と一緒に遊ばない?」
「はぁ? 素性も知らない人と遊ぶわけないでしょ」
「だぁかぁら! これからお互いの事を知れば良いでしょ? 金なら俺達が全部出すからさ。どう?」
「行きません」
「え〜、つれないな。そいつと一緒にいるより絶対楽しいって。なんなら、大人の世界も教えてあげるからさ……」
「行かないって言ってるでしょ。しつこいわ」
「ひゅう〜っ。こりゃ頑固だ」
「……っていうか、私の質問に答えてよ」
馴れ馴れしい態度に機嫌を損ねてしまったのか、お嬢様はキッと睨み付けるような目を向ける。
「お〜怖い怖い。そんなに睨まないでよ。今から答えるからさ……」
「……」
語尾に差し掛かる瞬間、そいつは俺の方へと視線を向けてきた。
俺と目が合うと直ぐに視線を逸らしたが、目が合った時の不適な笑みは俺の黒歴史を余す所なくお嬢様に暴露するぞと、脅しをかけているように感じた。
「俺達はこいつの『友達』だよ。中学時代は仲良く遊んでいたよな〜。なぁ?」
俺の方へと身を乗り出し、肩を回しかけてきた。
『俺の話に合わせろ』と、訴えかけてきているようだ。
顔に僅かに生温かい吐息が掛かる。
だが俺は、うんともすんとも言わず、ただじっとしていた。
「懐かしいな〜。……あ、そういえば、もう一人仲良かった奴もいたな」
俺の眉が、ピクッと反応する。
「……確か名前は……『アリサ』だっ––––––うぐっ!?」
「ちょっ、シノン!?」
「……っ!」
気付いたら俺は、こいつの胸ぐらを思いっきり掴んでいた。
手にはプルプルと震える程の力が込められている。
力だけではない。……アリサの想いも、そこには込められていた。
「っ……。テ、テメェ……!」
「お、お客様!?」
俺達の騒ぎに気付いた店員が慌てて駆け寄って来る。
「ど、どうなされました?」
店員の恐る恐るの問いかけに俺はハッとなり、冷静さを取り戻す。
胸ぐらを掴んでいた力も、徐々に緩まる。
ここは店内であって、騒ぎを起こして良い場所では無い。
幸いな事に他のお客さんがいなかったのが救いだった。
場に嫌な沈黙が続く。
居心地が非常に悪く、その場に居続ける事が苦痛になってしまった俺は席を後にした。
「……お嬢様、行きましょ」
「えっ、あ、待って!」
お勘定を手に取り早足で席から離れた俺は会計を済ます。
お嬢様は食べ終わっていないパンケーキを勿体なさそうに見つめた後、俺の方へと駆け寄って来た。
俺はそんな罪悪感を払拭する為に全額支払う。元々、お嬢様に出させるつもりはなかったが、今はそういう意識で支払っている。
ただの自己満足だ。
あれ程美味しそうに、幸せそうに食べていたパンケーキだ。残されたパンケーキの事を思うと名残惜しい事だろう。
男として情けない、自分勝手な行動に腹ただしさも感じる。
俺はまた、人の幸せを奪ってしまった……。
あの時から、何も変わっていない……。
……いいや、違う。何もかも……全部、あいつらのせいだ。
あいつらさえいなければ、きっとアリサは今も生きていた。
そうやってあいつらは、俺の大切なものを奪っていく。
そうやって俺は、自ら大切な者を手放していったのだ。
★
ハプニングな出会いに急遽カフェを退出してしまった俺達は、イーオンを出て五分程歩いた所にある公園のベンチに座っていた。
本来ならイーオン全体を見て回ろうとしていたのだが、またあいつらと出会すのも嫌で俺が先導してイーオンを出てしまった。
その行動にお嬢様から何か問われる事は無かった。きっと、お嬢様の中でもそれは理解しているのだと思う。
折角楽しみにしていたイーオンの時間を俺の勝手な都合で廃止させてしまった事に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
なんて言葉をかけたら良いのか分からない。俺が色んな事で悩んでいると、お嬢様の方から声をかけられる。
「なんなのよ、あいつら。馴れ馴れしくて気持ち悪かったわ」
怒りとおぞましさを滲ませたお嬢様の顔からは素直な感想を述べているように感じる。
その気持ち悪さに一矢報いてやりたいと思わんばかりに、足元に落ちていた石ころを蹴り飛ばす。
「……申し訳ございません。俺の勝手な都合で……」
お嬢様と目を合わせるのが気まずくて、足元の砂利に視線を下ろして謝罪の言葉を告げた。
「……あいつらと、何かあったのよね?」
「……まぁ」
「もしかして……。気分が暗いのって、そいつらと何か関係しているとか?」
「まぁ、そうですね」
「…………話、聞くよ?」
「……っ」
お嬢様の言う通り今は気分が暗い。いや、正しくは『今も』だ。
お嬢様が指摘しているのは、イーオンに来る前の事を指している。
授業もろくに受けず、体を机に伏せ寝ているフリをした。休み時間も誰かと接する事もスマホも読書もする事なく、ただボーッとして過ごしていた。
今更ながら、お嬢様が一度も俺に話し掛けなかったのは俺に気遣っていたからではないだろうかと気付く。
もしかすると、お嬢様がイーオンに連れてきた理由って、俺を気分転換させる為の提案だったのではないだろうか。
放課後に初めて話し掛けてきたお嬢様の様子は何処かぎこちなかった。
まるで意図を読み取られないように。
もし、本当にただイーオンに行きたいだけなのであれば、あんな気遣っているような雰囲気は出さない筈。
心の底ではイーオンに行きたい願望が入り混じっているのだろうが、それは建前上で、俺がイーオンに行きたいという事が最優先。
もし俺が行かないと言えば別の所に行っただろうし、行くと言えばそれはそれで好都合な展開である為、どのみち何処かには連れて行かれた事だろう。
俺は一度、お嬢様からの放課後のお誘いを断っている為、次は断りづらいであろう事を視野に入れたお誘いだったのかもしれない。え、お嬢様策士(思い込み)
何はともあれ、お嬢様が気遣っているというのは俺の勝手な考えでしかない為、それを証明する事は出来ない。
だがもし、ここまで気遣って貰っているという可能性がある以上、俺がいつまでも隠し続けるというのも何だか気が引けてしまう。
人間、隠し通したい思い出は一つ二つある筈だ。
今回の件も、俺にとってその一つだ。
絶対に……誰にも話さない。
––––––なのに、お嬢様には話してもいいかな……と、硬く閉ざされた心の扉が僅かに開こうとしているのが不思議だ。
もしかして本当は、聞いて貰いたいのかもしれない。
俺の辛くて悲しい思い出の痛みを分け与え、共感して貰いたいのかもしれない。
心に長くずっと蟠っているモヤを、吐いて、聞いて貰って、解消したいのかもしれない。
お嬢様もあの時、同じ気持ちだったのかな……?
結局それも、自己満でしかない。
だが、それでも良い。今はとにかく、誰かに寄り添いたい気分だ。
その相手が側にいるという事実。幸福。奇跡。
あの事件以降、誰も寄り添ってくれなかった俺に、こうしてまた寄り添ってくれる人が現れた。
––––––ああ、やっぱり。見間違いなんかじゃない。……お嬢様は––––––。
「あまり面白く無い話しだけど……良いんですか?」
「何を今更。良いに決まっているじゃない。ま、シノンが話したい事なら何だって聞くわよ」
「……ありがとうございます」
さっき何処かで聞いた覚えのある台詞に俺は妙にむず痒く感じた。
★
「あいつらは、中学時代の知り合いで……」
ベンチの上でお嬢様の隣に座り、夕陽に照らされながら語り出す俺の表情は寂しげな雰囲気だった。
「俺はいつも、さっきの四人が中心になって毎日のように……いや、毎日虐められていた……」
語る度に、あの時の思い出が鮮明に蘇る。
「俺は根暗で、引っ込み思案で、弱気な性格だった。おまけに運動も得意ではない」
お嬢様は驚きの顔をしているものの、特に口にする事はない。
話の腰を折る事なく、ただ俺の話に耳を傾けてくれている。
その顔には『意外』と書いてあった。
「俺はかなりクラスで浮いていた。周りの男子は俺とは真逆だったから」
クラスの男子の中で、俺だけが唯一の低カーストとなった。
俺みたいな性格の人が一人や二人いれば違ったのだろうけど、面白いぐらいに俺と似たような男子は誰一人といなかったから。
「そのせいか、俺は酷く馬鹿にされるようになった。あいつだけが唯一出来損ない落ちこぼれの男子だって……。みんな、俺を笑っていたよ……」
「…………」
「それがきっかけで変にクラスの団結力が上がって、弄りという名の虐めが本格的に起こり始めた。もちろん、矛先は俺だ」
お嬢様は唇を噛み締め、顔を険しいものへと変える。
「虐めは辛かった。暴力や罵倒にカツアゲ、物を隠されたり盗まれたり、勝手な作り話を学校中に拡散されたり……。その作り話が更に虐めをヒートアップもさせていったな」
「っ」
「でも、俺にはどうする事も出来なかった。当時は俺一人しかいないって、そう思っていたから」
「……当時は?」
「……ああ。そんな俺に、たった一人だけ手を差し伸べてくれた人がいたんだ」
俺はここでようやく、お嬢様と目を合わせる。
「––––––『アリサ』って名前の女性だ」
風がやや荒く吹き荒れ、落ち葉が舞う。
それに釣られるかのように、公園に一本だけ大きく育った木も大きく揺れ、木の葉は揺れ落ち、俺達の髪もなびいた。
「……アリサさん。……きっと素敵な女性なのでしょうね」
お嬢様は顔を俺の方へと向けているものの、視線は俺の足元へと向けている。
それに釣られて俺も自分の足元に視線を向けてしまう。
「ああ。彼女は、俺の唯一の救いだったよ」
何かの言葉に反応したのか、お嬢様はドキッと体を跳ね上がらせる。
いつの間にか、頬もほんのりと朱に染まっている。
「……へ、へぇ〜。彼女、ねぇ……。その子は、どんな子だったの?」
お嬢様が何故か隣でそわそわしているが、俺は気にせず答える。
「簡単に言うと、完璧な人だったよ。勉強も運動も常に学年一位で、人望も厚く、多くの先生からも期待されていた。それに……容姿も性格も良かった。きっとああいう人を、完璧な人って呼ぶんだろうな」
何故かアリサの微笑む姿を思い返してしまい、俺の胸はズキンと痛んだ。
それと同じくお嬢様も胸の痛みを堪えているかのように手を添えていた。
お嬢様はその痛みを誤魔化したいが為に、俺にとって出切れば質問して欲しくなかった質問を俺に投げ掛けた。
「その子とは今どうしてるの? 出来れば私も、一度お会いしてみたいな」
その質問をされた途端、俺の体は重力に押し潰されるかのような感覚に陥った。
視界に映っていた風景もグラッと傾いたように感じて、少しだけ酔ったような気持ち悪さを感じる。
俺は全身に力を込め、何とか意識を保とうとする。
少しだけ、呼吸が乱れていた。
「アリサは……もういないんだ」
気が遠くなる。アリアの姿もろとも。
「……えっ?」
「あいつは……アリサは…………自殺した」
「なッ!?」
やや俯きがちで呟いている俺に、お嬢様は瞳孔を開きながら驚きに満ち溢れている。
「……ど、どうし、て……?」
「あいつらと、俺のせいだ」
「!?」
「俺達のせいで……アリサは自殺したんだ」
あの時の出来事を後悔し、自責の念が込み上がって来る。
だから口に出した。でないと、精神が可笑しくなりそうだったから。
「俺が虐められている中、アリサは何の躊躇も無く俺に手を差し伸べてくれた。相手は集団だというのに、彼女はたった一人で俺に寄り添ってくれたんだ」
「……!」
「俺は嬉しかった。この学校には、俺に寄り添ってくれる人なんていないと思ってたから。––––––でも、それがアリサの自殺の原因にも繋がったんだ」
「どういう……こと……?」
「俺に寄り添った事で、『虐めの矛先』がアリサに変わったんだ」
「!」
「……さっきも言ったが、アリサは周りからの人望は厚い。優しくて、親切で、思いやりもある。嫌われる要素を見つける方が難しいくらいだ」
「じゃあ、なんで……」
「単純な話、みんなが嫌っている人に手を差し伸べたからですよ……」
「……」
「アリサが俺に寄り添ってから、不思議だとは思ってたんです。毎日のように虐めを受けていた回数が前より減っているなと……」
「…………」
「それでもアリサは何も無いかのように、いつも通りの自分で接してくれた。鈍感なわけじゃない。アリサは自分が虐めに遭っている事は気付いていた。顔には何処か無理しているような感じが出ていたから」
きっと俺の事を思って、虐めの矛先が自分に来ているのを勘づかれないように、作り笑顔で耐えていたのかもしれない。
アリサの人望が厚いのも納得の一言だった。
「学校の日は毎日……毎日俺のとこにやって来たよ。休み時間も、昼食も、放課後も」
俺の事が心配で仕方が無かったんだと思う。
それでもアリサは、虐めに関する話を切り出す事は一度も無くて、たわいもない世間話や日常であった出来事をただ楽しそうに話をしてくれた。
俺も聞いて楽しくて、幸せだった。やっと俺にも、幸せが訪れたんだって。
アリサとの時間が俺にとって、どれだけ救われた事か。
地獄のように通っていた学校生活が、たった一人の女性によって、これ程にも世界は変わるのかと、未だに信じられないでいた。
初めて、学校生活が苦では無くなった。
これから卒業するまでの間、こんな時間が続くのだと、そう思い込んでいた。
「……そんな日が一年を経とうとする時、とんでもない事件が発生したんだ……」
お嬢様の顔には苦しみや涙を堪えているかのような、険しい表情をしている。
「––––––アリサの自殺だ……」
「ッ!」
「………………」
「……どうして……っ」
「原因は……不明だそうだ」
アリサの死因は首吊りだった。
夕方、両親が仕事から帰った時に、いつも元気で明るくお帰りの返事が来る筈なのにそれが無かった為、アリサの部屋に入ってみると、そこには首を吊って息を引き取っていたアリサの姿があったのだという。
アリサの自殺は学校中で直ぐに広まり、事件の詳細を調べる為に警察からの事情徴収が生徒含む、教職員全員に実行された。
紙に匿名で何か些細な事でも良いので情報提供をして欲しいと頼まれたものの、何一つ情報を得られなかったらしい。
もしくは、学校の評判を下げない為に、知らないフリをしているだけなのかもしれない。
学校内で自殺まで追い込まれるような『何か』が公に出てしまえば、その学校の評判はガクッと落ち、入学する学生の数も減り、最悪……廃校に追い込まれてしまう可能性があるからだ。
いずれにせよ、未だにアリサの自殺の原因は分かっていない。今も警察は情報を得ようと調査中だ。
––––––でも、俺は分かっている。
証拠があるわけでも無く、あくまでも勝手な憶測でしかないが……。
アリサの自殺の原因は––––––『虐め』にあるという事を。
そして、自殺まで追い込んだ奴が誰なのかを……。
俺は知っている。でも、情報提供はしなかった……いや、出来なかった。
「……あいつらがっ……元々の原因じゃない……ッ!」
「……あぁ」
お嬢様の口調は怒りに満ち溢れていて、握り込んだ拳と共に身もプルプルと震えている。
あいつらが目の前に現れたら、直ぐにでも顔面を強く殴りそうな雰囲気だ。
俺も同じ気持ちだ。さっきカフェで胸ぐらを掴んだのも、アリサの仇を晴らしてやりたいという気持ちが未だに残っているからだ。
でも……でも……。それは出来なかった。
「あと、他にもう一人いる」
「……え?」
何故なら––––––。
「––––––この俺だ……」
俺も、アリサを自殺に追い込んだ張本人なのだから……。
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